第二節 牧草地にて
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食器を洗っている最中にベルが鳴った。来客者用のものだ。
ヘイヴウッドの外れにある森林内に二人の家はある。
最近は興味本位で覗いてくる者も減り、本当に用がある人物が来ることが多かった。
リリアーナが出入り口の扉を開けると、とある大柄なシルエットが待っていた。
「あ~! 郵便屋さん! いつもお世話になっております~」
「なんだよ、人妻感出してきやがって」
そうおちょくってきたのは、四ヶ月前に共に戦ったリザードマンの男性、コゲだ。
既に深い間柄だ。リリアーナは一切動揺せず、右手をパタパタと縦に振る。
「そんなそんなー。私たち、そういうんじゃないですよ~」
背後で立っているセツナがジト目で見つめてくる。
「そこはもっと怒るべきでは?」
彼はトナカイぞりを使用しての運転手兼郵便配達屋をしており、朝食を終えて少し経った時間にしばしば訪れるのだ。
「ほれ、手紙」
「ありがとうございま──」
見覚えがある封だった。
リリアーナの顔が硬くなった。
いつか向き合わなければと思いつつも避けていた……三日月の紋様。
眉を寄せていると、セツナが手紙を覗き込んできた。
「また王国から……。三通目ですね」
「いい加減構ってやったほうがいいんじゃないか?」
「そりゃあ……お父さまは回復したみたいだから、会って話したい、とは、思うけど……」
セツナとコゲが少し離れ、ひそひそ話を始める。コゲの方から耳打ち。
「もう指名手配は終わってるんだろ? なら……」
「そう単純な話ではありません」
「ほーん……」
そう。敵アンドロイドのカナリアを倒した今、指名手配という状況は終わった。
問題はそこではない。旅の最中で知った母に関する事実を、リリアーナはまだ受け入れられないでいる。
戻ってきたセツナが、リリアーナの肩に手を置く。
「実際、戻ったところでまた面倒に巻き込まれるでしょう。どうしたいかはリリアーナ様の自由です」
「……うん」
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アーガランド大陸に住み始めてからというもの、リリアーナ達はギルドの依頼を受けて生計を立てていた。
掲示板に掲載される依頼は数多くの種類があり、死と隣り合わせながらも高収入なものもある。
そして今リリアーナ達が行っているような、雑用と呼べる軽作業もある。
巨大な牧草ロールを、リリアーナとセツナが素手で転がしている。これらの牧草ロールを所定の位置に納めて欲しいというものだ。
面倒なのは、やたらと牛たちが追いかけてくることである。速くはないものの、のんびりしていれば衝突は避けられない。
セツナはぴんぴんしているが、リリアーナはヘロッヘロである。それなりに疲れる内容だというのに給料は少ない。
作業が一旦止まると、リリアーナはその場でへたれ込んだ。
依頼人である、ふくよかな女性が近づいてくる。肩に担いでいた樽が目の前に置かれる。
「水ならいーっぱいあるよ!」
その親切な声に、セツナは身を振り向けた。
「いえ。彼女は鍛えている最中です。水は絶対に与えないでください」
「そんな……。旧世代の、根性論……」
とてつもない息切れを起こしつつ、リリアーナは風景に目をやる。
対面の敷地に畑があり、赤くて丸めの実りがたくさん見える。
「あれ……。収穫前ですか? まだ四月……。それもアーガランドで」
「うーん、レタスとかはまあ普通なんだけど……。あれは雪にも耐えれるよう品種改良されたやつさ。まあ、その……」
女性が言いにくそうになっていることに気づき、リリアーナは顔を濁した。
嫌でも把握せざるを得ない情勢図が見え隠れする。
「クレセント、ですか……」
クレセント王国とアーガランド帝国。両国による魔石戦争が勃発して以降、それまでの貿易の大半が停止。
食糧も同様で、寒冷区域であるアーガランドにとっては特に死活問題だった。
「お、王女さまが悪いとは思ってないよ! そりゃあ、戦争してる相手から援助なんてもらいづらいし、向こうもやる気無さそうだし……」
「でも戦争は止まってるのに……」
「政治ぼ考えることなんて、一般人には分かんないもんよ」
とはいえ、リリアーナの心にはモヤつきが募る。
人同士で助け合える良い機会だというのに、国はいざこざを止めようとしない。
いつまでも憎しみ合って、いったい何の得があるというのか。
幸福な日々を謳歌するリリアーナにとって不可解でしかなかった。
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結局、牧草ロールを運ぶ作業は夕暮れまでかかった。
セツナがいてこれなのである。一人であれば、ゾッとするような時間がかかっていたということだ。
赤い空と、牧草地の小道。リリアーナは渋い顔で背中をポンポンと叩く。
「うおぉ~……。きっつぅ……」
対して隣にいるセツナは、背筋をピンッと伸ばしながら歩いている。
「姿勢を正してください」
「老体を気づかいなさいぃよぉ」
少し冗談めかしてみただけだが、セツナは鋭く眉根を歪ませた。
「あまり面白くない冗談ですね」
「えぇ~? そんな物騒なこと言ってな……」
何に対して怒っているのか、リリアーナはすぐに気づき、思わず足を止める。
つい先月話したばかりではないか。
「あっ……。ご、ごめんなさ──」
謝ろうとしたのも束の間。
既にセツナの注意は、正面に見える存在に奪われていた。
道の途中で、馬車が横向きで停まっている。道が塞がれた状態だ。
「あれ? なんだろ」
奥を覗き込んでみると、尻もちをついている男性が、アーガランドの警察に囲まれているのが見えた。
悪態をついているのは……。警察官の方だ。
「二日前に上陸したから通行証も無し。よくすんなりとこんな馬車に乗れたもんだなぁ!」
「帝国までは自由じゃないですか!!」
「新手のテロリストかもしれないだろぉ? 特にクレセントの連中はなァ……。草臭くて信用ならねえんだ!!」
警棒を、男性へふりかざそうとする。
急ぎ、リリアーナが腕を広げて飛び出す。
「待ってください! どうしたんですか!?」
「どけよ! リリア…………ァナ王女か……」
ひょうひょうとした態度を取る彼に対し、セツナが後ろから問う。
「恫喝ならば職務違反です」
女性警察官が、男性警察の警棒を下げる。
「ああ、ごめんなさい。最近、クレセント民が集まって何か企んでいるという噂が出ていまして。そのため少し敏感になっていて……」
釈明しているものの、口角が上がりっぱなしなことが気になってしまう。
リリアーナとセツナは共に怪しむ。果たして彼女たちの言っていることは正しいのかどうか……。
「行きましょ?」
女性警察官に促されると、男性の方も警棒をしまう。
先に去る女警の後を追っていくと、去り際に、クレセントの男性に向かって唾を吐いた。
非情な行いに、リリアーナは拳を握りしめる。
「さいってー!」
この間にセツナは、尻もちをついた男性へ手を差し伸べる。
「大丈夫で──」
その親切心を払い除けられた。
乾いた音が鳴り響く。男性は、リリアーナを睨んできた。
「こんなところで何をしているんですか」
「え……」
「アーガランドなんぞに居を構えるなど……! あなたは完全にクレセントの恥さらしです!」
懸念していた一つのことではある。
アーガランド憎しと思っているクレセント民からしてみれば、今のリリアーナは許し難い存在と言えよう。
それを分かってはいたが、実際にぶつけられると、息ができなくなる。
目が滲んでいくのを耐えつつ……。
それでもリリアーナは微笑んだ。
「そうだよ」
「なっ……」
「そう言われるのを承知で、私はここでの生活を選んだから」
リリアーナはジェイドムーンを取り出し、彼の擦り傷に当てる。
ヒールの魔法で治療を施した。
「ヘイブウッドまで一緒に行きましょう。私が一緒にいたほうが安全ですよ」
無理やり彼を、馬車の運転席に座らせる。
またリリアーナの心に重石がのしかかった。
この世界を取り巻く問題のなかで、クレセントとアーガランドの溝ほど深刻なものはない。アンドロイドという強大な存在が加わっても変わることはなかった。
放置すれば、また新たな火種となりかねない。それを痛いほど実感してしまう。
せっかく自由を得ても、そうなれば同じだ。
どうすれば止められるのか。……そんなことばかり頭の中で考えてしまう。




