481.恐れ、羨み、その脚で立つ
──クアドラは、何処にでもいない天才少女だった。
幼少の頃に飛び級で海外の名門大学を齢12歳にして卒業。発達した科学技術を誇る現代においては半ば道楽と扱われつつある、宇宙技術の分野へとその才能を伸ばしていった。
14歳で新型の惑星探査機を発明・改良。16歳にもなると宇宙生活を開始、以降今に至るまでクアドラは地球の土を踏んでいない。
20歳になると、宇宙ネットワークの改良を目的とした個人用の宇宙船によって単独航行を開始。【Blueearth】開始時26歳となるまで6年間、直接人間と接する事は一度も無かった。
孤独は苦ではなかった。
天才と持て囃されていた、地球に居た頃だって。
家族から、学友から、教師からも距離を置かれていた。
辛く当たられる事は無かったが。
誰も、クアドラを見る者は居なかった。
クアドラは宇宙に出る前に、自らの戸籍を消した。地球に存在しない事となったクアドラは、現状唯一の宇宙人と言える。
毎日毎月、地球に宇宙の情報と状況を伝えるだけ。誰とも関わる必要は無い。それが良かった。それで良かった。
良かったと、思っていたのに。
──◇──
"【Blueearth】争奪戦" 最終戦
【ダーククラウド】vs【夜明けの月】
【ギルド決闘】"東雲曉暒"
──◇──
【第191階層エンド:合奏樹海の翡翠唄】
四種複合隔離階層
隔離階層【白曇の渦毱】が混ざった事で、無限に広がる空が反映された。
常夕の【朱盗りの紫界】と常夜の【黒き摩天の終焉】が混ざって……夕暮れ、紫色に染まる空になっている。
「ドロシー。わたしは貴方を観測しない。【極光交差天河観測】」
「たとえそうだとしても……!【極光交差天河観測】!」
【サテライトガンナー】ジョブ強化スキル【極光交差天河観測】
四次元座標に干渉し、【サテライトキャノン】の20秒ルールを破壊する。
まだ僕だって上手く使いこなせてはいないけど……クアドラさんに追い付くためには、何でも──
「観測。探査。補足。【アステラ・ピット】32門」
クアドラさんの周囲を飛ぶ、自動攻撃ピット。
……16機が限界、だった気がするんですが。
「ジョージさん! まずは様子見を!」
「相わかった。全力で逃げる!」
ピットから放たれるレーザーの雨。
"ぷてら弐号"は巨体だけれど、流石の速度。ジョージさんの操縦技術と合わさって、何とか避けられる──
「【サテライトキャノンEquinox】」
「──上へ回避を!」
「相わかった!」
一瞬。
ピットのレーザー数発を受けてでも、真上への回避。
──直後、光の十字架が真下を掠める。
「【サテライトキャノン】二本撃ち……しかも、真横に!? こんな事出来るのかい、ドロシー君」
「わかりません。考えた事も無かった。……そして、今では理解する事も、できません」
ピットからのレーザーが止んだ──クアドラさんの方を見ると、旋回するキャミィさんの軌道に合わせてピットを置いていて──
「【サテライトキャノンfilaments】
──ピットから小規模な【サテライトキャノン】が、次々と!
「上下どちらか! 軌道までは変わらない筈です!」
「では下だ! 相手の視界から逃れよう!」
遠距離から弧を描いて並ぶピットから、まるで扇のように射出される【サテライトキャノン】。
わからない。前の僕だったら、クアドラさんの思考から使い方を理解していたかもしれないのに……!
【サテライトキャノン】は座標攻撃。範囲は半径100mだけれど……撃ち下ろす方向が変わるのだとすればその限りではない。今のクアドラさんに射程範囲の壁は無い!
「──そう来るだろうな、ジョージ」
扇の下を潜れば──沈む血竜。
回避する暇は無い。"ぷてら弐号"と血竜が衝突し──瞬間、キャミィさんとジョージさんが剣を交える!
「久しいねキャミィさん。君の訓練の賜物だ、この飛行技術は!」
「腕は錆びていないな、合格だ。ここからは騎乗戦試験だ!」
二人が戦う中、僕とクアドラさんは目と鼻の先。
クアドラさんの眼を見るけれど──クアドラさんは、僕を見ない。
「クアドラさん……!」
「ドロシー。ドロシーはわたしを観測しない。
わたしは誰にも観則されない。
……それも構わない。ドロシーは、惑星ではなく恒星だった」
──また、息が詰まる。
お腹が凹むような感覚。息を吸えない。
「……ドロシー?」
「……はっ、はぁっ……っ!」
クアドラさんが何を考えているのかわからない。
わからない。
何で僕に敵意を向ける?
──違う。敵意なんて向けてない。
これは──
「撤退だドロシー君! 捕まれ!」
「っ! っはい!」
また。
また集中していなかった。
クアドラさんの血竜が一時的に消滅。キャミィさんはクアドラさんを拾って、新たな血竜を作成。その瞬間を狙って撤退した。
──◇──
キャミィ。
ダメージを受けている。
いざ直接対決となると、純粋な戦闘要員ではないキャミィがジョージに勝てるはずがない。
ジョージ相手になると、基礎的な肉体技能が必要になる。キャミィは小柄ながら徒手空拳も使いこなすけれど、極まった人外相手には通じない。
同じ土俵で戦う事はない。次からは接近戦は控えるべき。
わたしが【サテライトキャノン】で攻めればいい。
「キャミィ。惑星であってほしい。軌道を外れないで」
「……わかった。私では力不足か。すまない」
ちがう。キャミィは悪くない。
わたしがちゃんと戦えばいいの。ジョブ強化スキルはぶっつけ本番だったけど、何となく使い方はわかる。
……ドロシー対策に、あえて何も調べずに使ってみたけれど。何となく使い方がわかってしまって困ったけれど。
ドロシーからの反撃が来ないという事は──ドロシーは、わたしの心を読めなくなっている。
──もう、わたしを理解してくれる人は存在しない。
わたしはまた、宇宙人になってしまった。
記憶を失って、わたしのした事は。
……理解者を求めていた。
人との繋がりを絶ってなお、そんなものを求めてしまった。
誰かがわたしを理解してくれれば。
そんな縋るような思いを。
……ドロシーに、押し付けすぎた。
フューチャー階層でドロシーと再開した時。ドロシーは、わたしの考えを読めていたのだろうか。
あの時点でもう、わたしを知る事が出来なくなっていたのだろうか。
恨むのは、筋違いだ。
それよりも、ドロシーのあの顔。
よくわからないけれど。わかりたくないけれど。
怯えて、いなかっただろうか?
──◇──
──空中戦では何処から【サテライトキャノン】が飛んでくるかわからない。一時的に浮遊都市に飛び込んで、なんとかキャミィさんを撒いた。
仕留め切れなかった。もうキャミィさんは俺たちと接近戦に臨む事は無いだろう。
そうなるとクアドラさんの【サテライトキャノン】を攻略しなくてはならない。
だが、鍵となるドロシー君は……。
「大丈夫かい、ドロシー君。暫くは安全だ。
深呼吸をするんだ。データの存在とはいえ、肉体はかなり現実に近い。身体を落ち着かせる事は心を落ち着かせる事にもなるよ」
「は、はい。すいません……」
目に見えて憔悴している。【Blueearth】において突発的な病気という事はないだろう。
原因は目に見えている。俺とした事が、ドロシー君がいい子だからと軽視していた。大人、いやさ人間失格だ。
──ドロシー君は、かつて尋常でないトラウマにより"理解癖"という精神病を発症してしまったんだ。
いくら落ち着いたからといって、まだ成人もしていない子供なんだ。メンタルが安定する事などあるはずが無い。
何がきっかけかはわからないが──病気が再発しつつある。
精神病は再発と隣り合わせだ。外傷とは異なり、古傷は永遠に塞がらない……とも言われている。
ちょっとしたきっかけで再発するものだ。そしてドロシー君の場合は、他に類を見ない程の強烈な症状──
「……ここで隠れていなさい、ドロシー君。今の君を戦場に立たせる訳にはいかない。
そもそもあの二人を翻弄するだけなら俺一人でも充分だ。この近くまで誘導するから、ここから【サテライトキャノン】で──」
「待って! 見捨てないで!──っ、ぁ……」
──これまで聞いてきたドロシー君の、どの声よりも大きく。
錯乱したドロシー君は、俺の裾を掴む。
「……ごめ、ごめんなさい」
「大丈夫だ、ドロシー君。……今、されたくない事を俺に教えてくれないか?
それだけは絶対にしない。ゆっくりでいいから、教えてくれ」
俺は精神科医ではない。ドロシー君のソレとは異なり、俺の読心は戦闘経験と動体視力による筋肉の動きの先読みに過ぎない。
ドロシー君が教えてくれないと、ドロシー君の考え……恐怖までは、分からない。
だから、間違えるなよ俺。ツバキよりずっと幼い、他所の子供相手だ。大切に、慎重に聞け。
ドロシー君は、自分の身体を抱きしめるように……何かに震えるように、うずくまる。
それでも流石はドロシー君だ。ゆっくりと、口を開いた。
「……僕は、見捨てられるのが、嫌です。
嫌われるより、見られなくなるのが、嫌、です。
相手が僕を理解してくれなくて、見捨てられるのが、嫌です」
──曰く。
ドロシー君は、片親である母親を調べてしまった。
父親が居ない理由を、自分の憶測を否定するために調べて……それが想像と一致してしまった。
聞く限り、そこまで酷い家庭内暴力やネグレストは起きていなかったらしい(メアリー君は"今後の処遇のため"極秘に天知調にドロシー君の母親を調べてもらったが、特段処分が必要な家庭では無かったそうだ。それ自体はいい事だと思う)。
本当に、子供の好奇心だったのだろう。
ちょっとした親子の喧嘩が発端で、行き場のない怒りを解消するために。子供特有の、他者不理解による理解不利を埋めるためにした妄想を……裏付けしてしまった。
そのきっかけは、きっと母親からの"嫌悪"ではなく……喧嘩を切り上げるための"関心逸らし"だったのだろう。
「ドロシー君。クアドラさんに見捨てられると思ったのかい?」
「……僕をみてくれたクアドラさんの目が、僕を見なくなって……苦しかった、です。
僕が、僕が悪いのに。クアドラさんを理解出来なくなった、僕が──」
「それは違う。君が悪い訳がない。
……仲のいい間柄だって喧嘩はする。相手の事が分からないからだ。
相手の事が分からないから相手の意見は自分の世界に落とし込んで理解するしかない。その結果、自分の世界で理解できない相手の意見を弾き出してしまう事もある。
これらは、悪い事ではない。当然に起こりうる現象だ」
「当然……」
意見のすれ違いは……うん。俺もツバキと少し、少ーーーーしだけすれ違ったりする時もある。
だが俺はツバキを愛している。そういうものだ。
「ドロシー君。理解が及ばない相手というのはどの時代にもいるものだ。
それを知ろうとした君の過去だって、何も間違いではない。
だが、今の君は……過去とは違うようだ」
「……今の、僕……は……」
「君は、クアドラさんが何を考えているか理解したいのか? だとして……それが最優先なのか?」
ドロシー君は、既に答えを得ている。
だがその答えに至るまでの過程が……残酷なまでに、過去のソレと類似していた。
再発してしまえば、ドロシー君はまた【Blueearth】前に戻ってしまうだろう。だが──
「わかり、ました」
ドロシー君が立ち上がる。
震える身体を、抱きしめながら。
「やらなきゃ、ならない。ありがとうございます、ジョージさん。
……手伝ってくれますか?」
「勿論だ。全て丸っと解決してしまおう。指示を貰えるかい? 隊長」
「……はいっ!」
もう震える少年ではない。
ドロシー君は、本当に立派な──男だ。




