第9話〖忍び寄る闇〗
「やあやあ、キミかぁ。なるほどねぇ」
朝を迎えて早々、僕の診療のため、アオギリの伝手で宿に訪れた医者と対面した。
しかし、それにしては随分と若い__白衣を着ていなければ、ただの子供に見えてしまうほどだった。実際、袖も丈も、清白のコートはその身をすっぽりと覆い隠している。
大きな丸眼鏡と、頬に散りばめられたそばかすもまた、あどけなさを引き立てていた。
「コイツはキイゼ! 俺と同じネパーで、まぁ見た目はこんなちんちくりんだけどな、れっきとした医者だ! 普通のケガや病気はもちろん、魔力や魔証の性質なんかも専門に診てくれるぜ。何より、いつでもどこでも! 呼べば大抵来てくれェア゛ア゛ァッ____!!」
寝室内に、アオギリの苦悶の叫びが木霊する。
……いきなり股間に強烈な飛び蹴りを食らって倒れた光景に、思わず僕も血の気が引いた。魂の抜けた彼の背中に、心の中で「ご愁傷さまです」と合掌する。
「だ、れ、が、ちんちくりんだってぇ? ……痛みが引くまで、床で安静にね★」
無慈悲にも、自らの手で増やした被害者に語りかけた後、こちらに向けられた笑顔に「ひっ」と反射で小さく悲鳴を上げてしまった。
人は見かけによらないとよく言うが、異世界においてはそのギャップも凄まじく、肩を震わせる。
「ったく、ヒトを便利屋みたいに言って……失礼しちゃうよねぇ。ごめんねぇ、あっちはもう片付い……ああ大丈夫! あれでも一応、加減はしてるから」
とても医者のそれとは思えない物騒な口ぶりで、キイゼは手持ちのトランクケースを開けた。整然と並ぶ救急用品の片隅に収まった『丸いモノ』が、光を浴びてもぞもぞと動き出す。
「んみゅぅ〜……」
「ぱょっ?」
上下に振れるうさぎのような耳を見て、真っ先に反応を示したのはホルンだった。
確かに、似ているような。当の本人も興味が湧いたのか、そわそわと落ち着かない様子だ。
「やあ、キミも『ソルフ』だね。職業柄、いろんな所を渡り歩いてきたけど、ミルル以外のソルフに会ったのは初めてだよ。キミは名前、なんていうの?」
「ぱょっ!」
「ホルンかぁ。なるほど……かわいい名前だねぇ。ミルルも仲間に会えて嬉しいみたいだ。ボク共々、よろしくねぇ」
「みゅぅ!」
「ぱょぱょ〜」
ホルンとミルルはすぐに打ち解けたようで、二人で楽しそうに追いかけっこを始めた。
そしてさらりと、『ソルフ』の言葉を理解しているかのような、キイゼのスマートな会話術に感心する。
表情やジェスチャーから何となく汲み取ることしかできない僕は、いつかのテレビ番組で見た『動物と心を通わせるすごい人』の姿を、目の前の小さな医者に重ねていた。
「__っと、ごめんごめん。ソルフは希少な生き物だから、つい夢中になっちゃって……それじゃ、診てくからねぇ」
「あの、」
「なぁに?」
「……お手柔らかにお願いします」
「あら……♪ 律様、もしや……お医者様は苦手ですの……?」
「男しか知り得ない事情がさ……あるんだよ」
目を丸くして尋ねてきたローザに、低めの声音で囁く。
先ほどの一部始終から、子供の面差が消え去るどころか、恐れすらなした僕の念押しの一言を、キイゼは軽快に笑い飛ばした。
┄┄┄┄
「……ん! 身体の方は問題ナッシングだね。鎮静魔法かけといたから、熱もすぐに引くと思う。さてさて、お次は魔力と魔証を調べていきますよっと……左手、出して。痛くないからねぇ、楽にしてね」
促されるまま差し出した左手にキイゼが触れると、そこから淡い光を帯びて広がり始める。しかしすぐに、弾けて消えてしまった。
「ありゃま。__やっぱりこれは、一筋縄じゃいかなそうだねぇ……ねぇヤトっち。この指輪って、誰かにもらったの?」
「はい。カナリアといって、魔族の女の子で__」
「律様の、愛しの婚約者で……♪」
「__えっ律お前、『りあじゅー』だったのかよ!?」
ローザと、いつの間にか目を覚ましていたアオギリに茶々を入れられる。
「ふぅん? そりゃ隅に置けない話だねぇ。……けど、そっか。どうりで……」
一人で何か得心したように頷いた後、キイゼは少し、懐かしげな表情で語った。
「あの娘のことは、小さい頃からよく知ってるよ。お母さんの……オリヴァ先生が同業の先輩でね。その指輪に刻まれてるのは、紛れもなくカナリアの『加護の魔証』だ」
「加護の魔証……」
「そう。この世界に於ける魔法は__かつてその力で平和を築き上げたとされる先人達が、自身の魔証を宿した『魔器』と契約を結ぶことで、初めて行使できる。ただ、『加護の魔証』に限っては例外なんだ」
次第に力が込もっていくキイゼの語り口に気圧され、背筋が伸びる。
「『加護の魔証』は、彼女の一族が生来その身に受けた特別な力……遠い昔、ある一人の女性が戦いへ赴く勇者に、無事を祈る印として贈ったのが始まりだと言われてるんだ。指輪に刻んで、ね」
「まぁ……ロマンチックですわね……♪」
両手を合わせて頬に添え、うっとりと声を漏らすローザに「でしょ?」とキイゼがウインクを送る。
「『フィリスの乙女』__一族で、加護の力を代々受け継いできた者のことを、始祖であるその女性の名前から取ってそう呼ばれてるんだ。如何な闇をも祓う乙女の加護は、愛する者を守り、一族に安寧をもたらした……カナリアはそれを、キミに捧げようと心に誓ってたんだねぇ。まさしく『愛の力』ってやつだ。大事にしなね、花婿さん」
「はい。だから__必ず助けます」
言葉と裏腹に込み上げてきたやるせなさが、胸を締め付ける。そんな僕の両肩を、ホルンとミルルがぴったり同時に叩いた。
「ぱょっ!」
「みゅぅ!」
励ましてくれたのだろうか。二人の目を交互に見て、「ありがとう」と丸い頭を指で撫でた。
「カナリアの消息については、ボクもアンテナを張っておくから。何か情報を得たら、すぐに報せるよ。それと、もう一つ__……」
┄┄┄┄
「あら、ヤトリンちゃん。身体はもういいの?」
診療が終わった後、アオギリと、珍しくローザも外へ出てしまった昼下がり。
一階へ下りると、窓際に花を生けるコトさんの姿があった。
「はい。熱はもう下がったみたいです」
「そう、良かったわ。でも無理はいけないわよ」
「すみません、心配かけて……ありがとうございます」
さすが医者と言うべきか、治療として施された鎮静魔法は驚くほどよく効き、倦怠感もいくらか和らいでいた。
コトさんとの会話の傍ら、キイゼが去り際に残した言葉を思い出す。
『それと、もう一つ。カナリアの加護とは別に、キミから何か大きな魔力の波動を感じるんだ。まだ不完全で、はっきりとは視えないけど……もしかしたら、キミは__』
「ヤトリンちゃん、お医者さんはなんて?」
__不意に問われたその声は、優しい老婆の温度を変えた。
まるで別人のような、冷たく張り詰めた空気が、僕の意識を捕らえて縛り付ける。
「……え、」
戸惑い、震えた唇の端から赤い液体が流れ出す。
「アナタ……あナタがそう、ツガイの騎士さマ……」
雑音が混じり、歪な響きを持った老婆の声が、幼い少女のものへと変わり__周囲に現れた魔法陣から、炎が舞い上がった。
老婆の装いを取り去った、赤い頭巾の少女は言った。
「ずっと、ずぅっと捜してたの。やっと見つけた。ツガイの騎士サマ……」