第28話 『帰還』
ナズベル家本邸に着くと、辺境伯が浮かべたのは安堵の表情だった。どうやら愛娘が心配だったらしい。魔獣の討伐と穴をふさいだことを伝えると、表情を改めこちらに頭を下げた。
「アスピア辺境伯殿。此度の事、感謝してもしきれぬ。今夜は晩餐会の用意をしておる。どうぞゆっくり旅の疲れを落とされよ」
「お気遣い感謝します。しかし申し訳ないですが、多忙な身ゆえ昼過ぎにはお暇しようと思います」
「それは残念じゃ。では用意させるゆえ茶でも飲まんか?」
意味ありげに片眉を上げるナズベル辺境伯。流石は帝都の大法官にして大貴族。こちらの意図を言わずとも汲んでくれる。
ナズベル家の者に案内され浴槽で汗を流した後、僕はナツを連れ邸宅の庭に出た。
「身体の調子はどう?」
「なんか熱い感じがする。内側からぐわ~って盛り上がって来るみたいな」
「アースレッドを倒した後、君はその霊気を得て暴走したんだ。その時の記憶はある?」
「えっ!? 全然おぼえてない!」
びっくりした様子で両手を振るナツの体内の霊気を透かし見る。やはり自我を失う暴走を乗り越えたことで、ナツの霊気とアースレッドの霊気が融合していた。だが突然増した自分の力に頭と体が追い付いていないようだ。
「その際ナツはギムリを襲った。彼の手を噛み千切ったんだ」
「……え? ウソ、だよね? 兄ちゃん?」
「事実だ。君は狂気に飲まれた」
呆然と膝をつくナツ。彼に結界外での生き方を教え訓練したのはギムリだ。僕が下がれと言ったのに、ギムリはまずナツの身を案じ近づいた。
きっと短い間だけどこの二人には大切な繋がりが生まれていたのだろう。
「オレ、あの火山で勝手な行動したせいで、みんなに迷惑かけたんだ。だからアースレッドを倒すことで取り返そうって思って! でも爺ちゃんを傷付けたんなら何の意味もないよ! だってみんなを守るためにオレ達、魔獣と戦ってるんだよね? そのための狩猟協会なんだよね!?」
悲痛な表情で僕を見上げてくるナツ。口元を歪ませ泣きそうな張りつめた眼差しにかけてやれる言葉は一つしかなかった。
「昔僕にも師匠が居たんだ。彼に言われたよ。人生上手くいかないことなんて腐るほどある。それでも折れるな。覚悟を決めて進めと」
「……兄ちゃん」
「僕はナツを責めないよ。魔獣を狩れば狩るほど力は増していく。その一方で力は確実に正気を奪っていく。僕だって同じさ。一緒に、その狂気に抗おう」
「ウッ! ……うんッ」
膝を握りしめて大粒の涙を流すナツ。その涙が止まるまで暫く僕は空を眺めていた。やがって顔を拭った彼が立ち上がった。
「オレ、特訓する! 今度は誰も傷つけずみんなを守るよ」
「ならまずは霊気操作の精度を上げよう。まずは銀獣の短剣で少し手先を切ってみて……その剣切れ味良いから、切りすぎないでよ?」
「わっ、分かってるよ兄ちゃん。怖いこと言わないでしょ」
「ごめんごめん」
そう言うとナツが短剣で右手の甲を縦に少し切った。傷からぷっくりと赤い血が滲んだ。
「それを塞げるかい?」
「どうやって?」
こてんと首を傾げるナツに僕も頭を捻る。僕が力の霊気で身体強化する際は、筋繊維一本一本に霊気を流し込む感じだから~
「う~ん。アースレッドの霊気で傷口の肉と皮を覆ってみるのはどう?」
「分かった! やってみるぜ」
そう言って左手で右手首を掴み傷口を睨みつけた。
「うおおおお!」
次の瞬間傷口がぐにょぐにょ動き出し、ピシャッと血が噴き出した。
「いってえ~!」
「わっ。駄目だ。こりゃ」
慌ててナツに霊気を流し込むのを止めさせる。水の霊気で小さな水流を生み出し、彼の傷口を洗った。
「傷は包帯で巻いておこう。おかしいな、暴走しているときは凄い再生力だったんだけど。やっぱり魔獣の本能で無意識に霊気操作していたのか」
「ちくしょう~暴走してる時の方が強いなんて……」
「いやそうでもないと思うよ。確かに霊気操作は暴走時の方が巧かった。でも捕食本能が強くて、冷静な判断ができていなかったからね。それじゃある程度の実力者からは簡単に倒されてしまうよ」
「どういうこと?」
「暴走したナツは僕が放ったフレイムを避けずに突っ込んできたんだ。確かに再生力は間に合っていたけど、身体に纏っていた雷の霊気が剥がれていてね。それで身体能力が下がったナツは簡単に捕まったんだよ」
あの暴走時のナツは銀獣の霊気を纏い身体能力を向上させ、アースレッドの脅威的な再生力で襲ってきた。それは凄まじい速さで、目で追えないほどだった。
あの盤面で僕に勝とうとするなら、二択しかなかった。
一つは直線で迫る火球を躱し、複雑な軌道で僕に迫る選択。
二つ目は銀獣の出力を上げてフレイムに剥がされないほどの雷の霊気で身体を纏い、強引にフレイムを突破し最短距離で僕を襲う選択。
結果はアースレッドの捕食本能が勝ち、冷静に炎を躱せずに突っ切って僕を攻撃した。その選択を取るなら銀獣の霊気の出力を上げる事が必要不可欠。でも銀獣とアースレッドは魔獣としての格が違う。
雷の霊気はアースレッドの捕食本能に着いてこられず、結果として炎を突き破った時は身体能力の下がった炭化した人間と成り果てていた。
「暴走したら複雑な霊気操作はできないし、きっとアースレッドの本能が勝つから、銀獣の霊気はおざなりで弱いままだと思うよ」
「じゃあオレどうすれば強くなれる!?」
「まずは二つ。霊気操作の精密性を上げること。銀獣の雷の霊気を強化すること。自分の中の銀獣の霊気をたくさん使いなさい。さっ、僕はナズベル伯とお茶してくるから、ギムリに修行を付けてもらいな」
「うん! じいちゃ~ん!!」
そう言ってギムリを探して駆け出した彼を見送った後、邸宅に戻った。侍従に案内され応接室に入るとナズベル辺境伯がソファーに座っていた。
僕が腰を掛けると部屋を黒い岩が覆った。ナズベル伯の魔法だ。この岩は音を通さない。盗聴の心配はなくなった。
「約束通り新交易路を認めよう。して交易路の関税率はいかがする?」
「既存の主要街道と同率に設定します。それでも百以上の領地を通過する主要街道と比べれば商人から見ても破格でしょう」
辺境伯領から帝都まで百の領がある。その全てで元々の商品価格の一割の税がかかる。それに加え領間の護衛費もかかる。最終的にはメテルブルクの麦は帝都に着くころには、元の値段の十倍以上になっているのだ。
一方で新交易路の参加領は三領。それぞれで計二割の税がかかった所で、ナズベル領から見て、どちらのルートで麦を買えば安いかは明白だ。文句はあるまい。
「分かった。主要街道と新交易路の商品価格は勝負にすらなるまい」
「まあ対抗して税率を安くしようとしても、主要街道に参加している百の領主が反対するでしょうしね」
「じゃがあまり好き勝手するとイザベラに睨まれるぞ」
「確かに宰相からの締め付けは来るでしょう。そこは政治的に解決します。要は勝手をする分、帝国に貢献すればいい」
そう言って僕はティーカップに口を付けた。渋い苦みが舌を濡らす。
「どうやって?」
「次のサンシオとの戦争。アスピアは十五万人を動員する」
「十五万!? 馬鹿な。本気で言っておるのか」
目を剥いて立ち上がったナズベル伯に、僕は静かにうなずいた。
「ええ。それにサンシオを甘く見ない方がいいですよ」
「お主は幼少の頃ゆえ知らぬかもしれないが、サンシオ……旧フェルゼーンは先の戦で散々に打ち破られておる。中央ムーンドールの戦いじゃ。国名が変わったとて戦争で喪った兵は戻らん。とても此度の戦で向こうが数を用意できるとは思えぬ」
「戦いは数だけじゃない。件の首輪の魔獣といい、宗教国家となったサンシオは途轍もなく狂暴になっているかもしれない。最悪の場合、死を恐れない軍団になっているでしょう」
シュナですら教皇サルヴァンに勝てなかった。今の僕ならムーンドール城で戦ったシュナは上回っているだろう。だがあの時の彼女は周囲に操れる霊気が無いと言うハンデ付きだった。
戦場は結界外。周囲に霊気はあるだろう。つまりシュナもサルヴァンもまだ強さの底が見えていない。
「まさかお主、ムーンドールが敗れると思っておるのか」
「敗れる? ナズベル伯。負けないために十五万もの兵を動員するのです。勝てないのはいい。でも敗北は決して許されない。ムーンドールが負ければ最初に村街を焼かれ民が殺されるのは、我ら辺境伯領なのですから」
アスピアは一度シュナ率いるフェルゼーン軍に蹂躙されている。その時の痛みと憎しみはルルさんを見ればわかる。
ドリス村では兄を止められず、家は焼かれ母親は子供を喪い、ギルバートは逝った。もう二度と女子供が無残に殺される様なことはさせない。
「……そうじゃな。用心に用心は越したことないのだろう」
「それよりメデュラモン火山で見つかったフェルゼーン語が刻まれた施設……あれはどうする気で?」
「アースレッドを討伐したとはいえ、まだ魔獣は多い。調査はするが中々進まんじゃろう」
「あそこは何かの避難所のようでしたが、万が一のことがあります。イザベラ宰相に報告し、場合によっては調査隊を派遣してもらった方がいい」
「うむ」
「ちなみに……メデュラモン火山で噴火に巻き込まれた時に、こんなものを見つけたのですけど」
そう言いながら懐からハンカチに包んでいたそれをテーブルに置いた。
ハンカチを広げ中の物が顔を出し始めると、ナズベル辺境伯は思わず息を呑んだ。恐る恐る手を伸ばしたが素手ということに気づき、すぐに手を引っ込めた。
「これは間違ない。ダイヤモンドの原石……しかもこんなに巨大な」
それは大の大人の手のひら二つ分重ねてもなお収まりきりない大きさの塊だった。アースレッドを粉微塵にした時に、体内から出てきたのだ。
「ちなみにこれはいくらくらいに」
「とても値がつけられぬ。しかし……そうじゃな。かつて先々代ムーンドール皇太子に捧げられた至宝に匹敵する大きさということを考えると、大金貨五千万枚に達してもおかしくはない」
ひゃ~。思わず僕も息を呑み込んだ。ムーンドール城級の城が四つは建つぞ。あわよくば貰えないかなとか思っていたけど、これは無理だ。
「持って行って下され」
「え!? いいんですか!?」
「先ほども言ったろう。此度の事、感謝してもしきれぬ。我が領の収益源はほぼすべて採掘業で成り立っている。あの魔獣のせいでそれが出来ず、鉱夫達も困窮し始めておった。娘も五体満足で帰って来た。何かしら報いようとは思っておった」
「で、では」
遠慮なく貰ってしまおう。先のアスピア家の動乱で科された罰金を払うのに充てよう。まあこれがなくても交易路の収益から余裕で払えたが、ありがたい。
急に触るのが怖くなってきたそれを懐にそっとしまう。
「それにたまには若い者に投資するのも悪くない。どうじゃ娘を娶らんか。そうすれば万が一のとりっぱぐれも無かろうて」
「申し訳ないですが私には心に決めた人が居るので」
「別に貴族の妻が複数人居てもおかしくなかろう」
「ま、まあ。その分交易路で十分儲けさせるので……」
その後しばらくナズベル辺境伯の縁談話を躱しながら、今後の事に着いて話し合ったのち、僕達は帝都に変える事となった。
転移陣の部屋に着くと、ナズベル辺境伯にドレスを着たソフィーさんと執事服のフランさんが待っていた。
「もう……行ってしまわれるのですか?」
「ええ。あまり領地を離れるわけにもいきません」
「分かりました。辺境伯様、ギムリさん、ナツくん。本当にありがとうございました。これからはメデュラモン、そしてナズベルの安寧は私達が守っていきます」
頭を下げる彼女に頭を上げて下さいと声を掛けようとした時、ナツが飛び出し彼女の手を掴んだ。
「オレも手伝うからいつでも呼んでくれよな! 困った時は狩猟協会へどうぞ!」
「ふふっ。狩猟協会、覚えておきますね。そこにはナツくんの様に頼もしいお方が沢山いらっしゃるのかしら」
「まだオレ一人!」
「……協会とは?」
胸を張るナツに思わず突っ込むフランさん。大丈夫なのかとこちらを見つめる彼女に、僕は肩を竦めた。
「いずれ大きくしますよ。まだ所属一名なのは、数より質の方針なんです。別にアスピア領の人しか参加できないわけではありません。心当たりがある実力者が居れば紹介してください」
「……そうですか。検討しましょう」
「もう二人ともすぐ仕事の話をしない!」
ぽかぽかとフランさんの背中を叩く彼女を笑いながら見ていると、ナズベル辺境伯が手を差し出してきた。
「儂からも改めて感謝する。また会おう」
「ええ」
次におずおずとソフィーさんが僕の手を取り、片足を下げ跪礼した。
「ではご達者で」
「はいっ! 皆さんもお元気で!」
こうして僕たちはナズベル辺境領を後にし、帝都へと帰ったのだった。




