第4話〖謎めく少女〗
「…………ん……」
静寂がただよう中、重い瞼を微かに開くと__ぼやけた視界が少しずつ鮮明に映し出される。
「……ぱょっ?」
声がしたと同時に、何かの気配を感じ取る。
「…………」
眠っていた、のか。頭の中に靄がかかっているようで、思考が正常に働かない。だから、声の主が仰向けになった自分の顔をじっと覗き込んでいる__と理解するまでに、多少の時間を要した。
「__うわぁっ!?」
「ぱょっ!? ぱょっ、ぱょっ!」
反射的に叫んで飛び起きてしまい、目の前の生き物は驚いた様子でその場を離れた。
「……ッ、なんだ、あの浮いてるヤツ……」
頭に鋭い痛みが走り、包帯であろう布が巻かれた額を手で押さえる。そこでようやく、あの爆発に遭った後、怪我を負い倒れていた所を誰かが助けてくれたのだと察することができた。
……まさかあの生き物が? ふわふわと宙に浮かび、遠ざかっていく後ろ姿を目で追うと、視線の先にさらに別の人物がいることに気付いた。
「あら、お目覚めになりましたの……♪ 随分とうなされていたようですけど、気分はいかがですか……?」
そう言って、どこかの令嬢と思しき少女はキッチンから淑やかな足取りでこちらへ歩み寄り、ちょうどベッドの傍で指を鳴らす。パチンッと軽快な音が響き、何もなかったはずの空間に椅子が一つ、現れた。
少女の後についてさっきの生き物も戻って来て、小さな体に抱えていたティーカップを差し出した。中身は紅茶のようで、ほんのり湯気が立っている。
お礼を言って受け取ると、「ぱょぱょ〜」と満足気に応えてくれた。
「……さて、申し遅れました……♪ わたくしはローザ……結界の『管理人』といったところですわ……♪ 一緒にいるこの子はホルン……以後お見知りおきを……♪」
「管理人?」
「ええ……♪ 尤も……昨夜、貴方様も巻き込まれたあの災厄によって……結界はすっかり、変わり果ててしまったのですけど……」
「ローザ……さん。貴女が、あの月の……」
「ローザ、とお呼びくださいな……♪ これより先は、さらに受け止めがたいお話になるでしょうけれど……貴方様も、まずは現状を知る必要がおありでしょう……」
言いながら、ローザは膝の上に乗っているホルンへと視線を落とし、優しく頭を撫でた。それから僕と目が合い、もう一度、静かに微笑む。
その顔立ちはどこか、カナリアに似ているような気がした。
「そうですわね……はじめに……この世界が、大きく三つに分かれていることはご存知でしょうか……? 魔界と、人間界、そして天界……それぞれに暮らす種族や、古くから根付いている文化も異なっておりますわ……♪」
「は、初耳です」
「まぁ……それでは一つ、学びを得られたということで……ふふっ……♪ 話を戻しましょう……♪ 先ほど申し上げた三つの世界を繋ぐ……いわば出入口の役割を果たすのが、結界なのです……」
カナリアも言っていた。結界は他にも存在し、それぞれ別の世界に繋がっていると。ローザの話と照らし合わせ、情報を整理していく。
出された紅茶に少し口をつけてみたものの、意識がそちらに集中しているせいか、味は感じられなかった。
「現在、結界は各界に一つ……合わせて、こちらもちょうど三つが発見、及び管理されていますわ……♪ わたくしは魔界、『月の結界』を……他二つの結界も、わたくしと同じく、管理を担う者がおりまして……」
「発見? 結界って、誰かが創ったとかじゃないのか」
「……結界については、実は未だ謎も多いのです……それらの研究、解明も含めての管理でございますから……♪ しかし……まさに今、貴方様が仰った通り……新たな結界の創造を目論む存在がいるとの情報を得ており……昨夜、全てを塗り変えてしまったあの現象は、そのための前座として、彼らが引き起こしたものではないかと……わたくしは考えておりますわ……」
「なんで……そんなこと……」
「結界はその不可解さゆえ、神の叡智とも囁かれており……自ら生み出さんとすることで、そこへ辿り着けると信じているのかもしれません……結界から感じ取れる、強大な魔力の波動が……たまらなく彼らを惹き付けるのでしょう……そう__まるで……希望の道標であるかのように……」
その希望とやらのために、この世界を絶望の淵に叩き落としたというのか。恋人やその家族、自身の家族や友人も、危険にさらされているかもしれない。
ただ平穏な日々を送っていた大切な人達を、無差別に巻き込んで__。
左手に光る指輪を見つめ、湧き上がる怒りと悔しさと共に、ぐっと拳に閉じ込める。あの時、カナリアに届かなかった手だ。
「……その指輪……お相手の方は、貴方様のことをとても大切に想っていらっしゃるのですね……♪」
「え? ……あぁ、カナリアっていうんだ。恋人なんだ、結婚を__約束した……だけど、行方が分からなくなった」
「カナリア様……素敵なお名前ですわ……♪ 指輪をよくご覧になって……不思議な模様が、刻まれておりますでしょう……そのような武器や装飾品を、わたくし達は総じて『魔器』と呼ぶのですけど……」
何やら申し訳なさそうに、ローザは声を潜めて続ける。
「その……誠に勝手ながら……貴方様が眠っていらっしゃるうちに、研究の一環として、指輪を調べさせていただこうと試みたのですけど……♪ 守護魔法が堅く……わたくしでは、触れることさえ叶いませんでしたわ……」
ばつの悪いことをしたと、ホルンと共に頭を下げられ、もしや女除けの指輪ではないかと一瞬過ったが。ひとまず純粋に、お守りのようなものだと思うことにした。
「ところで……わたくし、まだ貴方様のお名前を伺っておりませんでしたわ……♪ 貴方様とお話している間、お名前を予想し二十ほどの候補に絞らせていただいたのですけど……よろしければお聞きになります……?」
「いや完全に遊んでるだろそれ! 仮にも初対面の相手をネタ化しようとするなよ……八燈 律。律でいいよ」
二十の名前候補は正直気になるところではあるが、内容が濃そうなのでまた今度聞くことにする。
「では……♪ 改めまして律様……これから、どうなさるおつもりですの……? ……といいましても……ここで過ごされるのも、既に時間の問題なのですけど……♪」
「カナリアを捜しに行くよ。手探りじゃ、どのくらいかかるかも分からないけど……ここでただじっとしてたって、何も変わらない。どの道、危険なんだろ?」
「愛する姫君を救う、英雄ということですわね……♪ 律様の決意、しかと聞き届けましたわ……わたくしもお手伝いいたしましょう……♪ __と、その前に……」
ローザが魔法で出した日傘を手に取り、突如、部屋の窓に向かって構える。
「『お客様』を……もてなして差し上げなくては……少々、手荒ではございますけど……ね……♪」
「客……?」
開いた傘の石突から、無数の光の球が弾丸のように次々と放たれる。窓ガラスが一瞬にして粉々になり、衝撃のあまり言葉を失った。
「ぱょぱょぉ……」ホルンも、舞い上がる煙を見ては僕の肩にぴったりとくっつき、震え上がっている。
__しかし、それだけでは収まらず、すぐさま地鳴りと禍々しいまでの咆哮が響き渡り、空気は緊迫する。
「……!!」
「あらあら……これはいきなり大ピンチですわね……♪ 律様……既に負傷されているところ、大変申し訳ございませんが……動けますか……?」
「動かなきゃもれなく死ぬだろ……!! こんなとこでゲームオーバーはごめんだよ!」
「ぱょぱょっ!」
戦うか、逃げるか。何でもいい。とにかく動け……! 身体に残った痛みを振り切り、どうにか立ち上がる。
「ふふ……その意気でございます……♪ それでは、参りましょう……記念すべき、英雄譚の第一歩でございますわ……♪」
こうして、今まさに襲いかからんとする未知の脅威と、僕らは対峙することとなった。