第2話〖日常の外側へ〗
カナリアの衝撃的な告白の後、正式に婚約関係となった僕達は、彼女の故郷__魔界を訪れていた。
カナリアがいつも持ち歩いている手鏡。彼女自身の魔力を宿した特殊な物らしく、月の出る夜、鏡にその光を映すことで、魔界へと繋がる入口が出来るのだそうだ。
ただし、入る事が出来るのは魔族か、魔界と密接な関わりのあるごく一部の者のみ。僕の場合は後者で、今つけている指輪がその証となっていた。
「それにしても__」
いざ足を踏み入れた場所は、アニメや漫画から思い描いていた景色とは全く違う。辺りはすっかり夜の闇に溶け込んでいるものの、禍々しさや恐怖などは微塵も感じられない。
蛍のような無数の小さな光が空中を行き交い、隣を歩くカナリアの横顔を、ただ穏やかに照らしていた。
「ふふっ、もっと荒れ放題だと思ってた?」
カナリアが声を弾ませる。
「えっ!? いや、まぁ……確かに、イメージと違うなとは思ったけど」
「でしょでしょ! 初めてここに来てくれた人達はみんなそう言うの。色々あって、今は他の種族との交流も限られちゃってるけど……あっ、ほら! あの塔のある山、見える?」
あそこがオウガ山だよ__と暗闇の中、カナリアが指差す方を目を凝らして見ると、確かに、連なる山々の上にそびえ立つ塔があった。
「じゃあ、あの塔が君の家なの?」
「まさか! わたし達が暮らしてるのは麓の屋敷。でもあの塔にも、昔からよく登っててね。頂上からは街も空も見渡せて、すっごく綺麗なの。お気に入りの場所なんだぁ」
日常の外側、想像もしなかった世界。
変わらぬ笑顔で、彼女がそっと僕の手を引く。
目に映るもの全てが、夢のように美しくて。
「……新婚旅行って、こんな感じかな」
思わず、惚気がこぼれてしまった。
「今新婚って言った!?」
「えっ」
「言ったよね! ね!」
手を握ったまま、ずいと迫ってくるカナリア。
不意に心臓が高鳴る。近い。顔が。
「ウブなりっくんの口からそんな言葉を聞ける日が来るなんて……! 成長したねぇ」
「いやお母さんかっ! そもそも相手は君だろ」
「だってぇ〜えへへ〜」
新婚という響きがよほど気に入ったのか、カナリアの表情は幸せに満ちている。
「と、とにかく、まずはご両親への挨拶だ」
カナリアにつられて、緩みかけた口元と心をぎゅっと締め直す。これから結婚の挨拶をする相手に、間抜け面は晒せない。
__が、危機感は緩んだままだったらしい。
「うおぉっ!?」
突然、肩をがっしりと掴まれ、我ながら漫画のような見事なオーバーリアクションと同時に身体が宙に浮き上がる。
捕まった? 誰に、いや何に!? 大きな羽音でさらに風が舞い上がり、先ほど決意の一歩を踏み出さんとした足は虚しくも空を切るばかりである。
鳥なのだろうか。見たことのないその大きさに驚いたが、って観察してる場合かこれ割とまずいだろ! などと混乱している間にも地面は遠ざかっていく。
「りっくん! りっくーん! 大丈夫ー!?」
すっかり小さく見えるカナリアが、こちらに向かって必死に手を振っているのが分かった。
ああ、こんなアクシデントに恋人を巻き込んで、何やってるんだ僕は。情けなさで少し挫けそうになった。
「ごめんカナリア! 後で、後で必ず……戻るから!」
涙をぐっと堪え、彼女に届くように精一杯叫ぶ。
こういうの、何かドラマのワンシーンみたいだ。現実には大袈裟にも思える台詞は、フィクションにありがちな演出の影響かもしれない。きっと後で猛烈に恥ずかしくなるやつだ。
「うん! この片っぽの靴__必ず取りに戻ってきてねー!」
「待ってなんて!? 靴!?」
カナリアに言われて、確かに片方の靴が脱げてしまっていることに気付いた。
「……本当にごめんカナリア。ありがとう……」
どこまで墓穴を掘れば気が済むのか。ドラマのような情熱は一瞬で冷め、別の意味で泣きたくなった。