第四節 ヤキザカラにて
頼みを受けて……まだセツナは、唖然と目を見開いたままだった。
主の命令ならば従うべき。そう心に言い聞かせようとしても、実行に移せない。
「どういう……つもりですか」
承諾の言葉など素直に出せず、とっさに問い質してしまった。
「あれは気の迷いだったのです。余計な感情を抱かせたことは謝罪します」
「……余計なんかじゃない」
まだ気遣ってくれる。
そうまでして、優しくいてくれる必要などないのに。
「エキュードさんのように……何年もあなたのことを見ていたわけではない」
その名を聞いたリリアーナは、少しだけ身を震わせる。
彼も似たような立場だったのだと、セツナはつい先日気づいた。
リリアーナの傍で尽くそうとし、想いを伝えるあと一歩のところで果てた。
大きな違いは、出会ってからの年月だ。セツナとリリアーナが過ごした日々は、まだ半年より少し多い程度である。
横から割って入ってきた自分が、なぜ彼女と恋仲になどなれようか。
「なのに自分が関係を結ぶなど……あまりに不釣り合いです」
言い終えると、リリアーナの息を呑む姿が目に入った。次の言葉を探しているのか、下向いた視線が右往左往する。
もうここまで言えば諦めてくれるだろう。あらゆる意味で自分はふさわしくない。
いずれまた来るかもしれない自分の死。それを乗り越えられるだけの覚悟を持ってもらおう……。
意気込んだところで、リリアーナから口を開く。
「トランプの絵柄……!」
「は……?」
疑問符が浮かんだ。唐突すぎる単語だ。
約一年前。現世から消えていたセツナにとっては、まだ浅い記憶である。
結婚式前夜に泊まった宿で、セツナは、リリアーナと遊ぶためにいくつか遊戯を持ってきていた。
そのなかにあったのがトランプだ。裏面に描かれていたのは……。
「サンフラワーは好きだけど……。ここ数年は、誰かに言った覚えなかったよ」
そんなはずはないとセツナは思った。
太陽のような広がりのあの花に対して、まぶしい笑顔を見せていた姿がよく印象に残っている。
あれは帝国で見た新聞記事だ。写真とともに紹介されていた。
しかしいま思えば……リリアーナの年齢が一桁のころだ。
「新聞で取り上げられてたことはあった……。もしかしたらセツちゃんは、ずっと前から私のことを……!」
「偶然です」
食い込むように、リリアーナの憶測を否定した。
「あなたが……花を被せてくれたことがあったから。あなたの好きな花だったことは、たまたまで……」
「……ただ、記憶が良かったから?」
「はい」
リリアーナは顔をむすっとさせた。
そうして、重大な指摘を行う。
「じゃあ……顔赤くする必要もないよね?」
すぐさま手で顔全体を隠した。
視線を泳がせながら……口ごもってしまう。
王女の好みに合わせて選んだというのは確かな事実だ。
「いろいろ納得しちゃった。昔から私のファンだったんだ」
「す、少しは、気になっていましたが……違います」
「それはそれで傷つくよ~」
少しからかわれた。今度は口を尖らせてそっぽを向く。
リリアーナは悪戯な笑みを浮かべた。視界から消させぬようにと、上目遣いで回ってくる。
「じゃあ……セツちゃんの言い分は、もう通らないよね?」
新聞という形態でだが、リリアーナのことを古くから見てはいた。その証明となってしまっている。
そうだとしてもと、セツナは再び反論した。
「論点がズレています!! あなたを危険に陥れたのはセツナで……!!」
「どーしてずっと自分のせいにするの!!」
「だ、って……」
自分がいなければ、と常に思い続けていた。
結婚式の件も、自分の死で絶望させてしまったことも。
アンドロイドとして蘇って以降も、エキュードの真相、ミケという別意識の存在……。
彼女に関わる者を狂わせてきた。未来の破滅も待ち構えている。
自分さえいなくなればいい。あとは、彼女に自分の死を乗り越えてもらえば……。
そう、心では思っているのに。
「うっ……くっ、っぅ……!!」
引きつりを起こしたような息継ぎに変わってしまう。
本当は彼女の隣にいたいと、感情が暴れだす。
涙は出ない。そういった身体だからだ。まぶたや頬だけを歪ませている。
リリアーナに憐れみの目を向けられ……また困らせた。
従者として、これほどまでの失態があるか。
理性と本心がぶつかり合う。
自分にその資格はない。……ずっと傍にいたい。
顔もまともに見られない。目をつむったまま、離れてしまおうかとすら考える。
……温もりを感じた。
初めて会ったときのように。目のあたりに指を添えられる。
片方の指ではなく、今度は両手。
やがて包み込む形で、セツナの顔を上げるように誘導される。
「君を救えてよかったって……今でも思ってるよ」
幾度となく惹かれた瞳。
それが自然と閉じられていく。
いくらでも、退けられる時間はあったのに。
求めていた。望んでいた。
だから受け入れた。
唇を……合わせられる。向こうからだ。
望みを自覚し、セツナもまた目を閉じた。
舌先はそこまで動かさず。今はただ、共にいられる喜びを噛み締めるように。
相手の息が苦しくなるまで……ずっと続けた。
唇が離れる。互いに閉じていた瞳をまた開け、見つめ合う。
白い息が混ざり合うなか、リリアーナのほうからほほ笑む。
全てが解決したわけではない。しかし、セツナの心にある鎖を解くには充分すぎた。
「イヤだって言っても、私が強引に引き寄せちゃうよ!」
ワガママであるという意識を捨てず、それでいて相手のことを思いやれる。
彼女のこういった部分に惹かれてしまうのだ。
改めて考える。自分は、隣にいてよいのか。許されるのか。
彼女の行動を見てしまえば、もう止められない。悩まなくてよいのだ。
決意とともに、リリアーナの手を握る。塞ぎ込んでいた心を消し、鼻先が向かい合う。
出会いと別れ。そして再会……。
運命的な巡り合せが、二人をここまで引き寄せた。
それを只の奇跡で終わらせたくない。これからも確かなものでありたい。
気持ちは同じまま。ようやくセツナは笑みを浮かべ……。
途端に、何かの割れる音が遠くで響く。
セツナは目を大きく開いた。リリアーナの身体を横にずらしながら背を向ける。
風圧と衝撃が二人を襲う。
「きゃあああああ!?」
吹き飛ばされ、後方の茂みに倒れ込む。
リリアーナは慌てて起き上がり、セツナを見下ろす。
「セツちゃ──」
◇
光景に、リリアーナは思わず息も忘れる。
セツナの横脇腹に、大きな穴が空いていた。電流が見えることから、帯電性を持った攻撃だと思われる。
受けた部位は、くしくもあの時と同じ……。
まだ終わっていない。簡単に幸せなど掴ませないと言わんばかりに。
「いや……。いやだ……。セツちゃん……ッ!!」
首を横に振りながら、いまだ動かない彼女を揺する。
するとセツナは、腹ではなく、頭を押さえながら起き上がった。
傷となっていた腹の穴も徐々に塞がっていく。
「だい……じょうぶです。少し目は、眩みましたが」
言い聞かせてくるものの、リリアーナの動悸は激しくなる一方だ。
偶然とは思えない状況の一致が過呼吸を引き起こす。
それを見たセツナが、両肩に手を置いてくる。
「落ち着いてください!! まだこうして……!!」
襲来した事態は安寧を許さない。
割れた音と同じ方角にて、今度は爆発音がとどろく。
二人はそちらを見る。街の外との境目にある門が、激しい炎に包まれている。
二度に渡る攻撃が同じものなのかは不明だが、セツナの身体を貫通した鉛玉は地面に刺さっていた。セツナがそれを拾い、分析する。
カナリアによる狙撃か。リリアーナはそう予想しつつ、東の空を見る。
彼女の姿は見えない。
視界に入ったのは……別の影だ。
赤く不敵に輝く、巨大な翼の生物。帝国に改造させられたという獣たちだ。
銃撃によって、彼らの侵入を妨害するためのバリアは砕けた。
さらに地上でも門が倒壊する。
夜間に暴走する生物たちが、簡単に街へと入り込める事態になってしまった。
-----
最新機種であるカナリアの性能は、他のアンドロイドと比べて遥かに高い。
そのうちの一つが、眼球に搭載されている、超高精度の望遠レンズだ。
アーガランド帝国とヤキザカラの距離は約二十キロある。だが視界と角度さえ合えば、例えその倍の距離からでも標的を視認し、なおかつ狙い撃てる。
カナリアは、帝国本部、要塞の最上に立っている。
予定にはなかったが、このタイミングでの奇襲をかけた。
リリアーナなる少女が許せなかったのだ。ミケ……。彼女にとってはセツナと口づけを交わした。
「そこにいなくちゃなのはカナリアなのに……。ずいぶん勝手ですよね」
先にヤキザカラから人員を集めていて正解だった。クールタイムは十分ではないが、この機に乗じてミケを迎え入れようと考える。
思い立ったらすぐ行動だ。カナリアはステップを踏み、要塞の中へ入った。
駆け寄ってきたライラックとステラが道を塞ぐ。
弱々しい表情でライラックが口を開く。
「カ、カナリア機!! ダーク・キューブ達を置いて離れるつもりか!?」
「お二人には手なずけ方を教えましたよね?」
「またあたしを手荒く利用しようってわけ?」
「それ以外に存在意義がありません。しぶとくセンターを狙ってるみたいですけど♪」
ステラが謀反の機会を伺っていることは、目に見えて明らかだ。
しかしいつまで経っても機会に恵まれないのがおもしろすぎた。カナリアはニヤける。
実際命令に従わなければ、ステラの身は痛めつけられてしまうだろう。彼女は顔をしかめながら、階段を下りていく。
カナリアも、両腕を横に広げながら後を追う。
最下層へと近づくにつれて、多くのうめき声が聞こえてきた。
照明用の火など点っていない暗闇。肉体と筐体の周囲に浮かぶ、火や電流のみが光源となっていた。
彼らの前で、カナリアは足を止める。
顎に人差し指を当て、「うーん」とわざとらしく悩む。
「せっかくだから……いじわるなセトリにしたいですよね♪」
-----
壊れた門から、獅子型と牛型の二体が侵入した。
警察たちがボウガンを構えて応戦。だがあっという間に餌食となる。
上空からも獣の群れだ。閑散としていた街だったが、事態に気づいた人々が建物から飛び出し始める。
そして必死に逃げ惑う。立ち向かう者もいたが、改造で強化された彼らの前には無力だった。
お姫さま抱っこの形でリリアーナを抱えたセツナが、街道へ下り立つ。
地に足を付けたリリアーナは、即座にレイピアを抜く。人々の前に立ち、前方向へバリアを展開。
たやすく破れはしない障壁へ、狼型の獣が牙を立てる。
黒板を引っ掻いたような音が響く。一体程度なら問題ないが、後から押し寄せてこられれば厳しい。
「しゃがんで!!」
背後の上空から声が響く。リリアーナとセツナは、言われるがままに屈む。
頭上すれすれを、炎の弾が通り抜けた。狼の頭を貫く。
西側で聞き込みをしていたフェリシィの射撃だ。羽を広げた彼女が下りてくる。
「早く追い払うわよ!!」
「街の警備の人と協力しよう! 私たちは、これ以上の侵入をさせないように……!!」
リリアーナの発言途中。セツナは、街の南側を向いた。
闇魔力の胎動……。多くの物質が、異空を辿ってこの地に出現している。
それは、氷雪地帯ならではのスポットで行われていた。四角く縁取られた柵線の中に、氷で作られた床が張り巡らされている。
本来であれば、その上を多くの者が、裏面に刃物のような金属が付いた靴で滑走するのだ。
こういった場所のことをスケートリンクという。
闇の魔力が集まっていくのは……その下層。
氷に亀裂が走った。
そこから、骨のように肉付きが細い……。
しかし大きな魔力の手が飛び出す。
やがて、異様な存在が下から這い出てくる。
二つの手と繋がっているのは、黒く四角い大型の箱だ。
既視感にすぐ気づいたのはフェリシィである。
「あれ……。ネブリナで使ってたやつ……!!」
微妙な角ばり方の違いはあるものの、カナリアが襲撃時に操作していた物とよく似ている。
あのときはテストがてらといった様子だったが、より段階を進めているのだろうか。
セツナは解析モードをオンにし、敵兵器の性能を読み取る。
……中にある熱源を見て、戦慄した。
筐体の大きさとはあまりに不釣り合い。無理やりといった具合に被せられている。
「……セツちゃん?」
リリアーナが手を握ってきた。彼女がすぐ気づくほどに、動揺の色を隠せずにいたようだ。
そんなはずはない。あってはならない……。
願望にも似た否定だけが浮かぶ。
だが無情にも、全容が姿を現した。
箱の下部から見えているのは……人の脚だ。
つまりこれは、兵器と魔力と人間を繋ぎ合わせたモノ。魔力の手が足代わりとなっているため、人の脚は力なく揺れきっている。
「ひ……ひどい、よ……」
リリアーナは声を震わせた。フェリシィも愕然とする。
極めて非人道的な存在だ。まだ一体だけの出現だが、ステラによる転移だとすれば、同じような人造兵器があと数体は出てくる可能性がある。
どうにかあの一体を再起不能にし、そうしてスケートリンクへ行って進行を止めるしかない。
箱の表面にも高い魔力反応だ。それが何なのかを二人に伝える。
「強い魔導コーティングです。しかしリリアーナ様ならば……」
何らかの魔力を当てられさえすれば、その防御力を無効化できるだろう。
まだ、異形の存在はこちらに気づいていない。その隙に、リリアーナがレイピアへ魔力を込め始める。
「ムーンライトォォ……」
その行動が裏目に出てしまう。
「えっ……!?」
リリアーナの太ももに、黒い影が巻き付いた。
強い魔力を放出していたゆえに、こちらの位置を完全に把握されたのか。
まずいと思った。すぐにセツナはその影を剥がそうとする。
だが、指に触れる直前。
無数の黒い手のようなものが地面から生えてきた。
その暴れっぷりから、距離を取らざるを得ない。
黒が膨れ上がっていく。リリアーナの身体が見えなくなる。
彼女の身体は、手品のように消えてしまった。レイピアだけが床に落ち、虚しく音を鳴らす。
「リリアーナ!? 食われたの!?」
「いいえ、違う……!!」
二人の声を聞き、人造兵器がこちらを向く。
「ヲヲヲヲヲヲヲヲヲッ──!!」
低い奇声が轟くとともに、敵の両指先がこちらへと伸びてきた。
セツナはフェリシィを抱える。後方に大きく跳ぶことで攻撃を回避。
先ほどまで立っていた雪面に穴が開く。触れたものを無の空間へ変えてしまう能力だ。
リリアーナの熱源は、スケートリンクの地下に移動した。
彼女が巻き込まれたのは、ステラによる別種の攻撃だろう。
しかし、予断を許せない状況だ。何をされているのか定かではないが、リリアーナの体温は下がっていく一方……。
このまま放ってはおけない。一刻も早く救出し、そのうえでレイピアも届けなければ。
そんな考えのなか。
脳裏をノイズが走った。
「ぐっ……!!」
「セツナ!!」
頭を押さえ、耐え忍ぶ。
あの狙撃の影響だ。間違いない。
ミケの意識が活発化してきている。最悪のタイミングだ。
彼女の狙いは……。同じ脳を共有しているから分かる。
次にリリアーナへ近づいたところで、置き換わるつもりだ。
油断した彼女を殺害し……任務を達成する。
「フェリシィ、さん。リリアーナ様を……おねが……」
「なに言ってんのよ!? アンタも来るのッ!!」
フェリシィに引っ張られている間に、人造兵器は砲塔を向けてきた。
雷光が、いびつな線を描いて迫る。
重くなった身体だが、フェリシィを抱えたまま、走り高跳びの要領で前に回転。回避に成功した。
同時に、レイピアのもとまで来る。セツナはそれを拾う。
すぐにフェリシィの前へ出す。
「彼女に、届けて……。スケートリンクの下にいます」
「アンタはどうすんのよ!!」
既に行動は決まっていた。
セツナは、背中のジェットパックを点火させる。
「こちらは……引き受けます……」
深いことは話さずでいようとした。
だが、フェリシィは大口を開き……察したようだ。
「言ったわよね!? アンタに消えられたら困るってッ!! リリアーナにどう話せばいいのよ!!」
叱咤の間にも、人造兵器が両手を振り上げる。
時間はない。レイピアを押し付けるとともに、フェリシィを突き飛ばす。
両腕から剣を出した。振り下ろされた魔力の手をしのぎながら、前方へ飛ぶ。
セツナの名を呼ぶ叫びが辺りに木霊した。




