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ジャムを振る舞ってからというもの、マリエッタのささやかな日常に変化が起きた。
伯爵が会いに来ることはなかったが、なぜか執事のエリックが前よりも来るようになったのである。
「旦那様も喜んでいる」というエリックの発言を聞いて、マリエッタは次々に母のレシピを再現し始めた。
そんなある日、エリックがジャムを一緒に作りたい、と言い出してマリエッタは驚いた。
実家では、そんな下らないことをするな、と散々怒鳴られたのに。
実際お金になる訳でもないし、そうだろうな、と思っていたが、まさかそのジャム作りに参加したい人がいるだなんて。
エリックと一緒に裏庭の野苺を摘む。
なぜ、野苺かというと、エリックが好きだと言ってくれたからだ。
「いや、しかしこんなに立派な苺がなっていたなんて、全然知りませんでした。使用人失格ですね」
「案外、一見してもわかりませんからね」とマリエッタも相槌を打った。
摘んだ野苺を水にさらして、それからコトコト煮詰める。
時間も重要だ。
実の具合、食べる時期などで、微調整を加えていく。
「大変だとは思わないのですか?」
無言でジャムを煮詰めるマリエッタを見て、エリックは浮かない顔をしていた。
「なにがですか?」
「この状況がですよ。新婚だというのに、1ヶ月も放って置かれ、そして、ジャムだって僕が旦那様に渡した、という確信もないはずです。――それなのになぜ、こんな手間暇を掛けられるのですか?」
あまりにも真剣なエリックの表情に、ついついマリエッタも姿勢を正す。
しばし考えてから、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「これは……うちの母の教えなのですが、母はいつも言っていました。『お礼を言われなくとも、人に優しくしてあげて』って」
そう言いながらも、マリエッタは思った。
そうだった。
ここに居られるだけで、自分は幸せだ。
そして、マリエッタがここに居る時間が長ければ長いほど、伯爵様はガッカリとしてしまうだろう。
――伯爵様もジャムを気に入ってくださったらしい。
そのことを思うとほんの少し、胸が痛んだ。
「だからいいのです。これは自分の自己満足。もちろん大変ですが、平気です」
沈黙が続き、ぽつりとエリックが言葉を漏らした。
「素晴らしい母君だったのですね」
「ええ」
母のことを他人に話したのは久しぶりで、マリエッタは頬を伝った涙を拭いながら、うなずいた。
「大好きな、自慢の母です」
「すみません。どうしても外せない用事がありまして、今日は遅くなります」というエリックに、
マリエッタは「わかりました」と笑顔で応じた。
最近、色々なことがわかってきた。
最初は疑うような雰囲気もあったけど、執事のエリックは、意外といい人だということ。そして、どうやらマリエッタのジャムを、本当に好きでいてくれるらしいこと。
――流石に、ふたりで作っている途中のジャムを、何度もつまみ食いしようとした時には、注意をしたけれど。
そして、そのまま夜を迎え、マリエッタはいつも通り寝室で寝ようとした。
――明日は何をしようかしら。
もしよかったら、伯爵家の家計のお手伝いをしてみてもいいかもしれない。
そうして、マリエッタがうとうとし始めたころ、
ふと声が聞こえてきた。
「えっ……」
――小さい子供が泣くような声。
思わず、マリエッタは飛び起きた。
耳を澄ます。
怖さもある。
だけど、それ以上に子供の泣き声が気になった。
誰かに、助けを求めているような声だったから。
恐る恐る、暗い屋敷をうろつく。
ランタンを持って移動しているが、それでも辺境の地だ。
夜でも明るかった王都とは違い、夜になれば真っ暗。
それでもおっかなびっくり歩いていくと、声の元は明らかに、マリエッタが唯一、屋敷で立ち入ったことのない、場所から聞こえていた。
そう。
地下室。
マリエッタは、義妹に言われた不気味な話を思い出していた。
『ルッツ伯爵は、奴隷の子供を買っては切り刻んでいる』
重そうな扉。
エリックはたしか、ここには道具しか入っていない、と言っていた。
でも間違いなく、声は扉の向こう側から聞こえてくる。
――怖いけど開けるしかない。
全体重を乗っけて、扉を押し込む。
『ルッツ伯爵は、奴隷の子供を買っては切り刻んでいる』
義妹の声が、いつまでも脳裏に響いていた。




