222.その男は何者なのか
【第90階層 水鏡基地ミラクリース】
【水平戦線】直営宿泊宿【オリゾン】
マーフリー族が経営する煌びやかなホテル。ロビーではマーフリー族が交代しながら音楽を奏でるので、騒がし……賑やか。
「よく来たな【夜明けの月】……」
マーフリー族のステージの観客席に腰掛けていた爺さんがこちらに向き直した。
ライフルを杖代わりにした、毛皮のコートを羽織った大柄な爺さん。厳つい顔はしているが、敵意は無さそうだ。
「ミラクリースの傭兵……今は【水平戦線】だったか。タイカイだ。
普段はこのホテルで休んでいてな。用心棒をさせてもらう」
「嬉しいけれど、おじいちゃんはいつ休むのよ」
「生意気言うな小娘。休みながら見張りしてんだよ……。仕事はするから安心しろ。飴いるか?」
「あ、ありがとう」
なんとも頼れる爺さんだ。これがバルバチョフの言ってた用心棒か。
「【夜明けの月】の連中は一番奥の部屋だ。裏口の隣だから……そっちを確認しておくといい。裏口の先は【水平戦線】のアジトだ……。そっちも見張りはいる」
「助かる。あんまり無茶はしないでくれ」
「休み休みやるさ。気にするな……」
燻し銀だなぁ。いい爺さんだ。
──◇──
【オリゾン】最奥部屋
──【夜明けの月】の拠点
リンリンは……ソファに座っていた。
落ち着いたみたいだが、変に刺激するのも良くないか。
「どうだドロシー」
「……リンリンさん。無理そうなら僕が代弁します」
「だ、大丈夫だよドロシーちゃん。ちゃんと、わたしから、話します……」
リンリンが言うのなら、聞くしかない。
それが本人の意思なら尊重するのが【夜明けの月】だ。
「兄さん……琴姫零は、わたしの兄です。幼い頃に家出していて……両親が離婚した頃に帰ってきました」
「……リンリンちゃんは、家族から虐待を受けていたのです。なれば零もまたその1人なのですね?」
「ち、違う……と、思う。あの頃の記憶は、お母さんも私も、忘れるようにしていて……。その、離婚したのは……わたしが10の頃だから。あまり記憶もはっきりしないの」
過剰なまでの被虐体質。
或いは、命を賭して誰かを守る高潔な心。
リンリンの根底にあるものが──虐待。
「兄さんは、よくわからない、です。あまり関わってこなくて。学校も違いましたし、あまり兄さんはわたしに声を掛けてくれませんでした。
……いえ、わたしが壁を作っていたんです。兄さんが怖かったから……」
「……リンリン。その零はね、アンタが来ないと【Blueearth】を滅ぼすって言ってるわ」
「……! そんな……」
「あたし達はリンリンをあいつに渡すつもりは無いし……【Blueearth】も滅ぼさせない。【Blueearth】の危機なら【アルカトラズ】も【ダーククラウド】も動くだろうし、多分レイン……零は始末されるわ」
メアリーは、リンリンを誘う時にかなり苦悩した。
リンリンを巻き込んでしまった事を悔やんでいた。
……メアリーだけじゃない。【夜明けの月】はみんな、リンリンの事が好きだからな。
「もし零がリンリンを虐めていたなら、あたしはレインの始末に賛成するわ。この世界からも現実からも跡形も無く消してあげる。そして今のままだと、多分そうなるわ。
……リンリンは、どうしたい?」
【夜明けの月】は正義の味方ではない。
ただやりたい事をやる、悪の組織。
「……わからない、です。兄さんが何を考えているのか。わたしを虐めたのか、覚えてないんです。
で、でも。だからこそ、話を聞きたい……です。
それで、ダメな人だったら……妹のわたしが、止めないと……!」
「めちゃくちゃ大変よ。【象牙の塔】も【ダーククラウド】も【アルカトラズ】も、お姉ちゃんも敵に回すわ」
「わ、わたしだけでもやります! そうでないと……永遠に、謎のまま終わってしまう……!」
「……わかったわ」
リンリンの意思さえ確認すれば、やるべき事は一つ。
メアリーは立ち上がり、指揮する。
「【象牙の塔】レイン捕獲作戦を発令するわ!
レインの企む【Blueearth】崩壊は阻止!
その存在を抹消されかねないレインを【象牙の塔】【ダーククラウド】【アルカトラズ】から奪い取り!
ついでに宝珠も奪い取る!
全部あたし達のものよ!」
「我儘無双だなァ。面白ェけどよ」
「ついでにレインのバグの力も吸収できないかなー。試してみていい?」
「出来るなら無力化になるわね。状況見合いだけど選択肢には入れてあげるわ」
全員、考えている事は同じ。異論なんて出る訳が無い。
リンリンは、そのまま立ち上がり──
「メアリーちゃん、みんな、ありがとう……!」
「どぁー! 重いわよリンリン!」
──メアリーを抱き潰すのであった。
──◇──
「で、呼ばれて来ましたけれど」
【ダーククラウド】から例によってエリバ、そして天知調本人がメアリーの呼び掛けに集まった。
エリバの持つ液晶の先にハヤテもいる。
「真理恵ちゃん。一応言っておくね? 手を引いてくれる?」
「ヤダ!」
「うぅ〜〜ん、ダメかぁ〜〜!」
あちゃー、じゃないんだよ天知調。
妹のワガママに少し嬉しくなってんじゃないぞ。
「……実際、レインをどうするんだ? スペードと違って元は現実世界の人間だ。問答無用で抹殺はしないだろ」
「あーAI差別かなライズ。拗ねるよ。ゴーストが」
「answer:ライズはそんな器の小さい男ではありません口を慎め下郎」
「ごめんぬ」
……脱線。
ともかく、問題はその辺だ。第一そのために【アルカトラズ】が生まれて、大監獄【黒の柩】が生まれたんだろ。最終的には投獄……で済まないのか?
「……バーナードの時とは訳が違います。今回は明確に【Blueearth】そのものが脅かされている上に……レイドボスとの繋がりもかなり強いです。今のままなら投獄で済みますが、このままレイドボスやバグとの同化が進めば……バグとして処理する事も考慮しなくてはいけません」
レイドボスとバグの性質を併せ持つ冒険者として、バーナードという前例がいる。
しかしそれはレイドボス"カースドアース"に自我がまだ発現しておらず、バグ側も天知調の調整によってほぼ無力化されているがための自由。本来なら、何をしでかすかわからない者は処理しておきたいはずだ。
『逆に言えば、バグやレイドボスを剥がすか弱体化させられれば投獄できる筈だよ。死ななければいいって話ではないけれど……ちゃんと反省したら出所できる』
「こちらが勝手に巻き込んだ【Blueearth】です。人間に対する"死"のハードルは決して低くありません。私は神様ですけど、人の命を弄ぶつもりはありません」
その上で俺を"LostDate.ラブリ"の生贄にしたがな。
……ともかく、天知調だって殺さずに済むならそっちの方がいい。ある種の利害関係は一致している。
「しかし。今の所はかなり厳しいです。レインに協力しているレイドボス"ディセット・ブラゴーヴァ"自体が【Blueearth】を壊そうとしていますから。
そこに【Blueearth】に興味の無いレインが組んでしまった。それが問題なんです」
「レイン側は【Blueearth】を壊す事に躊躇が無い訳か。ミラクリースに"ディセット・ブラゴーヴァ"を直接送る事以外に【Blueearth】を壊す手段ってあるのか?」
「レインがバグを操れて、レイドボス側が率先して協力して、それに加えて私からの制裁を恐れないのなら……かつては"スフィアーロッド"がそうであったように、かなり無法に暴れる事が出来ます。そこのバグとレイドボスに聞いた方が早いかもしれませんね」
「だってさ"エルダー・ワン"」
「我は善良なる仔竜であるからしてなぁ」
なんか言ってるぞ。
「うむ。我々が自我を持つにあたり、どちらに引っ張られるかはわからん。レイドボスとしての設定を主とするか、セキュリティシステムとしての使命を主とするか……或いはその両方を捨てて確立された自我を主張するかだな。"スフィアーロッド"のような変わり者のように。
我はセキュリティシステム側だが、"ディセット・ブラゴーヴァ"は前者であろう。特に設定が陰鬱としているレイドボスはそっちに引っ張られやすいのだ」
「主導権は"ディセット・ブラゴーヴァ"にあると思うよ。僕が直接操ってないようなバグでレイドボスを御し切れるとは思えないなぁ」
「んー……"ディセット・ブラゴーヴァ"がどんな奴なのか調査する所からだな。あとはレインの情報も欲しい」
「そうね。お姉ちゃん、レインがワープするの防げる?」
「ミラクリースへの直接ワープを一度観則しているので防衛プログラムを組みました。初見で守り切ったイツァムナちゃんのお陰ですね」
準備は入念に。レインが変な強硬策に出る前に、こっちでなんとか抑えてしまいたい。
それ自体は天知調も賛同してくれている。今のうちに解決しておきたいな。
「【象牙の塔】は全力でレインを潰しに行ってますし、レインは【象牙の塔】以外と関わる事は少ないですよね。レインの情報を集めるのは難しいかと」
『いやエリバ。多分レインの事をよく知っている人をボクは知ってるよ。ライズの呼び掛けなら答えてくれるんじゃないかな』
ハヤテの提案は……いい予感がしないが。今回は頼らざるを得ないな。
『【ダーククラウド】も事が悪化すれば最終手段としてレインを処罰させてもらうけれど、基本的には【アルカトラズ】の"拿捕"の輩に任せるよ。【夜明けの月】を信用してね』
「任されてやるわ。……そっちも気をつけてね。スペード級のバグがまた生まれてる可能性はあるんだから」
『勿論。今度こそ逃がさないよ』
スペードは苦虫を噛み潰したような顔をしているが、喧嘩はしていないならヨシとする。
「……じゃあ情報収集だな。誰なんだ、そのレインと仲のいい人ってのは」
『うん。それはね──』
──◇──
──数時間後
「【草の根】探索隊長スワンだよライズさん! 結婚しよう!」
「お前舌の根も乾かぬ内によぉ……」
「【セカンド連合】が堂々と来ちゃダメでしょ」
「愛故に! だね!」
先日負かした【草の根】の隊長スワン襲来。いいのかしらこんな堂々と。
「先日の敗退から色々あって、今は各階層の調査をしているのさ。本来の【草の根】の形に戻ったと言っていいね。勿論変装の必要はあったし、リスクもあるが……ライズさんの為なら来るとも」
「ううーん……あまり無理しないでくれ。ハヤテこの野郎無茶させやがってよぉ」
『いやメールでいいと言ったんだけどね。ボクだって混乱極まるミラクリースに呼び出したりしないって。危険なんだし』
男装の麗人って感じだったスワンは、現在ワンピースの似合う可愛らしい服装で変装してきてる……のだけど、立ち振る舞いがずっと王子様すぎる。あまりに姿勢が良すぎる。滲み出て隠せてないわよ王子様。
「……それで、スワンさんはレインと仲がいいって?」
「【象牙の塔】以外で言えば、恐らく私が一番関わりが深いね。【ロストスペル】は各階層の遺跡から古代魔法を獲得するんだが、【ロストスペル】の第一人者であるレインは階層の探索班と手を組んでいてね。セカンド階層からは私が引き継いだという訳さ」
引き継ぐ。
引き継ぐ?
「……あれ。ライズさんじゃなかったのかい? 黎明期にレインの遺跡調査に協力していたのは」
………………。
ライズは、腕を組んで思案して。
「……そういえばそうだな!」
いや待てぇい!
「アンタが一番良くわかってんじゃないのよ!」
「記憶力が鶏以下なのです……信じられない」
「私の事も全然思い出してくれなかったもんねライズ君。ライズ君が記憶取り戻してから結構な回数顔を合わせたと思うんだけど」
「待て。待ってくれ。あとカズハは本当にごめん。
……確かにそうだが、レインとはほぼ接触してないんだよ。俺の発見はその当時の最前線ですぐ発表するか、【三日月】内部に隠したままかの2択だった。特段レインと組んでどうこうはしてないんだ。
というかレインは【草の根】と組んで遺跡調査してるのか? 俺に限らずあまり他人とつるむ様な奴じゃなかったと思うんだが」
必死に弁明するライズ。確かにこいつの記憶力、ちょっとおかしいわよね。
性別の違うハヤテには秒で気付いたのに、超絶美人のカズハは(しかも本名でプレイしてるのに)微塵も気付かなかったし。
「ふむ。考えてみれば……レインは女性と組む事が多かったね。私は【草の根】で最初にレインと絡んだが、それ以降は指名されていたし」
「……リンリンちゃんが凄い目をしてます!」
「レインのスキャンダル集めるって話だっけコレ」
あんな大人しそうな顔しておいて油断ならないわね。
今の所、許せないポイントが増えていってるわよレイン。あんたにリンリンは任せられそうにないわね。
〜やったれ最前線〜
トップランカー。
【飢餓の爪傭兵団】と【真紅道】の独壇場に割り込んだ【至高帝国】。
その【至高帝国】を討ち破り参入したのは【ダーククラウド】。
【Blueearth】の最高峰、その立場は全冒険者が夢見、恐れるもの──。
「おおーいハヤテ。【夜明けの月】と連絡か?」
「ウルフ。堂々と入ってこないで欲しい。ここは【ダーククラウド】のテントなんだけど」
「いいだろ別にー。ブラウザがいなくて暇なんだよー」
「……まぁこっちもシーナがどこか行ってるから暇なんだけどさ」
最前線は、停滞していた。
やっとの思いで最前線に追い付いた【ダーククラウド】を待っていたのは、アットホームな仲良し空間。
こっちは【至高帝国】を潰したんだけれど、何故か暖かく迎え入れられてしまった。
新入りだからと雑用を押し付けられる始末である。なんだこの仲良し連合。
さて、停滞が続く中でギルド同士が仲良くなる事はいい事なんだけども。
ウルフに続いて、誰かが入ってくる。
「やはりここにいたねウルフ。お茶でも如何かね」
「出たなグレン。ここは中立区域だからな……同席してやるぜ」
「キミ達、ただダベるためにボクの部屋に押しかけないでよ」
「だって外だとキングとかブラウザがうるせぇし」
「今更ではあるが、トップランカーにも【首無し】はいるだろうからね。盗聴対策だよ」
……このリーダー共はさぁ。
別にいいけれども。緊張感がないなぁ。
「そういえば宝珠って他の階層のも使えねぇのか?」
「セカンド階層の7つだけみたいだね、特別なのは。つまり現状はお手上げって事だ」
「しかしまぁよく一つも見つけられなかったなぁ俺達」
「ライズさんが居なくなって探索がおざなりになっていた事、【草の根】が結成された頃にはもう通り過ぎていた事……。どちらにせよ、その辺りを周りに任せていたこちらの落ち度だね」
「当時は【真紅道】と【飢餓の爪傭兵団】でバチバチに喧嘩していただろう? ボクが【ダーククラウド】を結成するために最前線から離れていた頃、いい噂は聞かなかったよ」
「「だってこいつが」」
……別に仲直りはしていないようだ。
どちらも大人数を抱える組織の長だ。本人同士が望まない事もしてきたのだろうけれど。
「多分よぉ、レベル上限解放手段が公開されたらこの協力関係も終了だろ。次に詰まるまでは。今のうちに仲良くしようぜぇ」
意外と社交的なウルフ。もう仲間認定されているのかもしれないが……。
「そうだね。姫も随分と近くまでいらっしゃった。追いつかれでもしたら大目玉だ」
「【バレルロード】なぁ。随分と伸びたじゃねーか。羅生門は潜れねぇと踏んでたんだがなぁ」
「あっ思い出した。それ賭けてたよね。200L払いたまえよウルフ」
「えぇー。ガメツいぜ騎士様」
「賭けは賭け、勝ちは勝ちだ」
……素のこの2人を見られるのは貴重だけども。少しイメージ崩れるなぁ。




