父のこと。⑥
葬儀のついての打ち合わせも済みました。
斎場や火葬場などの都合もあり、葬儀そのものは三日ほど後に行われることに。
どうも、主に火葬場の予約が詰まっているようでした。
葬儀まで思っていたよりも日があくのに、なんとなく拍子抜けしなくもなかったですが、このくらい日があいて結果的によかったと今は思います。
相変わらずリアリティのあるようなないような感覚ではありましたが、それでもそれなりに心が落ち着くのに、葬儀までの数日のインターバルは悪くなかったです。
さて。
息苦しい描写が続きましたので、ここで少し、肩の力を抜いたエピソードでもはさみましょう。
葬儀が済んでから、夫から聞かされた話です。
近しい人間が亡くなった場合、ちょっと不思議なことが起きたりするもの。
思い過ごしや勘違い、こじつけの場合もあるでしょうが、弔事中にそういうスピリチュアルな話はよく聞くものです。
幸か不幸か、私はそちらのセンスは皆無らしいですね。
今回を含め、今まで何度か近しい誰それの死に立ち会ったり、あるいは葬儀に出席したりしましたが。
不思議なことがあった、と断言できる経験は皆無。
しかし夫は、私よりもそちらのセンスがあるようで。
今回、こんなことがあったそうです。
葬儀までの数日。
私たち一家は、高校生の息子が試験休みに突入したこともあり、『いつもの休日』のようにのんびり過ごしていました。
休日の午前中、私は夫と近くにある大きな公園を軽く一周、散歩というかウォーキングというか、小一時間ほど歩く習慣があります。
ですので、葬儀までの数日間もいつも通り私は夫と、公園を歩きました。
それこそいつも通り、他愛のない話をしながら我々は、ぶらぶらと園内を歩いていました。
が、公園を半周した辺りで、何故か夫は一瞬立ち止まり、振り返りました。
「どうしたん?」
と、私は問いましたが、夫は、あ、いやなんでもない、とかなんとか、もぞもぞ言って再び歩き始めます。
なんだろうとは思いましたが、なんとなく後ろが気になるとかそういうこともあるかなと、すぐ気にしなくなりました。
「今やから言うけど」
葬儀が終わってしばらくして、夫は言いました。
「あの日、公園で散歩してて。途中で止まって、振り返ったやろ?」
ごく軽いとはいえ違和感がありましたので、私も覚えています。うなずくと、
「あの時、ナンカ、誰かが後ろからついてきてる気配っちゅうのか。砂を踏むみたいな、ジャッジャッ、みたいな足音が聞こえてな」
「え?」
そんな気配も足音も、私は一切、感知していません。
「振り返っても誰もおれへん。瞬間的に、あ、じいさんやなと俺は思った。じいさん、れいちゃんの様子、気になって見にきたんとちゃうかな」
夫の勘違いの可能性が、五分以上ではありますが。
『気になって様子を見にきた』という、たたずまいといいますか行動がいかにも父らしいので、あながち外れていないとも思うのです。
ガミガミ言いだのマイルドジャイアンだのと、私は父を揶揄していますが、彼は、ちょっと寂しがりで身内に対する愛情の深い人でもありました。
私や弟が幼い頃、(ガミガミ言いつつも)よく面倒を見てくれましたし、息子が小さい頃に実家へ遊びに行くと、労を惜しまずターミナル駅まで迎えにきては、息子を抱っこして家まで運んでくれたものです。
『(彼にとっての)小さき者』へ、エラソーにしつつも精一杯可愛がる、そういう人でもあったのです。
私が、他愛のないおしゃべりをしながら夫と散歩している様子を見、父は、納得と安心をしたのかもしれません。
以後、夫は『じいさんではないか』と思う不思議な気配を感じること、ないのだそうです。