第10話 『魔獣の知らせ』
翌朝僕はシュナさんに連れていかれてフェルゼーン城に登城した。相変わらず尖塔や外壁の見事な野戦向きの城だ。
相変わらず顔パスの彼女の後について行きながら、鉄の甲冑を装備した厳重な守衛の間を通り抜けていく。
「これより先、国王陛下フェルゼーン王の玉座の間である。最高の敬意を払うように」
いかつい顔の衛兵に通された玉座の間は流石に荘厳だった。重厚感のある乳白色の柱が何柱も立ち並び、床は綺麗な石で美しい華模様に敷き詰められている。
玉座には赤と金で装飾されたマントを羽織った痩せた老人が座っていた。
「シュナ・エルハイムただいま参りました」
シュナが膝を突いて首を垂れたのに習って僕も跪いて頭を下げる。やばいもとから緊張してたけど、さらに緊張が……冷汗がたらたら流れてくる。
「わしがフェルゼーン王じゃ。よう来たの。面を上げてくれ」
あれ? 意外に気さくな人だぞ。そこら辺の道端にいそうな気の良さげなおじいちゃんにしか見えない。しかし、向こうは一国の最高権力者なので細心の注意を払う。頭は上げても視線は少し下に下げ、床を見つめる。
「そんなに畏まらなくともよい。あそこの衛兵がいつも来訪者を脅してから入室させるものだからやりにくくてかなわぬ」
「は、はあ」
「そちを呼んだのは、騎士爵の授与を行うためじゃ」
「はい?」
この人は何を言っているのだ。こんな子供でしかも何の功績も上げてない人物に騎士爵だなんて、というかフェルゼーン王は僕が奴隷だって知っているのか?
「そんな顔をするな。少し傷つくじゃろう。案ずるなお主の身分どころか、出身まで把握しておる」
「え……」
「当たり前でしょう。あたしが陛下に相談せずあなたを買うわけ無いじゃない」
「ですよねぇ……」
ということは目の前でにこやかな笑みを浮かべているフェルゼーン王は僕が敵国の者だと知って、騎士に任命しようとしていることになる。
「どうして私などを騎士爵に任命しようと?」
「単刀直入に言えば、あの査問会でのそちの振る舞いをみて信用に足る人物と判断した。後はそちが自分で私は騎士だと言っていたではないか。騎士団に所属するということは自動的に騎士爵を得る」
「あ! いえ、大変不敬な事をしてしまいました。申し訳ありません」
おさまりかけた汗が再び噴き出してくるのが分かった。確かにあの査問会ではあれしかないと思ったけど、今思えばかなり浅慮で軽率だった。身分の詐称など死罪ものだ。
「そんなに顔を青くしなくともよい。わしもあの時は久しぶりに胸がすいたものだ。それにな、わしはそちが騎士団に入る十分な素質を持っていると思う……それに使えるのだろう? 呪術を」
「……ええ」
僕が恐る恐る頷くと、王はふむと少し熟考するように目を閉じた。しばらく皺だらけの額を撫でると、静かに目を開いた。
「シュナ、少し外してくれまいか」
「しかし、陛下」
「よい。少しこの者と二人で話がしたい」
「……かしこまりました」
シュナが一礼して玉座の間を辞した。門が鈍い音を立ててしまったのを確認して、フェルゼーン王がしゃがれた声で静かに話し始めた。
「そちは超越者に相まみえたことがあるか?」
超越者……それはムーンドール帝国において至上の存在を示す言葉だ。具体的には姿を見せぬ皇帝ムーンドールと、最高位貴族である公王バフェットの二柱だ。
皇帝はこの千年誰も姿を見たことはないが、公王バフェットの方は帝都の社交界でもたびたび姿を現すので見たことはある。
なんと返事をするのが良いのだろう。フェルゼーン王の顔色を見ても先ほどと違い一切の内面が読み取れない。となればどう答えるべきかより、何を答えるべきでないかを考えよう。
僕は元ムーンドールの商人の息子ということになっている。つまり、超越者の公王バフェットと接触したことがあるとは言うべきではない。でも、ムーンドールに居て超越者の事を一切知らない風にふるまうのもおかしい。
「いえ、もちろん存在は存じておりますがご尊顔賜ったことはございません」
「ふむ、そうか……儂は一度だけある。遠い昔の事じゃがな」
フェルゼーン王が超越者と会ったことがあるだって!? そんな話聞いたことがない。いつどこで会ったのか考えていると、老人が咳き込みながら再び口を開いた。
「呪術とは歪みを操作する術じゃ。よって自身が歪んだ存在であればあるほど、術はより強力となって行く。そして超越者とはまさに歪みの体現者。それを目の当たりにした人物はすべからく正気を失う」
「それが僕になんの関係があるのでしょうか?」
「奴らに縁のある者は数奇な運命を辿る。お主にもそんな気配を感じたのよ。まあ所詮老人の戯言。気にするでない」
いやそんな意味深なことを言われるとむちゃくちゃ気になるんだけど。というかこの人は超越者と何かあったのだろうか。というか改めていったい超越者ってなんなんだ?
何故だか僕よりフェルゼーン王の方が彼らを理解している気がした。
「ところで……今からもっとも重要なことを聞くのじゃが……」
「は、はい」
「シュナの抱き心地はどうじゃった?」
「は?」
聞き間違いかと思ってフェルゼーン王の顔を見ると気のいい好々爺やの顔がただのスケベじじいの顔となっていた。厳粛な王者の眼差しが、居酒屋にいそうな下世話なじいさんのたれ目になっている。
「……いや、僕はむしろ枕にされたんです」
「どっちでも同じだわい。ほれ顔が赤くなってるぞい」
「あ、赤くなんかないですよ。大体、何でそんなこと知っているんですか!」
「本人の名誉の為に黙っているが、某犬族の騎士団員から密告があった」
「……ダントン」
あのマッチョ犬族の男しかいない。完全にストーカーじゃないか。やられたらやり返す。僕もシュナさんに言いつけてやろう。
とここまで思った時に、僕はフェルゼーン王に一つ頼みごとを思い付いた。呪術を教えてくれる人を紹介していただけないか、そう言おうとした時だった。
「あの―」
「陛下! 北西デロスにて魔獣が多量に発生したしました」
「なんじゃと! シュナッ!」
「ただいま」
「デロスはこの国一番の穀倉地帯じゃ。決してやらせる訳にはいかぬ」
魔獣。その言葉を聞いた途端に、心臓が握られたみたいに胸が苦しくなる。無数の目、無数の牙、八つに開く口。狼を冒涜的までに歪めきった異形の姿が僕の脳裏でその咢を開いた。
 




