第六節(了) 潜水艦艦内にて
-----
原理は不明だが、操縦席からでも上空の様子を確認することができた。
壁にハメ込まれている小枠を通してだ。悪魔の翼を持った少年が飛び去っていく姿が映る。
ライラックから操縦方法を聞いたリリアーナは、慣れないながらもあらゆる機能を試してみた。外に声を届けることができるスピーカーというものや、指定した敵に狙いを定められる攻撃武装。
そして、潜水機能と加速機能だ。セツナを回収した後、再び船を潜らせて東の方角へ舵を切った。加速用のボタンを押し、一気にトップスピードへ。
危機は脱した。周辺に敵がいなくなったためか、船内の赤い灯りも白に変化する。
しかし今の戦闘を見て、リリアーナはある憂慮を抱く。
セツナと相対していたあの人物。
途中までは誰なのか分からなかったが……。
「リリアーナ様」
背後から声が聞こえてきた。
振り向けば、セツナとフェリシィが……。
いたのだが、セツナの首はあらぬ方向に回転していた。
「うぎゃあああ!?」
絶叫でセツナは気づく。自身の頭を両手でつかみ、元の向きに戻す。
「申し訳ございません。驚かせました」
「はぁ……。はぁ……。い、いや……よかったよ、無事で……」
元のセツナに戻ったのを見て、ようやく安心感が押し寄せてきた。ふぅ、と溜息をつく。
「アンタたち、あいかわらずさわがしいのねぇ」
フェリシィは二人の様子を傍観していた。冷めた目で近くの椅子に座る。
「あっ。ごめんね? なるべくネブリナに近い所で降ろしてあげる!」
アーガランドに用のない彼女を連れていくのは気が引ける。父親のバレンも心配しているだろうと思えばなおさらだ。
しかし彼女は、しばらく黙り込んだ後、目を逸らして言う。
「気つかわなくていいわよ。急いでるんでしょ? このまま行って」
「え。でも……」
「いいからッ!!」
なぜだか強く断られてしまった。フェリシィは唇を尖らせ、そっぽを向く。
思えば、ネブリナを離れる前から気まずい空気感ではあった。
それが誰のせいなのか考えると、リリアーナの心は落ち込んでしまう。
俯いている最中、セツナが肩を指でつついてきた。
「剣と魔導石です」
「あ、ありがと……」
貨物船に置いてきたレイピアとポーチだ。受け取り、礼を言う。
「申し訳ございません。食料を回収する余裕はありませんでした」
「仕方ないよ。アーガランドへ向かう前に、またどこかで調達しよ?」
「大丈夫じゃなーい……?」
二人の会話を、壁にもたれ座っているライラックが遮った。虚ろな瞳で天井を見上げている。
「この潜水艦の最高速度なら、アーガランドまで二十四時間で辿り着ける。君らが我慢できるのならだけどねぇ……」
当初の予定よりも遥かに早い日数だ。
予想外の時間短縮に、リリアーナは歓喜する。両手を顔の横に上げ、セツナに向けた。
どのような挙動か彼女は分かっていないようだ。手を取って同じような体勢を取らせる。
そうしてようやく「イエーイ!」とハイタッチした。
「クスクス……。君らもしかして、カナリア機も倒しにいく気かい?」
不敵に笑うライラックを、他の三人が見る。
「なら死期が早まっただけだよ。悔しいけどさ、彼女は人殺しの道具としては本当に一級品だ。世界中の叡智を結集させた第三型だもの。二代前の君じゃ話にならな……」
目をつむりながら悠々と話していた彼だったが、急に口を止めた。
取り囲むようにして立つ三人の存在に気づいたのだ。開眼し、冷や汗を浮かべた。
無表情のセツナ。ニコニコ顔のリリアーナ。
そしてフェリシィは、眉間にシワを寄せ、刃物のような視線で彼を睨んでいる。
中央に立つリリアーナが口を開く。
「お話、いろいろと聞かせてもらいましょうか?」
☆☆☆☆☆
王国騎士になる方法は三つある。一つ目は、騎士学校と魔導学校の両方を卒業すること。二つ目は、王国にとって有用と思われるだけの実績を上げること。
そして三つ目が、騎士からの推薦を受け、騎士見習いとして入団する方法だ。
ただしこの推薦権は、騎士一人につき一度だけ行使できるという制約がある。簡単には使われない。
よくある例だと、実績のある騎士が自身の子供に継承させ、その子供がまた孫に継承するといった形だ。
また当然ながら、指名された者の親族から許可が下りなければならない。
同じ血筋同士でのやり取りなら円滑に進む。しかし他人に適用する場合は揉めることが多い。
ロゼットの両親がその典型だった。
エキュードが交渉をするために彼の家へと赴いたが、何を言っても聞く耳を持たなかった。進展せず交渉は終了。
だが数日後のことだ。
エキュードは、ロゼットの騎士団入りを伝えに来た。
頑固なあの両親を丸め込めたわけがない。
そう思っていたロゼットは、いかなる手段を使ったのかエキュードに問い詰めた。
しかし彼は何も答えず。
真実が分からぬまま、ロゼットが騎士として活動する初めての日がやってきた。
更衣室で、軽めの鎧を装着する。十代前半という未発達な体型のため、少々きつい。
それでも我慢し、腰に直剣を差した。鏡の前で身なりを整える。
元より憧れは持っていた職業だ。いま自分がその立場にあることに胸が高鳴る。
同時に……。
本当にあの男と行動を共にするのかという不安もあった。推薦権を受けた騎士見習いは、行使した人物としか組むことができない。
確かに彼は、家出をしていた自分を気にかけてくれた。騎士にもしてくれた。
だが、ところどころで違和感を覚えるのだ。
こちらを見ているのに、どこか遠くを見ているような目。
自分を通して誰かを想っている。そんな気がしてならない。
考えていると、扉が開いた。……エキュードだ。
弟子の晴れ舞台だというのに、なんとも微妙な面持ちをしている。鎧をまとったロゼットをしばらく直視。
「……良いんじゃないか?」
「他に言うことはないんですか」
挑発的な敬語をぶつけるも、エキュードは眉一つ動かさない。自分のロッカーがある方へ歩き、さっさと着替え始める。
「二日後にはリリアーナ王女の護衛任務がある。それまでに少しでも要領を掴んでおくんだ」
「あのお姫様か……。俺、あんまり好きじゃないですよ」
両親とのいざこざもあり、貴族は嫌いだった。その中でも、リリアーナに対して特に思うところがある。
「国のことなんてどうでも良さげで、それでいて自由気ままだとか持て囃されて……。良いご身分だよ。上から見下ろす景色はどう見えてるんだろうなぁ……?」
ロッカーの扉が勢いよく閉まる。さらに激しい足音も続く。
横を見た直後、肩をつかまれた。
壁に押し付けられる。
騎士とは呼び難い顔つきが、口を開く。
「王女を愚弄するのか? 誉れあるあの方をッ!!」
「なっ……」
言葉も出せない。
それほどに、エキュードの威圧は凄まじかった。
「誰のおかげで今ここにいると思ってる? あの方の名を出していなければ、お前なんか……!!」
しばらく睨みを利かせていた彼だったが、我に返ったように息を呑む。
やがて肩を離す。
「……すまない。つい、カッとなった」
この時にロゼットは気づく。彼の中にある大きな存在が誰なのかを。
何をどのようにかは不明だが、自分を通して見ているのは、彼女だ。
やはり愛着など無かった。この男は、先しか見ていない。
「……どうやって俺の両親を説得した」
再三の問いかけだが、改めて尋ねた。
彼は罰が悪そうな顔で背を向ける。
「言えない」
「……あんた、そんなんでよく騎士になろうと思ったな」
いずれにしても、とても惨めな男だと思った。
この場を後にしようと、ロゼットは扉の方へ進む。
だが、そういった人間臭いところは、ある意味で信用できる。
理想や偽善ばかりを語り、上辺だけの態度で信頼を得ようとする愚か者とは違う。
人はもっと人間らしく、己の欲望に忠実に生きるべきだ。
☆☆☆☆☆
取り逃した。身体の傷よりも、その一つの事実がロゼットを深く苦しめる。
足元は血まみれだ。全身から滴り落ちる血が、船着き場の床を赤く染め上げる。
身体を支える力は残っておらず、その場で膝をつく。
オディアンを使っての全身強化もあり、凄まじい疲労感が彼の体力を奪う。
近くにいる警備兵や係員は、黙って見ているだけだ。助けに入る者はいない。
理由は明らかである。船を出すよう指示した際の、横暴すぎる態度だ。闇魔力を乱用した相手になど手を貸すわけがない。
だが、今の自分の姿を見れば、恐怖から言うことを聞いてくれるだろうとも思った。
翼の尖った部分を突き立てる。
「早く治せよ……。犯罪者が行っちまうだろうッ!!」
今から追いつく見込みは少ない。それでもいずれはきっと相見えるはずだ。
憎くて憎くて仕方がない、あの二人に……。
船から聞こえてきた声はリリアーナ王女だ。ロゼットは確信を持っている。これでも、彼女を護衛した経験のある一人だ。
セツナとの関係は承知している。オルドの災厄で彼女を失い、絶望に染まっていたことも。
だが……。
──だが、だが、だがッッッ!!
その間に面倒を見ていたのは誰だ。あの女よりも先にテメェを気にかけていたのは誰だ──!!
なぜその女を優先する。彼はその女に殺された。
そんな奴の手を取って、彼の気持ちを裏切るのか──!?
「許さん許さん許さん許さん……ッ!!」
ロゼットは、己の顔を手で覆う。爪を立てて皮膚を痛めつける。
リリアーナ=クレセントムーンは、師であるエキュードの心を弄んだ。
つまり、彼女も断罪すべき対象……。そう心がささやく。
「駆け落ち逃避行なら……望みどおり、一緒に逝かせてやるよ……!!」
鮮血の決意をした直後、翼が消失した。
ほぼ同時。懐に入れていたオディアンが落ちる。
ヒビが入っており、輝きも失せた。
「ぐっ、があああああああ!?」
闇の力で抑制されていた痛みが蘇る。
全身がバラバラに裂けるようだ。苦痛にもだえながら、魔導石を見下ろす。
魔力を失くしたのか。だがその場合、オディアンの性質上、周囲から死や負の感情を吸収し始めるはず。
いったい何が……。
疑問に思っていると、周囲の視線が同方向に向かっていた。
ロゼットも、痛みに耐えながら背後を見る。
視界に飛び込んだのは、霧のようにモヤがかった黒い何かだ。
転移の魔法らしく、脚が、腕が、順に現れていく。
黒い下着に同色の外套を羽織っただけの、痴女が顔を出す。
彼女の顔に見覚えはない。しかし、薄紫色の髪と、特徴的すぎる格好がある事実を悟らせる。
人道に反した彼女は、闇魔力を研究するため、やがてアーガランド帝国へと寝返った。
風貌や経歴から、彼女のことを魔女と呼ぶ者もいる。
「レーターおじさまに渡したはずだったのに……。どうしてあなたが持ってるの?」
女性は涼しい笑みを浮かべる。顎に片手を当て、ロゼットを見下す。
「もしかして……。そっかぁ。おもしろいこと考えるわね。おじさまったら」
彼女の名はステラ=クレセントムーン。あらため、ステラ・サンセット。
久方ぶりにこの表舞台に現れた。




