401.消えた死のひとひら
【第160階層 氷砂先陣ブルード】
冒険者用宿屋"ヒトヅカ"
──2日目 朝 5:25
ジャッカル・クローバー・スペードの部屋
ジャッカルは遅寝早起き。
デスマーチ中の4時間休憩であろうとも、2時間程度睡眠ができるのならばベストコンディションを維持できる。
その理由は、彼が現実世界においてある秘密組織の一員として育てられたからであるが……それを知る者は少ない。これでいてジャッカルは自分の過去を話さないのだ。
ともかく。彼は違和感を感じ、本能的に起床した。
本来の彼の起床時間は4:00ジャストである。クローバーとスペードと共に戦闘論やら何やら話してから就寝したのが23:00。折角の休暇、どっぷり5時間は寝よう! と思ったのだが。
外的要因の干渉の可能性?
記憶を失っていた頃でも睡眠時間コントロールは完璧だった。
【頂上破天】の同士クロに振られた時の夜だって一分のズレも無かった。
ならばこの1時間25分のズレは外的要因だ。
周囲の状況を確認──スペードが居ない。
スペードの成り立ちや立場については、連合軍の記憶が復活した際に説明を受けた。
この世界のバグ、その顕現。
……【夜明けの月】は、疑いつつも彼を仲間として迎え入れている。信頼関係こそあれど、スペードの単独行動は許されていない。
ただ起きて不在なだけならばあまり目くじらを立てる事も無いが──【Blueearth】突入から3年、初めての寝坊が重なったのは偶然では無いだろう。
クローバーを起こす暇はない。というか起きるかどうか怪しいところがある。
とりあえずヒーローヘルムだけは被って、大急ぎで部屋を出る。
「おはよう店長さん! 12時頃から宿を出て行ったウチの奴はいるかい?」
「おはようございますお客様。2時頃にスペード様が外出されました」
「ありがとう! チップを取っといてくれ。俺も出かけるからメアリーが起きたら伝えてくれ!」
「かしこまりました。いってらっしゃいませ」
3時間程度のズレ。出かけた者を見つけられるか?
……いや、あの人ならばスペードを取り逃がさないはずだ。
"フワフアント"は交代制。氷の柱を往復する運搬仕事の働き蟻は8時間勤務だ。
「すまない道ゆく"フワフアント"さん! 2時頃にこの宿から出た人間を見た者は居ないか?」
「おや人間さんおはようございます。おーいみんな。人間さんが困っているぞ」
「あ、ジャッカルさんだ。おはようございます。昨日は荷物運び手伝ってくれてありがとうございます」
「おやヒーロー。2時頃といえば、確かに人間が出てきたよ。俺見た」
「俺も見た。小さい人間と小さい人間が宿の前で話してから、下方向へ歩いていったな」
昨日の情報収集の際に原住民と交流しておいて良かった。聞き込みはこう言う時に役立つな。
"フワフアント"は噂好きだ。特に新しくやってきた冒険者の情報は、一晩あればブルード中に伝わる。
何事にも合理的に判断するための材料として、相手の事を知る必要があるのだろう。
下方向……161階層への転移ゲートは上方向だ。
下には何があったか……いや、それより。
「その二人が何処へ行ったか、或いはこの宿前以外で見た人は居ないか?」
「ちょうどこの付近の我々はその時間にこの前を通ったから……もう少し後の列の奴らなら見たかも」
「我々はだいたい1時間10分くらい周期でここに戻る往復業務中だよ。ここ以外では見てないなぁ」
「それってつまり大通りには通ってないよね。我々は今、大通りを往復しているから」
「……なるほど。ありがとう"フワフアント"達!」
ブルードはアリの巣なだけはあって、複雑な通路が入り組んでいる。
もしあの人がスペードに付いて行ったとしても、案内無しに裏通りへ行くのはありえない。
……なら、案内された事のあるルートを通ったはずだ。
例えば……この、大通り沿いの横穴は……確か、昨日案内された通路だ。
行き先は──女王の間。
「……いらん事してないといいが……!」
通路は確か、右・左・左・真ん中・右の順!
急いで向かうべきだ。何かが起きてからでは遅い──もう遅いのかもしれない!
通路を進んで行くと──
「……谷川譲二!」
通路に打ち捨てられた着物の女児。
"人類最強"谷川譲二。
うつ伏せで倒れているが……まさか意識を失う訳が無い。だが独りなのは何故か!
すぐさま駆け寄り、身体を起こすと──
「──その傷は、何だ。生きているか谷川譲二!」
「……ジャッカル、君。すまない、取り逃した……!」
ジョージの腹に黒い傷跡……違う。闇だ。
ジョージの腹が、黒く崩れている。データが削られている?
「バグだ。スペードに、俺を人質にされた……!
一度宿に戻ってくれジャッカル君。俺は通信機能を奪われた……」
「了解した。痛みは耐えろ。抱えるぜ」
「助かる……」
あの谷川譲二が取り逃すなんて、そりゃあもう緊急事態だ。
大急ぎでジョージを持ち上げる──軽いなぁ"人類最強"!
──◇──
【第160階層 氷砂先陣ブルード】
冒険者用宿屋"ヒトヅカ"
──5:45
全員叩き起こして、大広間に集合。
中央にはあのジョージが、仰向けに寝かされている。
「search:ジョージの冒険者としての保有データ……移動と通信の機能がエラーを起こしていますが、コアデータには損傷ありません。
エラーも自己修復の範囲内です。24時間もあれば完全に復旧できます」
「そう、良かった……。ジョージ、苦しくない?」
「痛みは無いよ……。ただ、言葉を上手く発せられない。通信の機能の一部……と、言う事かな」
「じゃあ喋らないの」
ジャッカルによって早期発見されたが……あのジョージがやられたという事で、一気にみんなシリアスになっている。
死に至る事は無さそうで一先ず安心だが……。
「……スペードが逃げ出した。間違いないな?」
「ああ。力尽くで取り押さえるつもりだったんだが……この通りだ。目的は恐らく"アル=フワラフ=ビルニ"。
彼女は、バグによって消滅寸前の危機にあるとスペードは考えていた……」
……確かに、レイドボスが消えかける可能性なんてそれくらいか。
だとすればスペードはこの問題を解決させられるんだろうが……問題は別の所にあるよな。
「スペードさんがこのまま【夜明けの月】に危害を加えて【夜明けの月】から逃亡して、しかもバグが発生している"アル=フワラフ=ビルニ"と接触してしまったら……」
「お姉ちゃんが黙ってないでしょうね。これ幸いとスペードを消すわ」
【夜明けの月】にとって最後の切り札、そして最後の敵。それがスペード──【NewWorld】のバグ。
後に敵になったとしても、今味方である事は間違いない。……兄貴に危害を加えた可能性もあるが、そこは調査中だ。
こんな所で敵対するつもりはないぞ。
「どうするメアリー嬢。もうスペードはブルードには居ないようであるが」
「決まってるわ。去るものは追いかけ回すのが【夜明けの月】よ。
スペードの位置さえ分かれば自動的に"アル=フワラフ=ビルニ"の場所も分かるし、スペードがいれば"アル=フワラフ=ビルニ"も復活させられる。ならやる事は一つよ。
スペードを探し出すわ! まずは女王に話を聞かないとね」
……まぁ、確かにそれはそうなんだが。
だが疑問点はある。ブルードに居ない"アル=フワラフ=ビルニ"を探すのに、何故スペードは161階層の方に向かわなかったのか。
何故"クイーンアント"の方向へと進んだのか。
それを悟らせる位置にジョージを置いて行ったのは何故か。
……なんにせよ、直接聞かない事にはな。
「作戦は変わらず、10人は161階層でレベル上げ。ジョージはここで休んで。ミカンはジョージに連絡付けるためにここに残って。
残るメンバーで"クイーンアント"に謁見するわ。その後の事はその時に決めるから全員メール機能は確認しといてね」
「メアリー。私は一度バロウズの整備工房に戻るわ。
レベル上げの必要も無いし大丈夫よね?」
「分かったわベル。報告会の時は戻ってきてくれる?」
「了解マスター。約束は守るわ」
方針は固まった。
問題なのは、やはり……スペードが何を考えているか、だよなぁ。
──◇──
──6:30
──女王の間
『おはようさん人間達! 朝から元気だねぇ! 飴ちゃんいるかい?』
「スペード来た?」
『……流石に無理か。そうさね、3.4時間前に来たよ』
相変わらず巨大な女王──真夜中の訪問だったろうに、睡眠とかしないのか。
最初の感じからして、何故かスペードが来た事をはぐらかしたように感じたが……。
「スペードがここに来て何をしたのか、何処へ行ったのか。教えてくれないか」
『……それがねぇ。アタシにもよく分からないんだよ。
確かにアンタの所のスペードがここには来たんだけどねぇ……』
女王曰く。
スペードは女王のレイドボス化が進行している事を利用して、レイドボスの内部データへと潜入。そのまま繋がりを辿って"アル=フワラフ=ビルニ"の所へ向かった……らしい。
『自分なら"アル=フワラフ=ビルニ"を助けられるって言うから……信用したけど、独断だったとは思わなかったよ。アンタ達に声を掛ければよかったね。ごめんよ』
「いや、仕方ないわ。
……自分なら、助けられる……ねぇ」
もしも"アル=フワラフ=ビルニ"がバグってるんだとすれば、そりゃスペードなら治せるだろう。
だが、俺たちに何も言わなかったのがわからない。ジョージを振り切ってまで単独行動したのがわからない。
「……スペードはどうやって女王を通して"アル=フワラフ=ビルニ"の所へ?」
『腹を引き裂かれたよ。痛くなかったし、傷痕も残ってないけどねぇ。
多分アンタ達は同じ方法では行けないだろう?』
「そうね……。そうなると、スペードの出方次第かしら」
「そうなると結局は正攻法で氷の城を探さないといけなさそうだな。図書館を漁るか……っと、チャットだ」
チャット先は──ベル。
【夜明けの月】と連合軍全体用のルームチャットには、ベルとクローバーのメッセージが。
──────
[ベル]:
『出られないわ』
[クローバー]:
『スペードがやらかしたぞ』
──────
「……女王! まだ完全にレイドボスじゃないんだな!?」
『え? あぁそうだね。まだだよ』
ベルの言う"出られない"が何を意味するのか。ここにいるメンバーは理解していた。
だからこそ焦る。多分、今このブルードには……【夜明けの月】連合軍しか冒険者が居ないというのに!
「"拠点防衛戦"だ! スペードの奴、"アル=フワラフ=ビルニ"とは合流できたみたいだな……!」
ブザーが鳴る。ウィンドウにメッセージが流れる。
──デザート階層の"拠点防衛戦"が、始まる──!




