145.無の帳
【第50階層 常夏都市アクアラ】
──北山道中腹
"常夏のハイパー海祭り"5日目──
山道から少し離れた岩陰に、純白の浴衣が潜む。
「こちらブラン。マスターとメアリー殿2人きりになった。可愛いですどうぞ」
『こちらスレーティー。周辺にバグ発生の兆候ありません写真撮って送って下さいどうぞー』
「なぁにしてんだよお前ら……」
「むっ、ライズとゴーストか。驚いた」
そんな事だろうとは思っていたが、本当にいた。
メアリー達と別れてゴーストと二人きりだったが……視界の端に映ってたんだよ。白い浴衣。バレバレすぎるだろ。
「どうせ天知調からは護衛不要って言われてるんだろ。お前も遊んだらどうだよ」
「こういうのが楽しいのだ私は。
マスターは【Blueearth】に現界する間は歩くトラップ状態になっており、バグが接触してきたらそのまま捕獲するプログラムが組まれている。だから放置しても良いのだが……。
少々自己犠牲的すぎるだろう」
……やっぱりそういうプログラムはあるのか。そりゃそうだろうけど。
バグ側──大天才天知調のカウンターとして発生してしまった存在は、そのまま天知調レベルの知能を持っている可能性は高い。お互いに水面下で牽制し合っているんだろう。
「そこまで言うならなんとも言えないな。ラムネあげよう」
「ありがとう」
最近ちらほら接触しているが、【Blueearth】統治側である【アルカトラズ】と接点を持つ事は基本的に無い。今のうちに色々と聞いておきたい事はある。
ので、これはその代金だ。ブランも理解したのか、わざわざこっちを向き直してくれる。
「……ドラドでのバーナードの一件の後、片腕を持ち帰ったよな? あの辺どうなったんだ?」
「おかげさまでバグ側の勢力をかなり抑える事ができた。ドラドレベルの面倒事も殆ど未然に防ぐ事ができたからな。あとは本体さえ見つけられればいいのだけれど」
……ドラドで俺に接触してきたバグ側の総大将もそんな感じの事を言ってたな。実際かなり優勢になってるんだろう。
「……アドレの時、俺達をテンペストクローと閉じ込めた奴は捕まったのか?」
「いや……今の所該当者はいない。マスターでさえ直ぐには対応できなかった。あれは恐らくバグ側の首魁の仕業だろう」
あの後、デュークと2人で話していた時に背後に感じた気配。
あれが本物の奴だとしたら、デュークはバグ側と繋がっている事になる。
のだが、デュークは冒険者──天知調の操り人形だ。特にある種目立った行動をしているから、天知調も調べているだろう。だとしたらシロ?
……そうだよな。バグが冒険者と長期的に手を組んでいたらバレるよな。バーナードみたいに本体から分離した下っ端と接触したなら或いは、ってくらいか。
とはいえ、"デュークを調べて欲しい"と言うつもりはない。あいつはあいつの考えがあってやってる事だ。
それに、正直完全に天知調側ってつもりもない。最終的に下剋上するんだから場合によっては武器になるからな。
「……ここまで巻き込んでおいて何だが、君達【夜明けの月】には健全に【Blueearth】を楽しんでもらいたい。そのために我々が頑張るつもりだよ」
「いやいや楽しませて貰ってるよ。アンタ達こそ無理するなよ。諸々の事後処理はいっつもやってもらってるだろ」
これは本心として、そろそろボロが出るかもしれない。
……ブランは疑わしきは罰するタイプだ。俺が色々とひっそり抱えた秘密に勘付いて斬り捨てられかねない。
「じゃあ行くかゴースト」
「yes:失礼します」
あくまで堂々と。でもやや早足に。
……大丈夫か? 大丈夫だよな?
──◇──
『──クローバー選手独走! 金魚掬いでは掬った金魚を他の選手にパスするパフォーマンスを、型抜きではわざわざ最難関を選び後続を煽るために2週目に突入するという煽りプレイ! 実力差は明白だー!』
『マイク借りるぜー。オラー冒険者代表共そんなもんかよぉ! 遊びでも俺ぁ"最強"なんだよなぁ!』
『そして何故か実況席に乱入です。もうやりたい放題ですね』
……盛り上げてるわねクローバー。自信満々だったから送り出したけど、遊びたいだけよねアレ。
「お姉ちゃん。もうちょっと上の方行こう」
「あ、うん。クローバーさん見なくていいの?」
「どうせ勝つからいいわよ」
性根が真面目なクローバーが"遊ぶ"と公言したからには、そりゃあ勝つわよ。
あたしはお姉ちゃんにねだって買ってもらった綿飴を持って、お姉ちゃんはあたしがお返しに買ったりんご飴を持って。
二人で山道を登る。
「……真理恵ちゃん。むこうでは……こんな事出来なかったよね」
「そうね。お姉ちゃんを狙う輩なんて何処にいるかわかったもんじゃないし。一番狙われやすいのはあたし達親族だものね」
「ごめんね。そもそも名前や素性を公表しなければ良かったのに」
「遅かれ早かれでしょ。お姉ちゃんの立場で素性不明だったらもっと怖い事になってたかもだし」
あたしの世界はずっと部屋の中だった。
圧縮空間という安全圏で、家族とお姉ちゃんの知り合いだけの世界。
それが良いか悪いかなんて、外を知らないあたしに判断できる事じゃない。だからそこを慰めるつもりはないけれど。
「お姉ちゃんがあたし達のために頑張ってる事なんてみんな知ってるんだから。どうにもならない後悔はやめてよ」
お姉ちゃんが【Blueearth】を始めた理由は、あたし達のため。
……だと思ってた。疑っても無かった。
"LostDate.ラブリ"。そう仮称した、お姉ちゃんの同僚達の記憶の残滓。
もしかしたらあたしも会ったことあるのかな? 覚えてないけれど。
それまで甲斐甲斐しく世界に貢献していたお姉ちゃんが、【Blueearth】を使って世界征服なんて強硬策に出た理由は──あたし達家族のためではなくて、彼らのためだった。
「……お姉ちゃんはもう目標を果たしていたのよね」
「真理恵ちゃんの考えてる事、わかるよ。
私は天才ですから。欲しいものは全部手に入れちゃうの。私の発明において唯一の失敗を挽回する事。私達が安心して眠れる世界を作る事。どちらも本命の願い。
だから、まだ半分しか叶ってないよ」
「そう。どっちにしても、あたしが甘かったわ」
元から唯の我儘で、僻みでしかない。
そんなことはわかってるのよ。
「もっと遊ぼうね、お姉ちゃん。どっちが頂点に立ったとしても、変わらず」
「そうね。この席は真理恵ちゃんにはまだ早いけれどね?」
「何年掛けてでも喰らい付くわよ。時間は永遠にあるんだから」
──夜空に花火が上がる。
生まれて初めて、家族とお祭りに行って、家族と花火を見上げた。
世界一の大天才ともあろう者が、こんな平凡な事をするのに世界征服が必要なんて。スケールがデカすぎるのよ。
──◇──
山頂から少し下がって、東方向。
アクアラ東側は何もない。花火も見にくい。
よってこの辺りなら内緒話に最適だ。
ゴーストと共に、平らな岩に腰掛ける。戦利品という戦利品が俺達の間で山を作る。遊び倒してしまった。ゴーストは型抜きが無双すぎた。
「ゴースト。"廃棄口"の事、覚えてるか」
「answer:yes:覚えてますよ、ライズ」
何が、とは聞かない。本命なのは"覚えている"事それ自体だ。
「"廃棄口"は【Blueearth】の外にありながら、物理的に【Blueearth】に干渉できてしまう……謂わば弱点に相当する場所だ。
そして俺たち有機生命体が電子データ化した事で、"記憶"という繋がりが"廃棄口"へのアクセスを補強するパスになってしまう」
「yes:その為"廃棄口"から【Blueearth】へ戻る際は"廃棄口"の記憶を消去する必要があります。ゲームマスターでさえ"廃棄口"の記憶領域を別枠で保存し、不要時は封印しています」
そう。"廃棄口"はそれだけ危険なものだ。悪用方法なんて幾らでも思いつく。
「それこそ俺は"廃棄口"を経由して57階層から51階層にワープできた訳で、今回そもそもの発端だった階層スキップでさえ可能だ。記憶があるって事はそういう面でも大変よろしくない。何故俺達は記憶を消されていない?」
「answer:要因は幾つか考えられます。あの時"廃棄口"から51階層へ転移したのは"LostDate.ラブリ"、私、マスター、ライズ、スフィアです。
"LostDate.ラブリ"とスフィアは【NewWorld】……或いはそこに紐付けられた【Blueearth】のシステムとして勘定されていると想定します。彼らは自らの意思で"廃棄口"へ侵入する事は出来ませんが、その存在を記憶する事は可能です。
ライズはあのタイミングではまだ"LostDate.ラブリ"として同化していたので、その為記憶を持ち越したと推測します」
そういえば同化していたな俺。
……あのまま上手い事やればレイドボスとしての能力持ったままになれたかもな。バーナードみたいにレイドボス特効武器作りまくったり出来れば俺でも役に立てそうだったんだが。
「私は自ら"廃棄口"の記憶妨害プログラムを解析したので抗体があります。マスターはそもそも記憶妨害プログラムを突破して【Blueearth】に先入していましたので」
やりたい放題してるな。やっぱあいつが一番おかしいだろ。
ともかくだ。
「じゃあそろそろ確認するか。
……ゴーストはどうやって"廃棄口"に入れたんだ?」
39階層……対スフィアーロッド戦でウルフとゴーストが消え、その後復帰した。
(今にして思えばスフィアーロッドのデータロスト攻撃って要するに"廃棄口"への不法投棄だな。しょっぱ)
俺が57階層で"廃棄口"に落とされた時、ゴーストは当時50階層にいたが同じ"廃棄口"で合流した。
そしてその後、今度は51階層からメアリー・スフィアと共にゴーストは"廃棄口"に入ってきた。
──この三度の"廃棄口"案件の全てで、ゴーストだけが自由に"廃棄口"を出入りしている。
「疑うつもりは無い。何を答えてもお前は【夜明けの月】の仲間だ。それだけは伝えておく」
「ありがとうライズ。二律背反の優しい騎士。
私の正体は、私でさえ忘れていましたが。やっと思い出す事ができました。
──私は"廃棄口"の管理人。名前も何もかもありませんが……天知調によって作られた【アルカトラズ】と同様です。識別タグには"無の帳"とだけ記入されていました」
【アルカトラズ】……"白き劔"のブラン、"灰の槌"のスレーティー、"黒の檻"のネグル……そして"無の帳"って事か。
全員高身長の美女だし共通点はあるな。ネグルについて俺はよく知らないがジョージがそう言っていた。
「そうか。それでまだ行けるのか? "廃棄口"」
「可能です。ですが"廃棄口"の指定外相互通行性ゲートの開閉権限があるだけであり、多くの制限があります。あくまで"廃棄口"の管理人ですから。
例えば"廃棄口"に自由に入る事が可能なのは基本私のみです。唯一マスターだけは【Blueearth】突入前に抗体プログラムを作成していますから同行可能でしたが、今のライズとは基本的には同行不可です」
スフィアーロッドの時のウルフはスフィアーロッドの力で"廃棄口"に落とされて、同じタイミングでゴーストが自力で入ったのか。
「私だけが【Blueearth】のどの階層にもワープできる、といった訳ではありません。私は自分で開いたゲートに戻る事しかできません。
そもそも"廃棄口"に落下した物体が天井位置の亀裂に入った場合はそれぞれの落下直前地点に戻されるだけであり、私の持つ権限はそれ以外の手段で"廃棄口"に入る事ができるのみです」
「ショートカットも初見殺し不可避必殺も無理か。でも無敵回避可能って事だろ? 最高だ」
「……あの、それだけですか?」
うん?
ああそうか。
有益性だけで話したらよくないよな。
「すごいぞゴースト。偉い偉い」
「……いえ、あの、秘匿に対する叱責とか、背叛への懲罰とか」
「え、なんで?」
……はっ。いかん。
もうゴーストは娘みたいなもんだからつい撫でてしまった。
ジョージが言っていたが過度なスキンシップは宜しくない。年頃の娘は爆発物より慎重に扱えと教わったばかり──
「──system:感情制御:off」
──天罰。
ゴーストがアイコ仕込みの柔術で俺を瞬く間に組み伏せる。
「オァー! 助けて誰かー!」
「誰も来ませんよ、こんな人気の無い所では……」
焦点が合ってない。明らかに暴走している。
一体何でだ。さっぱりわからん!
「誰かー! 娘に襲われるゥー!」
〜アクアラ裏話〜
《傭兵さんこんにちわ》
──ホテル海千山千
屋上展望台
「──あそこが貴方【C.moon】。瞬く星に眩暈がする?」
「確かに夜間の明かりが認識能力を下げてしまうのは確かですが、人数と位置関係を把握する事くらいならできます。この距離では【サテライトキャノン】射程範囲外ですが」
クアドラさんと修行を終えて、僕達は祭りに参加するつもりでしたが──クアドラさんが人混みを嫌ってそうなのでこちらに来ました。
冒険者向け高級ホテルな事もあり皆お祭りに向かっている様子。今は僕達しかいません。
「星間距離の観則は重要だよ。我々は天文台では無く宇宙船だから」
「そうですね。適正距離はこちらから詰める事で解決できますからね。事前に距離を把握する事は重要か……」
「……それだけじゃない。ドロシーはこの距離を観則しなくてはならない。だって貴方のレーダーは誰よりも遠くに届く」
「僕の長距離狙撃……いつから気付いていたんですか? クアドラさんの前では使いませんでしたし、ここ最近はあまり使って無かったのに……」
「記録は距離を越えるよね。火星人が実在するなら尚のこと」
「わざわざドーランまで行って話を聞いてきたんですか!? それでも"神の奇跡"に勘付いてる人なんて少ないでしょうに……流石クアドラさんです」
「……ドロシーすき」
「わわっ」
突然抱きしめられました!
……ああそっか。そんな事が嬉しいんですね。
「わたしの話をすぐに理解できる。なんで理解出来てるのかわからなくてごめんね」
「色々と特殊な事情がありまして。少なくとも僕から見たらクアドラさんは普通の女の子ですよ」
「ドロシーすき」
「わわー! ちょっとだけ苦しいですクアドラさん」
どんどんエスカレートしていきます!どうすれば良いのか!
「……そういえばクアドラさん。前会った時より随分と動きが柔らかくなってます。戦闘の機会でも減りましたか?」
「うん。ボイジャーは遂に果てに辿り着いたのかもしれないね。みんな等速になったし、後ろにはデブリがいっぱい。軌道も安定してる」
クアドラさんは【サテライトガンナー】最強であるというただ一点のみで、トップランカーにいながらギルドに属さない傭兵をやれている。行ってしまえばトップランカーの共有戦力状態だ。
本来は激化する【飢餓の爪傭兵団】と【真紅道】の喧嘩において交互に肩入れする事で自らの地位を守っていたが……ここ最近はもうトップランカー同士で手を取り合うのが当たり前になってしまい、めっきり火力要員として声が掛かる事も減ってしまった。
あとは後ろで追い付かんとしているセカンドランカーが心配ではあるが、やはりもう攻略はできないというのが現状らしい。
そしてクアドラさんは暇になり──最近、は──
「それ以上は国家機密、だよ」
ぷにっと柔らかな指を僕の口に当ててくる。
……秘密にして欲しいと言われたなら、これ以上言う事はありませんね。
「本当はドロシーを驚かせたかったのだけれど、その為にはドロシーと交信する事ができない。そんなの我慢できない。だから機密漏洩」
「いやこれは僕に問題が……。クアドラさんとはやっぱり相性良いみたいです。ここまで詳細に読み取れる人もなかなかいません」
「式場は宇宙がいい?」
「ま、まだご勘弁を」
「……うん。待たせすぎたら月くらいなら割っちゃうから、早く来てね?」
「は、はい……」
……実際、またクアドラさんと話せて嬉しかった。
けれど、ここまで堂々と好意を向けてくれる以上は僕も考えなくてはならない。
──僕は、誰が好きなのだろうか。
──◇──
「アイコ君。流石にもう大丈夫だと思うぞ? 俺たちも祭りに行こう」
「いえ、まだ間違いが起きないとも限りませんので」
「……君もまだ子供だなぁ」




