第三節 業火のネブリナにて
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砕け散った住宅の壁は、全てが木材でできている。
ゆえに引火しやすく、風の流れも相まって、燃え広がる速度も早い。
背中を強打した痛みに耐えながらも、バレンはすぐ立ち上がる。手のひらから冷気を放出。
消火を試みるが、表情からは焦りが生まれだす。
「どうしてだ……。全然消えないよ……!!」
明らかに火の勢いのほうが勝っている。炎魔法による火災だとしても、魔力を蒸発させるほどの性質はないはず。
それなのに……。火柱は増える一方で、鎮まる気配がない。
煙のせいで視界も不良だ。ここに居続ければ、全員が焼け死ぬか、一酸化炭素中毒で倒れてしまう。
リリアーナは、フェリシィの口を押さえながら提案する。
「離れるしかないです……!」
しかし異を唱えたのはジャスミンだ。
「ここに住むのに……二百年も使ったんだぞ……!!」
ネブリナは、エルフ達にとって首都の役割を担っている。そこへ住めるということがどれほど名誉なことなのか、リリアーナも理解はしている。
だが、今はそんなことを言っている場合ではない。
「早く逃げないと!! もっと辛いことになるんですよッ!?」
リリアーナの剣幕に気圧されたのか、ジャスミンは目を見開いた。
本当に取り返しのつかないことになる。地獄を見てきたから分かるのだ。
大切な存在を失い、失意の底へ沈んでいく気持ちというものが。
だからこそ、これ以上の被害をだしてはいけない。
またセツナを肩で担ぎ、外へ出る。
バレンもフェリシィをおんぶする。妻の手も取り、半ば強引に連れ出す。
外へ出た直後、里の東側から中央にかけて、直線の方向で炎の柱が立ち昇る。
建造物や、逃げ遅れた人が、次々に消し炭と化す。
もはやここが、元の自然に溢れた場所だとは誰も信じないだろう。
リリアーナ達からちょうど真上。炎の噴射音が響く。
見上げると、地獄の世界を後ろ背とする人影が見えた。リリアーナ達を見下ろしやすい位置まで、勢いよく降下してくる。
視線を絶え間なく動かし、セツナの姿を確認。
にんまりとほほ笑み、片足ずつリズミカルに着地した。
「ミケ先輩ここにいた! ん……?」
彼女が担がれていると気づくと、その担いでいるリリアーナに人差し指を向けた。
「なんですかあなた! わたしのセンパイから離れてくださいっ!!」
リリアーナは、その無邪気な眼光に身を強張らせる。
しかし、負けられないと睨み返した。
「君こそ! 何でこんなことするの!?」
「説明、聞いてませんでした? 未来の犯罪者さんたちは殺さないとなんです!」
「私たちは……そんな風にならない!!」
「わたしたちぃ……?」
◇
疑問を覚えたカナリアは、魔力を解析するモードに移行。
耳の長い者たちはエルフなので、当然のように高い魔力を有している。
一方、ミケを担いでいる金髪の彼女は……。
人間に見える。しかし微かに魔力を感じる。
それも闇の属性だ。
◇
「ねえ、あなた……。名前はなんていうの?」
カナリアの声が低くなった。表情にも陰が加わる。
魔女なのではないかという疑いを持ったのか。ここで自分の名前を言うわけにはいかない。
真っ先にするべきなのは、逃げることだ。活路を導きだそうと、翡翠の魔導石を握る。
耳をつんざく音が轟いた。
鉛の弾が、リリアーナの肩に突き刺さる。
「うぅああァッ……!?」
痛覚と熱感が同時に押し寄せた。リリアーナは膝をつく。
ジェイドムーンを落とし、担いでいたセツナも地面に倒してしまう。
カナリアは、人差し指から煙を立たせていた。
セツナを見下ろすと、両手を顔の前でパチンと合わせる。
「わっ、かっわい~~い!! どこでオシャレなんて覚えたんですか?」
頭上のホワイトブリムを見て、感嘆の声を上げた。ステップを踏みながら無邪気に近づきだす。
咄嗟にリリアーナは、落とした魔導石に触れた。
カナリアの足元で土ぼこりが上がる。砂れきは真空をまとい、刃となる。
彼女の脚を斬り裂こうと、あらゆる方向から攻撃したが……。
突如、カナリアの全身が光をまとい……姿が消えた。
いや、そうではない。
鳥に変形したのだ。小鳥と呼ぶにはやや大きめ。水色にグラデーションがかった羽が際立つ、黄色い鳥だ。
『あなたがもし魔女リリアーナなら!』
そのまま飛び上がり、人型のボディに戻る。
足裏から出した火により、宙で浮く。
「絶対タダでは帰しません!!」
リリアーナは、すぐさま次の一手を打った。両手を斜め上へ突き出す。
ちょうど手が収まるサイズの真円を形成。
大気を集めると、一気に解放した。空気の塊が砲弾となって飛ぶ。
カナリアは、両手で攻撃を受け止めた。
拡がった風圧により、互いの身体は大きく後ろへと押し戻される。
リリアーナの後方にて、強く踏み込む音が響く。
「どおおうりゃあああああ!!」
ジャスミンが派手に振りかぶる。持っていた金づちを横回転で飛ばした。
手から離れたタイミングで炎を纏う。
回転の勢いは弱まり、ちょうどリリアーナとカナリアの間で止まりかける。
すると、ジャスミンが叫んだ。
「今だッ!!」
彼女が何を狙っているのか、瞬時に理解する。
リリアーナは風の軌道を変えた。
金づちにまとわりついている炎を、風の流れで誘導。縦へ扇状に広がり、カナリアを呑み込もうとする。
空へ逃げようが命中する、と思った。
……彼女が笑みを浮かべるまでは。
胸部にあった大きなリボンが、ひとりでに動きだした。
そして、カナリアに当たりそうになっていた炎を丸め込んだのだ。
親指と人差し指をくっつけ、デコピンの形とする。リボンを弾く。
結びが緩み、投入していた炎がリリアーナ達の方まで伸びる。
リリアーナはすぐさまバリアを展開。
しかし、より勢いの増した炎魔法に耐えきれず、砕け散った。
「きゃあああ!?」
「ぬおお!?」
叫び声を上げながら、リリアーナとジャスミンが吹き飛ぶ。
倒れた二人を、カナリアは、背に腕を回しながら挑発的に見下ろす。
二人がかりでも敵わない。改めてとてつもない強さだとリリアーナは悟る。
ならばせめて、少しでも被害を抑えられる立ち回りをすべきだと判断した。ジャスミンに呼びかける。
「逃げてください……!!」
「でもよ……!!」
「フェリシィちゃんと一緒に……いてあげてください……!!」
あの幸せな家族の形を失わせはしない。そんな想いだった。
ジャスミンは、納得のいっていなさそうに歯ぎしりした。
それでも立ち上がる。
「一旦だぞ! 一旦だからな!?」
背を向けて走りだす。夫のバレンも追従。
彼におんぶされているフェリシィが振り向き、目が合う。
勇気づけてあげようとほほ笑んでみせた。
気を引き締め、すぐに顔の向きを戻す。
目の前に、より快活な笑顔を浮かべたカナリアがいた。
胸ぐらを掴まれ、そのまま頭突きを喰らう。
額へ受けた衝撃で脳が揺れる。
よろめいている間に、すかさず回し蹴りを放たれた。
腹を貫かれたと錯覚するほどの痛みと苦しみ。後方に吹っ飛ぶ。
地面を転がり、うつ伏せで止まる。
視界がブレ動くなか、しゃがんで見下ろしてくるカナリアを見据えた。
カナリアは、リリアーナの頭を撫でる。
「よくがんばりました♪ あなたには、まだ聞きたいことがいろいろあります!」
すると、彼女の視線がやや下へとずれた。
リリアーナの腰に携えられている、剣のほうへだ。
目つきが鋭いものに変わる。
「やっぱりそうだったんだ」
「え……!?」
驚きもつかの間。
カナリアの両手が、リリアーナの首へと伸びた。
「ぅッ……!? かっ、はぁ……!」
絞めあげられる。酸素が喉を通らない。
死の恐怖が近づいてくる……。
「殺さないよ?」
「っ……!?」
それを愉しむように、カナリアの笑みは、三日月型に裂けていた。
「あなたには、いっぱい苦しんでもらうから……!!」
「やめ……な、さい……」
かすれた声が制止しようとする。
カナリアは振り向く。声の主である、倒れたセツナを見下ろす。
「魔女を、ころ……す、前に……やること、が、ある……でしょう……?」
「セツ……ちゃん……!?」
まるで、カナリアの味方になったかのような……そんな発言だ。
強い目つきのままだったカナリアだが、愛くるしい表情に戻り、手を離す。
リリアーナは膝をつき、咳払いする。
呼吸を整え、セツナへと近づいていくカナリアを見上げる。
カナリアは、動けないセツナの前でしゃがむ。優しい声音で語りかける。
「やることってなんですか? カナリア、検討もつかないです」
問いかけに対して、セツナの口から出ているのは、上ずった呼吸音だけだ。
やがて、カナリアは切なげに瞳を細める。
「ごめんなさい。わたし、センパイの言うこと疑ってました。こんな状態でずっといたんですね」
痙攣を続けるセツナの手を握り、自らの胸に添えさせる。
そして、彼女の頬に手を当てた。
「もう大丈夫ですよ。カナリアが、会いに来ましたから」
◇
…………──。
傾けた視線の先に、ボロボロの主がいる。
何かを言おうとしているも、呆然と口を揺らすその姿。
敵の顔が近づいてきた。
かと思えば、その行為はすぐになされてしまった。
唇に触れた柔らかな感触。
初めての経験に思考が止まりかけ……。
連想して浮かんだのは、かつての王城での一時である。
☆☆☆☆☆
創作物を面白いと思ったことはない。この時にセツナが開いていた恋愛小説も同様で、展開は予想通りに進んだ。
本を閉じ、リリアーナの方を見る。
彼女は医務室にて、主に胸と胴回りの採寸を受けていた。
着替えを終え、二人で廊下に出た。
手を繋いで歩きだす。
メイドのセツナは、本を見せつけるように持ち上げた。
「時間の無駄でした」
「ひどいなぁ……」
「やはり、実話でない物語を楽しむことはありません」
断言されたリリアーナは、本を受け取りつつ眉尻を上げる。
「ほんっとうに何とも思わなかった?」
「は?」
「涙が出そうになったとか、キュンッとしたなぁとか、こんな結末つらすぎる!! とか」
泣き真似や、胸を手で押さえたりなど、せわしなく動く。
一方のセツナは、歩きのまま即答する。
「主人公二人は、もっと戦闘術を学ぶべきだと思いました」
ガクッとリリアーナは肩を落とす。
以下が小説の内容だ。
偶然に出会った男女は恋に落ちる。しかし、戦争という時代に翻弄されるにつれ、彼らはある過ちを犯してしまう。逃亡を図るが、二人は国の追っ手に捕まり、処刑されてしまう……。
という悲劇の物語である。
するとリリアーナは、本の中心部分をめくった。
「このシーンとか!! 私はそりゃあもうすっごく泣いたんだよ!?」
女主人公が、愛する彼のためを想い、自らの首に刃を当てる場面だ。
セツナの感情は特に変わらずだった。
「こんなものを読んでいられる余裕があるのですか?」
「好きでもない男と結婚するんだからさ! こういうの読んでないとやってらんないってーの!!」
医務室で採寸を受けた理由は、リリアーナが着用することとなるウエディングドレスを用意するためである。
式が決行されるまで、残り三カ月を切っている……。そのような時期であった。
「しかし、最後は二人とも死んでしまいます。自分もそんな結末をお望みで?」
「違うってばぁ……。最期まで二人は一緒だったんだな、愛し合ってたんだなぁって、胸がキュッと締め付けられてぇ」
未知の領域に驚きつつ、セツナは、繋いでいる手を見つめる。
自分の腕力なら、少しでも捻れば簡単にへし折れてしまう、きゃしゃな手首だ。
精神的にはとても強い。だが、誰かが守らなければあっさりと壊れてしまいそうな印象を抱く。
彼女が自ら望んでくれたから、こうして側で護っている。
ゆえに、彼女のことをもっと理解したいという意味も込めて、薦められたこの本を読んだわけだ。
妄想にすがりたいという気持ちは分かった。
であるのならば、この作品について意味不明だった点も分かるのではと質問をする。
「捕まる寸前だというのに、口付けを交わした意味は? もっと必死に足掻くべきだったのでは?」
するとリリアーナは、わざとらしく溜息をついた。足も止まる。
だが、彼女は話してくれた。
「キスってね? その人を一番近くに感じれる瞬間なんだって」
「地の文で読みました。言い回しが大袈裟すぎ──」
言いかけのとき、リリアーナの手が頬を撫でてきた。
いつの間にか、互いの瞳の距離は近く、吐息も感じる。
先ほどまで平常だったセツナの思考は停止した。なにも考えられなくなるほど心臓が高鳴る。
顔には熱が集まっていく。リリアーナに見られている恥ずかしさで目を背けそうになる。
しかし、身体が硬直してしまい、動かない。
「大好きな人には、ずっと近くにいてほしいもん」
姫君は、セツナの首筋に抱きつきながら、壁際まで追い詰める。
本が床に落ちたが、それどころではない。
顔を覗き込むようにして見下ろしてくる。
そのまま目蓋を閉じた。
何が待っているのか、経験のないセツナでもすぐに察せられる。緊張のあまり、呼吸も覚束ない。
ともあれ、いつまでも待たせるのは良くないと判断した。
自分も目を閉じる。
恐々《きょうきょう》と唇を寄せ……。
あと少しで重なるといったときだ。
「……ぷっ」
吹き出す声が起きた。
セツナはゆっくりと目を開ける。
彼女はぷるぷると震え、うつむいている。抱擁が止むとすぐに距離が離れた。
「さっきまであんな澄ましてたのに……。お、おっかしー! はは、っはははッ!!」
リリアーナはお腹を押さえ、苦しそうにする。
いまだセツナは頬を染めたままだ。
主を睨み、口を開いた。
「危ないところでしたね」
「ははは……。……えっ?」
唐突な発言を受け、リリアーナの爆笑が止まる。
「あと数ミリ次第では……命を落としていたでしょう」
セツナは本を拾い上げた。歩行を再開させる。
リリアーナは一気に青ざめた。ガクつきながら声を上げる。
「どどど……どーゆーこと!?」
セツナは足を止めて振り返り、意地悪くほほ笑む。
「決まっています」
☆☆☆☆☆
蘇った記憶が、次の行動を決定づける。
触れ合うカナリアの舌を噛み、強い勢いで体勢を横へ捻った。
「いぎゃああああああああああああッ!??」
突然の事態に、カナリアはのたうち回る。
勢いもそのままにセツナは立ち上がった。
歯と歯の間には、しっかりとカナリアの舌先が挟まっている。
無理やり口付けを交わしてきたところを、カウンターとして行った。
「……痛覚があるようですね」
セツナの身体と大きく異なる点だ。
その証拠として、彼女は今にも泣き出しそうに頬を上げている。
こちらを好いている彼女を引き寄せ、何か一撃でも加えられさえすればよかった。だがここまでの大打撃になるとは。
セツナの重かった身体は嘘のように軽くなっていた。
唇が重なっている間に何かを流し込まれ、それでエナジーを蓄えられたらしい。視界に表示されている残量表示は、二十五パーセントまで回復している。
だからといって、彼女に感謝の気持ちは無い。
自分たちに攻撃を仕掛け、なにより、リリアーナにあんな表情をさせた。
舌を噛み切られても当然の報いだ。立ち上がり、倒れたままの彼女を見下ろす。
「あなたをもっと苦しませてあげましょう」




