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第六節(了) ──────

☆☆☆☆☆




 無の意識が徐々に色を帯び始める。

 白き光の空間。そこでの浮遊感は、自身の魂が内側に閉じ込められていることの証拠だ。

 しかしオディアンは砕けたはずなので、この空間自体が消滅していなければおかしい。


 そして、自分がセツナ・アマミヤであるという記憶も。

 何故ここにいるのか。見守る権利すら失ったはずだったのに。



 四ヶ月前に精神の主導権を奪われた時と同様、裸の状態で宙に浮いている。

 今さら何も考えたくない。愛する人の傍にいられないのであれば、このまま漂っていたい。無になるまで空虚な意識と共に……。



 ゆえに、声が届いてくるなど完全に予想外だった。

 更に、まばゆい光が上から降り注ぐ。何が起こっているのか思い、顔を上に向ければ……。


 最初は、黄泉の世界からのお迎えかと思った。

 逆光のなか……手を伸ばしているのだろうか。ボヤけた何者かがゆっくりと落ちてくる。


 光に溶け込んでいてハッキリとは見えなかったが、激しく揺れているのは金の髪だ。

 幻影程度にしか思っていなかったが、懐かしさにも似た感情が湧き上がり、迫りくる存在に向けて手を伸ばし返す。



 手を取った直後、抱きつかれた。

 勢いに押されるかたちで、セツナも相手の背に手を回す。

 まだ何が起こっているのか分かっていない。自分と同様、産まれたままの姿の相手と密着し合う。

 少し身体を離し、相手の顔を見る。




「え……っ」

 本来ならば、嬉しいという感情が募る。

 だが理解できない。そのような笑顔を向けられても、すぐには納得しない。




 一生を誓い合った、誰よりも愛しい存在。

「セツちゃん」

 彼女の魂がここに在る。



 それがどういうことかを考えれば、勝手に涙がこぼれ出てくる。

「そん、な……」


 この上ない奈落を味わう。

 感覚が安定していないゆえの幻覚とも思われたが、確かにその声はリリアーナそのものであった。

 途切れ途切れになる息を心配してか、両肩に手が置かれる。

「落ち着いて。私……」

「落ち着いていられますか……!?」



 彼女を生かすための特攻だったが、無駄に終わったということだ。

「意味が分かりません……。どうして……何でッッ!」

「ごめん……。でも会えてよかった」



 ある一つの結論が出ていた。

 オディアンが粉砕され、尚もこの浮遊感を味わっているということはだ。

 やはりここは天国。あるいは黄泉の国と呼ぶべき場所である。



 そのような地にリリアーナの精神があるなど、彼女が殺されたか、あるいは自ら命を絶ったとしか考えられない。

 後者であれば、それは間違いなくセツナの責任である。

「じ、自分は……。あなたに、とんでもない選択を……!!」

「ううん。私はね、セツちゃん……。君といっしょに生きるためにここへ来たの」

「口ではなんとでも言えます……!! 事実として……!!」



 止めどなく流れる涙を拭いもしない。彼女の指と絡める。

 生者と死者であれば、このように繋がることはできない。

「生きて……ほしかったのに……!」

 手にまだ力が入る。

 何故こうなってしまったのか。何故こんなことにならなければならなかったのか。



 しかし、後悔に溺れる頬を、リリアーナは優しく撫でた。

「私ね……。やっぱり、セツちゃんがいてくれる世界のほうが嬉しいんだ」

「だからこんな所に来たと……!? ふざけてるのですか!?」

「心は折れたよ。それこそ、私が死ぬことで世界が救われるなら、もうどうにでもなれってくらいは」



 朗らかな笑顔のまま、しかし真剣さが隠れていた。

 リリアーナの視線が、底の見えない下へと落ちる。

「けど、それじゃダメなんだって、みんなが思い出させてくれた。私がいなくなったって、もう一人の私がいなくなってくれるわけじゃない。あの子の野望を止められるのは私だけ。ううん」



 強調するように、改めて顔を上げた。

「君といっしょじゃないと、それは叶えられない」

「何言って……。だって、セツナ達はもう天国に──」

「ぷっ……。あはははは!」

 突然笑われた。セツナはわけもわからず赤面するしかない。

「セ、セツちゃんが困ってるの、おもしろいぃー! ははは!」

「やはりふざけてるでしょう!?」


 そもそも、この場にリリアーナの意識があること自体、普通ではないのだ。

「あなたが無茶をしていることは分かります。けどそれでも……!!」



 リリアーナは、首を横に振る。

「無茶なんかじゃない。もっと単純……」



 顔が近づいてくる。

 相変わらずの、澄んだ青い瞳に吸い込まれそうになり……。

「私のワガママだよ」




 半ば強引にだった。

 口づけを交わされ、しかし、嫌な気など起きるわけがない。

 むしろこの瞬間を待ちわびていたような気がした。



 彼女はいつだって、止まっている時間を無理やりにでも動かしてくれる。

 全てを受け入れ、目を閉じる。



 また一滴、涙がこぼれるのを肌で感じながら。

 まぶたの向こう側で強くなる光を受け入れた。




☆☆☆☆☆




 アーガランド全土に散らばっていた魔力保有種たちが、シクルレッジの西にある平原に終結している。

 西側にいる人間の生き残りを殲滅しようというのだ。自分たちの身体が粒子化し始めていようと関係ない。その目的だけを胸に動いている。



 その平原の中心で、周囲の魔力保有種に力を与える黒き波が、ひたすらに広がっていく。大気を通してや、触手で直接植え付けたりもする。

 重なり合う低い唸り声は、願いも怨念も、何もかもを煮詰め、進化していく。


 核となっている自分は何者なのか。

 もはや分からない。知る必要もない。いずれ願いは叶う。

 みんな一つになるのだから。




 朦朧とした意識ですら異変を感知する。

 身震いが起きるほどの魔力の高まりだ。黒き波は、まばら状に付着する目の全てを見開かせた後、西の空に向かって振り返る。



 何かが出現したというわけではない。逆だ。

 地上へと侵蝕しかけていた巨大な闇の亜空間が……消えていくではないか。



 さらに、魔力保有種の一団が別の存在に気づく。空を見上げる。

 黒き波もまた上空を見る。




 何かが……飛んでいる。

 魔法を使っているわけではない。背負っているリュックのような形状の底から炎を噴射し、その勢いで空を舞っているのだ。

 手には、青い色調が目立つレイピアを持っている。



 黒き波の核にいる人物は、いくつかの部分で既視感を覚える。

 アンドロイドかと思った。そして……娘のようにとも。

 しかし、くすんだ髪の色は娘とは違う。とにかくもっと視認しようとする。



 次の瞬間、彼女は消えた。

 魔女と同等、もしくはそれ以上の転移術を行ったに違いないと考える。

 妙なのは、その行動から生じるはずの闇魔力が、まったく感じられないこと。

 代わりに、周囲で舞い上がる見たことのない虹色の粒子。

 誰の目からも視認できる。視界に入るだけで、息を荒げていた魔力保有種たちが嘘のようにおとなしくなる。



 あまりにも見惚れすぎた。

 宙の上にいたはずの彼女は……いや、同一人物なのかさえも疑わしい。

 潤いのある金髪をなびかせ、魔力保有種の一団に紛れて現れた。



 しゃがみながら既に剣を構えている。

 彼女は振り返り、同時に剣を振りかざす。

 弧を描く衝撃が周囲に広がる。魔力保有種はみな軽々と吹き飛ばされる。


 黒き波は、吹き飛んだ皆を確認する。

 放たれた魔力の大きさが嘘のように等しく無傷であり、それどころか、重力を失くしたかのように漂っている。

 そして、最も特筆すべき点がある。



 皆、魔女による暴走状態にあったはずが……清き姿に戻っている。

 正常な意思のもとで地に足を付け、まだ状況を呑み込めない者、意識の復帰に喜ぶ者に分かれる。



 今の衝撃波を受けた者だけがそうなっているのかと思われたが、そうではなかった。

 まるで身体を通り抜けるように粒子が拡散した。これに接触することで、他の魔力保有種も連鎖的に元の姿へと戻っていく。



 たった一撃……。人が闇の力を頼らずに、ここまでのことをやってのけている。

 驚嘆しつつも、複数の瞳が一斉に金髪の人物を見つめる。




 娘に……。

 リリアーナに……よく似ている。

 くすんでいた髪は、本来の、王族として誇るにふさわしい黄金の輝きに戻っていた。



 その守るべき存在を目の前にし、邪気の核にある自分が、ルミナス=クレセントムーンであることをハッキリと思い出す。

 背にそっと当てられた肌触りに促され、ルミナスは自身の身体を、黒き波よりも前面に出す。

 要塞ではろくに会話もできなかったが、ようやく、自分がどんな想いでこの醜い姿になったかを伝えられる。

「リリ、アーナ……。あなたなのね? リリア──」



 両手を伸ばそうとしたが、やめた。

 彼女をよく見る。髪がいつもよりもやや短いだけでなく、目に付くのはその他の違いだ。


 肩に貼り付くような金属の装甲。ヘソのあたりを始点にしたスカートは、ろくに股間部を隠せないほどに短い。

 これまで臀部を覆っていた羽衣は二つに分かれ、左右の腰から伸びる翼のような、優雅さを漂わせていた。

 全体の色合い自体は、以前リリアーナが身につけていたものと物とよく似ている。

 しかし所々には、現代的とは言えない、幾何学的な光が模様を形作っている。

 例えるならば、リリアーナの服装と……。




 いま、目の前で発現した。

 翡翠色の瞳を持つ者とが混ざり合ったような……。

「ひっ……!?」

 さらに、漆黒の絵の具で塗りたくられたかのような勢いで、髪が変色していく。

 ものの二、三秒の間に……リリアーナとは呼べない人物に変貌した。



 一瞥だけしてきた彼女は、足で地面を蹴るだけで驚異的な高さまで跳び上がった。

「あ……。あぁぁ……。待ってェ……!」

 さっきまで娘だった者だ。ルミナスは周囲の闇のうねりを操り、触手を伸ばしていく。

 顔が裂ける勢いで呼びかける。

「わたくしの娘なのよね!? そうでしょう!?」



 遅い判断ではなかったはずだが、もう姿はどこにも見当たらない。触手は行き場を失くす。

 こんな時のために幾つもの眼がある。全方位を見張ることは、この状況下において容易なこと……。



 しかし、何も視認できなかった。

 横から、高速の物体が黒き塊を押し出していく。

「があああああああああ!?」

 人気ひとけの少ない場所まで飛ばされた。

 ルミナスはぐったりと背を反らすが、状態を起こす。



 そして、前に立っている……黒髪の少女を見つめる。

 変わらずの格好。しかし、髪と目の色が変わるだけでこうも印象が変わる。

 機械的な風貌にもかかわらず、人らしき衣類を纏う……。




「あな、たは……。なぜ……」

 リリアーナの傍で付き従っていたはずの、彼女そのものではないか。

 混乱で、言葉すらまともに整理できない。

「いえ、リリアーナ……では、ないの……? わたくしが見ているモノは……現実……ッ!?」




 まだ変化は終わっていなかった。

 彼女が目を閉じると、漆黒の髪が再び彩色される。



 やや黄色みを帯びた灰色……。

 ルミナスが最初に目にした姿に戻った。



 閉じられていた瞳も開かれる。

 ルミナスから見て、左が青。右が翡翠のオッドアイ……。

 それに呼応して、服の色合いも白が際立つようになる。



 自分が体験したこと以上に奇怪な出来事など、もう何もないと思っていた。

 しかし、目の前で起こっている。

 愛する娘の身に起きてしまっている。



 彼女の左手首が折れ、剣がそこから突き出た。

 もう片方の手に持つレイピアも光を帯び始める。

 両の瞳が翡翠の輝きを放ち、口からは……。

 セツナ・アマミヤの声が漏れた。

「自分でも信じられませんが……これが今のセツナ……。いいえ」



 剣同士をバツ字に交わらせる。

 目の色が、今度は青に。

 そうなれば、当然……。

「私たちだよ」

 聞こえるのはもう一人の彼女の声。



 二つの剣を振り下ろし、同じ形の魔力線を描く。

 躊躇のない攻撃だと感じた。ルミナスは顔を背け、闇の魔力たちに防御を委ねる。

 真っ黒な手の形が盾となった。



 しかし、一本、二本……。

 手のひらも砂の城のように脆く崩れ、防御という行為自体が消えてしまった。


 しかも、内に湧き上がっていたはずの高揚感が、次々と消えていくと感じる。

 それはつまり、闇の魔力自体が減少していることを示唆する。

「そんな……!? これだけの魔力量を打ち消して……!!」



 今のルミナスは、闇を司る化身だ。

 ゆえに何をされているかを理解してしまう。瞳を揺らめかせながら、正面の相手を見る。



 魔力が……浄化されているだけではない。

 その浄化した魔力を、彼女は、自身の体内に取り込んでいる。



 この肉体がアンドロイドの流用だとするなら、動力源はオディアンであると聞いていた。

 しかし、死や負の感情を力とするはずのそれが……。

 今や、清き力を動力としている。



 この魔力を何と形容すればいいのか分からない。

 『光』そのものとしか言いようがない。



「やめなさいリリアーナ……!! 闇の魔力こそ、唯一残された打開の道……っ!!」

 新たな力は、新たな障害となるだけだ。

 リリアーナと思しき者の足元に、漆黒の雷を走らせた。

 大地を割る。その場にいた『二人』を浮上させ、距離を取る。

「もうあなたを救えなくなってしまうッ!!」



 更にルミナスは、発射した雷を鞭のように激しく唸らせ、リリアーナを捕らえる。

 そのまま引き寄せ、自身の背後に闇の剣を複数本出現させる。

「歪んだ命に成り果ててはいけない……!! 早くその身体から脱出しなさいッッ!!」


 ルミナスは悟る。殺す勢いでなければ、娘の魂を引きずり出せない。

 剣たちがリリアーナの方へと飛んでいく。

 まだ拘束から逃れられずにいるその身体……。


 申し訳ないという念を抱きつつも、串刺しにした。

 だが次なる攻撃の準備を進める。これしきでアンドロイドは倒れない……。



 しかし、直後に飛び込んできた光景を見て……判断が鈍る。

 闇の剣の色が、みずみずしい青へと変わり始める。

 その全ての剣が、リリアーナの身体から弾かれるように抜け落ちる。


「な……ッ!? あぁぁ……ッッ」

 彼女の肉体に生じていた無数の傷穴が、見る見るうちに塞がっていく。

 現象自体はアンドロイドの性質そのもの。だが、決して些細な切り傷ではない。

 異次元から得た無尽蔵の闇ですら、最初から無かったかのように受け流した。



 やがて色を変えた剣たちは、全て垂直となり、リリアーナの周囲を一定の間隔で回り始める。

 常軌を逸した光景の連続。ルミナスは震えが止まらない。





 セツナに見えていた世界が手に取るように分かる。あらゆる物質や状況が数値で示され、次にどのように動けばよいかまですぐに理解できる。

 思考も双方の考えていることが口頭でなくとも伝えることができ、どちらが身体の主導権を得るか即座に判断可能である。

 上空にいる、まだ名前のない二人で一人は、リリアーナに主導権が移ると金髪碧眼に変わる。

「やめるのはあなたです、お母さま……! もう私は大丈夫です。あなたに守られる必要はない」


 やり方は既にセツナから学んだ。今のルミナスがどのような状態にあるのか分析する。

 単に闇の魔力に呑まれただけではない。何かもう一つ……『手心』を加えられている。

「そんな悪い力に呑まれないで!! 気を落ち着かせて!!」

「あっ、ああああ……。でもでもでも、その身体、はぁ……!! もう人間じゃない……。人間をやめたのね? そんなことあってはならない……」



 思っていたとおりだ。

 彼女はリリアーナの選択を認めない。それを未来へのみちだとは思わない。

 娘の幸せを願うあまり、誤った選択をしてしまう。



 たとえ人を殺してでもだ。

 そして、娘の死だけを深く悼む。

 死んだつもりなどないことも知らずに。



 ルミナスの下にある漆黒の波が、また大きくうねり始める。

 本体である彼女は、鋭い悪魔の眼光を放つ。

「ならないのよォォォォォ!!」

 母を取り囲む黒い粘質。そのあらゆる部分が触手となり、狙いを定めてくる。

 更に、黒い波の口と思わしき部分から、紫の炎をまとった岩石が飛び出す。

 触手の動きよりも遥かに速い一撃……。




 それすらも、今のリリアーナ達からしてみればなんとも思わない。

 セツナが見ていたもう一つの世界。

 全てが遅く見える。危機を察すれば、動体視力と思考速度が倍加する。


 ただ、今までは遅く見える程度だったらしい。

 融合による魔力の変質後は、このスローな世界で唯一自分たちだけが、通常速度で行動できるようになった。

 これに加えて、アンドロイド特有の速さも相極まる。



 ルミナスにとっては、まばたきのかんにという感覚だろう。

 リリアーナ達は、ルミナスの側面へ速やかに移動。

 テレポートではなく、光速での迅速な動きだ。


 驚愕するルミナスに対し、言葉を投げかけるだけの余裕がある。

「いっぱいの人の魂……。みんなを使い捨てになんかしない」


 光の剣たちが、邪気に包まれたルミナスを囲む。

 髪を灰色に染め直し、二人は叫ぶ。

「「一緒に未来へ進んでいく!!」」



 一種の号令だ。大量の剣が、順々に黒き波へ刺さっていく。

 まるで蒸発するかのように光の粒子となり、それらはリリアーナ達のコアへと吸収される。

「ああっ、ああああああああああ!!」

 露出していたルミナスは、注ぎ込まれた力の影響を受けて苦悶し、両目を覆う。



 反応を見て、リリアーナは確信した。

 今のルミナスは、前述の『手心』により、闇の渦と同質化してしまっている。

 その手心まで光に変えてしまえば死も同然。もう元の状態には戻れない……。



 気が動転しているルミナスが再び動き出す。

「やめてええええええええええ!!」

 散らばったばかりの闇を集め、視界を覆いつくすほどの黒き壁とする。



 リリアーナ達は、レイピアにより強い輝きをまとわせる。

 両手で握り、横に大きく薙ぎ払う。


 『光』の魔力をまとったカマイタチにより、壁はもちろんのこと、ルミナスに纏わりついていた闇も大きく捲り上がる。

 彼女が仰け反る隙に、リリアーナ達はその横を通り抜け、黒き波の中枢へと進んでいく。




-----




 中へ入っただけなのに、まるで全く別の空間へと移動したかのような錯覚に陥る。

 魔力の解析が完了すると、視線の先には、人の形をした残影が胎動していた。



 正確に述べるのならば、『そこにいる人物』は魂ではない。

 苦しみによって無理やりに魔力の流れへ押し込まれた哀れなる者。

 選ばれた理由は、ルミナスと同じ血であるがための相互作用。ただそれだけの理由だろう。



 自分の目指すもののため、あらゆる人々を利用するだけ利用した。

 その結果が自分に返ってきたのだ。────もういい。

 君との、あなたとの、因果も因縁も。

 全部ここで終わらせる──。

 




 肉体はそこに無いのに、そこにいる。

 ステラの身に生じているのはそういった感覚である。もう人生の残りを石造りの身体で終えると思っていた。

 むしろ最期のハメ外しとして、姉を巻き込んで暴れ回れる状況は喜ばしいものであった。



 それすらも邪魔してきた。

 リリアーナ=クレセントムーン。そして、セツナ・アマミヤ。

 後者を殺してしまった時点で、破滅の運命は決まっていたのかもしれない。

 以前の世界でも、ステラは無様ぶざまな最期を迎えた。

 怒りに震えたリリアーナ=クレセントムーンによってだ。



 ──そうはさせない。

 そうはさせないそうはさせないそうはさせないッ!!!!!

 地上にもう立てないというのなら受け入れてあげる。新人類の繁殖役を務めろというのなら、それすらも歓迎してあげる。

 あたしの身から産まれるってことは、その一人一人が新しい家族というわけなのだから!!


 ただ、このまま何もできず……。

 醜い姿のまま死んでいくのだけは────ッ!!

「絶対にイヤアアアアアアアアアアアアアア!!」



 深淵に足を踏み入れたことが運の尽きであった。

 ルミナスが巻き込まれぬよう壁を硬化させ、なおかつ全方位を埋め尽くすように炎を出現させる。


 彼女らは、串刺しにしてきた剣を、自分たちのモノとして再利用していた。

 では実体を伴わない攻撃ならばどうだ。

 闇の魔術のなかでも高位に位置する炎の魔法。

 何万という命を同時に消費しての、煉獄ならば……。



 叫びの反響を始まりとして、爆発。

 壁の耐久力を代承とはしたが、いかに速い動きを使えようとも凌ぐことは不可能……。




 その目測をあざ笑うかのように。

 『彼女たち一人』は、焦げ跡一つ無い状態でこちらを見下ろしていた。


「な……ん、で……」

「たったいま命名しました。術式、ナイト・オブ・サン。指定した未来まで跳躍できる」

「私たちは未来に進むって決めた。君のお姉さんや……。ううん、そこにいるのなら引っくるめて言うよ」

 『彼女たち二人』の声が聞こえてくる。

「「過去にしがみつこうとしたあなた達とは違う」」



「ま……だ……」

 都合よく至近距離だ。おそらくこれが最後のチャンスである。

 アンドロイドのコアが収められている胸部を指差し……。



「エターナル・ムーン」

 ステラよりも先に、相手方の口ずさむような詠唱。

 そのすぐ後。



 脆くなった肉壁に、外部から何かが突き刺さる。

 回転の勢いを保ちながら貫き、遂にはリリアーナ達の手に渡る。

 それは直剣である。リリアーナ達が撒き散らしていた突風によって、どこからか飛んできた物だ。


 傍から見れば、何の変哲もない一つの魔道具である。

 しかし、反抗的な心を模したかのような剣の装飾。

 そして、その剣を向けてきた彼女たちが、今のステラには……。




 ここにいるはずのない、ステラにとって理想の子供。

 ロゼット=ローゼンベルクに見えた。



 幻覚であることは分かっている。だが脅威に取り憑かれた。

 そこから金縛りのように、何の手出しもできなくなってしまう。



「ロゼットくんの魂は、もうこの世に存在しない」

 リリアーナの口から告げられると、より一層彼の姿が鮮明化する。

「なのに彼の姿を見れたのなら、それは、君が抱いた恐怖そのものだからだよ」


 あと一歩だった。

 彼は本当の意味で家族になってくれるかもしれなかった。

 しかし、まんまと見限られたのだ。

 もはやトラウマ以外の何ものでもない。



 彼……。いや、彼女たちは、二つの剣を高く掲げる。

 このまま永遠の恐怖と共に、精神を閉じ込める気だ。少年の剣は細い線となり、レイピアの装飾として混ざり合う。



 対抗したい。動けない。

 もう叫ぶことしかできない。

「ロゼッ、ト君っっ……。セツナ・アマミヤァァ……!!」




 繋がっているもう一人の精神。ルミナスも引き寄せられる。

 ロゼットとリリアーナの姿が交互に見え隠れする。



 ルミナスにとっての希望。そして絶望。

 どちらも彼女が担っている。

「「リリアーナアアアアァァァァァァァ!!」」




 振り下ろされた軌道は、確かに姉妹の精神を通過した。

 残影を攻撃しようが手応えはない。

 しかし、魔力によって生み出されたことは事実。

「あなた達の未来は断ち切った」

「もう、夜明けを迎えることはないでしょう」




「「あっ、がっ、ぐぁっ……あああああッッッ」」

 魔力への干渉など容易くできてしまう。

 空間が次々とヒビ割れ、闇から生まれたとは思えないほどの光を発する。

「「アァァアアァァァアアアアァアァアアアアアアアアッッ!!」」


 人ではないような、そんな金切り声を散らしながら。

 二人の世界は反転した。




☆☆☆☆☆




 四人の脳裏に、ある光景がよぎり始める。

 この場に居合わせていない二人でさえ、それを鮮明な記憶として感じ取った。


 かつてのクレセント王城。まだ足音と呼ぶには楽しげだけが先行する音が、寝室に響く。

 二足で立てるようになったばかりのリリアーナは、いつまでも離れたくない、大好きな母のもとへと駆け出す。

 そしてルミナスは、何よりも大切な彼女を、両腕を広げて迎え入れる。



 傍の窓際で、夫のジーニアスは、まばゆく昇る白い日を見上げる。

「この純粋さを道具として扱うなど……。代々からの方針とはいえ、考えたくもないが」

 小さな手のひらを頬で受け止めながら、ルミナスは息に乗せて言う。

「しかし、いずれ考えなければならないことです」

「国の体制を変えれば、残された人々も影響を受ける。帝国との摩擦だけではなく、王国内の秩序も……。どうか、醜い混沌には陥らないでほしい」

「構いません」




 あまりにも名前負けしている。

 目の前にある輝く笑顔を見てしまえば、そうとしか思えない。ルミナスという名は彼女にこそふさわしいのではと。

 ……簡単な話だ。


 輝きを守護する者として君臨し続ければいい。

「この子を守る為なら……。私は鬼にでも、悪魔にでもなります」

「それは……」

 言いかけるが、ジーニアスは顔を背ける。



 血に濡れた過去を見ずに済む。

 娘の存在自体が、光に満ちた未来を予感させる。

「絶対に……幸せにしてみせるからね。リリアーナ」




☆☆☆☆☆




 腰の前で傾けられていた剣が、横に九十度回る。

 闇が塵となり、光となってリリアーナの胸に入り込んでいく。

 ただしステラのものだけは、魔力の流れが逆流し、元の場所に戻っていった。



 この場に残されたのは、リリアーナとセツナの融合体。

 そしてもう一人。地面へと倒れ伏せたルミナスのみである。

 顔を青ざめさせながら……アンドロイドと化したリリアーナの背中を見上げた。



 もう人間ではないのだ。

 また瞳が、絶望の涙で滲む。

「あ……あぁ……。リリ、アーナ……」

 掠れた呼び声に反応し、リリアーナが振り返る。


 髪を金色に戻し、微笑みを浮かべた。

「ごめんなさい。お母さまの願いを……踏みにじるようなマネをして」

「うっ……あっ……」

「でもよかったんです。私のことを大切に想ってくれたみんなのために、どうしても戦いたかった。それになにより……」




 ずっと忘れていた。

 本当に守りたかったのは、その輝くような笑顔だった。

「お母さまの望んでいたとおり、強くてたくましい女性になりました!」



 自分が如何に愚かだったか。

 彼女を不幸に導いたのは誰なのか思い知る。

 ルミナスは顔面を鷲掴みにし、首を横に振った。

「大丈夫……。お母さまが信じてくれるかぎり、リリアーナはあなたの中にいます」



 倒れていた身体が、突如として風の空間に包まれる。

 全てを悟ったルミナスは、急ぎ身体を起こし、手を伸ばす。

 しかし透明な壁が阻み、触れることができない。

「リリ……ッ。アーナ……。あああ……」




 泣いているのは自分ばかりだというのに。

 空想か、幻か。

 彼女の頬にも、光の筋が流れているように見えた。

「だから……さようなら」



 光速による線が現実を取り囲む。

「ああああああああああああああああ!!」

 もう見えなくなった希望を求めて、意識が落ちるまで叫び続けた。




-----




 今のリリアーナ達は、闇の魔術による空間転移を行うことはできない。

 その代わり、リリアーナが得意とする風の魔法を活かし、クレセント王城へ辿り着くようレールを敷いた。


 母とはいずれまた会う。その時は、彼女を罪人として裁く時だろう。

 それでも父を含めた三人と過ごす日がくるということで、何故だか心の隙間が埋まるような気がした。



 噛みしめるように俯いていたが、振り返って上を向く。

 赤き衣をまとった人物……。魔女であるリリアーナが空に浮かんでいる。

 黒き波が消失したタイミングでこの地に出現し、母との会話を黙って聞いていた。

 いつもの澄ました表情ではなく、流れていった現状を侮蔑するかのような……。



 するとリリアーナもセツナも、台地の上から来た存在に気づく。

 フェリシィにライラック、アカネらが見えてきたのだ。

 カナリア量産機を殲滅した後、ルミナスを止めるために彼女らは置いていっていた。様子を見に来たのだろう。



 魔女がこの場にいるため警戒するものの、彼女に襲撃の意図はないらしい。

「君のお家で待ってる」

 そう言われたので正面に向き直る。

 魔女は既にどこかへと転移していた。



「たった一人で……全員止めたのか……!?」

 アンドロイドなので、彼らの声は遠くからでもよく聞こえる。

 フェリシィは、平原の中心に佇む一人を視認し、駆け足で近づいてくる。


 リリアーナ達もそれに応じる。ジェットパックで移動。

 フェリシィの前に着地して彼女を見下ろした。



 目覚めてからすぐにカナリア達を斬り伏せたため、対面の機会自体がなかった。

 変わり果てた姿に、フェリシィの瞳が揺れる。

「リリ……アーナ……?」



 ちょうど主導権を握っていた。リリアーナは微笑みながら自身の胸に手を当てる。

「うん。ここにいるよ」



 そして、今の自分がどのような状態なのかを分かりやすく伝える。

 目の色は緑。そして髪の色も黒に変える。

 息を呑む全員に対し、もう一人の宿主が口を開く。

「同じく、セツナも」



 戦慄……と言ったほうが近しいか。それだけの反応を三人は見せた。

 フェリシィは、口を押さえながら涙を溢れさせる。

 何度か息を引きつらせてから、一人となった二人へ抱きついた。



 人ではない存在に変わってしまったことへの絶望か。また二人と話せたことへの喜びか。

 正しくは分からず、ただひたすらに泣き腫らしている。


 二人の髪はまた灰色に、目はオッドアイとなる。

 フェリシィの頭を撫でつつ、セツナに言い聞かせるようにして言う。

「勝手に決めちゃって、ごめんね」



 セツナの意識はしばらく無言。

 主導権だけ渡して待っていると、やがて唇にかかるくらいの息を漏らした。

「不思議です。悔しいという気持ちと……あなたらしいという安心感がある」


 スカートを摘む。

 か細いとも強いとも取れる力を感じつつ、リリアーナは言う。

「ミケちゃんは……こうなってほしいと思ったから、自分の精神を犠牲にしたのかな」

 西を向き、空を見上げる。

「どうでしょう。ただ……」



 いまだ雷鳴が轟く。

 この混沌をもたらした要塞が、遥か向こうにて、小さく見える。

「託されたということは間違いありません」

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