第六節(了) ──────
☆☆☆☆☆
無の意識が徐々に色を帯び始める。
白き光の空間。そこでの浮遊感は、自身の魂が内側に閉じ込められていることの証拠だ。
しかしオディアンは砕けたはずなので、この空間自体が消滅していなければおかしい。
そして、自分がセツナ・アマミヤであるという記憶も。
何故ここにいるのか。見守る権利すら失ったはずだったのに。
四ヶ月前に精神の主導権を奪われた時と同様、裸の状態で宙に浮いている。
今さら何も考えたくない。愛する人の傍にいられないのであれば、このまま漂っていたい。無になるまで空虚な意識と共に……。
ゆえに、声が届いてくるなど完全に予想外だった。
更に、まばゆい光が上から降り注ぐ。何が起こっているのか思い、顔を上に向ければ……。
最初は、黄泉の世界からのお迎えかと思った。
逆光のなか……手を伸ばしているのだろうか。ボヤけた何者かがゆっくりと落ちてくる。
光に溶け込んでいてハッキリとは見えなかったが、激しく揺れているのは金の髪だ。
幻影程度にしか思っていなかったが、懐かしさにも似た感情が湧き上がり、迫りくる存在に向けて手を伸ばし返す。
手を取った直後、抱きつかれた。
勢いに押されるかたちで、セツナも相手の背に手を回す。
まだ何が起こっているのか分かっていない。自分と同様、産まれたままの姿の相手と密着し合う。
少し身体を離し、相手の顔を見る。
「え……っ」
本来ならば、嬉しいという感情が募る。
だが理解できない。そのような笑顔を向けられても、すぐには納得しない。
一生を誓い合った、誰よりも愛しい存在。
「セツちゃん」
彼女の魂がここに在る。
それがどういうことかを考えれば、勝手に涙がこぼれ出てくる。
「そん、な……」
この上ない奈落を味わう。
感覚が安定していないゆえの幻覚とも思われたが、確かにその声はリリアーナそのものであった。
途切れ途切れになる息を心配してか、両肩に手が置かれる。
「落ち着いて。私……」
「落ち着いていられますか……!?」
彼女を生かすための特攻だったが、無駄に終わったということだ。
「意味が分かりません……。どうして……何でッッ!」
「ごめん……。でも会えてよかった」
ある一つの結論が出ていた。
オディアンが粉砕され、尚もこの浮遊感を味わっているということはだ。
やはりここは天国。あるいは黄泉の国と呼ぶべき場所である。
そのような地にリリアーナの精神があるなど、彼女が殺されたか、あるいは自ら命を絶ったとしか考えられない。
後者であれば、それは間違いなくセツナの責任である。
「じ、自分は……。あなたに、とんでもない選択を……!!」
「ううん。私はね、セツちゃん……。君といっしょに生きるためにここへ来たの」
「口ではなんとでも言えます……!! 事実として……!!」
止めどなく流れる涙を拭いもしない。彼女の指と絡める。
生者と死者であれば、このように繋がることはできない。
「生きて……ほしかったのに……!」
手にまだ力が入る。
何故こうなってしまったのか。何故こんなことにならなければならなかったのか。
しかし、後悔に溺れる頬を、リリアーナは優しく撫でた。
「私ね……。やっぱり、セツちゃんがいてくれる世界のほうが嬉しいんだ」
「だからこんな所に来たと……!? ふざけてるのですか!?」
「心は折れたよ。それこそ、私が死ぬことで世界が救われるなら、もうどうにでもなれってくらいは」
朗らかな笑顔のまま、しかし真剣さが隠れていた。
リリアーナの視線が、底の見えない下へと落ちる。
「けど、それじゃダメなんだって、みんなが思い出させてくれた。私がいなくなったって、もう一人の私がいなくなってくれるわけじゃない。あの子の野望を止められるのは私だけ。ううん」
強調するように、改めて顔を上げた。
「君といっしょじゃないと、それは叶えられない」
「何言って……。だって、セツナ達はもう天国に──」
「ぷっ……。あはははは!」
突然笑われた。セツナはわけもわからず赤面するしかない。
「セ、セツちゃんが困ってるの、おもしろいぃー! ははは!」
「やはりふざけてるでしょう!?」
そもそも、この場にリリアーナの意識があること自体、普通ではないのだ。
「あなたが無茶をしていることは分かります。けどそれでも……!!」
リリアーナは、首を横に振る。
「無茶なんかじゃない。もっと単純……」
顔が近づいてくる。
相変わらずの、澄んだ青い瞳に吸い込まれそうになり……。
「私のワガママだよ」
半ば強引にだった。
口づけを交わされ、しかし、嫌な気など起きるわけがない。
むしろこの瞬間を待ちわびていたような気がした。
彼女はいつだって、止まっている時間を無理やりにでも動かしてくれる。
全てを受け入れ、目を閉じる。
また一滴、涙がこぼれるのを肌で感じながら。
まぶたの向こう側で強くなる光を受け入れた。
☆☆☆☆☆
アーガランド全土に散らばっていた魔力保有種たちが、シクルレッジの西にある平原に終結している。
西側にいる人間の生き残りを殲滅しようというのだ。自分たちの身体が粒子化し始めていようと関係ない。その目的だけを胸に動いている。
その平原の中心で、周囲の魔力保有種に力を与える黒き波が、ひたすらに広がっていく。大気を通してや、触手で直接植え付けたりもする。
重なり合う低い唸り声は、願いも怨念も、何もかもを煮詰め、進化していく。
核となっている自分は何者なのか。
もはや分からない。知る必要もない。いずれ願いは叶う。
みんな一つになるのだから。
朦朧とした意識ですら異変を感知する。
身震いが起きるほどの魔力の高まりだ。黒き波は、まばら状に付着する目の全てを見開かせた後、西の空に向かって振り返る。
何かが出現したというわけではない。逆だ。
地上へと侵蝕しかけていた巨大な闇の亜空間が……消えていくではないか。
さらに、魔力保有種の一団が別の存在に気づく。空を見上げる。
黒き波もまた上空を見る。
何かが……飛んでいる。
魔法を使っているわけではない。背負っているリュックのような形状の底から炎を噴射し、その勢いで空を舞っているのだ。
手には、青い色調が目立つレイピアを持っている。
黒き波の核にいる人物は、いくつかの部分で既視感を覚える。
アンドロイドかと思った。そして……娘のようにとも。
しかし、くすんだ髪の色は娘とは違う。とにかくもっと視認しようとする。
次の瞬間、彼女は消えた。
魔女と同等、もしくはそれ以上の転移術を行ったに違いないと考える。
妙なのは、その行動から生じるはずの闇魔力が、まったく感じられないこと。
代わりに、周囲で舞い上がる見たことのない虹色の粒子。
誰の目からも視認できる。視界に入るだけで、息を荒げていた魔力保有種たちが嘘のようにおとなしくなる。
あまりにも見惚れすぎた。
宙の上にいたはずの彼女は……いや、同一人物なのかさえも疑わしい。
潤いのある金髪をなびかせ、魔力保有種の一団に紛れて現れた。
しゃがみながら既に剣を構えている。
彼女は振り返り、同時に剣を振りかざす。
弧を描く衝撃が周囲に広がる。魔力保有種はみな軽々と吹き飛ばされる。
黒き波は、吹き飛んだ皆を確認する。
放たれた魔力の大きさが嘘のように等しく無傷であり、それどころか、重力を失くしたかのように漂っている。
そして、最も特筆すべき点がある。
皆、魔女による暴走状態にあったはずが……清き姿に戻っている。
正常な意思のもとで地に足を付け、まだ状況を呑み込めない者、意識の復帰に喜ぶ者に分かれる。
今の衝撃波を受けた者だけがそうなっているのかと思われたが、そうではなかった。
まるで身体を通り抜けるように粒子が拡散した。これに接触することで、他の魔力保有種も連鎖的に元の姿へと戻っていく。
たった一撃……。人が闇の力を頼らずに、ここまでのことをやってのけている。
驚嘆しつつも、複数の瞳が一斉に金髪の人物を見つめる。
娘に……。
リリアーナに……よく似ている。
くすんでいた髪は、本来の、王族として誇るにふさわしい黄金の輝きに戻っていた。
その守るべき存在を目の前にし、邪気の核にある自分が、ルミナス=クレセントムーンであることをハッキリと思い出す。
背にそっと当てられた肌触りに促され、ルミナスは自身の身体を、黒き波よりも前面に出す。
要塞ではろくに会話もできなかったが、ようやく、自分がどんな想いでこの醜い姿になったかを伝えられる。
「リリ、アーナ……。あなたなのね? リリア──」
両手を伸ばそうとしたが、やめた。
彼女をよく見る。髪がいつもよりもやや短いだけでなく、目に付くのはその他の違いだ。
肩に貼り付くような金属の装甲。ヘソのあたりを始点にしたスカートは、ろくに股間部を隠せないほどに短い。
これまで臀部を覆っていた羽衣は二つに分かれ、左右の腰から伸びる翼のような、優雅さを漂わせていた。
全体の色合い自体は、以前リリアーナが身につけていたものと物とよく似ている。
しかし所々には、現代的とは言えない、幾何学的な光が模様を形作っている。
例えるならば、リリアーナの服装と……。
いま、目の前で発現した。
翡翠色の瞳を持つ者とが混ざり合ったような……。
「ひっ……!?」
さらに、漆黒の絵の具で塗りたくられたかのような勢いで、髪が変色していく。
ものの二、三秒の間に……リリアーナとは呼べない人物に変貌した。
一瞥だけしてきた彼女は、足で地面を蹴るだけで驚異的な高さまで跳び上がった。
「あ……。あぁぁ……。待ってェ……!」
さっきまで娘だった者だ。ルミナスは周囲の闇のうねりを操り、触手を伸ばしていく。
顔が裂ける勢いで呼びかける。
「わたくしの娘なのよね!? そうでしょう!?」
遅い判断ではなかったはずだが、もう姿はどこにも見当たらない。触手は行き場を失くす。
こんな時のために幾つもの眼がある。全方位を見張ることは、この状況下において容易なこと……。
しかし、何も視認できなかった。
横から、高速の物体が黒き塊を押し出していく。
「があああああああああ!?」
人気の少ない場所まで飛ばされた。
ルミナスはぐったりと背を反らすが、状態を起こす。
そして、前に立っている……黒髪の少女を見つめる。
変わらずの格好。しかし、髪と目の色が変わるだけでこうも印象が変わる。
機械的な風貌にもかかわらず、人らしき衣類を纏う……。
「あな、たは……。なぜ……」
リリアーナの傍で付き従っていたはずの、彼女そのものではないか。
混乱で、言葉すらまともに整理できない。
「いえ、リリアーナ……では、ないの……? わたくしが見ているモノは……現実……ッ!?」
まだ変化は終わっていなかった。
彼女が目を閉じると、漆黒の髪が再び彩色される。
やや黄色みを帯びた灰色……。
ルミナスが最初に目にした姿に戻った。
閉じられていた瞳も開かれる。
ルミナスから見て、左が青。右が翡翠のオッドアイ……。
それに呼応して、服の色合いも白が際立つようになる。
自分が体験したこと以上に奇怪な出来事など、もう何もないと思っていた。
しかし、目の前で起こっている。
愛する娘の身に起きてしまっている。
彼女の左手首が折れ、剣がそこから突き出た。
もう片方の手に持つレイピアも光を帯び始める。
両の瞳が翡翠の輝きを放ち、口からは……。
セツナ・アマミヤの声が漏れた。
「自分でも信じられませんが……これが今のセツナ……。いいえ」
剣同士をバツ字に交わらせる。
目の色が、今度は青に。
そうなれば、当然……。
「私たちだよ」
聞こえるのはもう一人の彼女の声。
二つの剣を振り下ろし、同じ形の魔力線を描く。
躊躇のない攻撃だと感じた。ルミナスは顔を背け、闇の魔力たちに防御を委ねる。
真っ黒な手の形が盾となった。
しかし、一本、二本……。
手のひらも砂の城のように脆く崩れ、防御という行為自体が消えてしまった。
しかも、内に湧き上がっていたはずの高揚感が、次々と消えていくと感じる。
それはつまり、闇の魔力自体が減少していることを示唆する。
「そんな……!? これだけの魔力量を打ち消して……!!」
今のルミナスは、闇を司る化身だ。
ゆえに何をされているかを理解してしまう。瞳を揺らめかせながら、正面の相手を見る。
魔力が……浄化されているだけではない。
その浄化した魔力を、彼女は、自身の体内に取り込んでいる。
この肉体がアンドロイドの流用だとするなら、動力源はオディアンであると聞いていた。
しかし、死や負の感情を力とするはずのそれが……。
今や、清き力を動力としている。
この魔力を何と形容すればいいのか分からない。
『光』そのものとしか言いようがない。
「やめなさいリリアーナ……!! 闇の魔力こそ、唯一残された打開の道……っ!!」
新たな力は、新たな障害となるだけだ。
リリアーナと思しき者の足元に、漆黒の雷を走らせた。
大地を割る。その場にいた『二人』を浮上させ、距離を取る。
「もうあなたを救えなくなってしまうッ!!」
更にルミナスは、発射した雷を鞭のように激しく唸らせ、リリアーナを捕らえる。
そのまま引き寄せ、自身の背後に闇の剣を複数本出現させる。
「歪んだ命に成り果ててはいけない……!! 早くその身体から脱出しなさいッッ!!」
ルミナスは悟る。殺す勢いでなければ、娘の魂を引きずり出せない。
剣たちがリリアーナの方へと飛んでいく。
まだ拘束から逃れられずにいるその身体……。
申し訳ないという念を抱きつつも、串刺しにした。
だが次なる攻撃の準備を進める。これしきでアンドロイドは倒れない……。
しかし、直後に飛び込んできた光景を見て……判断が鈍る。
闇の剣の色が、みずみずしい青へと変わり始める。
その全ての剣が、リリアーナの身体から弾かれるように抜け落ちる。
「な……ッ!? あぁぁ……ッッ」
彼女の肉体に生じていた無数の傷穴が、見る見るうちに塞がっていく。
現象自体はアンドロイドの性質そのもの。だが、決して些細な切り傷ではない。
異次元から得た無尽蔵の闇ですら、最初から無かったかのように受け流した。
やがて色を変えた剣たちは、全て垂直となり、リリアーナの周囲を一定の間隔で回り始める。
常軌を逸した光景の連続。ルミナスは震えが止まらない。
◇
セツナに見えていた世界が手に取るように分かる。あらゆる物質や状況が数値で示され、次にどのように動けばよいかまですぐに理解できる。
思考も双方の考えていることが口頭でなくとも伝えることができ、どちらが身体の主導権を得るか即座に判断可能である。
上空にいる、まだ名前のない二人で一人は、リリアーナに主導権が移ると金髪碧眼に変わる。
「やめるのはあなたです、お母さま……! もう私は大丈夫です。あなたに守られる必要はない」
やり方は既にセツナから学んだ。今のルミナスがどのような状態にあるのか分析する。
単に闇の魔力に呑まれただけではない。何かもう一つ……『手心』を加えられている。
「そんな悪い力に呑まれないで!! 気を落ち着かせて!!」
「あっ、ああああ……。でもでもでも、その身体、はぁ……!! もう人間じゃない……。人間をやめたのね? そんなことあってはならない……」
思っていたとおりだ。
彼女はリリアーナの選択を認めない。それを未来への路だとは思わない。
娘の幸せを願うあまり、誤った選択をしてしまう。
たとえ人を殺してでもだ。
そして、娘の死だけを深く悼む。
死んだつもりなどないことも知らずに。
ルミナスの下にある漆黒の波が、また大きくうねり始める。
本体である彼女は、鋭い悪魔の眼光を放つ。
「ならないのよォォォォォ!!」
母を取り囲む黒い粘質。そのあらゆる部分が触手となり、狙いを定めてくる。
更に、黒い波の口と思わしき部分から、紫の炎をまとった岩石が飛び出す。
触手の動きよりも遥かに速い一撃……。
それすらも、今のリリアーナ達からしてみればなんとも思わない。
セツナが見ていたもう一つの世界。
全てが遅く見える。危機を察すれば、動体視力と思考速度が倍加する。
ただ、今までは遅く見える程度だったらしい。
融合による魔力の変質後は、このスローな世界で唯一自分たちだけが、通常速度で行動できるようになった。
これに加えて、アンドロイド特有の速さも相極まる。
ルミナスにとっては、まばたきの間にという感覚だろう。
リリアーナ達は、ルミナスの側面へ速やかに移動。
テレポートではなく、光速での迅速な動きだ。
驚愕するルミナスに対し、言葉を投げかけるだけの余裕がある。
「いっぱいの人の魂……。みんなを使い捨てになんかしない」
光の剣たちが、邪気に包まれたルミナスを囲む。
髪を灰色に染め直し、二人は叫ぶ。
「「一緒に未来へ進んでいく!!」」
一種の号令だ。大量の剣が、順々に黒き波へ刺さっていく。
まるで蒸発するかのように光の粒子となり、それらはリリアーナ達のコアへと吸収される。
「ああっ、ああああああああああ!!」
露出していたルミナスは、注ぎ込まれた力の影響を受けて苦悶し、両目を覆う。
反応を見て、リリアーナは確信した。
今のルミナスは、前述の『手心』により、闇の渦と同質化してしまっている。
その手心まで光に変えてしまえば死も同然。もう元の状態には戻れない……。
気が動転しているルミナスが再び動き出す。
「やめてええええええええええ!!」
散らばったばかりの闇を集め、視界を覆いつくすほどの黒き壁とする。
リリアーナ達は、レイピアにより強い輝きをまとわせる。
両手で握り、横に大きく薙ぎ払う。
『光』の魔力をまとったカマイタチにより、壁はもちろんのこと、ルミナスに纏わりついていた闇も大きく捲り上がる。
彼女が仰け反る隙に、リリアーナ達はその横を通り抜け、黒き波の中枢へと進んでいく。
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中へ入っただけなのに、まるで全く別の空間へと移動したかのような錯覚に陥る。
魔力の解析が完了すると、視線の先には、人の形をした残影が胎動していた。
正確に述べるのならば、『そこにいる人物』は魂ではない。
苦しみによって無理やりに魔力の流れへ押し込まれた哀れなる者。
選ばれた理由は、ルミナスと同じ血であるがための相互作用。ただそれだけの理由だろう。
自分の目指すもののため、あらゆる人々を利用するだけ利用した。
その結果が自分に返ってきたのだ。────もういい。
君との、あなたとの、因果も因縁も。
全部ここで終わらせる──。
◇
肉体はそこに無いのに、そこにいる。
ステラの身に生じているのはそういった感覚である。もう人生の残りを石造りの身体で終えると思っていた。
むしろ最期のハメ外しとして、姉を巻き込んで暴れ回れる状況は喜ばしいものであった。
それすらも邪魔してきた。
リリアーナ=クレセントムーン。そして、セツナ・アマミヤ。
後者を殺してしまった時点で、破滅の運命は決まっていたのかもしれない。
以前の世界でも、ステラは無様な最期を迎えた。
怒りに震えたリリアーナ=クレセントムーンによってだ。
──そうはさせない。
そうはさせないそうはさせないそうはさせないッ!!!!!
地上にもう立てないというのなら受け入れてあげる。新人類の繁殖役を務めろというのなら、それすらも歓迎してあげる。
あたしの身から産まれるってことは、その一人一人が新しい家族というわけなのだから!!
ただ、このまま何もできず……。
醜い姿のまま死んでいくのだけは────ッ!!
「絶対にイヤアアアアアアアアアアアアアア!!」
深淵に足を踏み入れたことが運の尽きであった。
ルミナスが巻き込まれぬよう壁を硬化させ、なおかつ全方位を埋め尽くすように炎を出現させる。
彼女らは、串刺しにしてきた剣を、自分たちのモノとして再利用していた。
では実体を伴わない攻撃ならばどうだ。
闇の魔術のなかでも高位に位置する炎の魔法。
何万という命を同時に消費しての、煉獄ならば……。
叫びの反響を始まりとして、爆発。
壁の耐久力を代承とはしたが、いかに速い動きを使えようとも凌ぐことは不可能……。
その目測をあざ笑うかのように。
『彼女たち一人』は、焦げ跡一つ無い状態でこちらを見下ろしていた。
「な……ん、で……」
「たったいま命名しました。術式、ナイト・オブ・サン。指定した未来まで跳躍できる」
「私たちは未来に進むって決めた。君のお姉さんや……。ううん、そこにいるのなら引っくるめて言うよ」
『彼女たち二人』の声が聞こえてくる。
「「過去にしがみつこうとしたあなた達とは違う」」
「ま……だ……」
都合よく至近距離だ。おそらくこれが最後のチャンスである。
アンドロイドのコアが収められている胸部を指差し……。
「エターナル・ムーン」
ステラよりも先に、相手方の口ずさむような詠唱。
そのすぐ後。
脆くなった肉壁に、外部から何かが突き刺さる。
回転の勢いを保ちながら貫き、遂にはリリアーナ達の手に渡る。
それは直剣である。リリアーナ達が撒き散らしていた突風によって、どこからか飛んできた物だ。
傍から見れば、何の変哲もない一つの魔道具である。
しかし、反抗的な心を模したかのような剣の装飾。
そして、その剣を向けてきた彼女たちが、今のステラには……。
ここにいるはずのない、ステラにとって理想の子供。
ロゼット=ローゼンベルクに見えた。
幻覚であることは分かっている。だが脅威に取り憑かれた。
そこから金縛りのように、何の手出しもできなくなってしまう。
「ロゼットくんの魂は、もうこの世に存在しない」
リリアーナの口から告げられると、より一層彼の姿が鮮明化する。
「なのに彼の姿を見れたのなら、それは、君が抱いた恐怖そのものだからだよ」
あと一歩だった。
彼は本当の意味で家族になってくれるかもしれなかった。
しかし、まんまと見限られたのだ。
もはやトラウマ以外の何ものでもない。
彼……。いや、彼女たちは、二つの剣を高く掲げる。
このまま永遠の恐怖と共に、精神を閉じ込める気だ。少年の剣は細い線となり、レイピアの装飾として混ざり合う。
対抗したい。動けない。
もう叫ぶことしかできない。
「ロゼッ、ト君っっ……。セツナ・アマミヤァァ……!!」
繋がっているもう一人の精神。ルミナスも引き寄せられる。
ロゼットとリリアーナの姿が交互に見え隠れする。
ルミナスにとっての希望。そして絶望。
どちらも彼女が担っている。
「「リリアーナアアアアァァァァァァァ!!」」
振り下ろされた軌道は、確かに姉妹の精神を通過した。
残影を攻撃しようが手応えはない。
しかし、魔力によって生み出されたことは事実。
「あなた達の未来は断ち切った」
「もう、夜明けを迎えることはないでしょう」
「「あっ、がっ、ぐぁっ……あああああッッッ」」
魔力への干渉など容易くできてしまう。
空間が次々とヒビ割れ、闇から生まれたとは思えないほどの光を発する。
「「アァァアアァァァアアアアァアァアアアアアアアアッッ!!」」
人ではないような、そんな金切り声を散らしながら。
二人の世界は反転した。
☆☆☆☆☆
四人の脳裏に、ある光景がよぎり始める。
この場に居合わせていない二人でさえ、それを鮮明な記憶として感じ取った。
かつてのクレセント王城。まだ足音と呼ぶには楽しげだけが先行する音が、寝室に響く。
二足で立てるようになったばかりのリリアーナは、いつまでも離れたくない、大好きな母のもとへと駆け出す。
そしてルミナスは、何よりも大切な彼女を、両腕を広げて迎え入れる。
傍の窓際で、夫のジーニアスは、まばゆく昇る白い日を見上げる。
「この純粋さを道具として扱うなど……。代々からの方針とはいえ、考えたくもないが」
小さな手のひらを頬で受け止めながら、ルミナスは息に乗せて言う。
「しかし、いずれ考えなければならないことです」
「国の体制を変えれば、残された人々も影響を受ける。帝国との摩擦だけではなく、王国内の秩序も……。どうか、醜い混沌には陥らないでほしい」
「構いません」
あまりにも名前負けしている。
目の前にある輝く笑顔を見てしまえば、そうとしか思えない。ルミナスという名は彼女にこそふさわしいのではと。
……簡単な話だ。
輝きを守護する者として君臨し続ければいい。
「この子を守る為なら……。私は鬼にでも、悪魔にでもなります」
「それは……」
言いかけるが、ジーニアスは顔を背ける。
血に濡れた過去を見ずに済む。
娘の存在自体が、光に満ちた未来を予感させる。
「絶対に……幸せにしてみせるからね。リリアーナ」
☆☆☆☆☆
腰の前で傾けられていた剣が、横に九十度回る。
闇が塵となり、光となってリリアーナの胸に入り込んでいく。
ただしステラのものだけは、魔力の流れが逆流し、元の場所に戻っていった。
この場に残されたのは、リリアーナとセツナの融合体。
そしてもう一人。地面へと倒れ伏せたルミナスのみである。
顔を青ざめさせながら……アンドロイドと化したリリアーナの背中を見上げた。
もう人間ではないのだ。
また瞳が、絶望の涙で滲む。
「あ……あぁ……。リリ、アーナ……」
掠れた呼び声に反応し、リリアーナが振り返る。
髪を金色に戻し、微笑みを浮かべた。
「ごめんなさい。お母さまの願いを……踏みにじるようなマネをして」
「うっ……あっ……」
「でもよかったんです。私のことを大切に想ってくれたみんなのために、どうしても戦いたかった。それになにより……」
ずっと忘れていた。
本当に守りたかったのは、その輝くような笑顔だった。
「お母さまの望んでいたとおり、強くてたくましい女性になりました!」
自分が如何に愚かだったか。
彼女を不幸に導いたのは誰なのか思い知る。
ルミナスは顔面を鷲掴みにし、首を横に振った。
「大丈夫……。お母さまが信じてくれるかぎり、リリアーナはあなたの中にいます」
倒れていた身体が、突如として風の空間に包まれる。
全てを悟ったルミナスは、急ぎ身体を起こし、手を伸ばす。
しかし透明な壁が阻み、触れることができない。
「リリ……ッ。アーナ……。あああ……」
泣いているのは自分ばかりだというのに。
空想か、幻か。
彼女の頬にも、光の筋が流れているように見えた。
「だから……さようなら」
光速による線が現実を取り囲む。
「ああああああああああああああああ!!」
もう見えなくなった希望を求めて、意識が落ちるまで叫び続けた。
-----
今のリリアーナ達は、闇の魔術による空間転移を行うことはできない。
その代わり、リリアーナが得意とする風の魔法を活かし、クレセント王城へ辿り着くようレールを敷いた。
母とはいずれまた会う。その時は、彼女を罪人として裁く時だろう。
それでも父を含めた三人と過ごす日がくるということで、何故だか心の隙間が埋まるような気がした。
噛みしめるように俯いていたが、振り返って上を向く。
赤き衣をまとった人物……。魔女であるリリアーナが空に浮かんでいる。
黒き波が消失したタイミングでこの地に出現し、母との会話を黙って聞いていた。
いつもの澄ました表情ではなく、流れていった現状を侮蔑するかのような……。
するとリリアーナもセツナも、台地の上から来た存在に気づく。
フェリシィにライラック、アカネらが見えてきたのだ。
カナリア量産機を殲滅した後、ルミナスを止めるために彼女らは置いていっていた。様子を見に来たのだろう。
魔女がこの場にいるため警戒するものの、彼女に襲撃の意図はないらしい。
「君のお家で待ってる」
そう言われたので正面に向き直る。
魔女は既にどこかへと転移していた。
「たった一人で……全員止めたのか……!?」
アンドロイドなので、彼らの声は遠くからでもよく聞こえる。
フェリシィは、平原の中心に佇む一人を視認し、駆け足で近づいてくる。
リリアーナ達もそれに応じる。ジェットパックで移動。
フェリシィの前に着地して彼女を見下ろした。
目覚めてからすぐにカナリア達を斬り伏せたため、対面の機会自体がなかった。
変わり果てた姿に、フェリシィの瞳が揺れる。
「リリ……アーナ……?」
ちょうど主導権を握っていた。リリアーナは微笑みながら自身の胸に手を当てる。
「うん。ここにいるよ」
そして、今の自分がどのような状態なのかを分かりやすく伝える。
目の色は緑。そして髪の色も黒に変える。
息を呑む全員に対し、もう一人の宿主が口を開く。
「同じく、セツナも」
戦慄……と言ったほうが近しいか。それだけの反応を三人は見せた。
フェリシィは、口を押さえながら涙を溢れさせる。
何度か息を引きつらせてから、一人となった二人へ抱きついた。
人ではない存在に変わってしまったことへの絶望か。また二人と話せたことへの喜びか。
正しくは分からず、ただひたすらに泣き腫らしている。
二人の髪はまた灰色に、目はオッドアイとなる。
フェリシィの頭を撫でつつ、セツナに言い聞かせるようにして言う。
「勝手に決めちゃって、ごめんね」
セツナの意識はしばらく無言。
主導権だけ渡して待っていると、やがて唇にかかるくらいの息を漏らした。
「不思議です。悔しいという気持ちと……あなたらしいという安心感がある」
スカートを摘む。
か細いとも強いとも取れる力を感じつつ、リリアーナは言う。
「ミケちゃんは……こうなってほしいと思ったから、自分の精神を犠牲にしたのかな」
西を向き、空を見上げる。
「どうでしょう。ただ……」
いまだ雷鳴が轟く。
この混沌をもたらした要塞が、遥か向こうにて、小さく見える。
「託されたということは間違いありません」




