496.慈母約結:愛は騙らず
この世の悪というものは、幻想に過ぎない。
いや、確かにそういったものは存在する。
そういう巨悪と、譲二さんは戦ってきた訳で。
僕が言いたいのは、そういった強大なる悪意とぶつかる事が出来るのは、譲二さんみたいな相応のヒーローだけであって。
僕たちのような一般人の範囲においては、そんなものは無い、という事だ。
僕たち一般人に与えられる悪意は、もっと濁っていて、やるせないものだ。
見えない"神様"に息子を捧げた母親。或いは信者達。
彼らは、祈りの時間以外では至って普通の人だった。
なんて事を思い出す事が出来たのは、僕を助けてくれた譲二さんが、僕の父さんを見つけてくれて、マトモな日常とやらを取り戻してから……僕に真っ当な倫理観が染み付いてからだ。
恨む心も無い。感情は理解できるけど、それが僕のものか、僕がそれを抱けるのかがわからない。
見えないものを信じて、見える人間に迷惑を与えて、死んでいった母親。
恨んだりすれば良いのに。まったくその辺りの事が、自分の心に入らない。
「エリちゃん、見て。バナナでタワー作った」
「……えっと、瞳ちゃん。食べ物で遊んじゃいけないよ……というより、高い。天井まであるね。脚立を1人で使っちゃいけないよ。何で気付かなかったかな僕も」
幼馴染の瞳ちゃんは、とにかく変な事ばっかりしていた。
お互い父親が忙しく、一緒に過ごす事も多かった。とはいえ彼女の破天荒さに慣れるのは時間がかかったもので。
「エリちゃん。見て見て。オモチャの電車で合体ロボット作った」
「うわぁ。動いてるけれどどうなってるのコレ。あと何で頭がワニのぬいぐるみなの」
「良い感じのパーツが無かったのよ」
「ええやんワニでも」
「喋ってない?」
……境遇が似ていた、というのはあまり関係無かったのだと思う。
きっと瞳ちゃんと一緒に過ごした人は、誰であれこのくらい仲良くなるのだろう。
それが偶々僕だったというだけの話で。
「今日は久しぶりにパパが帰ってくるのよ」
「あれ? そんな連絡あったっけ」
「パパのお友達の座一郎さん、いるじゃない?
あの人が言ってたのよ。パパの誕生日祝いに、早上がりさせるって」
「滑川さんが? 何処で知り合ったの瞳ちゃん」
「今やメル友よ」
「うわぁ連絡先が信じられない数。いつの間にこんなに人脈を……」
「みんな大切なお友達よ。おかげでパパのスケジュール、大体把握できるの」
「凄い大人になりそうだなぁ、瞳ちゃん」
……僕も、そのお友達の1人。
僕だけが特別なんて事はない。
恋愛感情だって、生まれようがない。
ただ。
瞳ちゃんが欲しいものは、全部用意してあげたいなぁ。
僕にとっては、唯一の友達だもの。
……そして、瞳ちゃんの事を忘れて。
【Blueearth】で僕は、変わらず一人だったけれど。
何か変われたのかな。
何か変えようとしたのかな。
分かる事といえば。
やっぱり、瞳ちゃんは僕が居なくてもやっていけるって事だね。
──◇──
"【Blueearth】争奪戦" 最終戦
【ダーククラウド】vs【夜明けの月】
【ギルド決闘】"東雲曉暒"
──◇──
【第198階層エンド:摩楼天空の大剣山】
──複合隔離階層
エリちゃん、強いわねぇ。
アイコちゃんと同じジョブである以上は、地力の差がどうしても出てくるものだけれど。
フィジカル面では到底敵わないけれど、ゲームとしての【仙人】の性能をフルに活用して食い繋いでいるわね。
……【呪術師】であるあたしは、とても割り込まない。
呪いの殆どは無効化されちゃうからね。
でも、まぁ。それはゲーム的な話。
「……そのまま下がっていれば倒すのは最後にしたのにね」
「舐めた事言っちゃダメよエリちゃん。あたし、待ってるだけのお姫様は卒業したの」
──動かない、なんてする訳ないでしょう。このあたしが。
【呪術師】ジョブ強化スキル【崇徳変妖】──呪いを具現化し、NPCとして使役する。
勿論、【仙人】には通用しないけれど──壁にはなる。
「【重石の想意思】【落ち葉散る蘭】【脱兎の足跡】!」
「残念ながら、手を振る価値も無いよ!」
3人の呪いはエリちゃんに掻き消されるけれど──その隙を、アイコちゃんが見逃すはずが無い。
「300%──【仙法:赫蓮華】!」
「見えていますとも!【仙法:武鎧橄欖】!」
今度は翠の鎧を纏って、身体を回転させてアイコちゃんの攻撃を受け流す。さっきと違って赫も蒼も、まだ追撃出来る状態。こうすればアイコちゃんが退くと思ってるみたいだけれど──
「──な!?」
そこに割り込むのは、あたし。
パパにしっかり教え込まれた護身術。そんなのエリちゃんに通用する訳がないけれど──それが狙いだと勘違いさせる事はできる。
アイコちゃんからの追撃だって控えている。エリちゃんは半歩退くしかない。
──けれど、それはアイコちゃんも理解している。
「もう一度、【仙法:赫蓮華】!」
「うわぁ危ない!【仙法:春藍突波】!」
蒼の"仙力"をキープしてたから、何とか受けきられちゃった。
でも。ここからがあたしの戦いだもの。
「エリちゃん」
「何ですか瞳ちゃん。今忙しい──」
「大好き」
昔のエリちゃんには通じないだろうけれど。
ドロシーちゃんと同じ事よ。人は成長する。
……エリちゃんだって、知らない内に……。
「──え?」
「ごめんなさい。【仙法:赫蓮華】!」
「うわぁ! ……っと、危ない! ひと、ひ、瞳ちゃん! 何を──」
「愛してるわ、エリちゃん。本当よ。──まさか疑ったりしてないわよね?」
「本心なのは分かってるよ! でも、今じゃなくても──というか、趣味が悪い! こんなタイミングで……!」
【仙人】同士の戦いは、一瞬の隙も与えられない。
時間さえあれば自動回復が入ってしまう。だから一撃で倒せる300%【仙法:赫蓮華】が必要な訳だけれど。
その隙を与えなければ、接近戦から外れなければ。
蓄積ダメージでも充分に倒し切れる、わよね?
まぁ、エリちゃんが普通の人間らしい感性を取り戻しているという事と、このあたしに惚れているであろう事を利用するのは……そう。悪趣味な事だけれど。
「──こういう所も、好きでしょう?」
「……あぁもう、酷すぎる! 絶対に答えないぞ瞳!」
とっくにエリちゃんはガタガタで。
アイコちゃんは申し訳なさそうに、最後の拳を振り上げる。
「ごめんなさい、エリバさん。──【仙法:赫蓮華】!」
「うっ、くそぅ、後で覚えておいてよね、瞳ぃ!」
──赫い花火が打ち上がった。
──◇──
「いやぁ、えげつない戦法ですねツバキちゃん。流石は最終兵器」
「……ま、こんなことに頼りたくは無かったけれどね。ちょっとした罰よ」
「罰?」
「……ライズも、ハヤテも、エリちゃんも。あたしの居ない所で成長するんだもの。
何か、こう……まるであたしが悪影響みたいじゃないのよ」
「……ふふ。そんなことありませんよ。
ツバキちゃんに迷惑をかけたくなくて頑張ってしまうのです。ジョージさんもそうでしょう?」
「つーん。仲間に入れてくれないんだもん。つまらないわ」
──◇──
【第190階層 終末宣言アルトン】
「お。帰ってきたぞ」
「みなさん集まっていますね。ラセツ。ちょっと殺してくれませんか?」
「エグい頼み事やめてくれエリバ」
無事……というかなんというか。
順当に【ダーククラウド】はボロ負けして、アルトンに逆戻り。
何処かへ連行されたフミヱ婆さんも、【コントレイル】に顔出ししに行ったキャミィも。ハヤテ以外の【ダーククラウド】は全員集合していた。
「愛だね、エリバさん。素晴らしいじゃないか」
「スワンは最後までブレなかったな……。んまぁ、納得の行く終わり方が出来た奴の方が少なかっただろ。
キャミィだってクアドラの脚係に徹したし」
「私はいいんだ。満足しているよ。
これで最後という訳でもなし。それより……【夜明けの月】は誰も帰ってきてないんだな」
「全員生存。己は情け無ぅ御座いまする。
スペードの一人や二人、ぷちっと潰し上げたく」
「あんなのが二人も居たら調ちゃんが困ってしまいます……。しかし、温存された感は否めませんね」
ツララの言う通り。どうにも……【夜明けの月】はこの先を見据えているように見えた。
だが、そうも行かないだろう。
「後はライズとメアリーだけ。俺たち【ダーククラウド】の仕事は大詰めだな。
……さーて、俺たちのギルドマスターはどうやらかしてくれっかね?」
「ハヤテ君、ヒガルで一度負けてるからなぁ。アレは予想外だった」
「レベル差有りで負けるような雑魚です。ライズさんに加えてメアリーさんまで居るのですからボロ負けボコボコボロ雑巾でしょう。敗北に2000万L賭けます」
「勝ち負けで測るものではないよシーナ。ハヤテはそこを観則していない……と、思う。
ハヤテにとっては……【ダーククラウド】としての仕事を既に終えている、と考えているのかもしれない」
クアドラの言う事は……俺にも分かる気がする。
【ダーククラウド】としてやらなきゃならない事が終わったなら、後は好きにできるもんな。
なんにせよ。もう俺たちに出来る事は無い。
「好きにやれよ、ハヤテ。最後なんだからよ」
最後に一言それだけ告げて、後は観戦だ。
……世界最後の兄弟喧嘩だ。楽しませてもらおうか?




