第五節 氷上にて
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「あなたは確かに強くなった。最悪の形でです」
燃え盛る木々を背景に、セツナは、ロゼットの姿を見る。
顔面には、黒い血管のような筋。異常な尖りを見せた爪。膨張した脚。悪魔のような翼……。
「人は、誰かに支えられて生きていくものだと自分も学びました。しかしあなたの場合、毎度誰かに利用され、そしてのせられてしまっている」
ロゼットは剣を強く下ろす。氷面に剣先が触れた。
「何がいけないってんだ……。あの人には欲があった。そのために俺を利用した」
顔を上げ、流れる大量の汗とは裏腹の笑みをこちらに向ける。
「だが俺の願いも叶った……!! 貴族の世界から抜け出したいっていう願いがなぁ!!」
白目の部分が血走っていく。
「欲望まみれに生きてなにが悪い!! 俺はあの人に拾われて幸せだった!! テメェらこそ!! 俺の幸せを奪う権化だァ!!」
握りの部分を両手で持ち、後ろに大きく引く。
翼の展開と、闇魔力の増幅が同時に行われる。剣身も黒に染まった。
「国に仇なす罪人ども……!! 墓穴に埋めてやるゥゥゥ!!」
爪先を蹴ると、直線の尾を引きながらセツナに突進。
縦に振りかざしたのが見えた。セツナは右手の剣を横向きに置く。
触れ合う寸前で刃を斜めにする。重い一撃を受け流す。
金属同士が何度もぶつかり合う。高い音と火花を散らせ、剣戟が続く。
「セツちゃん!!」
リリアーナの心配する声が聞こえる。
セツナが、彼女を安心させるために言う。
「手出しは無用です!! 自分が思い知らせる!!」
「何をだァ!?」
「今のあなたがどれだけ歪か……!!」
「この女ァァ……!!」
魔力の奔流が、ロゼットの尾てい骨あたりに集まっていく。
やがて巨大な……サソリのような尻尾として具現化した。身を回転させてそれを振るう。
セツナは跳躍で回避する。そのために、足裏で炎を噴射させた。
その際に生じた地形の違和感に活路を見いだす。
宙にいる間にセツナは回り込んだ。着地とともに振り返って剣を振り上げる。
ロゼットの脇腹に触れたが、傷をつけるにはいたらず。
逆に剣身をつかまれた。動きを止められる。
「勝ったほうが正しいっていうんだろ……? ならお前の意見は間違ってたんだなァ!!」
セツナは地に足を付けているが、その間にも足裏で炎を噴かせた。
「欲を叶えるのは人の勝手です!! しかしあなたは、周りが見えずに暴れすぎている! 誰かに迷惑をかけないという大前提が……!!」
「綺麗事を言うなァァァ!! 拾われて!! 生き返って!! テメェこそ望まれすぎてるんだよッッ!!」
セツナの腹部へめがけて蹴りが入る。
痛みは無いが、強烈な一撃に脳が揺れる。
ロゼットは、天まで昇る勢いで剣を上げた。
「終わりだァァァァ!!」
だがセツナの意識はすぐに回復。再び喉仏に指を当てる。
剣が振り下ろされ始めたと同時。
ある音声を再生した。
『ロ……ゼ、ットォ……』
◇
斬撃の軌道を止めた。
彼の声が、セツナの身体から聞こえてきたためだ。
ロゼットは唖然と口を開き、瞳を揺らがせる。
聞いていないフリをしていたあの言葉が、巻き戻されようとしていた。
『た……のむ……王女だけ、は……護っ……』
師の最期の言葉は、変わらず姫君の護衛騎士としてふさわしいものだった。
◇
引き継がれたミケの記憶。今の音声はそのうちの一つだ。
エキュードの願いを守るどころか、ロゼットは、リリアーナに攻撃までしようとした。
「くっ……グゥゥゥ……!!」
その事実を思い知らせるには、あまりにも有効的な手段である。
聞き入っている間に、セツナは足裏の炎の出力を上げた。
そして最後のひと押しを与える。
液状化を始めていた氷面に剣を叩きつけ……。
決壊が生じた。
「なッ……!?」
白い霧を上げながら、氷の足元が崩れ落ちる。
その下から水面が現れた。この地は、湖が氷結化した場所だったのだ。ゆえにセツナは、凍りついている足元を炙り続けていた。
ロゼットは体勢を崩す。急ぎ、水に落下する前に空を舞おうとした。
みすみす逃すわけがない。セツナは指先からワイヤーを射出し、彼の脚部に巻きつける。
目いっぱいの力で引き、そのまま彼を水面へと落下させた。
水中に入っている間に距離を詰め出す。セツナは左手にも剣を展開させる。
背部ジェットを噴射させて急加速。
這い上がってきた彼の両肩を、二刀で貫いた。
「ぎぃぃぃぃあああああああああ!?」
「リリアーナ様!!」
さらにだ。接近していたのはセツナだけではない。
挟み込むようにして、既にリリアーナも走りだしていた。レイピアを突き立てながらロゼットに迫る。
「やめ……ろぉぉォォォォ!!」
リリアーナが持つ能力に感づいているのだろう。翼へ雷の気を漂わせ、放つ。
かなりの弾速だ。リリアーナはバリアを張る余裕がない。慌ててレイピアを横に傾ける。
剣身に魔力を込めていたためか。吸着するような形で雷撃は止まる。
しかし勢いはそのままだ。リリアーナの体勢がもつかどうか……。
だが途中で、魔力の流れが変わった。
相手の魔力攻撃を、自分のものに変えようというのか。
「たあああああああああ!!」
絶叫とともに突き出す。
青の色に変わった稲妻が伸びた。
すぐさまロゼットは翼を翻し、防御する。
セツナはその翼に斬りかかるが、相変わらず硬い。
「無駄だ!! そんな攻撃……!!」
とここで、セツナはロゼットから離れる。
わずか一秒後に小爆発が起きた。
「な、にぃ……ッ!?」
ロゼットは苦悶の声を上げながら、射撃が来た方を睨む。
スリングショットを撃ち終えた後の……フェリシィがいた。
今の爆撃によって大きくのけぞる。
そして、攻撃を通せる隙間が生まれた。
ロゼットの脇腹へ、青き雷がぶつかる。
「ガアアアアアアアアアアアッッ!?」
◇
リリアーナの指先にも、相手魔力の脈打つ感覚が伝わってきていた。
この流れを止めさえすれば、彼を助けられる。
しかし。
リリアーナの視界が、途端に揺らめきだす。
この現象は、イクトゥスに剣を突き刺した際にも起きた。……またしてもだ。
体勢はそのまま。意識だけが、向こう側へと引きずり込まれる──。
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セツナが死んで以降、リリアーナ王女の精神は病みきっていた。夜一人で眠ると、そのたびに悪夢を見て発狂してしまう。
泣き叫ぶ彼女をなだめるために、メイドや騎士たちが寝室に入り、鎮静剤を与える。
そんな日常が続いて約一年。
寝室の扉前にて、ロゼットは足の爪先で床を叩いていた。
募る苛立ちは、いつまで経っても現実を受け止めきれない王女に対して。
それと……もう一人にだ。
辛抱たまらなくなった彼は、鍵穴から中の様子を覗けないか試してみる。
直後に扉が開き、腕を強打。
出てきた男へ強いまなざしを与える。
「おいお師匠……!!」
エキュードは、口元で人差し指を立てた。ロゼットを廊下の奥へ連れていく。
「なにを怒ってるんだ! 突っ立ってるお前が悪いだろ!!」
「黙れよ……! 俺に対してだけ強気な意気地なしが!!」
「上司に向かってぇ……! いや、今更か……」
ロゼットは師の手を掴む。立っていた人差し指を持ち主の顔に向けさせる。
「この際だから言わせてもらうがなァ、いい加減うじうじ悩むのをやめろよ!!」
「僕が……何を……」
言い返そうとしたのだろうが、見透かされていることにも気づいたのだろう。視線を横にずらす。
「姫様が結婚する前に、告白でもなんでもしやがれってぇんだ!! もう邪魔者はいない!!」
「なんてことを言うんだ!! それに、国が許してくれるはずないだろ!」
貴族より下の階級である騎士に、王女と結婚する権限などない。二人とも承知の事実だ。
しかし、問題はそこではないとロゼットは言いたいのだ。
「このまま何も伝えられずに死ぬつもりか? ずっとうじうじしたまま!!」
「負けるのが分かっているのに、挑むわけないだろ……」
まだ王女の中に、彼女がいると思っている。それが彼の決断を鈍らせているのか。
「だいたい、僕にそんな資格なんてない。リリアーナ王女の名前を勝手に使ったんだ。おとなしく引き下がるべきさ」
何かと理由をつけて、自分はふさわしくないという流れを作っている。
そういった姿勢を見るたびに、ロゼットの心へ黒い気が溜まっていく。
拳を固め、彼の腹あたりを軽く殴った。
鎧を着ているので痛くはないだろう。伝えたかったのは痛みではない。
「あんたに玉砕してほしいんだよ」
低く、強く言い放つ。
悪口のようにも聞こえるが、真逆である。
「今のままなら……あんたはこのまま誰の記憶にも残らず、惨めな姿のまま俺に追い抜かれる」
皮肉を込めながら、彼は額のあたりをエキュードの胸元に押し当てる。
「そんな器じゃないだろ……。あんたは誰かを救える立派な人間だ」
拳の押し当てを繰り返す。ロゼットなりの激励を与える。
「ただの友人のまま終わるな。あんたは王女を愛した騎士だ。今後、自分を選ばなかったことを後悔させてやれ」
言い終えて、ロゼットは顔を上げられなかった。
らしくなさすぎるからだ。顔を見られたくないがための行動だったが、言っていたことの恥ずかしさを自覚した。赤面した今、余計にこのままでいたくなる。
そんな彼の頭に、エキュードの手が載る。
そしてぽんぽんと叩かれた。
こちらが活を入れてやったというのに。
文句を言いたくなったが、やめた。
「……ありがとう」
彼の穏やかな声が、少しは明るい未来を見せてくれたからだ。
ロゼットは、味わって息をする。我に返りながらも静かにほほ笑む。
明日、想いを伝えると約束され……その夜は先に持ち場を離れた。
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二人の会話が、今のリリアーナには残酷だった。
ミケによってエキュードが殺される、直前の出来事だ。
ロゼットが、そしてエキュードが……。あの晩の時点で何を想っていたかよく分かる光景だ。
精神と身体、双方に負担が押し寄せる。
浄化の力は流し込めた。ロゼットの歪に膨らんだ筋肉や爪など、全てが元に戻っていく。
通常の人間が氷の湖に浸かったままなら、まず助からない。セツナはすぐに引き上げ、安全な雪面で寝かせた。
彼の腹部からハミ出ているオディアンも抜き取る。握力を強めると、簡単に砕け散った。
悪魔化した外見は消失。押さえている肩からはまだ血が流れている。
フェリシィが、スリングショットを構えながら前へ来た。
リリアーナは彼女の方へ手のひらを向け、制止する。
「待って」
「なんでよ!? こんなクズ、死んだほうがいい!!」
そう思わせるほどのことをしたのは間違いない。だが、オディアンによって理性が暴走していたという流れもある。
思えば彼は、フェリシィと二、三歳程度しか変わらない少年なのだ。
そんな彼が、ステラの駒とされ、多くの人を殺してしまった……。
暴走させられていたと証明さえできれば重罪は免れる。
問題なのは、彼と今、どう向き合うかだ。
ロゼットは、悔しそうに歯ぎしりした。
「……俺の中を、覗いたな……?」
「ロゼット、く──」
手を伸ばそうとするも、彼は傍にあった剣をすばやく持つ。剣先を向けてくる。
だが、もうオディアンは砕けた。彼は魔法を発すことができずに終わる。
それに気づいたのだろう。力なく剣が下がっていく。
疲れと感情からか、震えながらうつむいた。
「あの人の行動理由は、全部お姫様だった。お前しか見ていなかった」
突きつけられた真実に、リリアーナも涙ぐみながらうつむく。スカートの端を摘む。
「……そっか」
小さなつぶやきに、ロゼットの瞳が揺れた。
血反吐を吐きながら声を荒らげる。
「いつも被害者ぶって……!! つくづくそういうところが嫌いだった!!」
続けられた言葉に、リリアーナの眉は弱々しく傾いていく。
「だから……あんたに刃を向けたのは当然の流れだ。どうとでもしろ。処刑台に上げるか、今ここで葬るか……!!」
血眼のロゼットに対し、リリアーナは手を差し出した。
「ロゼット君……。私たちと……」
言い淀んでしまう。
この提案は、リリアーナと、死んだ彼だけが満足するいい加減な主張だ。
世界が。近くで言えば、フェリシィが納得してくれるのか。
そして何より、ロゼットにとって良いものなのか。嫌いな相手の傍でなど……。
「よせ」
引き下がったのは、正面にいる彼からだった。
「今さら許されようなんざ思っちゃいない。気づいてないんだろうがなぁ、そういうのを偽善っていうんだぜ」
感情と罪。
両方が、彼の主張を後押ししている。
なんとしても、この表舞台から立ち去りたい。そんな本心が伝わってくる。
──本当にそれでいいの?
疑念が逆転する。同じような感情を、数日前に味わったばかりだからだ。
本来の理性を封じられ、人殺しの道具として利用された。
彼らの罪とは何だ。
そして自分は、またしても彼らの自責に甘えるのか。
もう見ているだけにはしたくない。
「私たちと……いっしょに来て!!」
言われた彼だけではない。後ろで聞いていたフェリシィも驚いた顔をしていた。
「……ジョーダンでしょ?」
「そうだ……。俺は……あんたを殺そうとした」
返答はせず。差し出した手も震える。
「なんとか言え!! どういうつもりだァ!?」
「エキュードが……」
涙を滲ませ、振り絞るように言う。
「エキュードが、望んだことだから……!」
◇
ロゼットは言葉を失くす。
師であるエキュードが最期に願ったことは、一番弟子に、最愛の人を護ってほしいというもの。
今のような状況になってしまえば、普通は叶うはずがない。
それでも王女は手を伸ばしている。
偽善だと苛まれてもなお、まだ諦めまいと……。
怒りで埋め尽くされていた精神に、少しのほころびが生まれる。
そして同時に、なぜ彼女が人々から慕われていたのか、分かった気がした。
──もし……。
彼が今の自分を見ていたら、どう思うだろうか。
彼が望まないことを自分はしていた。もう見捨てるだろうか。あるいは怒鳴り散らすか……。
いいや、違う。
彼は本当にどうしようもなく、愛する人のことしか見ていなかった。
願いのためなら、また自分を利用するだろう。
そしてそれを、自分は好都合だと思って受け入れるのだ──。
◇
心労によるものだろうか。彼は目を閉じ、静かに意識を失くした。
脈拍は正常で、息もある。リリアーナは手を下げ、眠る彼を見つめた。
今の自分の行動が、果たして正しかったのか分からない。
事実、フェリシィは納得がいっていない様子。ロゼットが火をつけた刑務所も燃え上がったままだ。
ともかく、戦いは終わった。今は救出と消火を最優先に動かなければならない。
ロゼットをセツナが背負い、三人は刑務所の方へと走りだした。




