333.水底に沈むもの
【第130階層 風雅楼閣サカズキ】
──side:ツバキ
サカズキ城地下監獄
茶虎の警官猫──狗飼さん。
グローブ装備で格闘家なのね。
「刀と爪は使わないのかしら?」
「爪は無闇に猫を傷つける。刀は抜けば明確に赤を生む。
殴であれば善い、という話ではありませぬが。本官はこちらの方が好みであります」
拳。つまりは近距離格闘。
そもそも後衛のあたしが単独孤立した時点でかなりの不利なのだけれど……。
「猫託から聞き及んでいます。死と共に絶大なる呪いを振り撒く女王。この地下にて本官が始末するであります」
「……そうなの。相討ち覚悟、なのね」
「相性の問題もあるであります。どうぞ存分に抵抗なさってください。……その権利はあるであります」
「優しいのね」
──並行詠唱開始。
「いざ──!」
二足四足に対応した人獣。ガルフ族と同じね。人間と動物のハイブリッド。良いとこ取りの性能──パパの記事には、特に脚力に注目していたわね。
二足歩行を成立させられる程の脚力に加え、二足四足をスムーズに移行させられる低空姿勢からの前進能力。つまりしゃがみながら前進して、そのまま四足に移行できる。四足から二足も同様、だけれど──
その移動順なら、前足攻撃は下から上よねぇ。
「捕まえた」
「なぬっ!」
低空姿勢からの急上昇。アッパーのような攻撃を、手首から手を絡めて──そのまま仰向けにひっくり返す。
追撃出来る火力は無いのだけれど、あと1秒──
「【重石の想意思】」
「危機察知ぃ!」
──逃げられちゃった。
流石に猫ちゃん。どんな姿勢でも復帰が早いわねぇ。あっという間に距離を取られちゃった。
「なかなか、お強いものです。認識を改めるであります」
「あら、そう? じゃあ今度はこっちから──」
──瞬間。背後の空気が、揺らいだ。
視線が先に後ろへ──続き、詠唱中の呪いを向ける。
背後に立っていたのは──逞しい筋肉の、異邦人。
「GODmorning……突撃、トナリの朝御飯……デース!」
【月面飛行】近接格闘要員、ナイス。
笑顔で、剣を振りかぶって──
「油断も隙もありませんね」
──蒼の鳥が、ナイスの剣を弾く。
あたしとナイスの間に割り込んで来た、優しい背中。
「……エリちゃん?」
「はい、エリちゃんです。瞳ちゃんは……実は案外、無事でしたか?」
【ダーククラウド】にして【夜明けの月】との橋渡し役。
……あたしの大好きで大切な親友。木原エリバ。
「この監獄に、随分と気楽に入ってくれるんでありますな」
「HAHAHA! ワタシにはMasterKeyがありますからネ!」
「便乗させて貰いました。……では、途中参戦で申し訳ありませんが。狗飼さん、お覚悟を」
「OH.ワタシはガンジョーに無いのデスカ?」
「いえ、ナイスさんには──そちらの方が」
更に後ろ。
影の中から──鉄塊。
否。あれは、大剣。
「ぶっ……潰してやりますわー!」
「OMG! パワフルシスター!」
【神気楼】大剣使いのソニアちゃん。
影から出て来るの、少し怖いわね。
「……じゃあ、瞳ちゃん。下がっててね」
「いやよ。あたしも遊ぶ」
「そう言わないで。きっと、君を守れるのはここが最後なんだから」
──エリちゃんは、悲しそうに笑顔を向けて。
そう。そうね。
気持ちは分かるけど、ねぇ?
「花火を持ってないエリちゃんじゃダメージ与えられないでしょ?」
「あっ。……そうでした」
「熱くなりすぎ。一緒にやるわよ」
誰も彼も、守ってくれるのは嬉しいけれど。
偶には返してあげたいのよね。
──◇──
【神気楼】ギルドマスター。大剣振るう【大天司】ソニア。
【月面飛行】構成員。筋肉番長【グラディエーター】ナイス。
──又の名を。
世界最高峰の"お金持ち"、鳳凰院ソニア。
肉体を追求する生物構造学の権威、アルス・グッドマン。
そう。この二人は、天知調の共犯者。"【NewWorld】計画"の協力者。
ヒガルは"焔鬼大王"こと那桐傘座。【真紅道】サブマスター アピーこと小峠ヨネ。
【ダーククラウド】ではハヤテこと黒木翔。そしてツララこと霧切うらら。
そしてどこかに居る月浦美都。
記憶の有無は様々。【Blueearth】計画にあたり、黒木翔をサルベージ出来た事で彼らの目的は果たされた。
【Blueearth】計画に協力する者もいれば、素直に【Blueearth】を楽しむ者もいた。記憶がなければ悪用もされない。全てを忘れる事もまた、仕事の内だ。
──そんなこんなで、なんやかんやで。
現実と同じく殺し屋になっていたうらら/ツララが翔/ハヤテと事故り、記憶を取り戻し……。
ソニアとアルスだけが、記憶が無いままとなっていた。
「【ベルセルクチャージ】!」
「【ブレードガード】ですわ!」
ナイスの突撃を、大剣で受けるソニア。
この二人は……未だ、気付いていない。
お互いに同僚であった事を。
気付く気配も無い。それが普通なのだが……。
連続、剣撃。
本人の筋力に差があれども、片手剣と大剣ではむしろソニアに有利となる。
……ただ、ひたすらに斬り合う。闘い合う。
ハヤテがその存在を確認しながら、「ほっといて良さそう」と見捨てた二人である。筋金入りの脳筋二人が、【Blueearth】のシステムによって互角の闘いを繰り広げる。
脳筋二名はそのまま、じりじりと戦場を牢獄から階段へ、階段から外へと移していき……
いつの間にか、何処かへ行ってしまった。
──◇──
エリバは、【Blueearth】における【仙人】のプロトタイプ。
【飢餓の爪傭兵団】にも【真紅道】にも【仙人】はおらず、エリバが【ダーククラウド】として頭角を現したセカンド階層から研究が始まった。
……エリバそのものは本来何の格闘技能も無く、【ダーククラウド】内部にはジョージやアイコのような現実戦闘に優れた指導者も居ない。良くてゲーマーのラセツくらいだ。
なので、実は……エリバの【仙人】としての実力は、それほど優れた位置にはいない。全くの同時期に東町で覚醒したアイコのそれ、或いはその前段階である全身赫の"仙力"モードでさえ出来ない。
そんな事は分かっていた。
エリバの強みは、諦観。
自分に持ち得ないものは早々に諦め、自分に出来る事だけに手を伸ばす。
──ツバキを守る場合を除いて。
「──【仙法・赫蒼蛇】」
「ぬわっ! 蛇でありますか!」
赫と蒼の"仙力"の合わせ技。伸ばしたオーラが紫の蛇となって具現化する。
──アイコの蒼の"仙力"と運用は同じ。しかしこちらは遠隔で直線的以上の動きを可能にする。
蛇は狗飼を執拗に狙い、伸びる。伸びた胴体は当たり判定となり、どんどん逃げ場を狭めていく。
「【更地の松】……エリちゃん、任せるわ」
「ありがとう」
──ターゲット集中と防御上昇の呪い。ツバキを狙う事が難しくなった狗飼は、道を変える。
包囲網に隙があってはならない。
「【獄門変縄】! 逮捕するであります!」
──檻が、地下が唸り出す。
狗飼に許された特殊機構。この地下に限り、狗飼は全ての牢屋を操ることができる。
「瞳ちゃん!」
「大丈夫よぉ。これで圧殺とかは出来ないから。
それより、目離さないで」
一度"仙力"を戻したエリバ。
狗飼の姿は闇に消え、しかし襲撃は無かった。
牢屋の変状が治ると──大きなドーム状の空間となった。
「お待たせしました。ここからが本番であります!」
──狭い通路では具現化し自在に動く【仙法・赫蒼蛇】が邪魔になる。そのために広げたのだろう。
だが、広い空間なれば──
「【落ち葉散る蘭】──エリちゃん、頑張って避けてね?」
落ち葉が舞い散る。継続ダメージ空間の呪い。
──タイミングさえ見極めれば回避は可能。実際狗飼は一瞬で通行可能なルートを選定した。
【獄門変縄】は隙が大きく攻撃に移れない。選択肢からは外れていた。
落ち葉を縫って、圧倒的な速度で。
エリバを回避して、ツバキを狙う──
「──ダメだ」
──狗飼は。
"猫又九番守"参謀である軍師猫託の集めた情報をよく調べていた。
罪人を裁くには、全てを識る努力が必要である。
だからこそツバキの【焔鬼の葬賊】を知っていたし、【仙人】についてもアイコの情報からある程度は理解していた。
例え【仙人】の異常なバフがあろうと、ツバキの【落ち葉散る蘭】はダメージの方が勝る。たとえ突っ込んで来たとしても、解呪に回った瞬間を叩けば良い。そう考えていた。
立ち塞がったのは──エリバ。
呪いなにするものぞ。
愛する者のためならば、木原エリバはその身を捨てる──
「──死にますぞ、貴方!」
「死にません。瞳ちゃんが悲しむでしょう」
狗飼の拳を、その身で受ける。
──花火を持っていないエリバには、狗飼の攻撃は届かない。呪いのダメージのみならば、まだギリギリ耐えられる。
身体の"仙力"は解けている。全て、"仙力"が右の拳に集中して──白く輝く。
「──【仙法・白日昇天】」
それは三種の"仙力"を極めた者のみが辿り着ける秘伝。
あらゆる悪を浄化し、滅ぼす断罪と無垢の光。
エリバのかかっている呪いは消え、しかし狗飼にはダメージは無く──
「──動け、ないで、あります……」
──ただ、その演出を利用して。
ツバキの毒が狗飼の首に届いた。
その細い腕が、背後から、首筋へ。
首輪のように、重なる。
「捕まえた。──【心中過ぎし水面】」
──知っている。
狗飼はその"呪い"を知っている。
全くの偶然だが。その呪いは、サカズキで発見されたものだから。
「──ま、待ってほしいのであります。その呪いは──あまりに運任せ!」
「よく知ってるのねぇ。だったら分かるんじゃない? ……もう逃げられない」
エリバの姿が見えない。
否。ツバキと狗飼以外の世界が消えた。
──【心中過ぎし水面】。有効射程は半径1m。接触が発動条件であり──【草の根】が発見した懐中時計のように、これもまた簡易的な空間作用スキルの一つと言える。
呪いに関わった、発動者と被害者は……鎖に縛られ、水中へと落ちる。
共に息絶える──事だけは叶わない。
この呪いは、必ず片方が生き残ってしまう。
身動きが取れない。なれば、裁定に賭けるしかない。
【心中過ぎし水面】の最後は。
最後に水底に沈むのは。
その重さは。
──"罪の重さ"。
「──私は。罪を裁く警邏なれば。罪の重みなぞ無に等しいのであります!」
「そうねぇ。きっと貴方は立派な猫なのよね」
──蠱惑に微笑むツバキの姿が、上にあがる。
「待て──」
視界がぼやける。何故。何故──
「──罪じゃなくて、呪いの重さよ。あたしはさっき、エリちゃんに浄化されちゃったから」
──もう、ツバキの姿は見えない。
何も見えない──
──◇──
"猫又九番守"狗飼撃破
【夜明けの月】ツバキ 花火獲得+1
──◇──
「──はっ! 溺死はイヤであります!」
「あら起きた。流石に死にはしないわよぉ」
「呪いの強さや時間は発動者の匙加減だ。加減も難しかっただろうに。瞳ちゃん、良く使いこなせたね?」
「そうねぇ。ハジメテの割にはいい感じだったでしょ?」
「──今、かつてないほどの戦慄を味わっているであります」
「僕もです。瞳ちゃん、次からは僕が付き合うから、練習しよう?」
「いやよ。あたし溺れたくないわ」
「「わがまま!」」




