第一節 ギルド本部にて
王国でも星空は見えた。しかし蒸気や煙が邪魔をして、格別な景色とまではいたらない。
今では、空一面に無数の星が散らばっている。見えても一点だけだったあのころとは違う。
雪の上で敷かれたマットに寝転ぶなか、一人が空を指差す。
「あのひときわ明るい星がシリウス……」
なぞるようにして別の星へと指を向ける。
「その部分を鼻先と仮定して、犬の形のように線を伸ばせば、おおいぬ座という星座になるようです」
もう一人……。
リリアーナ=クレセントムーンは、後頭部に手を回しながら聞いている。
解説をしてくれた従者、セツナ・アマミヤの耳元で聞く。
「全然ワンちゃんに見えないよ」
「まあ……。由来は未来に作られた神話らしいので、深く考えないほうがよいのでしょう」
「ふーん……」
また黙って星を眺め始める。いま見えている星の一帯が、未来では冬の大三角と呼ばれているらしい。
セツナの脳内にあるデータベースなる領域には、さまざまな知識が収められている。
視認した状況に関連する情報を表示し、リリアーナに伝えているのだ。
彼女の瞳が、今はリリアーナに向けられている。
「そんなにおもしろいですか?」
「ううん。別に」
軽い返答を聞いた彼女は、立ち上がろうと上体を起こす。
「ならもう家に……」
セツナの手首を、リリアーナが掴んだ。
笑みを浮かべながら首をかしげる。
「いいじゃん。あと一時間くらいさー。ずっと見ていようよ」
彼女の肩に手を当て、座らせる。
セツナは眉を釣り上げるも、また星空を見上げた。
「まあ……中にあるのは浴槽とベッドだけですからね」
「そーそー!」
アーガランド大陸で家を手に入れた二人だが、まだ家具は買い揃えている途中である。
改めて眺める星は、一つ一つがより輝いているように見える。
苦難の末、二人はひとまずの平穏を取り戻した。まだ多くの問題は抱えたままだが、最悪の状況から抜け出すことはできたのだ。
今は静養期間である。特に、リリアーナの体内にあるダーク・シードを活性化させないためにも、ストレスのない日々は必須であった。
そう、この生活が続けばずっと幸せ……。そう思っていたのだ。
笑顔のまま、リリアーナから口を開く。
「働きたくない……」
聞いたセツナは、冷や汗をかきながら顔を渋くする。
「そういう……義務ですので」
「もっと一生遊んで暮らせるくらいの報酬もらえるのかと思った」
「……家を買えるくらいは相当だと思いますが」
リリアーナは両手で顔を隠す。
「原稿を読み上げるくらいしか今までしてこなかったんだよ。いったいどうすればいいの?」
「心中は……お察しします。ですが、今のままならば家具も増えません」
手を離すと、一転してケロッとした表情を見せる。
「いやいやー。大好きな人が傍にいてくれたら、他にはなーんにも……」
「年金の納付義務違反を続ければ逮捕もあり得ます」
うぐっ、とリリアーナは声を詰まらせた。
「食費もです。今は安価なもので凌いでいますが……」
堪らず、リリアーナは立ち上がる。腕を組んでうーんと唸った。
セツナがジト目で見上げてくる。
「求人の冊子は?」
指摘され、リリアーナの顔から威厳が消える。
うつむいてから一言。
「……読みました」
「それで?」
腕を定位置に戻す。
舌出しとともにウィンクをした。
「てへっ」
セツナは自分の額を押さえて首を横に振る。明らかに呆れられている仕草だ。
慌ててリリアーナが弁明する。
「だ、だって、全部向いてないと思ったから……」
「料理やら掃除やら、メイドみたいなことばっかりだなー、と?」
「そ、そうは言ってないでしょー?」
「実際、あなたに裏方作業は向いていないと思います」
「むう……。なんかそーゆー風に言われるとムカッとくるなぁ」
セツナも立ち上がり、雪溶けで付着した水滴を払う。
「いいでしょう。何件か、自分が面接に行こうと思います。果たしてこの格好の人物を雇ってくれるのかという問題は未解決のままですが」
その『格好』を聞き、リリアーナは視線を下ろす。
アンドロイドとして蘇った彼女の姿は、顔や背丈に関して言えば、人間だったころと同じである。
ただ服装だけは、本来の彼女が絶対に着ないような格好だ。
太ももが丸出し。それに露出度も高い白のボディスーツ。
特に股間部は食い込みが激しく、鼠径部にいたっては隠す術がないほどに……。
直視を続けていると、太ももで手を挟むようにして隠される。
ほんのりと顔を赤くしているセツナが対面にいた。
「……真面目に聞いていますか?」
「き、聞いてるよー」
ムスッとした後、家の方へと戻っていく。
リリアーナの視界に、彼女の特徴的な部分がまた露わとなる。
「うーん。後ろから見てもすっごいしな~」
雪で作られた硬球が顔面にめり込んできた。
「げふっ……」
直撃を受けたリリアーナは倒れ込む。
さらに真っ赤になったセツナがリリアーナを睨みつける。
「……スケベ」
ガバッとリリアーナが起き上がる。
「えー、それセツちゃんが言うー? 私の裸に見惚れてたよねー?」
駆け足でセツナへついていく。
リリアーナ達が住むこの家は、住んでいる地域、ヘイブウッドの端。その森林内にある。
元王女がいる、と見に来る者もいるが、比較的人との関わりは少ない。スローライフを送るには適した環境である。
他の特徴を述べるとすれば、アーガランド大陸は寒冷地域であるため、耐寒仕様の設計であることだ。レンガ製の外面は厚く、中には暖炉も備わっている。
初めてこの地に来たにしては恵まれた環境だ。これであとは家具さえ揃っていれば……。
そんなふうにリリアーナが考えていると、リビング中央にあるテーブルの上に、名刺サイズの紙が置いてあるのを見つけた。
それを手に取る。猛牛の頭部をかたどったマークが目に入った。
裏側も確認。住所と、アース・ホーンという謎の名称が書かれている。
「これは?」
見に覚えがないので、セツナなら知っているのだろうと聞いてみる。
しかしセツナは口をつぐむ。わざとらしく視線も逸らす。
不可解な態度に、リリアーナはじっと見つめて対抗した。
やがて観念したのか、セツナはため息をつく。
「地域安全という目標を掲げるギルド組織が立ち上げられたそうです。皇帝の威権が静まったがために成り立ったのでしょう」
ギルド……。これまでには無かった存在だ。
リリアーナも、読んでいた小説内でしか見たことがない。
「しかしどのような活動をするのか、詳細が書かれていません。野蛮です。極めて野蛮」
やけにセツナは警戒心を強めている。
対してリリアーナはというと……。
無言でその紙を直視し続けた。
セツナが振り向いてくる。しかめっ面から、リリアーナの心境を読み取ったのだろう。
国や家に縛られない……。そんな暮らしを夢見ていた元王女にとって、ギルドという響きはとても心地が良かった。
「これだよこれ!! 天職かもしれない!!」
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ギルド、アース・ホーンは、リリアーナ達が暮らしているヘイブウッドの地に本部を構えている。
徒歩で向かえるという点も魅力だ。リリアーナは扉の前まで来ると、元気よく手で押す。
「こんにちはー!!」
カランカランと扉に付いている鐘も鳴る。
テーブルを囲んでいる多くの者たちが一斉にこちらを向いた。
上腕の筋肉を見せつけるように出した男性。毛皮を羽織った女性など、空想どおりの風貌ばかりだ。みな目が据わっている。
しかしリリアーナは、鼻歌混じりにニッコニコである。室内をキョロキョロと見渡しだす。
「さーて。私を待っている依頼はどこかなー?」
一方、コートを羽織っているセツナは、厳しい眼差しをリリアーナへ向けていた。
「あまり大声を出さないでください」
「でもギルドって活気があるものでしょ?」
セツナは、客たちの様子を隈なく見る。
彼らは会話どころか、口に入れている料理も少ない。
「そうには見えませんが……」
すると、リリアーナは掲示板を見つけた。
「おおっ。ここから選べるのかな」
セツナも掲示板と向き合う。
貼られている依頼表をぼんやりと見ながらつぶやく。
「ここだけは避けたかったのですが」
「何で?」
やはりリリアーナは分かっていなかったようだ。
両手で身体をこちらへ向かせる。
そして、彼女の腹あたりを指差す。
「あなたの体内に何が残っているのか、忘れたわけではないですよね?」
ダーク・シードは敏感な性質である。
また負の感情が溜まるようなことが起きれば、再三言われていた魔女化に近づきかねない。
しかし当のリリアーナは、一汗垂らすも、笑いながら頬をかく。
「で、でも、しばらく何も起きてないわけだしー」
「そうならないように静かな生活を続けていたのです。もし凶暴な獣と戦って怪我でも負ったら……」
「そうならないように護ってくれれば──」
両手で彼女の口をゴムのように引っ張る。
「怒りますよ?」
「もうおほっふぇるよぉぉ……」
半泣きになったのを見届け、手を離す。
リリアーナはつねられたあたりを擦る。
「で、でもさ? アンドロイドが攻めてきたときよりひどいことになんてならないだろうから。稼ぐにはちょうどいいと思うよ?」
このギルドで働こうという意志はいたって変わらずであった。
セツナはため息を床へと放つ。
「まあ……。見るだけ見てみましょう」
「うんうん!」
流されるがまま、共に掲示板を見る。
まず一番近いところにある依頼をリリアーナが読み上げる。
「ゴで始まってリで終わる害虫が発生しました。助けてください。家に入れません。給料は百レント」
見なかったことにして、次の依頼を読み上げる。
「頭部が三つになってしまったネズミ。大量に繁殖。彼らの退治。報酬は三百レント」
段々リリアーナの顔が引きつっていく。また別の依頼に目を通す。
「短期の仕事です。シロアリ駆除をお願いします。一日十件ほど回ります……」
貼られていた紙を勝手に畳んだ。リリアーナは歯で息を鳴らす。
「発足し立てのギルドなどこんなものです」
「ぐぬぬぅ……」
創作物で見ていたロマンあふれる世界とはあまりに程遠い。凶暴化した動物の討伐任務すら無いありさまだった。
リリアーナは、ずかずかと建物の奥へ。カウンター席に近づいていく。
「マスター!! オレンジジュース水割り!!」
そのまま座って頬杖をつく。
スーツを着こなし立っているのは、獣人の男性だ。目玉焼きを調理していたが、リリアーナの登場で火を吹き消した。
「ホントは未成年の入場自体が禁止なんだぞお?」
セツナもリリアーナの隣で座る。
彼は二人を見回し、特にリリアーナを見つめて顎毛をなでる。
「まあ、元王女様とあられるお方だから大目に見てやる」
顔は知られているだろうと思ってはいた。
旅の最中は見つからないようにしていたものだが、今やふふんっと胸を張っている。
ともかくセツナは、マスターに話を聞いてみる。
「最低時給にも満たない依頼ばかりですが?」
彼は、コップにオレンジジュースを入れている最中だ。
「割の良い仕事は、掲載されてすぐにライセンス持ちがかっさらっていったからな」
「立ち上がり間もないというのにそのような方たちが?」
するとマスターが、既に近い距離だというのに手招きをしてきた。
二人は一度見合ってから、耳を近づける。
マスターが耳打ちで喋りだす。
「ここだけの話だがな。このギルドを立ち上げた奴は、暗殺や破壊工作を請け負っていた組織のリーダーなんだよ」
心当たりしかない。
動揺とともに、目も大きく見開いてしまった。
「えっ。それって……」
当然、リリアーナも彼の言う話が何のことを指しているのか気づく。
セツナがわずかに顔をうつむかせたことも見逃さなかった。視線を注いでくる。
「アンドロイド襲撃で破綻した……。ニュースになってたろ? 帝国が、孤児とかを拾って育成してたんだってな。悪趣味だよなぁ」
セツナは、その悪趣味な施設に育てられた一人だ。
アーガランドで住むと決めて以降、なるべく耳に入れないようにしていた。
嫌でも知ることにはなったが、それがこうして自分たちの目の前へ現れるとは。
「表向きは別の奴がリーダーになっている。だがそれも、成金野郎が裏金を出してのお飾りだよ」
リリアーナは、手を勢いよく上げる。
「ギルドの精神に反していると思います!!」
「んなもん、策略家からしたら利用価値の燃料だ。腕の立つ奴をライセンス持ちとして雇って、ここ一、二カ月の損失を取り戻せるまでプラスにするんだよ。まあ、ここに所属している奴らはそいつに騙されたってわけ」
◇
ある程度の事情を知り、リリアーナは唇を尖らせる。
またしても帝国の悪知恵だ。魔石戦争の時点で、あの国の言い分は鬱陶しいと思っていた。
そして壊滅的打撃を負った後でも、利用できるものは利用しようと画策している。
この大陸で暮らしている以上は無関係でいられないのだろう。しかし、実に腹立たしいと思った。
またセツナの様子を伺う。
彼女の両手が、股あたりで握られていることに気づく。
ここにいれば、セツナに暗部としての自分へもう一度向き合わせることとなる。
そんなことはさせたくないと思った。リリアーナは、セツナの手首を掴んで立ち上がる。
「分かりました。貴重な情報ありがとうございます」
「あっ……!」
引っ張り、そのままギルド本部を出ようとする。
「おぉい! タダ飲みしていく気かぁ?」
マスターにそう言われたので、振り向いてカウンターを見る。
勢いで注文してしまったオレンジジュースが置かれていた。
リリアーナは、冷や汗と苦笑いを浮かべる。後頭部をなでながら再び席につく。
ちゅうちゅうとストローで飲み始めると、すぐに顔をしかめた。
「ほんとに水割りしてる……」
フハハと笑うマスターは、また前のめりになる。
「四十万レントの依頼を持ってるんだが」
ゴフッとジュースを吹き出した。咳も繰り返す。
セツナが背中を撫でてくれる。やりながら、彼女はマスターへ鋭い視線を向けた。
「割の良すぎる話ですね」
「ああ、依頼主は俺だ」
「は?」
「ホントはよぉ。公にはしてないが、このギルドで反政府活動も計画していたんだ」
リリアーナは涙目になりながら聞く。
「まさか、それがバレて……?」
「こっちとしても出資者が欲しかったからな。そこを突かれたんだよ」
「当然、監視の目があれば、そんな活動はできない」
「ここの家主でもある俺としては、早くあいつらに立ち退いてもらいたい。こんな活気のないバーになんざ、誰も来ないだろう?」
実際、中にいる客たちはみんな下を向いている。
リリアーナと同様に、思っていたのと違ったという心境なのか。それとも帝国の企みにうんざりしているのか。
「だが失敗すれば俺の首が飛ぶからな。並の実力しかない奴には任せたくない」
するとマスターは、カウンターの下から写真を取り出す。
一人の男と、部下と思われる男女二人が写っている。どこかの路地裏で話をしているのか。
それを見たセツナの肩が、わずかに揺れる。
彼女にとっての顔見知りだとすぐに理解した。
カウンターには、大きなレンズが付いている箱状の撮影機も置かれた。
「北へ二十キロにある温泉街、ガンホテキにいるらしい。きっと何か企んでいるに違いねえ。証拠さえ掴んだら殺しちまっても構わないが?」
リリアーナは、両手を前に出しながら苦笑いする。
「さ、さすがにそれはぁ……」
何も裏がないのであれば、願ったりな仕事ではある。
ただ、セツナのことは気にかけざるをえなかった。
この帝国の男は間違いなく悪人である。しかしセツナは、彼の作った施設で育てられた。
そしてリリアーナは、セツナがどのような日々を送ってきたのか詳しく知らない。
自分が勝手に判断を下すのはやめようと思った。




