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第37話 『契約』

 薄暗い雑木林の中、月明りを頼りにマリアは必死に走っていた。果たして方向があっているのかも分からない。ただリオンの言葉を信じ、走ることだけが今の彼女にできることだった。


 そんな彼女の背後の木々から黒塗りの暗器が飛び出した。ククリナイフは狙った通りにマリアの足の腱に突き刺さり血しぶきを散らす。


「あぁっ」


 そのまま転び倒れたマリア。自身の足を治療しようと片手を伸ばす。直後、彼女の手の甲をククリナイフが貫いた。


「うぅッ」


 痛みに耐えながらナイフを抜こうとするも、手を貫いて地面に深く突き刺さったナイフは中々抜けない。


 草木の陰から一人の骸骨の面を被った男が出てきた。男の左手は既になく包帯で縛られていた。


「お前の主人は人知を超えた悪霊によって殺されるダロウ。標的の命以外に興味はナイガ、屋敷に戻られて救援を呼ばれると面倒ダ」


「リオン様は必ず戻ってきます」


「最後の言葉はそれで良いカ?」


 男が彼女の眉間に向けてナイフを飛ばした刹那、青い電気が凶器を弾き飛ばした。直後に草むらから飛び出してきたのは一人の少年だった。


「姉ちゃん! だいじょうぶ!?」


「ナツくん! どうやってここが分かったの!?」


「兄ちゃんの炎の霊気を感じたから、こっちに走ってきたんだ。そしたら姉ちゃんの霊気を感じたから」


 ナツはマリアの手の甲と足に突き刺さったナイフに気づくや否やそれを引き抜いた。


「小僧。アスピア別邸の暗殺者はどうしタ?」


「そんなのガンコじじいと、ルルさんが捕まえるぜ」


「なるホド。戦力をアスピア別邸とリオンの捜索に分け、単身お前だけが駆けつけてきたワケか。ならお前をさっさと始末し、アスピア邸の援護に向かうとシヨウ」


 そう言うと途端に男の姿が掻き消えた。闇夜に紛れて死角から狙うつもりだと悟ったマリアが声を挙げた。


「ナツくん! 気を付けて。この人は姿を見えなくしながら攻撃してくるの! あ、あとこの人の正体はヨギル家の筆頭執事で風の魔法を使ってくるからっ」


「おう! 隠れてもムダだぜ! 霊気で場所が丸見えだ」


 ナツは背後に目掛けて銀獣の爪から削り出した短剣をかざした。体内で練った霊気が腕、手、短剣を伝導し標的目掛けて迸る。青い雷が木に命中し火が付いた。


「遅イ」


 風が舞った。風はナツの周りで渦を巻き一気に収縮を開始する。鋭い風が中に閉じ込めた人間を切り刻まんと迫りくる。


「やばぃ」


 ナツは短剣を前に突き出し腰を落とす。足腰と短剣に霊気を込め一気に開放する。バリっと音を立ててナツの足から火花が散った瞬間、地面を蹴りながら少年は前方に突貫した。


 短剣が風の渦を貫き、なんとか窮地を脱する。


「グッ、いって」


 ナツが右肩に走る痛みに目を向けると、肩にナイフが突き刺さっていた。遅れて少年は風の渦の中にナイフが忍ばされていたことに気づいた。


 痛みをこらえて再び姿を消した敵を探そうとした刹那、突然少年の体を痙攣が襲う。そのまま膝もつけず倒れ伏したナツは、頭上から男の霊気が迫ってくるのを感じた。


『やばい、体が動かない』


 思わず目をつぶったとき、急に体を温かい霊気が包み込んだのを感じた。


「ナツくん!」


 マリアの魔法によって治療されたと気づく前に少年は転がりながら敵の頭上からの刺突を躱した。


「物理的な損傷だけでなく、毒物も中和するカ。厄介な女ダ。先にお前から殺すカ」


「ナツくん! 私が時間を稼ぐから、その間に逃げて!」


 逃げられないと悟ったマリアはせめてナツだけでも逃がそうと決意を固める。だがそんなことで逃げる様な男でもナツはなかった。


「ばか! オレは狩猟協会のナツだ! みんなを守らずに逃げるなんてことは、絶対ぇしねえ!! オレが必ず倒すから少しの間時間をかせいで!」


「死ネ」


 男がマリアの首筋めがけナイフを振るう。その瞬間、彼女を中心に黄金の光が放たれた。ナイフが彼女の喉を切り裂き血しぶきが飛ぶ。


「なんだト!?」


 喉を切るそばからマリアの傷がふさがっていく。驚異的な再生力に瞬刻の間だけ驚くも、ナイフを持ち替え心臓を突き刺す。間髪入れずに、眉間、喉、肺、胃、ありとあらゆる急所を次々と貫いた。


 だがそのどれもが一瞬で再生していく。想定を超えた事態に思わず男が後ずさる。その時、背後から青い光が差し込んでいることに気づいた。


「たまったぜ。でっけえ霊気が」


 ナツが前方に短剣を突き出す。腰を深く落としたその姿は、先ほどと同じ構え。だがその身に纏う霊気量は先ほどの日ではなかった。青い稲妻が少年の体を迸る。


 ナツの体が閃光と化した。次の瞬間、青い稲妻が瞬く。雷が男の身体を貫く寸前、彼の口元が歪んだ。


「吹き飛べ」


 緑色の暴風がナツの身体を激しく猛打した。大旋風が地面と木々を根元から抉り取り取る。

「女が回復魔法で時間を稼ぐ間、お前が霊気を練っていたことは当然感知していタ。その時間で私が霊気を練らず何もしないと思ったノカ?」


 男はマリアへナイフのみで攻撃する傍ら、少年の攻撃を防ぐための霊気を練り上げていた。全てを彼方へ吹き飛ばす大気流が吹き荒れる中、一筋の青き雷撃が懸命に前進する。


「呪術とは便利ダナ。彼我の霊気量をこうも明確に感じ取れるトワ。小僧、お前は農民の息子だったナ。出自と年齢を踏まえれば大した霊気量だが……このライマール・ド・ヨギルには及ばン」


 男の霊気がさらに膨れ上がった。暴風はさらに激しく勢いを増していく。


「消えロ」


 ついにナツの霊気が持たなくなった。少年の纏っていた青い稲妻が剥がれ落ち、小さな体がごみのように吹き飛ばされる。巻き上げられた土埃が晴れた後、そこには木の下敷きになった少年が横たわっていた。


「ナツくん!」


 マリアが駆けつけようとした途端、彼女の身体が風に煽られて宙に浮きあがった。


「邪魔しないでもらおうカ」


 風が彼女を少年と反対側に叩き付ける。背中から激しく叩き付けられたマリアの口から血が漏れる。


「これだけ距離を開けさせれば、お前の遠隔の回復魔法でも届くマイ。いかな回復魔法でも死者を蘇らすことはできないダロウ。お前を始末するのは面倒ダ。さきに小僧を始末スル」


 男がゆっくりとナツに近づいていく。手に握られたククリナイフが月光に照らされ鈍く光る。


「待ちなさい」


「傷は癒せても身体に走る激痛は消えないハズ。よく立ち上がれたものダ。安心しろお前もすぐに―」


 そう言いかけた時、男は異変に気付いた。この霊気はなんだ。男はこの歪んだ霊気に覚えがあった。これはあの墓地に満ちる悪霊の霊気と似ている。


「その子は殺させない」


 ライマールは体中から流れる冷や汗を止められなかった。恐る恐る振り返ると、彼女の胸を突き破って女の手が飛び出していた。いやそれは自身が身に着けた霊気感知能力が見せた幻覚だった。霊気が腕の形を象っている。


「なんだ……それハ」


 ライマールは悟った。これが完全に表に出てくれば自分の命はないと。だが逃げ出そうにも、まるで体中の霊気が吸い寄せられるかのように女に向かっていく。身体が縫い付けられたかのように動かない。


「女、お前も悪霊と契約していたのカ」


「ええ。三度これの力を借りれば身体を明け渡すと。そういう契約です。貴方は?」


「千年前、皇帝ムーンドールとヨギル家初代当主が結んだ契約ダ。墓守として帝都の地下墓地に封印された悪霊に近づく者を殺し、悪霊に生贄を捧げ続けるト。お前の主人は生贄として捧げた。もう死んでいるダロウ」


 男は自分の命を諦めた。人知を超えた悪霊の前では人は無力だ。


「最期に聞かせロ。なぜ自分を犠牲にしてまであの小僧を救ウ」


「あの子が死ねばきっとリオン様は悲しむから。優しくて愛しいあの人をこれ以上傷つけたくないんです」


「ふっ。この期に及んで主人が帰ってくると思っているのカ。ならその思いに免じ一つ情報をヤロウ。もしお前の主が帰って来たなら教えてヤレ」


 マリアが怪訝な表情を浮かべるも、男は構わず続けた。


「ソレイ・ド・キュラン。あいつはソレイという少女の複製体ダ。ハレム魔術学院。そこで作られた存在ダ。何の目的で人体の複製なんぞしているのかは知らン。ただこの襲撃に協力する報酬として、ソレイ・ド・キュランに出生の秘密を教える約束だっタ。秘密を抱えたまま死ぬのは、奴への義理を欠くからナ」


 その時マリアの胸から二本の腕が飛び出した。霊気の腕が男の頬を撫でる。次の瞬間、ライマールの瞳から生気が失われ、身体が透明な液体となって弾けた。


 液体は地面に染み込み跡形もなくなった。

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