第四節 ステラ拠点にて
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リリアーナに敗れて以降、黒魔術使いステラ・サンセットは、療養の日々を送っていた。
唇は青ざめ、斑点のようなシミもいたる場所にでき、腰も正常に動かない。
見るも無惨になった身体をもとに戻すため、三ヶ月にわたって闇魔力の調整を行った。
そうして自身の肌に染み渡らせ、ようやく元の美貌を取り戻した。
これで外の世界に出ることができる。老いた姿を誰かに見られるなど、築き上げた知名が崩れ去るのと同義である。
そのため、ここ一ヶ月内で何度も起きていた呼びかけには、いつまでも応じないでいた。
できる限りのなかで完全まで回復したということもあり、ステラはようやく呼びかけに応じる。アーガランドにある拠点へとテレポートで帰還した。
髪を払いつつ、彼女は洞窟内に用意したスペースを見回す。椅子には誰も座っておらず、灯りもついていない。
無人であることを確認してから外へ出る。雪解けによって剥き出た地面が、無様な自分を象徴しているかのようだ。
突如、自身の身体が影に覆われる。
ステラは微笑とともに、口を開く。
「ここで意味も無く魔力を放てば、拠点の持ち主に存在を知られる……」
振り返り、岩壁を見上げた。
「そう踏んでの行動かぁ……」
その人影を捉える。
崖の端に座り、見下ろしてくる少年が一人。
ステラは自分の弟子として、この少年こそがふさわしい存在だと確信している。
名をロゼット=ローゼンベルク……。
カナリアが発射した魔力砲により、死んだと思われていた。
ステラは腕を組んで言う。
「久しぶりロゼット君。てっきり死んだのかと思ってたのに」
「テメェだけじゃない。この世界で生きている奴ら、全員がそう思っているだろう」
街の一点に大穴を開けるほどの攻撃だったのだ。そういった感想が出るのは無理もない。
ステラはエアの術で宙に浮かぶ。崖の上に行ってロゼットの隣に座った。
「どうやって生き延びたか聞きたいけれど……」
ロゼットは彼女を睨んだ。
「うふふふ! そうよね。あの時、君を見捨てたあたしなんかに教えるわけがない」
急いで行動すれば避けられたかもしれないが、あの時のロゼットは入院中だった。一人では脱出不可能だったと思われる。
当然、彼は詳細を答えない。
「明確に言えないだけだ」
「あら。じゃあ命の恩人を探す手助けをしましょう」
「そんな配慮はいらない。それより俺の誘いに乗ったということは、テメェも俺の力を利用したいわけだ。そうだろう」
ステラは口をぼんやりと開けた。下唇に人差し指を当てる。
「ずいぶん聞き分けの良い……。でも確かにそう。いい感じに丸め込めないかなぁって」
思惑を正直に伝えた時のことだ。
ロゼットが手を差し出してきた。
これにはさすがのステラも予想しておらず、素直に驚く。
「思うがままの生活に戻りたいのなら、手を貸してやる。その仕切っている奴らに見せつけてやれるぞ」
再び体内へ闇魔力を得るにも、潤沢な供給源がなければ話にならない。
その点で、ステラがこの四ヶ月間いた組織は実に優秀であった。制限はあったが、やろうと思えばいくらでも闇の魔力を収集できる。
しかし条件として、その組織の正式な共鳴者になるように指示があった。
元から協力はしていたが、正式な同調者になると事情が異なる。彼らの信じる理念とやらを信用できないためだ。
この少年は……。ステラにとってのイライラを払拭してやろうというのか。
ステラは、差し出された手をジッと見つめ、目元がやや潤んでしまう。
「あーあ。騙されてるってことは分かってるのに」
本当はそんな気持ちはないことは理解している。ロゼットは表情を何一つ変えていない。
ただ、自分の理想に近い人物が傍にいてくれる温かさ。
抱くべきではない感情に引きずり込まれそうになる。
ステラは、耳元の髪をかき上げ、
「でもいいわ。聞きたかった言葉に免じて」
とロゼットの手の上に自分の手を置いた。
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思えばリリアーナにとって、通常の航海をするのは今回が初めてであった。
かつての航海は、イクトゥスのコアが変形した潜水艦に乗った。あの乗り物は驚異的な加速力を誇っていたため、たった一日で大陸間を横断できた。
それを体感してしまった後では、単なる木造の船など不快極まりなかった。
ムーンロード到着まで五日かかるという遅さ。凄まじい揺れ。入り込んでくる波……など、どれをとっても最悪である。
背中も痛くなってしまった。リリアーナは、ムーンロードの船着き場に到着した頃にはげっそりと疲れ果て、両膝をついた。
「よ……よぅやく……。耐え抜いたぁ……」
後方にはセツナと、そして陸地移動用の協力者としてコゲもいる。
「弱々だなぁ。初めての船旅じゃないだろ?」
「快適すぎる船に乗りましたから」
「へぇ。俺にも教えてくれよ」
船から下ろされた坂からは、ソリを引くトナカイも降りてきた。
主に雪原用としてトナカイは優秀だが、クレセントのような温暖地域でも活動は可能だ。強化の魔法を施せば、馬車と同等の速さで移動も可能である。
バテているリリアーナに、セツナが声をかける。
「少し休みましょう」
「いいよぉ……。早く王国に文句言って、それでフェリシィちゃんと……うぅぅっ」
まだ吐き気が押し寄せてくる。強がろうとどうにもならない。
「とりあえず運びます」
セツナはそう言い、リリアーナを背負った。
「ちょ、これはこれで恥ずかしい……」
有無を言わさず、そのままソリに乗せられていった。
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吐き気が継続している状態なので、昼食を避けてそのまま進んでいく。
……のだが、それが仇となった。
トナカイぞりが爆速で駆け進んでいくため、揺れで胃がまったく落ち着けないのだ。
席に座っているリリアーナの顔色はますます悪くなっていく。
「ぉぅぅぅぅっ……!? もっとおとなしく……」
「なるべく速くって言ったのは誰だよ」
そうではあるが、もっと加減してほしかったというのが正直なところだ。
「このペースで進めば、夜には到着するでしょう」
「その前に死ぬかも……」
「しかし、突然邪魔したところで……取り合ってくれるのかね。家族とはいえ王族だろう?」
現状、リリアーナの権威は地に落ちたも同然である。かつてのような待遇で接してくれるとは到底思えない。
「おそらく、門の前まで行けば連絡がいくと思います」
「元王女の帰還だからね……」
「危険が無いよう、自分は目の届く場所で待機します」
「えっ……」
リリアーナは、セツナのボディスーツを摘んだ。
「なんで。いっしょに行こうよ……」
「精神は違えど、自分は王国騎士を殺害した。そして王女を誘拐した」
「うっ……」
「なあ。聞いていい話してるのか?」
「ほ、ほらほら! 前に話したミケちゃん! 悪いことしたのはあの子だから!」
常軌を逸した話ではあるが、実際にそうである。
セツナの体内奥深くには、未来で造られた別人格、ミケが眠っている。
今は表に出てこないものの、彼女の目的は、『魔女リリアーナ』の殺害……。
とはいえ、現状のリリアーナが魔女になっていないため、殺す必然性はないと思われる。以前ほどの警戒心はなくてもいいとセツナも言っていた。
しかし、そんなことは王国の者たちは知らないわけである。セツナの顔を見るや否や、敵意を向けてくるに違いない。
「猫の姿になっても無駄だと思います。体格も毛並みも割れているので」
「むぅ……」
リリアーナは、顎に指を当てて考え込む。
「毛並み……。模様かぁ……」
セツナは猫の姿になれるが、その毛並みは三色で構成されている。
つまりその毛並みさえ分からなければ誤魔化せるというわけだ。
リリアーナの脳裏にある案が浮かぶ。
つまり、その特徴的な模様が失くなってしまえば、多くの目を欺けるのでは……。




