第三節 皇帝執務室にて
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ミケが指し示した座標は王城の中にあった。
それはセツナが人間として生きていた頃、毎日のように訪れていた更衣室だ。
城で働くメイド用に設けられたロッカーを開ける。
ぶら下げられていたホワイトブリムを手に取り、それを見つめる。
「やはりこれがトリガー……」
背後にある鏡の中に、髪の色が違うもう一人の自分が映り込んでいる。
『そう。現在の状況では、ワタシが逆位置に配置されている。あのシステムを起動できるのはワタシだけだ』
「いずれにせよ必要ない……。彼女を止めるのは、自分の力だけで十分です」
『できるのか? 魔女と化しているが、アナタの想い人だ』
「踏ん切りなら既に……。自分が愛しているのはただ一人のみです」
意識との対峙をしている最中、隣の部屋から何かを感知する。
トリガーとなる物体は回収したので、もはや更衣室に留まる理由はない。迅速に移動する。
何かの反応があったのは医務室だ。セツナが死している間、ここがヒナタの活動拠点だったという。
既に新たに配属された医者がおり、鳩が豆鉄砲を食ったかのような表情で迎えた。
「失礼します」
「えっ。はぁ……」
ずかずかと、レーダーが指し示す場所に向かう。
医者が座っているすぐ傍。机の棚だ。セツナはなんの躊躇もせぬまま棚の三段目を開ける。
注射器や液体の入った瓶など、専門的な道具が並べられている。
底の面に違和感を覚えた。棚にしてはやや高すぎる印象がある。
セツナは机の中にある医療道具を全て出し、底として使われている面も取り外す。
やはり隠された空間があり、その中には場違いな物体が横たわっていた。
描かれている姿を見て……セツナは目を見開く。
写真だった。写っているのはヒナタと……。
もう一人。控えめなピースをしている人物。
「まさか……」
とても無視できない存在である。
セツナは、アンドロイドとして目覚めて間もないころに、彼女の姿を目撃していた。
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トナカイぞりが、帝国の関所前で停止する。
客席に座っているのはダガン皇帝だ。農民でも着ないようなズタボロの格好でいるが、元々はパーティ用に誂えたものである。
このような惨めな格好、そして居心地の悪い乗り物を利用することは、皇帝にとって屈辱的な事態だ。
しかし傷を隠すためには都合が良かった。服の下には、暴走したオーガ族によって抉られた傷跡がある。岩壁に魔力弾を撃つことで瓦礫を起こし、なんとか逃げ延びた。
そして、近くで停まっていたソリに乗せてもらうこととなった。
「は、ハハハ……。ようやく辿り着いたぞ……!!」
皇帝は代金を出さずに降りようとする。
「ダガン、こ、皇帝……」
名を呼ばれ、皇帝は運転手を睨みつける。
「西側で何が起きているんですか? いえ、少し聞いてはいるんですが、にわかには信じ難くて……」
確証は掴めていないが、状況から予測はできていた。
そのうえで、ダガンは運転手が被っているフードを取る。
彼の耳が横に長いことが判明した。
「エルフか?」
そう問われ、彼は明らかに息が上ずる。
こちらの眼光から隠れるように目を逸らした。
「違いま──」
ダガンはエルフの後頭部を掴み、前方に押し倒す。
角の尖った部分に脳味噌を突き刺した。
先手を打たれる前に仕掛けるのがアーガランドの流儀である。
しかしただでさえ汚れていた格好が、今度は返り血で塗られてしまった。ダガンは遺体に唾を吐いてソリから降りる。
本来の行先は大陸の西端であったが、真逆の道を進む羽目になった。
波乱に満ちた展開の末、ようやく帝国の敷地に足を踏み入れた。身分も身分ということで、関所の警備員からは、何らかの方法で顔を見られないように要塞へ向かおうという提案があった。
しかしそんな余裕もないのである。一刻も早く処理を済まさねばならない。
結局ダガンは、ボロボロのまま門をくぐり抜けた。
よって、その姿を目撃した国民たちが騒ぎだしてしまう。
もはや誰に何を言われようが構わない。皇帝としての威厳などどうでもいい。
先にここまで来た自分の勝ちだ。
「なにが魔女だ。ふふ……。ハハ……」
しかし、より一層ざわつきが大きくなる。
視線が誰もこちらを向いていない。自分への反応ではないことに気づく。
ダガンも釣られて振り返り、空を見上げる。
西側に広がっていた紫の空が……こちらに向かって伸びてくるではないか。
あの領域に侵入されれば最期である。平常な心理では突破できないような事態に国中が陥る。
ダガンは震えながら息を吸う。疲労も相極まり、獣のような背で走り出した。
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帝国が誇る要塞、黒金塔に到達した。
かけられる声や制止を無視し、ダガンは自身の執務室に向かう。
今度こそという笑みが浮かんだ。ダガンは銀のドアノブを握り、力強く押し開ける。
すぐ見えた光景により、笑みを消すことすら忘れてしまう。
室内の壁に大穴が開いていた。狙撃を避けるために塔の中央部分に位置しているが、他の箇所までも突き破られていたのだ。
いま思えば、通りがかりの職員はみな焦っているような顔つきだった。ダガンは必死なあまり、その事態にすら気づいていなかったのだ。
作業部屋は変わり果て、ダガンの座る席には誰かが鎮座していた。
「こんにちは。そんなに急いでどうしたんです?」
侵入者にしてはやけに可愛らしい声だ。
また、書斎机を囲むようにしているその他二名。立っている一人と、両膝をついて座る一人だ。
明かりが灯っていない今、人影の存在しか分からず。
あまりに不気味な状況に、ダガンの呼吸が速まる。
「だ、誰……だ……」
すると着席している人物は、立てた人差し指の上に火を点す。
払うように動かし、小火は天井の方向へと飛ぶ。
上辺に付かずに四角く拡がると、不明だった三人の姿が鮮明化した。
ダガンの強張っていた表情筋が軋む。
立っている一人に見覚えが……あり過ぎる。
彼はこの女アンドロイドによって、約一週間もの間、雄犬として生きることを強制されたのだ。
「敗北したと聞いたが……。また貴様の仕業──ッ!!」
今度はあの時のようにいくまい。そう意気込んで前に進み出したのも束の間。
床に座っている人物が判別できるようになった。
ここにいるはずがない人物と言えよう。両手を背に回され、拘束されている王妃、ルミナス=クレセントムーン……。
では、もう一人は……。
自ずと視線がそちらへと向く。
四ヶ月前に対面したばかりだ。顔はよく覚えている。
しかし彼女の髪は赤く染まり、無垢だった雰囲気も歪んでしまったように感じられる。
目を細めてよく見ようとすると、リリアーナと思わしき人物は手のひらを向けた。
「あ〜。もういい。いいですよ〜。驚かれるのも見飽きました」
彼女が中心として座っているあたりから、二人を率いているかのように見える。
ならばと、世界で起きている異変との関連性も考えてしまう。
「あれをやったのは……貴公か?」
「心当たりがあり過ぎますよー。それよりもどうしてここに? へそくりでも隠してるんですか?」
ダガンは壁に手を付き、回り込むように進んでいく。
彼女の意図を読み取れず、しかし四ヶ月前の会話を思い返せば、まだここに来る動機は考えられた。冷や汗をかきながらも強がりの笑みを浮かべる。
「次元の門を開くには、魂と器が必要だ。我々はそのために貴公の身体を求めていた! そうか……。我々の教示に賛同したということだな!?」
赤髪の元王女はだらしなく椅子に寄りかかる。
「成り行き上は、まぁ、そうですね。それにしたって皇帝さん。あの勧誘はないと思います」
「む……?」
「いくら状況が状況とはいえ、怪しい団体なことに変わりはないんですから。私の性格、新聞とかで知ってますよね?」
「だがこうして幸福を選択する権利を……」
ダガンは言葉を止めた。
あることに気づいてしまう。彼女は自身の行動について、「心当たりがあり過ぎる」と言ったのだ。
対面にいる三人をそれぞれ見やる。
ルミナスは塞ぎ込みがちだが、カナリアとリリアーナはじっと見つめてくる。
世界中で起きている異変など想定済みといった具合だ。
ダガンは停止していた口を力なく動かす。
「魔力保有種の……暴走は……」
「だから、幸福を選択する権利、ですよ」
こちらを捉え、不気味な煌めきを放つ瞳に、純粋さなど伺えない。
噂となっていた未来の姿、魔女と呼ぶにふさわしい。
その魔女は説明を続ける。
「アレはそんなに器用な扉じゃない。過去を取り戻すことは、闇の魔力をもってしてもすっごく難しいんです。たとえアース・ワールドにいる全ての命を吸ったとしても」
自分以上に次元の扉のことを理解しているのか。ダガンは唾を飲む。
「何を……しようとしている?」
彼女の口元がなめらかに上がる。
「あなたが隠そうとしてた物をいただきに来ました」
冷静でいなければならなかったが、自然と脂汗が流れてしまう。
見透かすかのように魔女は立ち上がる。
「まさかこんな普通の場所には隠してないかな……と思ってたんですけど」
動揺というものはなかなか隠せないものだ。ダガンの視線が右往左往する。
終えてから自覚したが、ある一点をやや長めに見てしまっていた。
その方向を魔女も直視。
亜空間ホールを呼び出し、その中に手を差し入れる。
金属製の物体を摘み取った。
特定の場所で使用する鍵だ。
ダガンは愕然と固まってしまう。
国へ戻ってすぐこの部屋に来たのは、それを回収するためだったからだ。
「なるほどー。やっぱりここじゃなかったかぁ」
ニヤリとほほ笑む元王女らしき人物。穴の開いたキーホルダーに指を通し、鍵全体を回す。
リリアーナ=クレセントムーンは確かに魔法のエキスパートである。しかしそれは魔導石を用いての場合のみ。
闇の魔術を扱うなど聞いたことがない。未来の世界を滅ぼしたという魔女本人である可能性が高まる。
その大罪人が近づいてくる。
「それじゃあ連れて行ってもらいましょうか」
「アレは……なんとしても渡せぬ。日の目に出ること自体が危険だ!」
楽しそうに見ていたカナリアが首を傾げながら言う。
「ニブニブですね♪ 皇帝さま」
「なんだと……!?」
「カナリアたちはその危険を起こそうとしてるの! あなたの危機感なんて関係ありません!」
当然の話である。彼女らはこの帝国がどうなろうと何の被害も受けない。
実害となるのはアーガランドの一族だけだ。国民からの非難は避けられない。
必死に呼吸するダガンを、魔女が上目遣いで見つめる。
「従わないと、一生奥さんに会えませんよ」
抵抗しようが今の状況では無意味だ。精一杯として唸るのみである。
そんなダガンにかけられた言葉は、想定と違う優しいものだった。
「私は自分だけが幸せになれば、なんて思ってない。みんなの幸せを望んでる」
仲間内で意思疎通がとれていないのか。
「……はい?」
カナリアが魔女を睨みつけた。
部下の発言に耳を傾けず、魔女は続ける。
「変な話だけどね。そのために、とにかく皆には怒ってもらわないと」
「アレを公表すれば……我は妻に会える。そう言いたいのか?」
「約束しましょう。ちゃんと元の姿で会えますよ」
嘘だと分かりきっている。もし彼女が全ての混乱を引き起こしているのだとすれば、全ての言い分にも疑ってかからねばならない。
しかし逆らおうものならどうなるのかというのも分かる。ダガンは案内役を引き受けることにした。




