番外編・笑ってはいけない『四十九日法要』
さてさて。
今回の弔事の一区切り・四十九日法要の日となりました。
葬儀や骨上げなどは、しめやかに淡々と過ぎてゆきました。
残念ながら?笑わされる要素もなく。
棺に突如黒い布が掛けられ、『オリーブの首飾り』が式場内に流れることもなく、おじいちゃんが生き返って棺桶から出てくることもなく(これ、ホントにそうなったらコメディじゃなくホラー?)。
おおッと、おふざけが過ぎましたね(笑)。
葬儀中も読経の合間の『ぽっくぽっくぽっく、チーン!』は相変わらずですが(アタリマエ)、通夜式で慣れた(多分)夫も、耐性?が出来ていたことでしょうし。
笑うことなく?セーフでした。
当日、朝。
諸々の準備で忙しい喪主の弟一家は早めに会場入り(母のいる施設の近くの葬儀社で行いました)し、我々一家が会場へ行く前に施設の方へ寄り、母を連れて行くことになっていました。
法要の開始時間から考えてかなり早めに(認知症の上、足が不自由な年寄りを連れて行くのは、イレギュラーを想定して早め早めに動く方がいいのです)施設へ着いた我々。
母は朝食を終え、のんびりした顔をしていましたが……私が喪服姿で現れ、違和感を持ったようです。
「おかあさん。今日、出かけるで」
ヘルパーさんに言われ、身支度を始めます。
「今日、何があるん?」
腑に落ちない顔をした母の問いに、私は答えます。
「今日は法事やで」
「法事? 法事って、誰の?」
「誰のって……じいちゃんや」
私が言うと、母は驚いた顔をします。
いえ、彼女の主観では本気で驚いているのでしょう。
「え? じいちゃん? え? じいちゃんって……じいちゃん……、死んだんか?」
ホンマ? 私、知らんかった。全然知らんかった。
彼女は何度もぶつぶつ言いました。
私は正直、そこからかーい! と思いました。
口には出しませんけどね。
お葬式で泣いていたこと、骨を拾ったこと、その瞬間はすごい経験だった筈なのに。
母は、きれいさっぱり、まるっと、忘れてしまっていました。
父と一緒に暮らしていた施設内の私室から、父用のベッドはすでになくなっています。
父が愛用していた服や小物も、ある程度以上、片付けられてもいます。
だけど母の中で、父の不在は『ナンか知らんけど、どっか行ってる』感覚であり、彼の不在は彼の死だとはならないのでしょう。
ナンか知らんけど、どっか行ってる。
彼女の中で、父は死にません。
幸せのようで不幸せのようで……でも彼女の主観としてはやはり、幸せなのかもしれませんね。
施設の職員さんたちの話では、ウチの両親は名物級のおしどり夫婦で、まさに比翼連理という感じだったそう。
実際、母が骨折で二週間以上入院した時、父は狼狽えまくり『かーさんおれへん、どこ行った?』と、起きている間中、あらゆる人に訊きまくっていたようです。
しかし母は、別に狼狽えることもなく
『あのおっさん、ナンで帰ってけーへんのやろう?』
的に薄っすら疑問に思いながらも、夫はきっと何処かで治療なりなんなりしているのだろうと自己完結し、ぼんやり待っているようです。
そのうち帰ってくるやろう、とでも思いながら。
うーん、これは父の方が惚れ度もしくは依存度(多分、こちらが正解かな?)が高かったのでしょうかねえ?
彼が先に召されたのは、幸せだったのかもしれません。
子供としては若干、複雑なものを抱えながらも私は、着替え終わった彼女の車椅子を押して階下……そして施設のエントランス付近に停めている夫の車まで進みます。
夫、私、ヘルパーさんで手分けをし、彼女を車へ乗せたり、車椅子を畳んで車の後部へ収納したりします。
母が車の後部座席で落ち着くと、会場へ向かいました。
祭壇が整った会場に着く頃には、母も『じいちゃん死んだん、私、知らんかった』とは言わなくなりました。
なんとなく状況を受け入れているようです。
でもきっと、法要が終わってしばらくしたら忘れるのでしょうねえ。
そして『どっか行ってる』らしい自分の夫を、彼女は今後もぼんやり待つのでしょう。
時間を連続して把握できない彼女は、常に新たな気分で『どっか行ってる』人をぼんやり待って……多分最期の時まで、ぼんやり待つのでしょう。
そして彼が迎えに来た時は、彼女もアチラへ逝く時……なのでしょうね。
などということをややセンチメンタルに思いながら私は、四十九日法要の席に座っていました。
ぽっくぽっく、チーンチーン、と、木魚やリンは鳴らされ、まだ若くて細身の、眼鏡をかけたお坊さんが『なむあみだあ~』を唱えています。
別に可笑しいところは何もなかったのです、しばらくは。
……でも。
『四十九日法要』の、おそらく肝となるイベント?は。
死後の仮の宿である白木の位牌から、仏壇に祀る正式な位牌へ、魂を移す儀式――儀式という言葉でいいのかわかりませんが――、になるかと思います。
お坊さんは
「なむ・なむ・なむ・なむ……」
などと唱えながら、棒状の仏具で白木の位牌を指し、
「ぶつ・ぶつ・ぶつ・ぶつ……(的に、私には聞こえましたが。違うかもしれません)」
と唱え、真新しい『正式の位牌』を棒状の仏具で指します。
『なむなむなむなむ』『ぶつぶつぶつぶつ』を、もごもご(個人の感想)と唱えつつ、彼は、棒状の仏具で数回、白木の位牌と正式の位牌を交互に指し示す……有体に言って子供の頃によくやった『♪どちらにしようかな かみさまの言う通り♪』を、もったいぶってゆっくり行う、ような動きをしました。
細身で眼鏡をかけた、まだかろうじて青年と呼べる年頃のお坊さんが、クッソ真面目に(アタリマエ)何やらもごもご唱え、棒状のもので対象を指し示す。
(……おい)
これって……。
(キミは『ハリー・ポッター』か!)
『ルーモス(光をともす呪文。ググりました)!』
『インペディメンタ(妨害せよの呪文。ググり……)!』
『アバダ・ケダブラ(死の呪い。ググ……)!』
額に稲妻型の傷を持つ少年(青年)が、魔法のステッキをかざして叫ぶ姿が、どうしてもまざまざと脳裏に浮かび。
メチャクチャ可笑しくなりました。
そのうち『かわかみれい(仮名)。Out~』の声も脳内で響き渡り、そちらも可笑しくなってきて、非常に困りました。
何とか吹き出さず、咳ばらいをしたり唇を噛んだりして法要をやり過ごしました。
あああ、もう。
何故こんな真面目な状況でつまらない連想をし、つまらない筈なのにメチャクチャ可笑しくなるのでしょうねえ?
この現象、心理学の偉い先生とかが、名前をつけているのでしょうか?
ごめんなさいね、お父さんにお坊さん。
決して不真面目な気持ちで参加していた訳ではないのですよ。
みんなハリー・ポッターが悪いんだ!← 八つ当たり
こうして?一連の弔事はひとつの区切りを迎えました。
今、ウチには、弟が用意してくれた、父の遺影をL判で焼いて写真立てにおさめたものが、息子の乳幼児の頃の写真を飾っているコーナーにそっと置かれています。
施設で暮らすようになって迎えた、初めての誕生日。
施設の方で、ケーキにろうそくを灯してお祝いして下さった時の写真です。
ちょっとはにかんだように笑んだ、最近の父のベストショットになるでしょう。
初孫である息子の写真に囲まれ、父は、穏やかに笑っています。
『父のこと。了』