279.赤き満月に目を奪われて
──【昏き夜空の屍灰獣 イシュテル・イミテーション】降臨。
空へと浮かぶミッドウェイ。その象徴であるビル群を踏み台に、その魔獣は自己を定義した。
レイドボスではあれども、ミッドウェイの影の支配者である"セスト・コーサ・マッセリア"としての立場は失った。イシュテルはただのレイドボスとして、偶々ミッドウェイに在るだけの存在。バーナードが"カースドアース"を持ち歩いている事と状況は近い。
「……これ、クローバーさんがいるって言ったって勝てるもんなんスかね。レイドボスっスよね?」
「このナイト階層のレイドボスじゃない。レイドボスはその管轄階層の外だと著しく弱体化するんだ。クローバーはサバンナ階層で単独で"ミドガルズオルム"を撃破したしな。いけるいける」
「先にやるべき事があるな。ちょっと待て」
吹き飛んだ最上階でも毅然とするテスコ。目の前に三枚の契約書を呼び出し、すぐさま破り捨てる。
「レン。フェイ。ゴースト。お前らの奴隷契約を破棄した。好きにやりな」
「サンキューボス。さすが話が早い」
奴隷は冒険者を傷付けられない。今の"イシュテル・イミテーション"には一応冒険者のデータもあるからな。
土俵に立つのも一苦労だが……やっとここまで漕ぎ着けた。
「メイン火力は当然クローバーだ! クローバーさえ通せば最悪一人で勝てる。それは連中も承知の上だろうが、そこを押し通す!」
「サイコーだなライズ! 作戦でも何でも無ェ!」
テスコから【地獄の番犬】を受け取ったクローバーは、大絶賛臨戦体制。
──"イシュテル・イミテーション"まで、浮かぶビルが7棟くらいか。
「テスコ。メッシーナ。ここでデュークを守っててくれ」
「残念でやすが、あっしは役に立たないんでして。どうぞ宜しく」
「こっちとしても冒険者の壁は欲しいところだ。気にすんな」
からからと笑うテスコ。デュークの半身はあそこ……"イシュテル・イミテーション"にある。あれを回収するには……まぁいいか。ブッ倒しちまえ。
「フェイと俺は遠距離火力で遊撃だ! 向こうの遠距離攻撃を相殺するだけでいい。露払いだ!
レンとゴーストはクローバーの護衛だ。"廃棄口"とターゲット集中を使ってなんとしてでもクローバーを送り届けろ!」
「了解っス! 行くっスよクローバーさん!」
「──許してなるものか! 私の駒よ! 奈落へ堕とせ!」
ビルの外壁から無数の影が生えてくる。
……知っているような、知らないような。俺達の知り合いを出す余裕は無いのか?
「来るぞ。【チェンジ】──【天国送り】!」
両手銃を装備して、先陣に続く。
──最終決戦だ。
──◇──
標的【夜明けの月】、第二ビルへ侵攻。
呼び出すは"燕楼會"の駒。
「疎ましい。この私の邪魔をするな!」
目障りだ。あと少しで、私は私に成る事が出来るというのに!
──クローバーが残っているね。どうするのかな?──
ああ煩い奴がまた!
貴様!スペード!私に素直に取り込まれたかと思えば、何も力を貸さないじゃないか!
──それはそうだろう。さて、どうする?──
──【夜明けの月】でも呼び出せばいいじゃないか。それなら僕も協力するよ?──
……ついでに自我もそのまま引っ張り出すだろう、貴様は!
【夜明けの月】と貴様の繋がりは深い。手駒にならんものを使う意味は無い!
──じゃあどうする?──
──黒法師でなんとかなる相手とでも?──
──つまるところが、だよ──
──僕を使えば良いだろう。僕の協力なんて待たないでさ──
ならん。ならん!
お前が私を利用しようとしなければならん!
そう決めたのだ!
──そう契約した、の間違いだろう──
──君、ますます黒幕と一体化してきたよね──
黒幕なぞいない! 私は"セスト・コーサ・マッセリア"……いや、"イシュテル・イミテーション"!
全ての悪意を統べる王なれば!
もうミッドウェイなどに陰る必要も無い!
──自由を求めた影魔物の末路が、これか──
──酷い事をするね──
──でも、やっと一人の存在になれたんだよ?──
──約束なんて投げ捨ててしまえばいいんじゃないかな──
投げ捨てようと未来は無い。
ミッドウェイに朝日は昇らない。
私にできる最後の足掻きを邪魔するな──!
──そう。──
──それなら、邪魔できないかな──
──◇──
──四つ目のビルに移ったあたりで、クローバー達前衛組が止まる。
俺とフェイもとりあえずビルに飛び移ると──
「こんにちは。いやはや【至高帝国】三人目とは、間違いなく厄日ですね」
外套の男。
最強の【ブレードガンナー】。
【スケアクロウ】ギルドマスター、イミタシオ。
「どうかクローバーさんを置いて行って貰えませんかね。それだけでいいので」
「あれは厄介だな。"不死身"のイミタシオか」
奴は黎明期の頃はただの傭兵だった。俺も何度か会う事はあったが……あの頃からずっと前線に立っているんだから相当強い。
盾を持つでも分厚い鎧を装備するでも無い、銃と剣のフルアタ構成【ブレードガンナー】。それでありながら戦法はノーガードの近接格闘。
ダメージそのものはそこまでデカくないが、とにかく耐久性にステータスを振り切っている。防御力ではなくHPそのものを伸ばしていると言うか、本人そのもののステータスで耐久性を伸ばしているから装備の重さで行動制限に縛られる事が無い。
とはいえ、その戦術はクローバーと相性が悪い。立ち止まる理由すら無い、が──
「【スケアクロウ】のギルドマスターだもんな。【セカンド連合】の……。
ここは要望通り止まってやるよ。だが他の連中に手ェ出して見ろ。全員俺が潰すぜ」
「──いいでしょう。私もそこまでする義理はありませんから。どうぞライズさん。先へ」
あっさりと道を空けてくれるイミタシオ。
不思議そうな顔をするレンとフェイ。俺とゴーストで二人の手を引いて、先へ進む。
「なんで、なんでなんスか? あの場で倒せる相手じゃないっスか」
レンの疑問も尤も。それでも、あの場で相手をする事だけはできなかった。
「answer:空間作用スキルです。ミッドウェイ担当の【セカンド連合】は【スケアクロウ】と推測されています。そのギルドマスターとなれば、宝珠と対応アイテムを渡されていてもおかしくありません」
「……あ、そっか。空間作用スキルは対象者を選べるから、纏めて閉じ込められちゃうのだ!」
「そういう事だ。しかもジョブ強化スキルの中には事実上無敵になるものもある。【ブレードガンナー】なんて希少ジョブ、どんなスキルになるのか全くわからないからな」
影魔物の数もどんどん増えて行くが──クローバーに届かなくとも、俺達だって火力は充分だ。
「……じゃあ、"イシュテル・イミテーション"は俺達で倒すんスか?」
「そうだ。いけるいける」
「なんでそんな楽観的なんスか……」
火力充分、メンバーも優秀だ。負ける訳が無い。
……そもそも"イシュテル・イミテーション"の前まで辿り着くのが骨ではある、が!
──◇──
──最初は、腕が良いと褒められた。
【祝福の花束】に居て、同期のナツがぶっちぎりのドジだったのもあったのかな。
本格的な階層攻略を避け始めたアドレの中で、俺は戦闘センスを褒めて貰えて嬉しかった。
グレッグさんから、【飢餓の爪傭兵団】に──【蒼天】に推薦してもらった。
【蒼天】でも褒められた。アイザックさんは俺にやたら優しかったと思う。自惚れかな。
ちょっとは注目されていたんだよな。
だからあの伝説の変人、ライズさんのデスマーチにお呼びがかかった訳だし。
特別な世界だった。
攻略と無縁だったアドレの生活を【祝福の花束】は変えてくれた。
【蒼天】は具体的な道筋を示してくれた。
未知の世界が目の前に広がっていた。
俺は、これからどうなって行くんだろう。
──ドーランの【ダイナマイツ】への昇格試験。
俺が【草原の牙】に狙われているというのは、実は知ってた。
それでも良い、と思ってた。
ライズさんのデスマーチを生き抜いた事で、褒められ続けてきた自惚れが最高潮に達していたのかも。
【草原の牙】は現れなかった。
正直、安心した。
出会わないに越した事は無いし。運が良くて良かった。
【ダイナマイツ】まで辿り着き、そのままルガンダの【金の斧】を目指して準備をしていた時。
メアリーが、【夜明けの月】が辿り着いて。
ドロシーを拾って。
【鶴亀連合】と戦った。
自分より強い奴がいるってのは、当然で。
ドーランで長くやってる傭兵の人達とか、サティスさんとライズさんの戦闘とか。すげぇなぁって見ていたけど。
そこじゃなかったんだよ。
全部終わって、【夜明けの月】が旅立った後のドーランで。【草原の牙】のベルグリンが、謝罪に来た。
俺を人質にしようとしていたのは事実で、実際あと少しでそれを実行するつもりだったと。
──ライズさんが、それを事前に防いでくれていたと。
俺はどこまで行っても守られるだけの雑魚なんだと、思い知らされた。
でも、そりゃ仕方ない。その段階の俺にできた事なんて、何も無かったから。
と思っていたのに。
聞かされたのは、メアリーの事。
あの【鶴亀連合】との一大決戦は。始まる前から終わるまで、全部全部がメアリーの作戦通りだったらしい。
ライズさんとゴーストさんに守られてればいいのに、メアリーは……俺と大して変わらないレベルで、既に格上達と戦っていたんだ。自分に出来る、作戦という戦場で。
思い知らされた。
俺の道は、俺の未来は、凡庸で陳腐なものだ。
だって俺自身が、何処にでもいる凡人なんだから。
──それでも追いたかった。
真っ当な道なんて要らなかった。【満月】には立候補した。
辿り着く拠点全てで【夜明けの月】の活躍が聞けた。
それが嬉しくて、悔しくなくて悔しかった。
俺だって、主役になりたい!
それは本心なのか、俺を奮い立たせるための合言葉なのか。
本当は、ようやくヒガルで【夜明けの月】に追いつけて飛び上がるほど嬉しかった。
本当は、ごく僅かな時間だけどセカンド階層に【夜明けの月】より先に行けて嬉しかった。
本当は──ライズさんに褒められて、めちゃくちゃ嬉しかったんスよ。
メアリー。
今回もまた、お前は俺と同じ立場だったのに。
自分で【飢餓の爪傭兵団:ミッドウェイ支部】を言い包めて頑張ってたみたいっスね。
本当に凄いなって思うっス。
お前は絶対に【Blueearth】を揺るがす、台風の目になれるっス。
だから。こんな所で終わっちゃいけないっスよ。
この煩い奴は、俺が何とかするっスから。
早く目覚めろよ。主人公──
──◇──
「──来たな、【夜明けの月】!」
「半分は別ギルドだけどな!」
最後のビルに辿り着く。
"イシュテル・イミテーション"自体は……デカいように見えるが、これまでのレイドボスと比べると小ぶりなもんだ。
"グリンカー・ネルガル"がぶっちぎりで小さかったが、他は総じて巨大だったからな。
身の丈6m程度の巨人っぽいが、レアエネミー程度のサイズ感だ。
「まずは撹乱なのだ! 【スモークチャフ】!」
フェイの広範囲煙幕が周囲を覆う。俺達も見えなくなるが──これにターゲット集中妨害は適応されない。"イシュテル・イミテーション"の位置はわかる。
「こちらからも分かるというもの! こんな煙幕──っ!」
異常にはすぐ気付いたな。
──レンのジョブ、ローグ系第3職【ソードダンサー】。
踊りによるターゲット集中で敵を誘導する戦場の踊り子──!
「──【剣舞:幕裏のオリエンタル】っス! フェイさん、じゃんじゃん撃つっス! こいつは俺が抑える!」
【剣舞:幕裏のオリエンタル】
剣舞共通のターゲット集中に加えて、視野と行動速度に制限をかけるデバフの剣舞。
レン君は短剣と片手剣の二刀流に持ち替えて、そのまま舞いながら高く跳ぶ。
「わさわさと鬱陶しい腕なのだ! 【グリンカー式:爆裂ランチャー】!」
手持ちの弾薬を使い切る勢いで、フェイはランチャーミサイルを全弾発射。
無差別爆撃は、レンにすら当たるが──レンは動じず、舞い続ける。
「おのれ……っ! 小癪な!」
「加勢します。action:skill【暗峠廻廊】」
ゴーストの双剣が"イシュテル・イミテーション"の足元を切り刻む。
空中はレンの舞台だ。邪魔したくは無い。
"イシュテル・イミテーション"の腕を足場に、次々と攻撃を躱し踊るレン。
……レンそのものには、突出した長所がある訳では無い。だが、ここまで攻略が進み、レベル差戦力差が縮まっているのなら。
勝敗の鍵となるのは、どれだけ基本を修めているかだろう。"規範のサティス"がいる【満月】で育ったんだ。レンほど基礎を極めた冒険者もそうはいない。
「踊りは──このタイミングで、止める!」
決まった動きをする"踊り"は敵に読まれやすい。だから中断するタイミングを間違えてはならない。
そして片手剣使いが空中を取るならば、ここは定番の──
「──【炎月輪】っス!」
赤の満月が天より廻り堕ちる──!




