第3話 男爵邸にて
アストレリア王国は、大いなる大地マダンタイト大陸の北半球を勢力圏に置く巨大な王国だ。南半球には有象無象の小さな王国が沢山あるが、転生したマーガレットの知識の中ではその辺の事までは学校で習った範囲でしか知らない。そして、王都はアストレリア王国の北に位置して(正式名称は「キングズステイツ」)で、広さはこれまたマーガレットの知識の中でしかないが、農地も含めておおよそ二万平方キロメートル(結構広いな)に人口およそ二十万人が住んでいる。都市部の中心は城壁で区切られ、そこから放射状に住居が広がっている。私の住んでいる伯爵邸はお城のすぐ近くにあった。有事の時にはすぐに王城に駆けつける様にするためだ。
伯爵邸から男爵邸までは、馬車で体感十五分ぐらいだった。王都の街の造りとしては、王城が街の真ん中にあり位の高い貴族の屋敷がその周りを取り囲むように建っている。そしてその貴族の中でも位の高い人(宰相クラス)は王城に近い所に大きな屋敷を構え、官僚クラスだと王城から少し離れた所に屋敷を構える感じだ。
江戸時代の江戸城周辺もこんな感じだったなあ。高校時代にゲームのやり過ぎで眠たい目をこすりながら受けた、日本史の授業を思い出す。貴族達は屋敷の他にも自分の領土を持っていて、そこから税を徴収しながら王都で暮らしている。異世界でも権力構造って変わんないんだなあ。
ゾフィの住んでいるクルス男爵邸は、王城からだと南側に五キロ程度離れた所に建っている。屋敷自体は二階建ての質素な館だ。
ウチからそんなに離れていないじゃない! 歩いて来られるじゃない! と思いながら玄関付近の馬車止めから馬車を降り庭を見る。
それほど広い庭ではないが、真ん中に小さな池がありそこから六本の小道が放射線状に造られている。小道の両側には、それぞれきれいに刈り込まれた大人の腰丈程の生け垣があり、玄関付近には見事な生け垣のアーチが造られている。
「見事な庭ですね。」ロジーが庭を見て感心して言う。
「ありがとうございます」そこに、作業帽をかぶったジャケットに作業ズボン姿の男性が声をかけてくる。男爵邸の庭師だろうか。
「この庭はあなたが?」ロジーが聞くと、「はい、時々お世話させて頂いています」庭師が答える。
側を見ると息子だろうか、私と同じくらいの男の子が不機嫌そうな顔をして立っている。
「マーガレット・ブライアント・フォーサイスと申します。ルーカス・ブライアント・フォーサイス伯爵の娘です」私は、学校の礼儀作法で習った通り、ドレスの両裾を軽く持ちながら庭師に挨拶をする。
ロジーがフォーサイス伯爵家から来た事を説明する。
「本日はお嬢様の同級生ゾフィ様にお会いしたくて来たのですが、ゾフィ様はいらっしゃるでしょか?」
「ゾフィお嬢様ですか?確か今日お宅に居られるはずです。何でも学校で穴に落ちたとか。その事で男爵様が心配されて、今日は一日休ませていると仰っていました。お世話のために妹さんも来られていましたな」
「とろくさいやつ」するといつの間にか隣に来て聞いていた庭師の子どもと思われるヤツが口を挟んでくる。庭師が目でたしなめてくるが、無視する様に子どもは目線をそらす。なんかイヤな感じだ。
「その事で実は男爵様ともお話ししなければいけない事がありまして、男爵様にお目にかかれないでしょうか。もちろんゾフィにも」私が男爵にも会いたい事を伝えた。
「わかりました。ただ今日は会合があるとかで他にもお客様が居られる様なので、一度ご都合を伺ってまいります。それまで中でお待ちを。おいマシュー、男爵様に言付けを・・・」
「自分で行けよ」
何コイツ。マジ、あり得ないんだけど。私は、庭師の子どもマシューにいらつきを覚えてきた。しかし庭師は、少し苦笑すると「中へどうぞ」と言って、館の一階にある応接間に案内してくれた。
「こちらでお待ちを。只今、男爵様に伺ってきますので」そう言って庭師は応接間を出て行った。
屋敷の中は一階が入ってすぐラウンジがあり、二階に続く階段が二本弧を描いている。左手に応接間。その奥、館の中心あたりに人が集まっている、広間だろうか。そして、玄関から向かって右手にテーブルと椅子が並んだ食堂らしき部屋があった。その奥は台所だろうか。
ここでロジーが「クルス男爵は、他の使用人を置いてないのでしょうか」と聞いてくる。
「貧乏だからな。領地も不作続きで人を雇う余裕なんかないんだろ」いつの間にか応接間に入ってきた庭師の息子が言う。
何コイツ、マジで殴ってやろうか。
「お嬢様、押さえてください」そう言うロジーの顔も不機嫌そうだ。そこへ、庭師が帰ってきて「少しの時間しか取れないそうですが、お目にかかるそうです」と言った。そのすぐ後に、クルス男爵が入ってくる。三十歳後半位の黒髪を綺麗に整えた、温和そうな人だ。
「お待たせして申し訳ない。フォーサイス伯爵のご息女だそうで。オリバー・クラーク・クルスです。この度は、どの様なご用件で?」
「マーガレット・ブライアント・フォーサイスです。本日はお目通りを許して下さりありがとうございます」私は少し緊張して挨拶する。そして、ゾフィが穴に落ちた経緯およびゾフィにこれまで前世の記憶を取り戻す前のマーガレットが行ってきたいじめの数々を説明する。温和な顔立ちの男爵も、顔がどんどん険しくなってくる。
「本日は、これまでの自らの行為を心から恥じて、ゾフィとそのお父様である男爵様に謝罪したく来た次第です。本当に今まで申し訳ありませんでした」私は、深く頭を下げる。
男爵は険しい顔のまま「最近、ゾフィが学校から帰ってくると暗い顔をしていたのは、そういう事があったからなのですか。いや、あの娘の母親を六年前に亡くしてから私一人で育ててきたのですが、仕事にかまけてあの娘にあまりかまってあげられなかったから・・・」ハァ、と溜め息をつく。
「私は父親失格だ・・・」
「いえ、男爵様のせいではありません。全て私が悪いのです」私は、慌てて男爵に言う。
「そうです。全てお嬢様が悪いのです」隣にいるロジーが言う。フォローせんのかい!
いや、フォローなんて期待していなかったけど。
「それで、ゾフィにも会って直接本人に謝りたいのですが、会うことを許していただけないでしょうか」
男爵は難しい顔をして少し考えた後「わかりました。ただ、娘が嫌がった場合は申し訳ないが今日はお引き取り頂く事になりますが」
「構いません。許してもらえるまで、何度でも伺うつもりです」私がそう言うと、男爵は少し表情を崩し「良いでしょう。今メイドにゾフィの様子を見に行かせます。メアリー」男爵は、ちょうど側を通りがかった茶髪を後ろで纏めたメイドに声をかける。
「メアリー、忙しいところ申し訳ないがゾフィの様子を見に行ってくれないか」
「わかりました、旦那様」そう声をかけられたこの家のメイド、メアリーがラウンジの階段を上がって行く。
さあ、本番だ。緊張してきた。果たしてゾフィは私に会ってくれるだろうか。そして、会ってくれたとしても許してくれるだろうか。いや、そもそもなんて言って謝ろう・・・。そんな事を色々考えながら待っていると「旦那様、お嬢様がどこにも居られません」と言ってメアリーが入ってくる。
「何だと?」と男爵が驚く。
「一緒にいたエレーナは?」
「エレーナ様も居られないです。外出されるとは聞いていませんが・・・」メアリーは答える。
エッ? 何? どういう事?
ゾフィいなくなっちゃたの?