第三節 城下町にて
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シンボルの一つである王城を中心とし、そこから円状に街が広がる。それがクレセント王国の構造だ。
レンガや石などで作られた建物がひしめく。道幅は狭いが、それでも活気はある。商人たちの客引き声、人々の笑い声などもよく響く。
その城下町へたまに足を運ぶというリリアーナは、忙しなく両手を振っていた。
彼女は現在、四名の護衛騎士をつけた状態で町の中を歩いている。国民への挨拶を兼ねてだ。
姫の顔を見て笑顔で返す者もいれば、眉を落とす者もいる。
店から飛び出してきたパン屋の店長は、リリアーナのもとへ。
手に持っているのは、焼きたての香ばしい匂いなクロワッサンだ。それを差し出しながら言う。
「姫様! 大丈夫なのかい?」
「え。あー、うん……。絶好調、かなぁ~」
なにやら苦笑いを浮かべつつ、慣れた手つきで硬貨と商品のやり取りを行う。受け取ったクロワッサンに、リリアーナはすぐかぶりついた。
「そふぇよりぃ、どうでふかぁ、売上は」
「いやー……。この前、万引に遭ってさぁ」
「えっ、ひどい!! いつの話ですか!?」
接する様は、まるでご近所友達のようだ。上下階級の差を感じない。
他の民も、親しみを込めた目で彼女のことを見ている。
傍で見ていたセツナも、不思議と納得にも似た感情で包まれた。帝国の新聞で見たとおり、さまざまな人に愛されていることが伺える。
万引き犯だと思われる人物の背丈を、姫君はメモした。リリアーナよりも若く低身長だそうだ。
「それらしい子がいたら捕まえますね」
「騎士様よりよっぽど頼りになるぜ」
そんな言葉を交わし、リリアーナが背を向けた。
「姫様も頑張りなよ。オレァ姫様の味方だから!」
言われた姫君は、満面の笑みまでは浮かべず。微笑むだけに留める。
礼を終えると、セツナのいる場所へ駆け足で戻ってきた。セツナが持つ小袋から、また数枚の硬貨を取り出す。
その最中に、セツナの様子を伺おうと覗き込んできた。
「あとはその無愛想っぷりだけかぁ」
「メイドに必要なことはマスターしたつもりですが」
とはいえ、リリアーナ直属の付き人となってからの三週間。当初は慣れないことばかりだった。
第一に、コミュニケーション能力の低さだ。他のメイドとの円滑な連絡は、何をするにも欠かせない。
それをセツナはうまくできなかった。帝国では基本的に、教官との一対一での関わりが多かったためである。
第二に、身体能力以外の点で不器用すぎた。料理と戦闘では刃物の扱いが違う。裁縫に至っては、とっ散らかった出来栄えのものしか作れない。主に家事全般は壊滅的だった。
そしてなにより、生活における常識が全く分かっていなかったのだ。洗濯物一つにしても、火の前で無理やり乾かしていた。日差しが当たる場所で干して乾かすのが正しいと知り、衝撃を受けた。
また、公共施設の大浴場で入浴する習慣があることにも仰天した。性別など関係なく、裸を見せ合うという行為は、情事の前触れでしかないと思っていたからだ。
したがって、リリアーナが平然と目の前で着替えだしたときも驚いた。赤面を隠しきれず、他のメイド達に妙な目で見られる始末であった。
「あの時みたいにかわいい顔、見たいな~?」
要求されたセツナだが、あの瞬間は彼女にとって醜態以外の何物でもない。無言の圧をかける。
そんな中、強い気を感じた。視線をわずかにずらす。
リリアーナから一番近くにいる若い騎士。彼が眉を寄せながらセツナを見ていた。
青き龍の紋章をかたどった鎧に身を包んでいる。名はエキュード・レイルドッグだと事前に紹介された。
彼を気にしている間に、姫君は、また一人で勝手に移動する。
控えめに手を振る獣人の女の子のもとまで来た。リリアーナは、目線に合わせてしゃがみ込む。
「ニアちゃん久しぶりー! 学校はどう?」
そう聞かれた彼女は、ぬいぐるみを抱きしめ、うつむいてしまった。
「あー。その様子じゃダメだったかぁ」
人間ではない他種族、つまり魔力保有種。戦争が始まって以降、彼らとの交流が解禁された。王国内に人間以外の種族がいることはもはや珍しくない。
だが、人と似て非なる存在という認識は否応なくまとわりつく。
どのようにしてこの世に現れたのかもまだ定かではない。いまだに差別意識が根深いことは、周囲の空気を見れば一目瞭然だ。
それは獣人の少女にも伝わっているだろう。自分の全身を見て嘆く。
「やっぱり、こんな毛むくじゃらだから……」
体毛はビッシリと詰まっていて、肌の色は見えず。曲線を描けるほどに爪も長い。
人間の子供たちからしてみれば、自分とは明らかに違う存在を簡単に受け入れられないのだろう。
リリアーナは、人差し指を自身の顎に当てる。食べかけのパンを全て口に入れ、さらに唸る。
目をつむり続けた末、セツナの方を見た。
「どーしたらいい?」
「自分に聞かれましても」
「うーん。大人の私と同じ感覚で話しちゃいけないもんねぇ」
「十七歳は大人とはいえませんが」
すると、リリアーナの意識がある物に向く。
「それ……。市販のぬいぐるみ?」
リリアーナを二頭身にしたようなぬいぐるみだ。ニアがずっと抱きしめている。
少女は途端に焦りだし、何度も頭を下げた。
「すみません、すみませんッ!! かってにリリアーナさまのお顔をつかってしまってェ!!」
「う、ううん? 私は気にしてないけど……」
ところどころがちぢれてはいるが、金髪や青い瞳、三日月型のくせ毛といった特徴。全体的に丸っこい可愛らしさなど、そのまま店に並べても遜色がないほどだ。
それを凝視し続けたリリアーナは、だんだんと目を見開いた。少女の両肩をつかむ。
「これだよッ!!」
「ええ!?」
「君には才能がある! いろんなぬいぐるみ作って、クラスのみんなに認めてもらおう!!」
すっかり前のめりだが、ニアはまだ戸惑い気味である。視線を逸らす。
「で、でも……わたしが作ったぬいぐるみなんて、きっと……きもちわるがられる」
結局のところ、問題はそこである。見た目と人種による差別なのであれば、どんなに技術で優れていても、悪意の烙印を押されかねない。
しかしリリアーナはいたって前向きである。胸を張り、堂々と宣言。
「王女である私がいっぱい宣伝します!! なんだったら、学校の時間におじゃまして、みんなに紹介するね!!」
「あわわ……。そ、そこまでする必要は……」
恐縮しているようだが、尻尾は横に揺れている。あれは喜びの表れだ。
黙って見ていたセツナに対し、先ほどまで睨みを利かせていた青騎士、エキュードが声をかけてくる。
「なぜそんな顔を? まるで……異国から来たみたいだ」
セツナは、騎士との接触をなるべく避けてきた。正体を悟られないためにだ。
ここでは、素の状態で応じるほうが適切だと判断する。
「……初めて見るものなので」
「推薦権を貰ったようだね。それも専属メイドだなんて、妙な話だよ」
その権利をわざわざ行使してまで、メイドなどという一端の役職にセツナを置いた。
リリアーナの配慮だ。とはいえ、疑問を持たれてもおかしくはない。なにを言っても信用されないだろう。
なので開き直り、セツナは別の話題を出す。
「聞いた話ですが、城門を破壊したのは王女本人のようですね?」
エキュードの目つきがより鋭くなった。
「いま何の関係が?」
「事実なのか否かを把握したかっただけです。本来であれば、民から非難される行為でしょう」
「なんて物言いだ……!!」
声が張り上げられ、さらに彼は、両腕を大きく広げた。
「むしろ、ここにいるほとんどの人が王女に同情している!! こうしていられる瀬戸際かもしれないんだ!!」
皆の顔色が一斉に変化する。エキュードの気迫が大勢に伝わった。
セツナは表情を微動だにしないまま、集まる民衆たちを見回す。
緊迫した空気の悪さだ。触れてはいけないものに触れたような……。
エキュードは一転し、周囲を見てあわあわと両手を下げる。
「いえ。すみません、これは……」
今度はリリアーナが両腕を伸ばした。間に入ってくる。
「す、すみませーん! エキュードは魔導学校時代から声が大きくって!」
彼女の笑顔が、周囲の雰囲気を緩和させたのもつかの間。
誰かが舌打ちを放った。
騎士の中でも、低身長かつ十代前半の少年騎士……ロゼット=ローゼンベルクだ。
「ワガママお姫様が……」
「こらロゼット!」
上司であるエキュードに怒られるも、鼻を鳴らしてそっぽを向く。
「すみませんリリアーナ王女。最近入隊したばかりの奴でして……」
言われた彼女は苦しい笑みを作った。首を横に振る。
「はは……。こんなに護衛いらないって言ってるでしょ? 買い物くらい一人で……」
「良からぬことを考える輩は、何処かからか紛れ込んで不意に襲ってきます!」
リリアーナの存在は、国の象徴であり国民の希望だ。ゆえに彼女は狙われてもおかしくない立場にある。実際、セツナがそうして現れた一人だ。
忍び寄る殺意に気づいたのは、そのセツナだけであった。
王国民として違和感のない服装。その上に、漆黒のマントを羽織った亜人の男性。
特徴的な白い肌の色から、誰も人間種とは思っていない。獣人種と同様、人間に紛れていておかしな時代は終わった。
だが、異様に邪悪な目つきを持っている。
男は、棒立ちしているロゼットの横を早足で通り過ぎていく。
セツナはスカートを翻す。太ももに装備していた小型ナイフを投げる。
刺さる寸前のことだ。不審人物の全身を、稲妻の線が駆け巡った。火花とともにナイフは弾かれる。
その音で、ようやく大勢が、侵入者の存在に気づいた。慌ただしく距離を取りだす。
一切の躊躇なく、亜人の男は歩みを進める。
進行方向は……リリアーナではない。
セツナの方を向いていた。
エキュードは走りだす。背負っている大剣を手に持つ。
重量のあるそれを、軽々と横に振った。
食らえばひとたまりもない一撃だ。しかし先ほどのナイフと同様、見えない何かによって防がれてしまう。
その間に、男の背後空中で、紫色の剣が出現した。エキュードを狙って迫る。
「エキュード!!」
リリアーナはジェイドムーンを取り出し、それを光らせる。
「ウィンド・ランチャー!」
前方へ竜巻を起こす。
「うわああああ!!」
重武装の彼を持ち上げるほどの威力だ。彼は声を上げながら吹き飛んでいく。
しかし亜人は、少し体勢を崩すだけで耐えた。
いずれにしても、リリアーナの機転でなんとかエキュードへの直撃は免れた。
亜人の照準が、リリアーナのほうに変わる。
懐から何かを取り出す。その先端を彼女へ向ける。
固まってしまっていたロゼットだったが、それを見て愕然とする。
「紫のオディアン……ッ!!」
魔導石の一つであるオディアン。本来は赤のきらめきだが、ある条件下で闇色となる。
肥大化し過ぎた魔力を秘め、この世に存在する物体全ての中で最悪の存在だ。
それが今、不気味に光りだす。新たに浮上した闇色の剣も、リリアーナの方へ飛んでいく。
「バリア!」
彼女は素早く両手を前に出す。盾型の防壁を張る。
「わっ、ああああ……!!」
悲鳴を上げるニア。傍にいる彼女も守らなければいけない状況だが、剣の勢いに押され、後退してしまう。
もう二人の騎士が亜人へ斬りかかるも、あっさりと回避された。
亜人は、飛び蹴りで二人を仰け反らせる。同時に、眉間へシワを寄せる。
リリアーナを狙う剣の輝きが増す。
防御結界にヒビが入りだし、リリアーナは唇を噛み締めた。
セツナが飛び出していく。手中に青の魔導石……ラピスフィアを握ったまま、もう片方の手を振る。
小型のナイフが、亜人の足元に落ちる。
すると、そこからツララが発生。彼の両足を突き刺して固定させた。
「ぎぃっ……!?」
相手の集中がリリアーナに向いている今、防御のほうはがら空きだ。
男は苦悶の表情を浮かべる。下半身をひねったり、足を動かしたりする。
しかしツララは折れない。ひざまずくような体勢となる。
セツナは、彼の羽織っていたマントを剥がす。
足元のナイフを拾い上げ、それでマントの中心に風穴を開けた。
直後、リリアーナのバリアとぶつかっていた剣が消失。
危機から逃れたリリアーナは一息つく。ぺたんと座り込む。
咄嗟の対応は彼女自身が言うように良かったが、身体はかすかに震えていた。
セツナは、マントをあらゆる方向へ切り刻む。
複数の斬撃により、やがて布切れが宙を舞った。
「魔法発動用の補助魔導具……。闇魔力対策ですか」
通常の人間は、魔導具がなければ魔法を発動できない。それがセツナにとっては小型ナイフであり、襲撃者の男にとってはマントであった。
正確に言うと、亜人は魔力保有種なので、本来ならば魔導具も魔導石も必要ない。
しかし、闇に染まったオディアンを使用するのであれば、補助魔導具が必須となる。
戦う術を失くしてしまえば、いかなるテロリストも無力に等しい。セツナは、彼にナイフを突き立てる。
「魔導石を地面に置きなさい。処理します」
闇に変色したオディアンは、一定条件下で、周囲の人間たちに支障を来す。
破壊するには、同様にオディアンの魔力を伴った雷撃が必要となる。専門の知識を持つ者に任せるべきだと判断した。
立ち尽くすロゼットに、セツナは目配せする。
どのような意図なのか分かったのだろう。彼は犬歯をギラつかせ、吠えた。
「俺に処理班を呼んでこいって!?」
「何もしていないあなたが適任です」
「ふざけるなよッ、たかがメイド風情が!!」
二人がもめているときだ。
亜人は、持っていたオディアンをゆっくりと下げていく。物体と土が触れ合う。
しかし男は、指を離そうとしない。
妙な挙動にすぐセツナは気づいた。ナイフの先端を、彼の首元に当てる。
「正当防衛が成立します。自分は容赦なくあなたを殺せる」
冷静な忠告だが、なぜか男は笑みを浮かべた。
その表情の意味を探ろうとした瞬間だ。
亜人の身体が、黒い霧のようなものに包まれる。
二秒後に姿を消した。その場には、足を突き刺していたツララだけが残る。
この場にいる全員が愕然とする中……。
「うわ、わああああああ」
やや遠くから、男性の悲痛な声が響き渡る。
皆がその花屋のある方を向く。
いつの間にか、遠くへ移動した襲撃者の男が、花屋の店長を羽交い締めにしていた。闇の魔力で、短距離のテレポートを使ったのだろう。
魔法を扱えなさそうな人間を狙っての人質作戦だ。これで騎士たちも迂闊に動けなくなった。
「ふはは、はははは!! 俺は亜人だ!! 補助魔導具なんかなくったって!!」
補助魔導具を持たずの闇魔法発動は、よほどの修練を積まなければ叶わない。それをできたことに、男はなんともご満悦だった。
だがそんな彼に、セツナは憐れみの目を向けた。
彼の手中にあるオディアンが、勝手に光りだす。
「ん?」
異変に気づいたときにはもう遅かった。
彼の体中にある血管全てが膨れ上がり、自由がきかなくなる。
「あば、が、ばば」
仰け反るように上向き、人質としていた花屋の店長も離してしまう。口から血を吐き出しながら、その場に崩れ落ちた。
両手で頭を抱えると、頭部の穴という穴から、光が放出され始める。
その現象は他の部位にも起きた。男の肉体は、風船のように大きくなっていく。
事態に目を剥いたリリアーナ。周囲の人々に向けて叫ぶ。
「離れて!!」
身体から、きしみの音が鳴りだす。膨張し続ける筋肉が、皮膚を裂き始める。
そして、光がついに収束し──。
飛んだツララが、彼の頭を撃ち抜いた。
膨張も発光も止み、男は仰向けに倒れる。
リリアーナは恐る恐ると目を開け、死んだ亜人の男を見た。
完全に息が絶えている。セツナの射撃が、一撃で仕留めた。
ナイフの先端から放たれた氷魔法、アイス・ニードルだ。発動のために使ったラピスフィアをポケットにしまう。
果てた襲撃者のもとへ歩みを進める。セツナにとっては、訓練以外では初めての人殺しである。
だが、呆気なく思う。殺した相手に何の感情もないためだ。
傍では、花屋の店長がおびえたままだ。彼はセツナに礼を言う。
しかし、言われた彼女は見向きもしない。
順番に見下ろす。人型だったとは思えない死体と、彼の手元できらめく闇の魔導石。
それは紫の点滅を繰り返し、満足そうに見えた。