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第35話 『奈落』

 扉を開けて入ってきたアイリーンの顔を見た瞬間、彼女が言葉を発する前に僕は吐きそうになった。


「リオン様、本邸に暗殺者が現れました。マリアさんが人質に取られています」


「分かった。皆へ情報連携頼む」


 招待客を不安にさせないように、努めて平静を保ちながら速足で大広間を出る。そのまま転移陣に駆け抜けた。


 *


 予定より早いな。足早に大広間を出ていくアスピア辺境伯を尻目に、ヨギル家の暗殺者の一人ラーク・ド・ベレスは作戦が始まったことを悟った。


 北ムーンドールのベレス家男爵は仮の姿。俺はヨギル家の道具。ヨギルの犬。たとえ犬の面を被っていなくとも、それを忘れたことはない。


 招待客と笑顔で会話しながらさりげなく耳に触れる。魔法で聴覚を強化し、アスピア辺境伯の足音を追う。やがてそれはある地点で消えた。


 そこに転移陣があるのか。


 俺は招待客と身振り手振りを交え会話を進める。これで目標は達成した。


 *


 アスピアの本邸から一キロ離れた時計塔の屋根に、突然一人の影が現れた。足元には黒い外套が脱ぎ捨てられている。


「視えたのか。ラナーハ」


「ええ。三階の窓から三番目の部屋です」


 鳥族のラナーハの目には、もう一人の仲間のハンドサインが見えていた。


 貴族同士の他愛無い会話の中の身振り手振り。それに紛れた情報を見逃さない。姿の見えないもう一人の男にそう告げると、彼女は背中の翼を広げた。


「では行くか」


 そう男が言うや否や、ラナーハは大きく羽ばたき天高く飛び上がった。空中で旋回し急加速。そのまま時計塔の屋根に居る仲間を両足のかぎ爪で掴み、アスピア本邸へ向け飛ぶ。


 風を切り真っ直ぐ目的地へ。一瞬で屋敷が目前へと迫る。このまま窓を突き破り侵入する。そう思った刹那、突如視界を何かが塞がった。


「オガアッ!」


 飛び取る羽毛。衝撃で一瞬意識が飛ぶも直ぐに気を取り戻し、掴んでいた仲間を離した。ぶつかって来た何かは帝都の水路に落ちたらしく激しい水飛沫が上がっている。


 油断なく空中で羽ばたきながら眼下を見下ろす。水路から飛び出してきたのはトロルだった。


「オーグですね。なぜ邪魔をするのですか?」


「リオンサマニ見張レトイワレタ」


 やはり裏切ったということですか。空中の私に彼からの有効打はない。でも私も彼を仕留めるのは骨が折れそうね。そうは言ってもここで私が逃げて屋敷に戻られるのは困りますし。


「そうですか。なら死になさい」


 *


 やはりオーグが裏切っていたか。猿面を付けた暗殺者……猿族のバンは先ほどの出来事を振り返っていた。一直線に飛んでいたラナーハは直前まで気づかなかったようだが、自分にはオーグが真下から突っ込んでくるのが良く見えた。


 だが簡単に殺られる様なタマではあるまい。俺は己の責務を全うするまで。


 軽い身のこなしで帝都に並ぶ屋敷の屋根を駆け抜け、ついにアスピア邸の庭の木に飛び降りた。そのまま枝を蹴って窓枠に飛び移る。


 爪を突き立て手刀で窓を突き破り内側から開錠した。侵入するや否や廊下を駆け抜け、脇目も降らず指定の部屋に飛び込む。


 情報通り。部屋の中央の転移陣を爪で切り裂く。転移陣が光を失った。目標達成。このまま脱出する。


 部屋を飛び出した刹那、視界の左端に青い火花が散ったのが映った。咄嗟に身を捩ると、黒外套を突き破りながら小さな影が通り過ぎた。


「何奴」


「それはこっちのセリフだってーの」


 突き破った窓を背に少年が立っている。こんな子供があれほどまでの速さを。いやそれよりなぜ攻撃が当たりかけた? 俺の姿は外套で見えなくなっていたはず。


「しかし既に仕事は達成した。もうここに用はない故、お暇さて頂く」


 脱出経路は正面の窓だったが少年が邪魔だ。殺して押し通るか。


 四つ足で地に伏せ床を蹴ろうとした時、背後から殺気を感じ咄嗟に横に避ける。再び転移陣の部屋に逆戻りしてしまった。先ほどまで自分が居た位置に斧が突き刺さっている。


「逃げられると思うたか」


 斧を掲げたドワーフが扉を塞いでいる。このドワーフは知っている。ラナーハの調査資料に載ってあった。魔獣討伐隊のギムリとか言ったか。


「まさかこれ程早く迎撃されるとは。だが俺を殺せたとしてももう遅い。長の策は成ったのだから」


 そう言って猿面の男は再び戦闘態勢に入った。


 *


 転移陣を踏んだ瞬間視界が切り替わる。転移直後を襲ってくるかと思ったが……まあいい。僕はマリアとそいつの霊気がする方向へ向き直った。


 転移の間の扉は開いていた。扉の向こうに立っているのは、首筋にククリナイフを突き立てられたマリア。しかし肝心の刺客の姿が見えない。どうやら魔法で姿を隠している様だ。


「姿を隠しても無駄だ。お前の位置は正確に把握できている」


「知っているトモ。そしてお前が視界に入れた対象を引き寄せ吹き飛ばす事が出来る事も知っていル。この女を引き寄せようとしても無駄ダ。少しでも異変を感じれば女の首を折ル」


 そのしゃがれた声と共にマリアの首筋が見えない何かに掴まれ窪んだ。


「このナイフの重さを操っても無駄ダ。見えていない二本目がある。お前の事は調べさせてもらっタ。もちろん呪術と霊気についてもナ。お前が何か術を使おうとすれば俺は霊気でそれを感知スル」


「!?」


 この男そこまで僕の事を調べ上げていたのか。とりあえず会話で時間を稼ぎつつ策を練る方向に頭を切り替える。


「ソレイの報告では数日前までお前は帝都に居たはずだ。帝都からここまで魔馬で駆けても二十日は掛かる。アスピアには転移陣で侵入したのか」


「ご名答。ナズベル辺境伯領の魔獣討伐に行き、お前が確実に不在の瞬間を狙わせてもらっタ。お前が旅立つと同時に俺は帝都を出発し、アスピア領内に転移陣を持ち込んだのだ。もちろん姿を消した私を嗅覚で探知できる護衛の猫族がシェリル・ド・アスピアの護衛の為に帝都にいることも確認の上でナ」


 相手は一つ誤りを犯した。先ほどの会話でこいつは霊気の存在を知ったのが、僕の命を狙い始めてからということを仄めかしてしまった。つまり奴の呪術の練度はせいぜい数か月磨いた程度のものでしかない。


 それなら奴が気づくより速く最速の術で仕留められる。大規模な術では駄目だ。小規模で狙いすました一撃である必要がある。


「お前の正体は知っている。ヨギル家筆頭執事ライマール・ド・ヨギルだな」


「ほうそこまで知られていたカ」


「まったく。大した忠誠心だよ」


「忠誠心? あんな無能な当主とその子息にそんなもの持っていると思っているのカ?」


 狙うは奴の左手だな。できれば頭を狙いたいが奴の姿が見えない以上確実性に欠ける。だがマリアの首を掴んでいる以上、手首の位置は明確だ。


 岩石砲で左手を吹き飛ばしつつ、同時に見えているククリナイフをエンキの霊気で弾き飛ばす。


「違うのか?」


「かつて私の祖先が宗家と皇帝ムーンドールと結んだ血の契約。それが無ければとっくに奴らの首をはねていル。だがそれも今日までダ。お前を殺すことと引き換えに宗家との契約は破棄されル。そう奴らと契約しタ」


 そう奴が言い放った直後、僕の足元の転移陣が光を失った。転移陣の魔力が切れた!?本邸の転移陣が破壊されたのか。帝都から引き離されてしまった。


「下らない会話で時間稼ぎをしていたのはお前だけじゃナイ。部下が転移陣を破壊するのを私も待ってイタ」


 敵の霊気が高まった。仕掛けてくる! だが相手の術が発動する前に岩石砲が完成した。即座にそれを発射。直後に敵のナイフに焦点を合わせ弾き飛ばす。


 真っ直ぐマリアの元へ踏み込む。視界の端に飛び散る血潮と共に奴の手首が飛んでいるのが見える。


 伸ばした手があと少しで彼女に触れそうというところで、凄まじい突風が全身を襲った。屋敷の廊下の壁が後ろの転移の間ごと吹き飛ぶ。


 風の渦に包まれた僕の身体が瓦礫と共に屋敷の外まで引き離される。クソッ。背後に炎翼を展開し強引に突破する。


 しかしこの僅かな時間が相手に次の手を打たせてしまった。マリアの身体が屋敷の別の部屋に引きずり込まれるのが視界に映る。僕も一気に背の炎を爆発させ部屋に突入した。


「俺の勝ちダ」


 部屋に入ったと同時に、奴の声と共にマリアの姿が目の前で消えた。足元に広がっているのは転移陣。一瞬でこれがライマールが帝都とここを行き来する為に使っていた転移陣だと悟る。


 帝都に繋がっているからこそ、先ほど帝都側からアスピア家の転移陣を破壊したのだ。僕が帝都に向かう方法を奴の転移陣だけにする為に。


 罠だと思うと同時に僕はもう転移陣に乗っていた。


 この転移陣が帝都のどこに繋がっているのかはわからない。ただどんな罠を仕掛けていても、今直ぐ追いつけば罠を発動しにくいだろう。自分が転移した位置に僕も転移してくるのだから、直ぐに罠を発動させれば自分も巻き込まれかねない。


 視界が切り替わる。


 突如自分の身体を浮遊感が襲った。落下しているのか。目の前に青い月を背後にしたマリアが映った。即座に霊気でこちらに引き寄せる。


「リオン様!」


 どうやらどこかの縦穴に転移させられたようだ。上を見ると岸壁に転移陣が貼り付けられている。


 僕はエンキの瞳術で彼女を引き寄せ、空中で受け止めた。その間に魔法の風を纏ったライマールはもう縦穴の出口付近まで上昇していた。


 追いかけるために炎翼を展開し一気に浮上しようとした刹那、状況整理とマリアを救うのに使った時間でライマールは練り上げた魔力を開放した。


「堕ちロ」


 凄まじい突風が吹き荒れる。翼の炎翼でそれを防ぐも浮上ができない。


 この風が止んだら一気に反撃を―!?


 背後から魂を溶かすような悪寒が僕の全身を貫いた。マリアも異変を感じたようで僕に掴まりながら穴の底を覗こうと、抱きしめた胸から顔を出そうとする。


「見るな!」


 彼女の身体を抱き留め霊気の膜で覆う。同時に一気に自分の中の霊気を圧縮。周囲の霊気の力場を歪め、汚染された霊気が彼女でなく僕に流れ込むように誘導する。


 直後、想像を絶する醜悪な瘴気が僕の身体を貫いた。


 筆舌に尽くしがたいほど歪んだ霊気が僕の中に染み込んでくる。目、鼻、耳から出血した。本能が今すぐこの霊気を逸らせと訴える。だがそれをすればマリアが死ぬ。


 僕は彼女を抱きすくめながら耳元に語り掛ける。


「大丈夫。目と口を塞いでいて」


 駄目だ。穴の底に引っ張られる。エンキの重さを操作する術の類ではない。単純に下にいるナニカが持つ重すぎる霊気に、僕の体内の霊気が引っ張られているんだ。


 真っ暗な奈落を炎翼が照らしながら、僕の身体は落下し続ける。突然視界の端に映る壁の色が変わった。違和感を覚え横を見ると、壁が蠢いていた。


「オオオオオオオオォォォォォ」


 これは岩壁じゃない。肉だ。無数の亡者だ。潰れた亡者たちが積み重なって壁になっている。


『警告。第四超越者ナダの存在ヲ検知。即刻蛻サ騾、即刻蛻サ騾、即刻蛻サ騾……退避』


 なんだ!? 頭に急に声が響いてくる。この声は僕が並行世界に転移するときの女の声か。矢継ぎ早に変化する状況の中で、僕はライマールが放った風が止んだことを確認した。


 今しかない。


「フル・フレイム」


 縦穴を埋め尽くす業火球を上へ放つ。同時にマリアをエンキの霊気で包み込む。


「マリア。よく聞いて。ここは帝都だ。君の身体を空へ飛ばす。着地はゆっくりになるように霊気を流したから、地面に降りたら真っ直ぐアスピア邸へ走るんだ」


「駄目です! リオン様も」


『警告。第四超越者ナダの存在ヲ検知。精神汚染度78%。精神崩壊します。自己保存を最優先上□縺輔さい。警告隨ャ蝗帑スソ蠕偵リ繝?縺ョ蟄伜惠繝イ讀懃衍縲らイセ逾樊ア壽沒』


 頭の中で警笛の様に女の声が響く。視界が赤い。次の瞬間腐った果実が地面に落ち潰れたような音がした。右目が見えなくなった。破裂したのか。


「大丈夫。必ず帰るから」


「リオン様!」


 彼女の身体を打ち上げた。さきほど放ったフル・フレイムを喰らっていればライマールは消し炭になっているはずだ。躱すためには縦穴から出ている必要がある。どちらにせよ問題なく彼女はこの穴を脱出できる。


 月に照らされた彼女の姿がどんどんと遠のいていく。やがて彼女の小さな姿は見えなくなり月明りも薄れていった。みるみると闇は深くなり、僕は奈落の底へと落ちていった。

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