父のこと。⑨
葬儀。骨上げ。
もちろん記憶にあります。
でもこの辺りが一番、『リアリティがあるようでない』感覚ですね。
何故かはよくわかりません。
その時はそれなりに卒なく、必要な行動を取っていた筈なのですが。
リアルに悲しいとか何とかの感情が、湧かなかったのです。
なんとなく、ドラマのモブ役の役者さんみたいにそれっぽく行動していたような気はします。
無意識のうちに感情を切り離して、行動していたのでしょうか?
よくわかりません。
葬儀は朝の九時からでした。
施設にいる母を、私と夫が車で迎えに行きます。
通夜式の後、式場の隣にある控えの間で一晩過ごし(基本眠れませんでしたが、ずっと起きていた訳でもなかったです)、控えの間に設置されているバスルームで軽くシャワーを浴び、身支度をします。
九時の葬儀に間に合うよう、少し早めに出かけます。
施設に着くと、どうにか朝食を済ませた母が、担当のヘルパーさんに助けられて黒のパンツスーツ…に見える服に着替えます。
施設へ来る前に右肩を骨折した為、右腕が上手く動かない上、昨年大腿骨を骨折して以来、立ったり歩いたりが不便になった母。
着替えひとつするのも大変です。
下の具合が怪しいのも相俟って、手持ちのフォーマルドレスをきちんと着るのも難しいのが正直なところ。
簡易的な喪服になります。
それでも身支度を済ませると、彼女はいつもより、キリッとした雰囲気になります。
「おかあさん、今日、どこへ出かけるのんか、わかる?」
ヘルパーさんに問われ、一瞬つまった後、母は案外はっきりと
「三重県」
と答えました。
三重県は母の故郷です。
彼女は今日、身内の誰かの不祝儀があることを察しているでしょうが、誰の葬式だとか何処で式があるのだとか、わからないのでしょう。
母の兄弟姉妹はもう、鬼籍に入った人が大半です。
父の近しい身内は、十年以上前からほぼいません。
おぼろげな過去の記憶から、母は、自身の兄弟姉妹の誰かの(そしていつかの)不祝儀を思い出し、当たりをつけたのだと思います。
「そっかぁ。三重県かぁ」
ヘルパーさんはのんびりとした口調で言い、ちょっと複雑に笑いました。
彼女もきっと昨日の通夜式に、参加してくれていたのでしょう。
「まあ……後で娘さんに、何処へ行くかよう聞いといてなァ」
私は複雑な半笑いをヘルパーさんへ向け、黙って軽く頭を下げると、母の車椅子を押してエレベーターへ向かいました。
しょぼしょぼと雨の降る朝でした。
式は滞りなく済み、火葬場へ。
焼き場で遺体を焼いてもらっている間に、我々は昼食をとりました。
そして骨上げ。
一連の儀式は、特にアクシデントもなく進みました。
湯灌の儀以降、私は、なんとなく父は『ここにいない』感じがしていました。
父の遺体は遺体であって父その人ではない、というような、変な感覚です。
最後に病院で会った父の苦しそうな顔と違い、遺体の顔はとても穏やかで、なんだか男前でもありました。
通夜式に来てくれた施設の方々からも口々に
「おとうさん、男前のエエお顔してはる」
と褒められていました。
お世辞が半分だとしても、目をそむけたくなるような『正視に堪えない』辛そうな顔でなかったのは確かです。
いいお顔の遺体でよかったと思うのと同時に、私は、『ここには父その人はいない』とも思っていました。
一見すると気持ちよく眠っているようにしか見えない遺体を見ていれば、不意に父が生き返り、起き上がってきそうな感覚が湧きます。
それでも、この遺体は父が八十六年愛用?していた器であって、父その人ではない、という感覚が私にはありました。
説明しにくい感覚ですが、リアルな悲しみが湧かなかった理由のひとつが、その辺にあるのかもしません。
父が長年愛用?していた器を綺麗にし、身近な我々やお世話になった施設の方々で見送れて良かった、とは思います。
でもそれは、上手く言えませんが、父という人の喪失とは必ずしも同じではないのです。
父の器を無事に空へ帰す、ような、ある意味晴れやかな気分……だったような気がします、少なくとも私は。
『男前のエエお顔』の遺体の棺へ我々は、あふれそうなほどの花・甥が書いてくれたじいちゃんへのお手紙・父が好きだったつぶあんの菓子パンや大福を少し詰めて。
我々は、父の棺を火葬場へ送りました。
そして皆で骨を拾いました。
滞りなく。