第36話 『第四超越者』
全身からの出血が止まらない。薄れゆく意識を無理やり覚醒させる。まずは全身を僕の霊気の膜で覆わねば。ミスリル製の鎖帷子が編み込まれた外套が、すばやく霊気を全身に行き渡らせる。
もうかなりの距離落下している。この速度で岩盤に叩きつけられたら身体は肉塊の形すら保てまい。
「ハァハァ」
暗闇で目が利かない。意識を集中させ背中から炎翼を生やした。一気に炎を爆発させ上昇を試みる。だがどれだけ加速しても一向に上昇できない。
背骨が折れそうな負荷に呼吸ができなかった。駄目だ。ナニカに引っ張られている。エンキの霊気とは種類が違う。純粋な霊気の重さに引き寄せられているのか。
だが背の炎のおかげで周囲が照らされた。自分の姿が見える。これならエンキの霊気で浮上できる。残った左目で自分自身に焦点を合わせようとした時、突然無数の視線を感じた。
左を向くとそれと目が合った。壁に埋め込まれた無数の眼球達が僕を見ている。いや違うこれは亡者達だ。さっきみたのは幻覚ではなかった。壁自体が亡者たちの肉と骨で出来ている。悪夢のような光景に正気を失いそうになるが理性がそれを抑えた。
「まずは脱出を―」
その瞬間何か違和感を覚え頭上を見上げると、視界を覆いつくすほどの亡者が降って来た。咄嗟に炎翼を前方に展開し、これを防ぐも際限がない。
亡者が炎翼に焼かれる。だが炭化した肉と骨だけの姿になっても、炎を通り抜けて掴みかかって来た。
遂に均衡が崩れ髑髏の集団に呑み込まれ、亡者たちと共に奈落の底へと叩き付けられた。何とか背の炎とエンキの霊気で衝撃を殺す。
砕け散る亡者共の骨の音が気持ち悪い。骨の山に埋もれ身を捩って抜け出そうとすると、まだ生きている亡者が僕の手足や顔に掴みかかって来る。
力の霊気で身体能力を強化し、何とか亡者を振り払った。よろよろと歩きながら、明かり代わりに頭上に火の玉を飛ばし周囲を照らす。
縦穴の底は開けた空洞になっていた。そしてその中央には赤錆びた杭で串刺しになっている巨大な肉塊が鎮座している。これは視たら―
「あびゃ」
何かが弾けとんだ。何も見えない。光が消えた。とろりとした顔を伝う。どっちが上でどっちが下なんだ。脳が揺れ倒れ込む。
完全な暗黒。何も見えない。孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独
耐えられない。
孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独孤独
あっああ! ああ!!
霊気で感じる肉塊からナニカが伸びてこちらに近づいて来る。それが地面を這う音が聞こえる。救いの手。懸命に身をよじりそれへと手を伸ばす。やがてそれは僕に覆いかぶさり、頭皮や手先にペタペタと張り付いてきた。
全身が溶けていく。もう手足の感覚が無い。消化される。やがて自我も溶けて消えようとした時、胸元に硬い違和感を覚えた。何か小さな箱の様なものが僕の胸と地面に挟まっている。
二人の顔が浮かんだ。
「フル・フレイム」
赤黒い炎が迸った。烈火は僕を覆っていた肉塊を焼き払い、メデュラモン火山の主を狩って手に入れた霊気が潰れた瞳を再生する。狼狽えたように肉の触手を引っ込めるそれを静かに見据えた。
胸元の小箱に手をやる。
「さっき聞こえた声を信じるなら、お前は超越者らしいな」
懐から箱を取り出し開く。そこから銀色の指輪を取り出し、僕は左手に薬指にはめた。
「悪いけど花嫁を待たせているのでね。さっさと終わらせるよ」
地面を覆いつくしていた亡者の死肉が蠢きだし、巨大な肉塊へと集まっていく。ビチビチ、グヤチャグチャ、ゴリゴリと肉と骨の混じり合う音を立てながら、肉塊へと吸収された。
「来る」
突如として肉球から無数の手足が物凄い勢いでこちらに伸びて来た。
「フル・フレイム」
紅蓮の炎が追いすがる手足を焼き切り、肉塊本体へ直撃する。カッと刹那の煌めきが瞬いた後、爆炎が吹き荒れ地下空洞全体が大きく揺れた。
火の手が地面を舐める様に広がり足元の景色を塗り替える。
「耐えられたか」
黒煙と炎の奥に肉塊が見える。赤い球体だ。それはまるで心臓のように鼓動していた。表面はブニブニとした瘤にびっしりと覆われている。瘤の一つ一つに途轍もない霊気を感じる。警戒を強めたその時、瘤が破裂した。
中から飛び出してきたのは亡者達だ。全身は赤く、顔は蛸の口の様な穴があるだけ。穴には無数の牙が覗いている。背には虫の翅の様なものが生えていた。
「「ギャアアアアアアアアアアアア」」
「フル・フレイム」
亡者共へ豪火球を放つ。地面を削りながら放たれたそれは、しかし完全に躱された。素早い。しかも攻撃を放つ前から回避行動をとっていたように見える。奴ら一体一体に霊気感知能力が備わっているのか。
耳障りな羽音を立て不規則な軌道で迫り来る亡者の集団。地面を一直線に駆け抜けてくる集団を前に一瞬で思考を整理する。遠距離の呪術攻撃では躱されて、有効打にならない。
「ジガンテ・ブラキオン。フル・フレイム」
爪を伸ばし赤黒い炎を纏う。背に炎翼を展開し地面を蹴り上げ一気に加速。そのまま亡者の群れに突っ込んだ。
進行方向全てを切り裂く。亡者共の四肢が空を舞った。死体の体液が降りかかり、肩を掠める。ジュッという音と共に外套が裏地のミスリルごと溶けた。
無視して次の亡者を切り裂こうとした時、爪が溶けていることに気づいた。手刀が空振ると同時に、亡者が腕に噛みつき鋭い牙が骨にまで突き刺さる。
その一瞬の隙に周囲の亡者が一斉に僕に飛び掛かった。残った片手で取りつかれた腕を切り飛ばし、上空に躍り出る。
眼下を見下ろすと先ほど自分が立っていた地面から無数の手が伸びている。地面にも潜んでいたか。逃げ場はないと、空中を飛ぶ亡者が一斉に群がって来る。
片腕を再生し全身に霊気を流し込む。
「シューティング・フレイム」
亡者の群れを縫い一気に距離を取る。亡者の潜んでいない足場に着地し、片膝をついた。空中、地上、地中から亡者が接近してくるのを感じる。
アースレッドの霊気の使い道は肉体の再生だけじゃない。それは自身の肉体の改造だ。瞳を閉じ尾骶骨周辺に霊気を流し込むと、黒い竜鱗を纏った十本の尾が生えた。尾の一本一本に大量の瞼が浮き出ている。
「「ギャアアアアアアアアアアアア」」
細長い手を伸ばした亡者の集団が肉薄する。その鋭い爪が僕の身体に突き刺さる寸前、尾の表面に無数に浮き出た眼が見開かれた。
「グランテ・グラビティ」
亡者血が不可視の斥力に弾かれ一点に吹き飛ばされた。尾の瞳は地面も見つめ地盤を軽くする。
「バル・グランス・ロック」
腕を地面に突き刺す。そのまま土の呪術で亡者の潜んだ地盤一体を切り取り、強化した膂力と共に岩盤を投げ飛ばした。
全ての亡者が一点に押しつぶされる。岩と瓦礫も混じり合い一つの球体になった時、僕はそれに手を翳し握りつぶした。
「フル・フレイム」
地獄の業火が亡者を在るべき世界へ葬送した。




