296.大監獄【黒の柩】
大監獄【黒の柩】
かつては無間地獄を体現したかのような大監獄であったが、幾度かの改修を繰り返し多少は罪人にも優しくなっている。
質素な部屋には何もない。貼り付けられた青空のテクスチャが、手の届かない高さの窓から見える。
あの頃よりはマシか。一時期は時間の概念もわからないほどに何もなかったのだから。
しかし。個人に寄り添った罰とはいえ、この質素な暮らしは気に入らないものだ。
私はかつて【Blueearth】を支配していた"影の帝王"。冒険者名はクリーン。
この名前で活動していた期間は短いが……ここではその名で呼ばれている。屈辱だ。
名前など、自身が存在しているという証拠にしかならない。陰で手を引く帝王なれば不要なものだ。
──この退屈な空間には、何もない。
食事などいつから取ってないのか。何日何年が経過しているのか。
全てを絶たれ、放置される。何物からも逃げ隠れた私にとっての最大の罰は、全てから忘れ去られる事だという事か。
不快だ。
私は諦めない。
僅かなチャンスも逃さない。どれだけ時間がかかっても構わない。
何としてでも脱獄してやる。返り咲いてやる。
「おいクリーン」
──この部屋に居て、誰かに声をかけられるというのは非常に珍しく。
私が声をかけられたという事に気付くのが、少し遅れてしまった。
「私も耄碌したか? 対話日はまだだった筈だが」
不定期ながら、我々長期投獄者は看守長との面談がある。
とはいえもう何度も繰り返したものだから、おおよそのパターンは掴めたと思っていたが……。
「今日からここにもう一人入る。仲良くしろよ」
……なんだと?
「おい。舐めるのもいい加減にしろよ顔無しの模造品野郎。
言うに事欠いてもう一人だと? 私をチャチなチンピラと一緒に扱っていないか。
あの男が来たからって私の脅威が無くなる訳ではないだろう」
「顔を選べるとしてもお前のような顔はごめんだな」
この看守。
一応の脱獄対策か、少々サイズがデカいが……結局は他の者と同じ、看守長の傀儡だ。
そのくせ流暢に喋るものだから、この僅かな時間で情報を引き出したいのだが。
それ以上に、まるで一般の罪人にように扱われた事が腹が立った。
この最下層、空き部屋などいくらでもあるだろうに。わざととしか思えない。
「誰が来るのか知らんが、この私の領土に入る者は私のものだ。わざわざ手駒を運んでくれて感謝するよ」
「うるせーこいつ。なんでこんなに元気なんだよ。ほら入れ」
「おう。邪魔するぞ」
さて、何が狙いか分からんが……そのアホ面を拝ませてもらおうか。
「よう"影の帝王"。俺俺、ライズだよ。久しぶりじゃん。元気?」
「チェンジ!!!!」
「うちはそういう店じゃないんで」
「連れない事言うなよ」
諸悪。元凶。破滅の象徴!
二度と顔を見たくない輩が──【三日月】がそこにいた!
「じゃ。仲良くしろよ」
「待て! 待って! 頼むから!」
「お前が嫌がるのに聞いてあげるわけないだろー」
「お願いします!!!」
「恥も外聞も無いな帝王様」
「誰のせいだと!!!」
──◇──
──大監獄【黒の柩】に案内されて。
最初に出会ったのは、看守長ネグル……ではなく、その部下。"禁獄"の輩達だった。
ブランもスレーティーも、顔の無い部下を引き連れている。【マリオネッター】のようにNPCを操るジョブを持つ冒険者として設定されているのだろうが……。
この【黒の柩】では、そのNPC達が随分とフランクというか、感情がある。
看守から看守へ、俺の身柄は引き渡され続け、どんどんと【黒の柩】の地下へと進んで行き。
最終的には……なぜか、誰かがいる独房へと案内された。
「で、いるのがお前かよ」
「私の部屋に勝手に入ってきてなんという言い草か。早く出ていけ」
この……なんというか普通極まりないおじさんは、かつて【Blueearth】を騒がせた"影の帝王"。
黎明期ではアドレに拠点を構えて裏社会の基盤を作り、闇ギルドを結成しリアル暗殺者を増産した(ここに該当するのがアゲハやファルシュ)。他にもアドレの冒険者を攻略派と否攻略派に分断し、両者の対立を煽ったりもした。最低。
やがて階層攻略の方でも暗躍を始め、規模を拡大。
お熱だったマルゲリータが脱走し、それを追わせた先で俺達【三日月】と接触。
結局マルゲリータは誘拐されてしまったので、【三日月】とブックカバーとマックスでアドレの本拠地に殴り込みに行って組織を半壊させたんだよな。その結果表向きに大々的に動けなくなった上に裏社会の立場もちょっと弱くなり、そして最終的には【需傭協会】のホーリーに洗脳され全権を放棄、残った手駒や暗殺組織や情報屋は丸ごとデュークの【首無し】に奪われ、そして結成された【アルカトラズ】による最初の無期懲役者として投獄されているわけだ。
「悲惨だな。ウケる」
「じゃかましい!」
自業自得ではある。
……しかし、俺もなぜこの部屋に入れられたのかは分からないんだよな。
「まあいいや。俺はここの看守長に会いに来たんだが、何か知らないか帝王様」
「貴様と話す事など何もない。……と感情のままに商機と勝機を逃すのは二流よ。話くらいはしてやろう」
流石帝王。意味不明な状況に巻き込まれても堂々としていらっしゃる。
間違いなく【黒の柩】最古参だ。性根もビジネスマンで、こっちが誠意を見せればそう嘘は吐かないだろう。
「では──商談といこうか」
……ベルとも、デュークとも違う圧力。
そういう面で二人と関わってはこなかったからか。商人という存在の中でも最上級──"最も恐ろしいレベル1"が、そこにいた。
──◇──
──数時間後
「成程、外はそんな感じか。しかし話してみれば意外と話のわかる奴ではないか。嫌いだが」
「そりゃどうも……」
がっつり情報を搾り取られた。天知調とかのメタ的な話とか、バグの話とかは避けれたが……。
マジで心臓に悪い。なまじ金で解決できない情報の取引ってこんなに神経削るんだな。
「うむ。ではこちらからも分かる範囲で教えよう。
まず根本的な話だが、私は定期的な看守長との面談以外でこの部屋を出た事は無い。故にそこまで情報通でもない」
「おい」
「まあ待て。そこで終わるような私ではない。だから通りがかる看守などから少しでも情報を得ているのだ。
まずネグル看守長との面談日だが、こちらの日付感覚を狂わせるために不定期となっている。上のアレ、青空があるだろう。数えたところ、この監獄では一日あたり18時間~28時間程度の時間になっているのだ。よって正確な日付はわからん」
ジョージが監獄かくあるべしとネグルにいろいろと吹き込んだという話は聞いたことがあったが、なかなか酷いな。
「スパン的にはそろそろ面談があってもおかしくないし、まだ来なかったとしてもおかしくない。つまり現段階ではネグル看守長に何かが起きているかの判断はできない」
「そっか。今の話から判断するに、手に入れられる情報は相当限られるみたいだな」
現実の監獄でよくあるのは……食事とか、刑務。あと自由時間とかよく聞くが。
完全電子世界の【Blueearth】では最悪食事の必要は無いし、運動不足不摂生とか病気とかも無い。囚人同士で接触する機会は少ないに越したこと無いし、極まればこうなるってもんか。
……アゲハにも前に話を聞いた事があるが、その頃は普通の刑務所って感じの話だった。
変わったというより、場所の違いだな。ここまで連行される道中に色々と部屋があったし、このあたりの終身刑の独房が特別って訳か。
……こいつみたいに、他人と一緒にいるだけで不都合発生させる奴もいるだろうし。妥当だな。
「ここからがこの"影の帝王"の情報よ。
この部屋はな、角部屋ではないのだ。階段から降りてきた者がいれば必ずこの前を通る。故に私に用事が無かろうと多少の情報は入る。
この最下層に入ってきたのはここ数ヶ月で2人だ。
一番の大騒動であったのはやはり【至高帝国】のスペードだろう。ネグル看守長が大勢の配下を引き連れて、厳戒態勢での投獄。部屋はここより奥だった。
次はここ最近。私が嫌いな人間トップ3に入る男、デュークだ。わざわざこっち煽ってきたからよく覚えている。
位置からして、スペードよりは手前だ」
スペードは、ここに投獄された後に"廃棄口"に落とされた。そしてネグルがおかしくなるとすればバグの残滓に影響された可能性が高いが……
「スペードを投獄した後、ネグルはこの前を通ったか?」
「無論だ。構造を完璧に把握した訳ではないが、ここの階段以外に最下層に入る方法は無いはずだ。別の出入り口があったとして、少なくともそいつがこの階段で上に上がることはなかったという事だ」
「……デュークの時もネグルはいたのか?」
「間違いなく。というか、この最下層にネグル以外が連行してきたのは貴様が初めてだ」
そうなるとスペードのバグの残滓によって不具合が起きた……というのは考えにくいな。ちゃんと上階に戻っているみたいだ。デュークが投獄されたのは十数日程度前の話。それまでネグルは健常だったって訳か。
……まぁ、バグが絡むなら天知調さんが気付くか。だとするなら、何故……?
「よし。脱獄するか」
「おおおい!!! 」
ここで手をこまねいていても仕方ない。さっさと脱獄してネグルと会って直接聞こう。
「お前な、ここで脱走なんてしてみろ。確実に私の責任になるだろうが!」
「終身刑のお前がこれ以上罪重くなる事は無いんじゃないのか?」
「それはそうだが! とにかくまだ目立ちたくないんだよ!」
「じゃあ一緒に脱獄すればいいだろ。"まだ"ってあたり、脱獄するつもりではあるんだろ?」
「うおおおお本当にお前嫌い! 嫌いな人間ぶっちぎりのNo.1! 思い付きでデカい事するんじゃあ無い!」
「それでガタガタにされたんだもんな。ご愁傷様だ」
「他人事ォ!」
最悪こいつを盾にすればいいしな。
──◇──
「おやおや。いやいや、何してるんでやすかねぇあの親友は……。
やれやれ。ここはあっしが一丁手助けしてやりまして。
……この鎖さえ解ければ、でやすが」
──◇──
「……もしかして、また誰か来たのかな。最近多いなぁ。
そういえば最近は看守長来ないなぁ。どうしたんだろう」
──◇──
「さっきチラッと見えたのは……まさか、いや意外ではないか。ライズさんなら投獄される理由は十分にあるだろうし……。
とはいえ流石に最下層には行かないだろうし、どこかで会えるだろう。彼の興味が向きそうなのは……いや、もしかすると変な探索癖が災いして脱獄しかねない……?」




