男勝り令嬢、「お前のような奴は妃にふさわしくない」と王子から婚約破棄されたら、令嬢たちからプロポーズが殺到した!?
伯爵令嬢サシャ・スクリムジーは、実家が古くから騎士の家系であったために他の令嬢より体が逞しかったこと、ドレスや宝石より馬や剣が好みなどの性格的な面などから、男勝りだとよく言われた。
あと、体つきも大柄で浅黒い肌と随分男らしい。というか逆に女らしい要素を見つける方が大変かも知れないくらいだった。
そのことはもちろん自覚している。それでも彼女は王子の婚約者という役目を務めようと必死で頑張っていたし、彼を守るために日々精進してきた。
だがそれはどうやら無意味だったようだ。
なぜならたった今、婚約は破棄されてしまったのだから――。
「スクリムジー伯爵令嬢! 女らしくないお前のような奴は妃にふさわしくない。よって、お前との婚約の破棄を宣言する!」
それは王家主催のとあるパーティーでのこと。
令嬢として失礼のない程度の慎ましやかなドレスを纏い、とある人物を探して歩いていたサシャは、当然自分を名指しして糾弾したその声に振り返った。
そこに立っていたのはサシャの婚約者である王子、ジェイコブ・イェン・ハミルトン。彼がサシャの探し人であった。
「申し訳ありません、殿下。殿下がどこにも見当たらないのでお探ししていました。単刀直入に伺いますが、腕に侍らせているその御令嬢は?」
「お前は彼女のことを知らないというのか? くそっ、ますます女らしくない奴め。教えてやろう、彼女は新たに俺の婚約者となるマデリーン・ミュミュ男爵令嬢だ!」
そう言って紹介されたのは、ふわふわと軽く巻いた金髪に大きな青い瞳をした少女。
彼女がマデリーンであるらしい。
ほっそりとした体つき、柔らかで大きな胸や尻、長く美しい脚。
間違いなく女性的魅力では敵わない。ジェイコブ王子が惚れるのもわからなくはなかった。
「初めまして、マデリーン嬢。そうか、殿下はやはりこういう女性が好みでしたか。それであれば婚約破棄でなく愛妾にすればいいのでは?」
「嫉妬もせんのか、お前は」
「しても無意味なことはしない主義なので」
細かいことでわあわあ騒いでも無駄だ。もっと建設的なことを行った方がいい。
そんな風に考えるところがジェイコブ王子は気に入らないのだが、サシャ自身はあまり自覚していないところであった。
「……俺は前言を覆さぬ。お前との婚約は破棄し、マデリーンを正式に妃に迎える! これは決定事項だ!」
ジェイコブが高らかに叫ぶその横、彼の腕に絡みつく令嬢は青い瞳に大粒の涙を溜めて、なぜかブルブルと震えていた。
(そんなに嬉しいのか? それなら別にそれでいいが、彼女はジェイコブ殿下を守ることができるのだろうか)
サシャは疑問に思ったが、考えても仕方がないとすぐに思考を放棄した。
どちらにせよサシャとジェイコブ王子の婚約は破棄されてしまったのだ。確かに公衆の面前であることを考えると今更覆すのは不可能。
とりあえず父に報告し、国王と正式に決めてもらわねば、などとサシャが思案しながら「婚約破棄、お受けしました」と口にした瞬間だった。
ザザザ、と大波のように人影が一斉にサシャに群がって来たのは。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「まあっ、婚約破棄、本当ですの?」
「サシャ様サシャ様」
「ジェイコブ殿下の怒声にも怖気付くことのないその姿、さすがでいらっしゃいます」
「婚約破棄……それはつまりサシャ様がフリーになられたということ!?」
「夢のようですわ!」「ジェイコブ殿下には感謝いたしませんと」「皆様邪魔です。サシャ様はわたくしのものなのですよ」
サシャの周りをぐるりと取り囲み、きゃいきゃいと騒いでいる彼女らは、サシャと違って色とりどりで華やかなドレスの令嬢たち。
身分は様々だ。公爵家の三女の姿もあれば子爵家の跡取り娘までいる。どうしてサシャがここまで知っているかというと、普段からなぜか令嬢たちから人気があり、声をかけられていたからだった。
だが今日はいつもと彼女らの熱量が全くの別物だ。飢えた獣のように目がギラギラしている。
(もしかして婚約破棄された私をここぞとばかりに罵りに来たのか……?)
「皆、落ち着いてください。何が何やらさっぱりだ。私は今から父に婚約破棄のことを報告しなければならない。急がないのならまた今度にでも……」
「でははっきりと申し上げますわッ!」銀髪の可憐な侯爵令嬢が言った。「サシャ・スクリムジー様。わたくしと婚約を結んでくださいませ!」
「ずるいです! 私こそが誰よりもサシャ様を想っているんですっ!!」
サシャよりは低いものの、そこそこ大柄な令嬢がそう言った。彼女は確か金持ち伯爵家の一人娘だったか。
しかし彼女に反論する声が。公爵家の三女であり、今サシャを取り囲んでいるこの令嬢集団の中では最も身分の高い人物であった。
「あら、皆様お待ちになって。サシャ様はわたしのものなんですよ」
そしてまた別の令嬢は、
「サシャ嬢、前に婚約者に別れを告げられて泣き伏せっていたワタシを勇気づけてくださったこと、覚えておりますか? その時ワタシはあなたの虜になったのです。どうかワタシと共に生きてはくださいませんでしょうか」
などと、熱烈な眼差しを向け、どこから持ち出したのか真紅の花束を差し出しながらサシャに懇願してくる。
同性である令嬢、それも大勢からのプロポーズに、普段騎士の家系の娘として恥じぬよう精神を鍛えている自負のあるサシャですら動揺せざるを得なかった。
確かにサシャは装いも言動も男勝りだと言われる。だがそれでも女性なのであり、令嬢たちから求婚が殺到するなど異常事態もいいところだ。
今まで、王子妃になった時のためを考えて女性たちと仲良くするよう努めてきたのが裏目に出た。友情ではなく恋情が相手の胸に芽生えてしまうなど、どうして考えられただろう。
サシャは頭を抱えたくなった。
まあ、実際のところ、サシャが女性たちを惚れさせるような言動を普段からしているせいなのだが、本人に自覚はない。
「皆、落ち着いてくれ。私は女だ。それに貴女たちの半分以上は婚約者持ちだろう。いくら女の私にとはいえ求婚したら後で困った事態になるんじゃないのか?」
これで引き下がってくれることを望んだが……。
「承知の上ですわ!」
「女同士で育む愛もアリよりのアリだと思いますの」
「サシャ様ほど男らしい方は他におりません」
と、まるで聞く耳を持とうとしない。
「ジェイコブ殿下、こういう時の対処法を教えていただきたい」
「知らん! というかなぜお前が俺よりモテているのだ。俺に群がる令嬢はせいぜい四、五人だったぞ……。というよりお前、これからこの場は俺とマデリーンの婚約を祝うパーティーとなるのだ。なのに俺より目立つとはどういうつもりだ!」
ジェイコブ王子を頼ろうとしたがダメらしい。それどころか文句を言われてしまっただけだった。
別にサシャだって求婚されたくてされているわけではないし、本当は今すぐにでもこの場を後にしたい……のだが、令嬢たちが取り囲んでいるせいでそうもいかない。
もちろん力づくで突破することは可能だが、そんな真似はサシャの矜持が許さなかった。
令嬢たちは諦めるどころかどんどんその数が膨れ上がっていき、しまいには五十人ほどまでになってしまった。
(この騒動は一体いつまで続くのだろう)
サシャがため息混じりに考え始めた頃、救いの手は差し伸べられた。
「……あの! ちょっと、いいですか!」
声の方に視線が集まる。
声を上げたのは、先ほどまで王子の腕に絡みついていた男爵令嬢マデリーン。彼女は王子から離れるとホールの中央に出て、皆の注目を浴びた。
「わたしの話を聞いてください! わたし、殿下と婚約はいたしません!」
「――なっ!? それはどういうことだ、マデリーン?」
驚くジェイコブ王子。しかしマデリーンは構わず話し続ける。
「殿下はわたしの実家を脅し、わたしに無理矢理婚約を迫ってきたのです。サシャ様という婚約者がありながら……。わたしこそ殿下にふさわしくないと何度もお伝えしているのに! 結局聞いてくださらず、こんなことに」
涙ながらにそう言いながら、サシャの方を一瞬チラリと見て、目配せを送った彼女。
サシャはそれだけでマデリーンの意図を察した。そしてマデリーンに気を取られている令嬢たちに「すまない、失礼する」と言って、猛然と駆け出した。
「あぁっ、サシャ様!」
「どこへ行きますの!?」
しかし体を鍛えていない令嬢集団にサシャを追うことなど不可能。
彼女らがサシャの後を追って走り出した頃には、当のサシャは会場を出て、外に停めてあった馬に飛び乗り生家スクリムジー伯爵家へと向かっていたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その後、サシャは無事に帰り着き、父に事情を説明。
そして父である騎士団長は国王との協議の末、婚約の一方的な破棄と公衆の面前で罵られたことへの慰謝料をたっぷりいただくことになった。
ジェイコブ王子は王位継承権を剥奪、子爵位を与えられて王都を追放されたらしい。
元々顔がいいわけでも何でもなかったので、ただの子爵となった彼に、彼が望む『女性らしい女性』は擦り寄っていかないだろう。せいぜい中年の子豚のような独身貴族女性か平民の小汚い娘程度に違いない。ご愁傷様、とでも言っておこう。
一方でサシャの元にはあれから毎日手紙が送りつけられるようになった。
内容は当然ながらサシャへの恋文。丁寧に返信し、受けられないことを伝えているのだが、まるで聞き入れてくれなので困っている。
(ジェイコブ元殿下との婚約もなくなったことだし出奔して名無しの騎士として世界中を彷徨うなどした方がいいかも知れない)
などと考えたある日のこと、一人の令嬢がサシャの元を訪れた。
ミュミュ男爵令嬢マデリーンであった。
「サシャ様とお話ししたくやって参りました」
普通ならすぐ追い返すところ。しかしマデリーンにはあの時の恩があるので無下にはできない。
サシャは彼女を屋敷に通した。
「貴女が声を上げてくれたおかげで助かった。ありがとう」
「わたしはただ、あの王子様と結婚したくなかっただけなので」
「すまなかった。私が殿下……元殿下をきちんと見ていられなかったせいだ」
「サシャ様のせいじゃありませんよ。悪いのはあの王子様なんですから!」
にこりと微笑むマデリーンは美しい。
私にはとても真似できない笑顔だなとサシャは思った。
その笑顔に絆されてしまったのかも知れない。気づけばこんなことを口にしまっていた。
「そうだ、貴女にきちんと礼がしたい。我が家は所詮伯爵家ではあるが、それなりのことはできるだろう。貴女に望みがあるなら私のできる範囲で礼をさせてはもらえないだろうか」
ミュミュ男爵令嬢はどうやら実家が貧乏で、未だに婚約者もいないらしい。いい縁談の一つや二つは用意できるだろう。
そう考えた上での提案だったのであるが……。
「本当ですか!」
「ああ」
キラキラと目を輝かせるマデリーンに頷くサシャ。
この時引き返しておけば良かったのだ。しかし彼女はそうしなかった。
だから後悔することになってしまった。
「なら、一つだけ。
スクリムジー伯爵家令嬢サシャ様。あなたにずっと憧れていました。いつでも凜としていてかっこいいあなたが好きです。初めて見た時から好きでした。
もちろんわたしにはもったいない存在とわかっています。ですがもしも許されるのなら、あなたの傍にあることを許していただけませんか?」
その言葉にサシャは耳を疑った。
(嘘だろう。まさか彼女もだというのか……)
ここにきて初めて、自分がまずいことを言ってしまったことに気づく。
できることなら何でもすると言ってしまった以上、断るのは無理だった。
人生で初めて、それこそ婚約破棄された時の何倍も追い詰められた気がした。
「嘘だろう」と呟くが、可愛らしくも獰猛な肉食獣は獲物を掴んで離さなかった。
「――やっと長年の恋が叶うんです。絶対逃がしませんからね、サシャ様」
耳元でボソリと囁かれる声を聞き、マデリーンに天使のような笑顔を真っ向から見せつけられながら。
これは私が堕ちるのも時間の問題かも知れない――と、恐怖に身を震わせるサシャなのだった。
実はジェイコブ元王子が浮気したのも婚約破棄を宣言したのも全てマデリーンが唆した故のことで、パーティーの場でサシャに味方したのも被害者を装って王子を廃嫡に追い込んだのも、全てはサシャを手に入れるための作戦だった……という恐ろしい事実を知るのは、これからしばらく後の話。