311.パンドラの箱の底
【第120階層 連綿舞台ミザン】
シアター2(撤収済)
──宝珠と金の交換。手っ取り早く言えば、宝珠を俺に個人的に売却する事になっている。
それが【マッドハット】を思っての行動だとしても……外聞は悪いし、何より【セカンド連合】としては背信行為でしか無い。
【セカンド連合】という後ろ盾を捨てることになる。ナズナは俺たち【夜明けの月】に乗る事で解決しようとしていたが……。
それを周りの【マッドハット】が納得するかは別の話だよな。
「……待って、下さい。私は──」
「成程なぁ。そういう裏切り方もある訳かよ」
またしても、珍客。
扉の方に居たのは──平安貴族バルバチョフ。
「オラお前のせいで俺が目立てねぇだろうがよー!」
「顔も服も地味な貴様が悪かろう。ひょほほ」
……の手前に居たのが、【セカンド連合】総司令。【月面飛行】ギルドマスター、アカツキ。
「仲良し集団じゃねぇんだ。多少の我儘は許してきたけどよぉ〜……こうも明確に裏切られると、こっちもどうにか動かねぇとならなくなる。その辺は他の連中も弁えてたんだぜ?」
「ア、アカツキ……どうして、ここに」
「このアホに捕まったんだよ。なんで野郎と二人で劇場まで足運ばなきゃなんねーんだ」
「暇であろう? 偶にはその目で芸術を観ることも肝要でおじゃる」
「素人の学芸会見せられてどうしろってんだよ」
……これは、ナズナにとって厳しくなってきた。
あくまで【マッドハット】の存続だけを見ていたナズナが、今、窮地に立たされている。
商人である【マッドハット】は、損する方には付かない。
「……なぁナズナ。宝珠を売るって? それだけだとよぉ〜……どう【セカンド連合】に貢献するのか、見えてこねぇんだわ。その行為がどう回って、俺を助けてくれんだ?」
「……そ、それは……」
「haha! 勿論あるとも!」
助け舟を出したのは──セリアン。
「……あ?」
「馬鹿だね我らが総司令官は。宝珠一つ渡したところで後で取り返せるじゃあないカ!
だが、"商人殺しのパンドラボックス"は……今、この瞬間しか手に入れられないんだよ?」
「セリアン、何を……」
席から立ち上がり、通路に立つセリアン。
偶然かどうか。その位置は、アカツキとナズナの間だ。
「それに、キミが心配している事は起きない。
だってナズナの持つ宝珠は既に"宝珠争奪演劇"の景品なのだからネ!」
「……あ? おぉ、そりゃあそうか。じゃあ何だこの取引は」
「つまりだね。【セカンド連合】が何かを差し出せば、"商人殺しのパンドラボックス"を手に入れられるかもしれない、という事だ!
この状況を作り出したのは、紛れもないナズナだよ。褒めてあげようねぇ?」
「や、やめろ。何を考えているのセリアン! 私、私は──」
「おいそりゃマジかよライズ!」
「ん、まぁそうだな。宝珠相当のものを金で得られるなら、喜んで」
ナズナの言葉は、アカツキの歓喜の声に掻き消される。
もうアカツキはナズナを見ない。ナズナは守られたのかもしれない。……それを本人が望むかはともかく。
「全財産だぞ。本当にいいのか!?」
「あのなぁ、ちゃんと相応の物を出したらの話だぞ」
舞い上がっているアカツキ。……取引するとして、もうナズナとではなくアカツキとになるか。
メアリーが心配そうに見てくれるが、ドロシーを指さしておく。ドロシーは俺の考えが分かるからな。ドロシーが頷くのを見て、メアリーも納得したようだ。
話が複雑になる前に、ミカンとホーリーは隅の方に行ってもらう。カズハとアイコとリンリンが付いていってくれたので安心だ。あとレインも。
「一つ、言っておく。これは【夜明けの月】【セカンド連合】としてでは無く、俺とお前の個人的な取引だ。ナズナから引き継ぐってんならこれを呑んでくれ。勿論、受け取った後に【セカンド連合】に寄与する分には構わない」
「いいぜいいぜ! 全然いいぜ! そういうメンドーなアレがあるんだろ? 俺ぁ気にしない!
しかしそうだな。金を金で買うなんて出来ねー。何なら買えるんだ?」
「haha! おいおい総司令官殿。またもや節穴だネ!」
またしても、獣の牙がアカツキの首筋に当てられる。
──セリアンの商談は、いつの間にか始まっていた。
「いるじゃないか。ここまで来ればもう不要な、生意気で、とても信用できない。それでもライズなら欲しがりそうなモノが」
「……は? そんなのあるのかよ。さっさと教えろよ!」
既に。
アカツキは、セリアンの用意した皿に盛り付けられている。
──俺の方の作戦は、セリアンには知られてない筈なんだけどなぁ。
セリアンは妖しく笑うと、ボソリと一言。
「ワタシ達だよ。【マッドハット】を、売ってしまえ」
──ここには、【マッドハット】の主要メンバーが勢揃いしている。
当然動揺は起きるが──そこを考慮しない、短絡的で直情的な権力者がそこにいるのが問題だ。
「そうか! そりゃそうだな。中立商人では有り続けるだろうし、ギルドとしてはいらねーや! ライズ! 【マッドハット】をお前にくれてやるよ! 金よこせ!」
「……それ、口頭で出来るもんなのかよ」
「一応まだギルドマスターのワタシがいるし、出来ない事は無いネ。どうだいライズ。ワタシ達を、買うかい?」
勢いに任せるとしよう。アカツキを抑えられるなら、それが一番だ。
「……交渉成立だ」
──◇──
──地獄だ。
何が起きている?
ライズさんは何もしていない。
何故か神がやってきて、私と蜜柑ちゃんを治してしまった。
交渉材料が無くなったのに、ライズさんは大金を押し付けようとしてきた。
アカツキがやってきて、裏切りがバレた。
セリアンが、何故か【マッドハット】を売った。
何もしていないのは私だ。
全部、私を蚊帳の外にして。
まるで、大人同士が話しているのを遠巻きに見る子供のようで──
「なんで! 何故……セリアン!」
「haha.当然だろうナズナ。こうすれば、誰も欠けずに済む」
当たり前のように。いつもの腹が立つ余裕な笑みで、そう言う。
「キミを手放す訳が無いだろう。ワタシだけ去る訳が無いだろう? キミは優秀な……大人だから」
心にも無い。
私が求めている言葉を取り繕って、こいつは!
……なんで。
なんでそこまで分かっているのに、涙が出るのか。
「さて。今回は本当にピンチだったよ。ちゃんと楽しかった。本当さ。
本当にキミは、ワタシを楽しませてくれる最高のパートナーだ!」
「……最低、です。しんでしまえ……」
「hahaha.この世界に死が無い事は知っているだろうに。まぁ暫くは泣いてもいいサ。向こうには騒いでもらうから、存分に泣きたまえ」
優しく私を抱きしめるセリアンが、まるで母のようで。
──母の愛なんて知らないけれど。それでも、この一瞬だけは泣く事にした。
自分で勝手にセリアンを追い出そうとして、上手く行きそうになったら不安になって。
取り返しの付かない事までしたのに、まだこの人は私を守ってくれて。
……ごめんなさい、は。絶対に言わないけれど。
──◇──
「これはどういう事だライズゥ!」
──◇──
怒号。
跳ねるように外へと出ていったアカツキが帰って来た。忙しいやっちゃ。
「どうもこうもあるか。ちゃんと取引は成立しただろうが」
「嘘をつけこの……! なんだこれはよぉ! たった3000万Lじゃねぇか! いや結構な金だが、こんなの話が違う!」
おぉキレてるキレてる。
別に何も違わないがな。
「ちゃんと俺の全財産だよ。お前ら、どいつもこいつも伝説に踊らされ過ぎだ。
……普通に考えて、都会の超高層ビルを個人で購入したりしてんだぞ。もうそんなに残って無いよ」
──こういう伝説を吹聴するよう仕向けたのはハヤテだったな。嘘は噂になり、やがて大きな伝説となって返ってくる。虚像ほど利用価値のあるものは無い……とか。
あらゆる商人が際限なしに金を寄付してくれたのも今や昔の話。【夜明けの月】になってからは稼ぐ手段も無いし、全部俺の貯金から崩していた訳だ。
……何か金になりそうな話になると、早期に立ち上げた【朝露連合】……というかベルの方に回していたしな。
クリックでは"イエティ王奪還戦"の企画出資、バロウズやエンジュのショッピングモールやらヒガルの大鐘楼拡張やら。終いには超大都会ミッドウェイで"奴隷格闘大会実行委員会"の立ち上げと、その後のビル一棟の買収。そろそろかとは思っていたが、あと三千万しか無かったかー。
「ふ、ふざけんな! こんなの無効だ!」
「そこに"審理"の輩も"拿捕"の輩もいるぞ」
「ぐっ……クソ! 覚えてやがれ!」
半べそかきながら、アカツキは身体を翻す。
──劇場の入り口にいる者に気付いたようで、そこで硬直した。
さて。
パンドラの箱というのは、中からそれはもう恐ろしいモノがいっぱい出て来て、最後箱の底には希望がある……みたいな話だったと思うが。
まさか金が"恐ろしいモノ"とは思えない。きっと"商人殺しのパンドラボックス"は真逆の性質を持っているのだろう。
飛び出した金が底を尽きて、箱の底が見えた時。そこにはきっと──絶望がある。
「……アカツキ総司令。少々、お話があります」
【月面飛行】サブギルドマスター……【セカンド連合】経理担当、アラカルト。
多分俺の姿を見た瞬間、バルバチョフあたりが何か察して連絡したのだろう。
「あ、あの。俺は悪くないんだ」
「そうですか。まぁその辺りは帰ってから聞きます。3000万L分のお説教を楽しみにして下さい」
「嫌ッ! 嫌ァーーーーッ!!!」
哀れ、アカツキ。
来世ではマトモになれよ。
──◇──
──数時間後
「……じゃあ、最終決定。宝珠争奪戦自体は継続。【マッドハット】は【セカンド連合】として続行して、正式に【セカンド連合】を抜けるのは決着後。
もし【マッドハット】が勝ったとしても、宝珠は【セカンド連合】に委託してから【夜明けの月】傘下へと吸収。それでいいわね?」
「oh.随分と甘い対応だね。いいのかい?」
「ここで劇を中止するのも、劇に意味が無くなってモチベーション下げるのもダメでしょ。
……あたし、学芸会とかやった事ないから。ちょっと楽しいのよ。……あぁもう撫でるな!なんなのよー!」
セリアンやらカズハやらお姉さん連中から撫で回されるメアリー。ちゃんと楽しんでいるようで何より。
「うむうむ。なあなあで劇を飛ばされなさそうで宜しい。でなければ年甲斐もなくシアターロビーで泣き散らすところであった」
「それはやめてよね」
レイドボス"ディレクトール"の抵抗があまりにも無力すぎる。……けど、見たくないのは間違いない。
「とりあえずこんなもんでしょ。……それでライズ。脱獄したのはレインとホーリーだけ?」
「いや、後二人いる。"影の帝王"は結局【黒の柩】から出られて無いから……そうだった。一つ頼まれてたな……。それは後でいいや。
で、後一人は──」
──◇──
──天知調の隠れ家
「どーも。デュークでやんす。今後ともご贔屓にっへへへへ」
「お帰りください」
「調様、一応これでもスレーティーさんが気遣って回してくれた戦力ですから……」
「離して下さいラブリ。こいつは気に入らなーい!」
「お近付きの印にティーセットをご用意しまして。勿論マニュアル。あなた、案外途中経過を楽しむタイプでございましょうや。
ほらこの茶葉、お湯を入れると花開くみたいになるんでして」
「有能〜! リサーチ完璧すぎてムカつく〜! でも飲む〜!」
「こ、こんなに感情的な調様は初めて……」




