257.一筋の白雲は殻を破る
月を、見上げていた。
ここが幻想の中であろうと、変わらない事がある。
ワシはあそこに届かない、という事だ。
ここが夢の中であれ。あの月が空の如き天井に描かれた模様であれ。
結局は、あそこに届く事は無いのだ。
沸々と、何かが湧き上がる。
これは何の感情か。
……そうだ。ワシはいつだって何処か諦めていた。
ガキに囲まれて、変な責任感を気取って。
奴らに責任を押し付けて、諦めていた。
ワシの願いは、昔も今も変わっておらんというに──
──◇──
「【白曇の渦毱】ィ!」
マスタングの号令により、白き雲海が呼び出される。
クローバーの【蒼穹の未来機関】、"グラングレイヴ・グリンカー"の呼び出した階層がぶつかり、一つの複合階層となる。
今回は俺と、スペードと"グリンカー・ネルガル"も一緒に入っている。この直後が勝負になるからな。
……だが。
「白の宝珠だと!? その対応アイテムは【夜明けの月】が独占してんだぞ! どうやって手に入れたマスタング!」
「十中八九バグだよアレ。メアリーに連絡入れて! この空間を速攻で割って!」
スペードの判断は的確だが、メアリーだって即応したみたいだ。ジャングル階層ではチャット機能に制限がかかるので天知調経由だが──既にメアリーから連絡が来ていた。
「……外から割れないらしいぞ。どうするスペード!」
『無駄だとも【夜明けの月】。そしてスペードよ』
声だけがする。
声の発信源は──既にクローバーが蜂の巣にしていた。距離不問の必中必殺ジョブスキル【ミチレック:109】。流石だな。
『攻撃も、無駄だ。だが会話が難しくなるので一旦やめて貰いたい』
「クローバー。多分無駄だよ。ちょっとステイ」
やがて黒いモヤが無から現れ、人のような姿となった。
「……イシュテルか?」
『そのように呼ばれているな。イツァムナからは』
バグの元凶、二代目スペード。謎の人間──イシュテル。
ここに来て影でも姿を現すのは、どういうつもりなのか。
『先代様につきましてはご機嫌麗しゅう。そのような惨めな姿にしがみついてでも生きようという姿勢、人間よりも人間らしいな』
「知恵の足らない小僧が何か言ってるね。被害がデカけりゃいいってものじゃないよ。肝心なのは如何にバレずに計画を進めるかだろ?
君の作戦はお粗末すぎる。三流の小悪党め。おとといきやがれ」
『お粗末なのは否定出来ない! まぁこっちも必死なのさ。粗があるなら見なければいいだろう!』
……なんかまた情け無い悪役だな。
スペードと似てる。
「今失礼な事考えなかった?」
「爪が甘くて調子乗ってベラベラ喋るのオメーみてぇだなスペード」
「考えるだけにしてくれないかなクローバー!」
共通認識だった。
『……ふふ。勝ち確なのでね。そりゃ姿も現すさ。本体はここには居ないが。
実際どうする? この隔離階層は殆どがバグで作られている。マスタングは私の意のまま……とはいかないが、本能のままに暴れる! 【Blueearth】終焉の時だ!』
「マスタングが暴れるだけで滅びるのか?」
「というか、この複合隔離階層が解除されなかったら滅びるね。ここは本来【第109階層ジャングル:ステーゲ最終防衛ライン】なんだけど……つまり110階層行きの転移ゲートがあるんだよね。ここをバグったまま正規の109階層として固定されると、そのまま転移ゲートを通して110階層が汚染される。拠点階層が汚染されるとそのまま汚染が広まって……って感じ」
「あの子はどうなるの?」
「バグ人格はー……まぁ、霧散するね。規模が大きくなればなるほど自我が希釈されるから。今の"グラングレイヴ・グリンカー"でさえ意識が朦朧としていると思う」
「じゃあ貴方達に協力する。だからなんとかして」
"グリンカー・ネルガル"は即決即断。もし"グラングレイヴ・グリンカー"に移った自我が健在のまま崩壊が進んだら、この場で寝返るつもりだったのか?
『無駄な事よ。あれを見ろ!』
モヤの示す先──"グラングレイヴ・グリンカー"と、その頭上の"シェルフライト"。
"シェルフライト"が、分裂して──"グラングレイヴ・グリンカー"に装着されていく!
「合体だ!」
「浪漫だなァ。流石はマスタングの爺さん」
『危機感が無いな!』
……そうだな。ちょっとヤバめか。
うーんでもなぁ。マスタングだからなぁ。
『さぁマスタングよ! 本能のままに暴れるがいい!』
「……ハッ! 言われなくとも好きにするさ! ワシに命令するんじゃねぇや!」
武装した"グラングレイヴ・グリンカー"は、しかし落ちた片腕を直す事はせず。むしろ残る右腕を捨てる。
そして──地響き。"グラングレイヴ・グリンカー"が振動し──
「ワシは! 月に行くぜ!」
『……なんだと?』
ジャングル階層の守護者でありながら、火を噴き出し森を焼く"グラングレイヴ・グリンカー"。
「カウントいるよなマスタング。夢の離陸だろ?」
「助かるぜぃライズ! 10カウント宜しくのぉ!」
『ま、待て! 貴様の願いは、本能は、月へ行く事だったのか!? 世界への不平不満なぞ誰でも持っているであろうに! それを押し除けてまで!?』
10。
『待て待て待て待て! ここは閉ざされし【Blueearth】! その上更に閉ざされし隔離階層の内部だ! 月など届く筈も無い!』
9。
「白の宝珠の隔離階層はバカでけぇってのぁ確認済みだ。あと隔離階層が結構柔軟って事もな」
8。
「独立し可変するバグった【白曇の渦毱】なら、【Blueearth】の外側でも活動できるんじゃあねぇか!?」
7。
『で、出来るが! だとしても月は無い! あんなものは夜空に描かれたイラストに過ぎない!』
6。
「いや、月はあるよ。【Blueearth】じゃないけど、【NewWorld】にはある。だって【NewWorld】は人類生息域の同一模倣体だからね。地球と月と火星のテクスチャは確かにある」
5。
「今日び月面旅行なんて大したこと無ぇがよ。ワシは自分の力で行きてぇのよ! いいもんくれてありがとよ! 返さねぇがな! がはは!」
4。
『待て待て待て待て待て待て待て!
……私は逃げられるが、ここの連中は道連れになるぞ! その辺りどうなんだ!』
3。
「可変自在な隔離階層の、さらに模造品なんだろう? まーっすぐ上に伸びたら、地上と空中の二つに分かれて……外側から天知調なりゴーストなりが真ん中をぷっつん切ったら二分化すると思うよ。バグの部分だけマスタングが持っていくけど」
2。
『そんな餅じゃないんだから……!』
1。
「じゃああばよガキ共! ワシは! 夢を叶えるぞ!」
0。
──轟音と共に離陸する"グラングレイヴ・グリンカー"。
呆然と立ち尽くすイシュテル。
笑顔で見送る俺たち。
──◇──
──天知調の隠れ家
「3種複合隔離階層、延長中。内部データとしてはバグによる模造【白曇の渦毱】と攻略階層【第109階層ジャングル:ステーゲ最終防衛ライン】のバグ補完分が上方、残りは下方です」
「んー……分断しちゃいましょう。ラブリちゃん、お願い」
「かしこまりました」
マスタングさんがバグを全部背負って旅立ってしまいました。
止める事も出来ますし、回収する事も出来ますが……。
「……【Blueearth】範囲圏から離脱。マスタングは現在未進行中の【NewWorld】を飛行中です」
「バグは……【Blueearth】のバグでもあり、【NewWorld】のバグでもあるから適応出来たのかな。"廃棄口"を突破して単独生存できるだけの防護膜になってるみたい」
「進行ルートは……恐ろしい事に、【NewWorld】月面へ一直線です」
「えぇ……。とりあえず座標だけマーキングしておいて。途中で消えるようなら回収するから。もし月面まで辿り着く事があれば……【Blueearth】のデータ侵攻が先回りして月でも開始できる事になるかなぁ。ジャンルはMMOではなくサンドボックスになりそうだけど……」
「かしこまりました。……バグは大丈夫なのでしょうか」
「月面到着までに勝手に修正されるからほっといていいかな。イシュテルもスペードもバグに干渉できる距離じゃないし、バグが作用する先も無いし。
……マスタングさんが辛いと感じたなら、すぐに回収するからね。楽しんでいる内はそのままにしてあげましょう。
なんたって【Blueearth】初の脱走者だもの。偉業は讃えてあげないとね?」
それが彼の願いなら、叶えてあげたいものです。
──マスタングの月面改造計画。ちょっと面白そうですね。そういえば【TOINDO】のサンドボックスゲームで有名な奴にあった気がします。それに倣って手遊びに設定だけしようかな?
──◇──
【第101階層ジャングル:アペテ開戦ライン】
「── 【赤き大地の輪廻戒天】!」
赤紫の大鎌が複合隔離階層を破壊する。
無事帰還できたところで、"グリンカー・ネルガル"は何かを思い出したかのように立ち上がる。
「……あの子は、どうなる!?」
おっとそうだ。あのまま打ち上げられたら"グラングレイヴ・グリンカー"も……。
「……大丈夫そうだよ。ロケットってものは不要な分は途中で切り離すものらしいから」
そう言ってスペードが指差した先には──落下してくる小さな台座……のように見えるが、その正体は"グラングレイヴ・グリンカー"。
「……うん。今確認できたよ。あの"グラングレイヴ・グリンカー"にはバグ人格が残ってる。体積減ったから意識も戻ってるんじゃないかな」
ほっと胸を撫で下ろすネルガル。
本来"グリンカー・ネルガル"と"グラングレイヴ・グリンカー"は同時に存在出来ないが……どちらにも自我がある事、片方はバグそのものだから不都合な存在としても適応できる事から、それぞれ単一の存在として生存できるみたいだ。
そもそも"グリンカー・ネルガル"から"グラングレイヴ・グリンカー"になるイベントを発生条件から報酬までぐちゃぐちゃに壊しちゃってるからな。改めて正常に機能する事も無いだろうし。
「……で、そこのモヤモヤ。あんたがイシュテル?」
呆然としていた黒いモヤは、やっと周囲を取り囲まれている事に気付いた。
『……こんな事で諦める私ではないぞ! 次こそは、次こそは【Blueearth】を崩壊させてやる!』
「おととい来やがれ。次の無様を楽しみにしてるよ後輩」
『その面歪ませてやるからな! くそぉ!』
ゴタゴタ言っているが、カズハには【厚雲灰河】で斬られ、クローバーには蜂の巣にされている。
ノーダメなのは変わらないが……まるでダメージを受けているかのような苦悶の表情で、イシュテルは消えていった。
「……とりあえず、一件落着ね」
遠くで"グラングレイヴ・グリンカー"が着地したようで、また相応に森が揺れる。
また暫くは事後処理だな……。階層もまだ完全復旧してないし。
「……白の宝珠ってどうなるんだ?」
──◇──
【第80階層 天上雲海エンジュ】
──"ヘヴンズマキナ"の額に輝く、白の宝珠。
『……何か帰ってきたんですけど』
〜ゲーム紹介〜
【アストロフロンティア】
【TOINDO】ゲーム業界におけるサンドボックスゲームの開祖。通称"アスフロ"。
生息域拡大のため未知の星へと派遣された主人公が、1人でその星を開拓していく。
ゲーム内時間で一日(30分)以内に酸素か電源を確保しなくては宇宙船の残存酸素切れで死亡してしまう、典型的な最初がキツいタイプのゲーム。
チュートリアルからゲーム進行のヒントまで、全て主人公の"独り言"で補っている。セーブは主人公の日記。
なので唯一感情移入ができるキャラクターが主人公なのだが、宇宙服を脱いでもスリップダメージが入るだけで即死しないし、適性生物を素手で倒してはその死骸を素手で解体したり建造物にしたり、異様な数の独り言やあまりに楽観的な日記等からあまりにも人間離れしすぎていると評判になる。感情移入はできない。
地底世界に潜む魔物を倒し、滅びた地底人の伝承を辿り、近くの星そのものがラスボスである事を知る。
主人公は星を滅ぼす爆弾を作り、物語は終わる。
尚、このゲームに登場する魔物は全て捕獲と繁殖が可能。地底のボスキャラも、ラスボスでさえ例外では無い。エンディング後に星サイズのラスボスを繁殖させ続ける事で満天の星空を演出する事も可能。ちなみに大抵産まれたてのラスボスは懐いていないので星空から問答無用のビーム攻撃を受けてゲームオーバーになる。
そこを逆手にとってラスボス100体のビームからどれくらい生存できるか、という企画が流行する。最長記録は当時有名ゲーマーだった"ラセツ"で34分30秒。敗因はくしゃみ。




