第三節 到着、ヤキザカラにて
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冬場のアーガランド大陸は、雪による移動障害が多く発生する。通常の馬車では進みが遅いため、別の移動手段を確保する必要がある。
そこで重宝されるようになったのが、今リリアーナ達が乗っている乗り物だ。
「「ひゃあああああああ!!」」
ソリが激しく上下する。
セツナは動じないが、左右の二人は必死に座席へしがみ付いていた。
セツナの容体が安定化している今だからこそ、トナカイぞりは良い速度で突き進めている。太ももに置かれたセツナの手が支えているために、二人は微動で済んだ。
騎手のリザードマンが、握っている手綱からトナカイ達へ強化魔法を流し込んでいる。そのスピードは、客のことを考えなければ時速六十キロにまで到達するという。備え付けられていたベルトを腰に締めておかなければ、容赦なく投げ出されてしまうだろう。
なお、セツナだけはベルトを付けていない。左右にいる二人の間でただ膝を折っているだけだ。
一、二時間おきの休憩も挟みつつ、夕暮れ時の時間までトナカイ達は走り続けた。
そうして、アーガランド帝国まで残り二十キロというところまで辿り着く。
直前の街であるヤキザカラ。その役所辺りでソリは停まった。
騎手のリザードマンがニコやかに振り返る。
「あんがとさんな。おかげで良い収入になったわ~」
もともと、トナカイぞりの料金はやや手を出しにくい高さだ。しかし船に乗る分の消費がなくなったがために、出し惜しみなく払える。
リリアーナとフェリシィはぐったりともたれていた。
「ま……待って……」
カクついた動きのリリアーナが手を挙げる。騎手に対して聞く。
「今から……帝国には、行けないんですか……」
「はぁ……? こんなんじゃ……戦えない、でしょ……」
凄まじい疲労感を覚えてはいるが、リリアーナは踏ん張る。立ち上がって言う。
「少しでも早く、カナリアを倒して、セツちゃんを……」
「言ったろう? アーガランドは入国規制が出てるぜ? そもそも、いま東側を出歩くのは……」
リザードマンの制止を無視した。リリアーナは近くの門から出ようとする。
だが、閉まった門の前で二人の警備員が立っており、引き止められた。
「今は外へ出られません!!」
「大丈夫です!! 夜道くらいどんとこい!」
「時間の関係ではなく!!」
わずかに、門の向こう側が見られる覗き穴があることに気づく。
リリアーナはそこから外を見てみる。
遠くで、クチバシの長い生物が群がっているのを見つけた。
何だと思ってよく見てみると、鳥の羽があることにも気づいた。
彼らは、地べたに落ちているある物を口でつついている。咥えては、上へ引っ張ったりしていた。
みな目が赤く光っており、興奮している様子だ。
別の赤い瞳と目が合った。
「ううわああああ!?」
横から来た。とてつもない至近距離だ。
門を隔ててすぐそこに相手はいる。リリアーナは驚きのあまり、尻もちをついた。
人間よりも開いた瞳孔は、暗くなった場所でも活動がしやすいようにという仕組みか。つまりこの時点で、獣か獣人だと断定できる。
そして外側からの門を引っかく音と、人語ではない唸り声……。
熊であると分かった。
警備員の一人がリリアーナの前でしゃがむ。
「夜は獣たちの活動が活発になるんです!!」
「クレセントでは狼くらいですよ!?」
「あっちの方ではそうでも、この近辺ではこうなんです!」
上を見てみると、空からの侵入がないよう、縦に長い魔力の結界が張られていた。それだけ外にいる獣たちへの警戒が強いということだ。
近づいてきたセツナが話に割り込む。
「そうなった原因は、帝国の実験による影響です。そうですよね?」
警備員は、咳払いをしながらそっぽを向いた。
セツナが続けて説明する。
「憎しみを募らせた獣たちは、夜になると人間を重点的に襲いだします」
「……じゃあ、さっき鳥さんたちが食べてたのって……」
考えられる事実を頭に浮かべ、あわわわと青ざめた。
「だ……だからって、ここで立ち止まってるわけにはいかないんですっ!! お金なら出しますから!!」
「ですからそういう問題ではないのです。お引き取りを……」
◇
セツナの腕を、誰かがちょんちょんと突いてくる。
振り向いてみると、いたのはフェリシィだった。手招きしてすぐに離れていく。
リリアーナに聞かれたくない話でもあるのか。主のことを気にしつつ、セツナは彼女についていく。
互いに停止する。フェリシィは腕を組んで話しだす。
「リリアーナについてだけど……」
「はい」
「昔っから……あんなんだったの? だれかれかまわず」
「それは、ロゼットさんの件についてですか?」
「…………まぁ」
セツナは少し考えつつ、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「少し語弊があります。彼女なりに……基準はあるのかと」
レーターやステラ、そして新たにカナリアも含まれるだろう。
彼女ですら許せないと思う人物も多く存在する。
「なぜ今そんな話を?」
「隙を見て聞くつもりだったってば」
さらに彼女は目を伏せ、声色を重くする。
「ジジョーがどうとかで片づけられるほど、こっちは甘くないって話よ……」
納得は難しいのだろう。戦ってきた二人の相手に対して、まだフェリシィは整理しきれていないのだ。
考え方を改めろというのは無理強いに等しい。
だが、彼女にとっても近しい事例があるということは知っておいてほしいと思った。
「……自分も最初は、帝国から派遣された暗部でした。リリアーナ王女を殺すために王城へ向かった」
「…………えッ!?」
彼女にとっては予想だにしない事実だったかもしれない。
セツナ自身も、そういった事情があったことを今では信じられなく思う。
「……リリアーナと、いつからの仲?」
「古くはありません。約一年半……。そこから正しく生きる道を貰った以上は、彼女の考えに賛同したいと常々思っています」
もともとはそういった立場の者が、今では王女を護る従者になっている。
フェリシィは眉をひそめた。悔しそうだが、納得はしたらしい。
闇から手を洗った一例が目の前にいるのだから。
ただ、全てを肯定したわけでもない。
「見る目があっても……みんながみんな、同じようにいくとはかぎらないでしょ」
「たしかにそうですが……」
敵に優しさを向けるのは危険でもある。そこにつけ込んで、リリアーナに迷惑をかけようという輩が出てくるかもだ。
「じゃあ……。なおさらアンタに消えられたら困るわ」
「は?」
「アタシひとりで、あんな危なっかしい子のめんどー見きれないもの」
信頼しての発言だったのだろうが、言われたセツナの顔は浮かなかった。目を伏せながら答える。
「自分が……あの方の隣にいていいのかと、疑問に思い始めています」
弱気の発言に、聞いていたフェリシィが上ずった声を出す。
太ももを平手で叩かれた。
「なんでよッ! 今そーいう流れじゃなかったでしょ!?」
「ど、どーしたの、二人とも!?」
戻ってくる途中だったリリアーナが、慌てて駆け寄ってきた。
どう説明したらよいか分からず、フェリシィと共に口ごもってしまう。
リリアーナは明らかに怪しみの眼差しを向けている。
しかし、やがて儚げにほほ笑む。
「粘ってみたけど、通してくれなかったや……。あのカナリアって子に脅されてるのかも」
「可能性は少なくないかと」
「どこかから、東に抜けれる手段ってないかな?」
道を探す必要はあるが、やはりすぐにでも帝国へ向かいたいらしい。
するとフェリシィが手を挙げた。
「手分けして探すにイッピョウ」
「最も効率的かと。ではセツナは北東の方を……」
提案してみると、リリアーナに腕を掴まれた。
「ダ、ダメッ……!!」
そのまま胸のあたりに寄せられる。
彼女がやや身震いしていることに気づく。
「護り合うっていう契約だよねっ!? なのに一人になろうとした!!」
「そういうつもりでは……」
「ずっといっしょにいたら分かるよ!!」
相変わらずの鋭さに、セツナは思わず黙り込んでしまう。
今はリリアーナの隣にいることが怖い。もういつミケが前面に現れるか分からないからだ。
そのことへの恐怖が、リリアーナを避けるような行動にでていた。
すると、間にいたフェリシィがジト目で見上げてきた。
「まあ、アタシはアンタたちほど顔われてないだろうし、ぜんぜん一人で動くけど」
「待ってください! 急にそんな……」
まだ踏ん切りがついていない。フェリシィの意向を否定しようとした。
だが、リリアーナに口を押さえられる。
「南東側をお願い! ひととおり終わったらここに集合!」
言われたフェリシィは、ふんっと鼻を鳴らす。背を向けて離れていった。
それを確認したところで、セツナはリリアーナの手をどかす。
「少女を一人で行かせるほうが問題だと思います」
「が、頑固だからぁ、フェリシィちゃん……」
たしかに、子ども扱いするなと怒鳴られそうではある。
実際、度胸のある子だ。どこぞのゴロツキに絡まれても、平然と張り合う胆力が備わっている。
そして、他人でしかないセツナを気にかけているあたりも、自分より大人びていると感じた。
彼女の厚意をむげにはできない。セツナは折れ、口を開く。
「……行きましょう」
リリアーナは笑顔で頷き……。
この大陸に来てから初めての二人行動となった。
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人通りは閑散という言葉が合う。だが、完全に誰もいないというわけではなかった。
地元民が建物の中にいたり、レストランに入っていったりするのが見てとれる。
しかし、皆の表情は暗い。
良くないことがあったのは明白である。リリアーナ達は何名かに話を聞いた。
いくつか分かったことがある。
一日前に、帝国から何名かの兵士と……新皇帝がやってきた。
彼女らは住民たちを無作為に選び、拉致していったという。
新皇帝とやらは、水色の髪の毛と、派手な衣装が特徴的だったらしい。
間違いなくカナリアだ。
それとは別に、町を警備していた一人の兵士が、気になる情報を口にしていた。
ヤキザカラへの侵入経路として、闇魔法による転移ホールが使われていたという。
つまりカナリアの配下として、闇魔力を扱える人物がいるということだ。
ステラ以外の誰がいるだろうか。
今は二人とも帝国に戻ったのだろう。だが、いずれまたここに来るかもしれない。
そして、ある老夫婦と成人男性にも話を聞き……。
壮絶な状況を知った。
カナリア達の襲撃時、男性の息子と妻はちょうど離れていて、連れ去られてしまった。あれからどうなったのかはまだ分からないという。
特に父親であろう彼は、心ここにあらずといった形だった。リリアーナ達の方を見向きもせず、口を開けたまま呆然としていた。
その姿が焼き付いて離れぬまま、二人は高台にあるベンチに腰かけた。
イルミネーションを一望できる良い位置だが、今は楽しむ気分になれない。苦しむ人々の言葉を受けたことにより、再びどう動くか考え始める。
ここ数日は、セツナのことばかりを気にかけていた。
今回の旅自体も、元はと言えば、セツナと一緒に生きていくためのものだ。
だが世界全体を見渡せば、アンドロイドの脅威はあらゆる人々の幸せを奪っている。エルフ達の悲しみに直面したときのように、何か手立てはないものかと考えてしまう。
「あの二人は……罪のない人たちを連れ去り、何をするつもりなのでしょう」
「だいたい予想はつくよ。闇の魔力を蓄えるつもりなんだ」
人を甚振り、そうして生まれた苦しみをエネルギーとするのが、闇魔力使いの常套手段だ。
「それを、帝国が持ってる……秘密兵器の燃料にする気なのかも」
あの地表を射抜いた光線がまた発射される……。時間の問題だ。
リリアーナは居ても立ってもいられなくなった。立ち上がる。
「もう強行突破して……!」
「また罪を重ねるつもりですか?」
「重ねるもなにも、悪いことしてないもん!」
「こちらに来てから開き直り過ぎでは?」
「人命救出の一環だし!! ていうか、だいたいセツちゃんからやったことじゃん!」
リリアーナはむすっと座り直す。敵地に向かいたくても向かえないもどかしさを抱えながら、両膝を掴む。
◇
相変わらず、目の前の苦しみを放っておけない人だとセツナは思った。
そして、苦しみの大元がどこにあるのかという事実が、セツナの心を重くする。
「やはり危険な力です。あらゆる人を不幸にする」
この身体の中心にもオディアンがある。最悪の場合、自分も人々を傷つける兵器になってしまうかもしれない。
恐ろしい可能性を考えていると、リリアーナが膝を丸めた体勢に変えた。顔を覗かせてくる。
「また自分のことで……ネガティブになってる」
「闇の魔力で生かされているなど、あってはならないことです」
「セツちゃんが願ってそうなったわけじゃないでしょ。自分を責めないでよ」
常にそう言ってくれる。
だが……これまでがうまくいきすぎていた。
「いずれ……良くないことが起きる気がするのです。ミケの人格がどうこうという話だけではない」
眉を狭め、唇を震わせる。
「この先……あなたの隣に居続けられる自信が無い」
あの日から、徐々に不安は膨らんでいった。
イクトゥスの身体から闇の魔導石が出てきたときだ。
ようやく本音として表に出る。存在自体が邪悪な鉱石が、いつか主へ牙を剥くのではないか……。
「なっちゃったものは仕方ないでしょ……」
だというのに、この元王女はまだ受け止めようとする。
「は……?」
「は? じゃない!!」
勢いよく立ち上がり、セツナを見下ろす。
「どうしてセツちゃんだけが、ってまだ謎だらけだけど……! せっかく生きてるんだから、このまま生き続けなくちゃダメだよ!」
あまりにも優しすぎると思ってしまう。
セツナは対抗するように立ち上がった。
「闇に頼ったまま生きていいとでも!? 人道に反しています!!」
「うるさーいっ!! そんなこと言ったら、私だってそうでしょ!? 人道に反してるのは、私たちの身体をそんな風にしておいて、平気でいられる人たちのほう!!」
まくし立てられ、黙り込んでしまう。
思えば、闇の力を体内に蓄えているという点では、リリアーナも同じだった。
彼女の言葉はまだ続く。
「なら私たちは、誰にも迷惑をかけないように、気をつけて生きていけばいいの!!」
「ワガママが……過ぎます……!! そのように全てがうまくいくとは……!!」
リリアーナは、自身の胸元に手を当てる。
「私なら、セツちゃんの身体の暴走だって止められるかもしれない!! コアを集めて! あのカナリアって子を倒して! セツちゃんとずっと一緒に暮らすの!!」
どれだけ大事に想ってくれているのか。痛いほど伝わってくる。
本当に、隣に居続けてよいのか。
そんな問いを投げかけたくもなってしまう。
だが……。
これが最初ではない。自分の存在が悪い事態をもたらす事例は、過去にもあった。
そういった巡り合わせなのだろう。唇を結ぶ。
やはり自分は、彼女を滅ぼしかねない。
セツナは、主に隠していたことを打ち明ける。
「あなたは……。王城に届いた脅迫状がきっかけで、自身の結婚を受け入れた」
「え……?」
リリアーナの目が丸くなった。
急に過去へとさかのぼったためだ。何を話そうとしているのか、理解できていないのだろう。
セツナは発言を続ける。
「あのような事態を招いたのは、自分が……レーター=クレセントムーンに刃を向けたからである可能性が高い」
脅迫状やそれに伴った殺人は、レーターが仕組んだことだという証拠が出ている。分かったところで直接手を下すこともできた。
だが犯行がバレでもすれば、自分をメイドとしてくれたリリアーナに迷惑がかかる。
そもそもの落ち度は、自分の身勝手な行動だ。セツナは歯を食いしばり、自分を責める。
「あなたがこれ以上、王家に縛られないようにと思っての行為でした。しかし逆に怒りを買ってしまった……!」
「そんなこと……!」
ここで思い出されるのが、エキュードを追求した一件である。
時系列でいうと、脅迫状が届く前の話だ。とはいえ、彼に言ったことがそのまま返ってきたような事態だ。
「リリアーナ様に余計な重荷を背負わせた……。いったい、どの口が言えたことでしょう」
「……やめて」
「あなたを絶望の底に陥れたのは、他でもない、セツ──」
言い終える前に、正面から身体が覆い被さってきた。
温もりを感じる。何よりも大切な主に、抱きしめられていた。
回された両手に反して、どうしたらよいのか分からない。
何を意味しての行為なのか、確信が持てないからだ。
この抱擁を受け入れるべきか、拒絶するべきか。
迷っているうちに彼女は離れた。
近くにある顔はまだうつむいている。
次に聞こえた言葉で……。
鼓動の高鳴りを覚えた。
「人生で一番の思い出にしてみせるって……あのとき、君は言ってくれたよね?」
結婚式前夜。
確かに同じ距離で、セツナは宣言してみせた。
自分が招いた種だと明かしたのに、なおも彼女は、その後のことを思い出させようとする。
そうして彼女は顔を上げ……ほほ笑みを向けるのだ。
「あの日の続きを……今、ここでしてくれる?」




