第2話 母とメイドと私
「いけません!」この世界での私の母親、フレデリカ・ブライアント・フォーサイス伯爵夫人は起きてきていきなりクルス男爵家に行きたいと言い出した私を止めた。
「フレア、何をもめているんだ?」この世界での私の父親、ルーカス・ブライアント・フォーサイス伯爵が聞いてくる。
「あなた、聞いてちょうだい。この子ったら昨日穴に落ちてさっきまで気絶していたのに、急に起きてきたかと思うと、一緒に穴に落ちた女の子の見舞いに行きたいとか言い出すのよ。本当頭でも打ったのかしら。ああ、打ったんだった。」
そして私の額をさすりながら「良かった、特に腫れている様子もないみたい。というか昨日穴に落ちて頭を打ったのに、そんなに急に動くもんじゃありません! あなた、昨日の夕方から今まで気絶して寝ていたのよ。今日一日は大人しく寝ていなさい!」
いやごもっとも、このお母さんの言ってる事は正しい。しかし、こっちとしては今後の生き残りがかかっている。私もここで引く気はない。
「嫌! 今日絶対にゾフィのお見舞いに行くの! そうしないとダメなの!」ここで私は訴える目標をお父さんに変える。「ねえお父様、行って良いでしょう?」こういう時、母親よりも父親に訴えた方が成功率は上がる。大概の父親は娘には甘いはず!
「いやマーガレット。頭を打っているんだし、今日一日安静にしていたらどうだい?」私の体を気遣って父ルーカスはそう声をかけてくる。
「そんな、ゾフィの事が心配なだけなのに・・・。お父様なんて嫌い!」こう言って折れない父親はいない。
「フレア、どうだろう。ここはマーガレットの言う事を聞いてあげても・・・」予想通り、あっさりと父親は折れた。
側で聞いていた母親は「まったく、マーガレットに甘過ぎなのよ。この子も言い出したら聞かないし・・・。だけど、どうするの?午後からはあなたも私も慈善事業の打ち合わせで手が離せないのよ。クルス男爵様の家に一人で行かせるわけにも行かないし。先方にお知らせもせずに行くのは・・・。お見舞いなのに手土産もなしにというのは・・・」
色々と、気が回る人だ。
ルーカスは少し考えた後「仕方ない。今日のマーガレット付きのメイドに一緒に行って貰おう。誰だったかな、ロジーか。彼女なら任せられる。男爵には後で私から非礼を詫びておくよ。手土産は・・・」
「やったー!お父様大好き!」私はルーカスの首に抱きついた。
「うちの庭でとれた木イチゴのジャムがあるわ。それでパイを焼かせましょう」フレデリカは諦めた様に言う。
「で、あなたはいつまでその格好でいるつもり?」
「へ?」
「まずは食事を済ませなさい、もうお昼なのよ。それと出られる様に服を着替えてきなさい!」
「で?」マーガレット付きのメイド、ロジーは不機嫌そうな表情で馬車に向かい合って座った私を見てくる。
「『で?』って何?」私はロジーに言葉を返す。
「いきなり起きてこられて予定になかったクルス男爵の家に行きたいと急に言いだして、奥様達の予定が空いてないからとこれまた予定にもない外出を、私は貴重な休憩時間を削らされて連れ出されたのです」ロジーは長い台詞を返してくる。
「理由を聞く権利が私にはあると思いますが、違いますか?」
そう、彼女の言う通りあれから慌ただしく食事を済ませ、母親に言われた通り外出着(部屋のワードローブには派手なデザインのドレスしかなくて、仕方なく落ち着いた感じのドレスを選んだ。しかし色は真っ赤。マーガレットって服の趣味はあまり良くない)に着替えた後、マーガレット付きのメイドのロジーと共に馬車に乗って伯爵邸を出た。まあ、小学生位とは言え子ども一人で外出させるのもどうかと思うが、仰々しく馬車にメイド付きって、伯爵令嬢ってある意味不便。まあ、その前に私がクルス男爵邸の場所を知らないけどね。
「ねえ、あなたの雇い主は誰?」と私は聞いた。
「伯爵様です。あなた個人ではありません」ロジーは間髪入れず返す。
「じゃあ、あなたの仕事は何?」
「お嬢様のお世話です。あなたのわがままに付き合うことではありません」再びロジーは間髪入れずに返す。
ロジーは長身で痩身、銀髪の髪を肩の辺りで切りそろえている。目は榛色だ。メイドになる前は、私の父親であるルーカス・ブライアント・フォーサイス伯爵(王都周辺の守備を担う王都守備大隊の大将でもある)のもとで衛生兵をしていた経歴の持ち主だ。頭を打った私の経過観察もできると見込んでの事らしい。そのロジーの目付きが段々きつくなってくる。
「いい加減本当の事を言わないと、御者に命じて館に戻る様に言いますよ」
「そこをなんとか・・・」
「ソレスタさん、馬車を館に戻して」
「ごめんなさい。ちゃんと言います」
ロジーは御者のソレスタに眼で合図し、そのまま馬車をクルス男爵邸に走らせる。なにこの圧力、ロジー怖い・・・。
「で? どういう事ですか?」ロジーは改めて聞いてくる。
「はい・・・」私は諦めて事の顛末を話す。今から行くクルス男爵邸に住んでいるゾフィ・クラーク・クルス男爵令嬢を学校でいじめを行っていた事、自分が穴に落ちた理由がゾフィを嵌めようとした事、それら今まで自分のしてきた事について顧みて申し訳ない気持ちと贖罪の気持ちがこみ上げてきて、彼女に謝りに行こうとしていると。
話を聞いているロジーの顔が、段々と青ざめ榛色の目には怒りの色が浮かんできたのがわかる。私付きのメイドだからと、メイドの中では若い方の彼女を両親はあてがったが、元は父の部下で王都の守護を担う王都守備大隊の兵士だった人だ。人一倍正義感も強いのだ。
「なるほど」深いため息の後、彼女は答えた。「あなたが私たちメイドに対してわがままを言うのは、今までお世話になった伯爵様の顔を立てて黙っていましたが」厳しい表情になって彼女は続ける「甘やかしてしまっていたようですね。ご学友にもひどい事をしていたとは」
「本当は、お母様にも一緒に来て一緒に謝って貰うつもりだったの。だけど外せない用事があるからって言われて断られて」私は言葉を続ける「あなたには、私のわがままに付き合わせて本当に申し訳なく思っています」そして頭を下げる。
「本当にごめんなさい」頭を上げると、ポカンとしたロジーの顔がそこにはあった。
「大丈夫ですか?」ロジーが聞いてくる。「今まで私たちメイドにその様な言葉をかける事はなかったのに」
「今までの事は反省したの、馬鹿な事をしていたと」あー、もう昔の私の馬鹿。みんなが信用をしてくれるようになるのに時間がかかるじゃない。
実際ロジーはまた厳しい表情に戻り「だからと言って今までの所業がなくなった訳ではありませんからね。男爵にもお嬢様にもきちんと謝罪してください」と言ってくる。
「それと、この事は奥様に報告させて貰いますからね」
「はい・・・」もうゾフィの家に行く前にヒットポイントゼロだわ。
「このパイは謝罪の手土産というわけですか」ロジーは自分の席の脇に置いたバスケットに入れたパイについても聞いてくる。
「そう、私はロジーのパイがうちのメイドが焼くパイの中では一番好きなの」私は答える。本当は、超甘ったるいパイなんだけど。
どうもこのゲーム内の中世ヨーロッパ風の世界では砂糖は貴重品らしく、沢山砂糖を使ったスイーツがおいしいって事になっている。だからか、メイドや料理人の作る食事やスイーツは全体的に味が濃い目。昔のマーガレットの舌に残った味と前世が日本人だった私では、根本的に味の好みが違う。うぅ、これからこの世界で生きて行くには、その味に慣れていかなければいけないのか・・・。
「今日のパイは、お庭に生えている木イチゴを使ったものです。自信作ですよ」ロジーは少し機嫌が直った様子で言った。
「へえ~、楽しみ~」と言葉では言いつつ、心の中では甘ったるいんだ、マジできついなーと思っていたところ、着きましたぜと外からソレスタの声がした。男爵邸に着いたのだ。
さ、ここからが本番だ。ゾフィは許してくれるだろうか。いや、弱気になっちゃだめだ。絶対に許してもらうんだ。そして、死亡ルートを回避するんだ。自分にそう言い聞かせて、私は馬車から降りた。