はちじゅうご
自宅に着いて、画材の山の前で手を組んで考え込む。さて、龍様を何で描こうか、と。
僕が絵を描くときにまず考えるのは、どんな絵にしたいか、その絵で何を伝えたいか、そもそも何が描きたいのか、の三つだ。
今回の場合、僕は龍様を描く。そうだなぁ、迫力があって、異世界に僕を引き摺り込んだのも頷ける貫禄のある龍が描きたい。ついでに、この絵を見た人が、戦意をなくすような絵になるとなお良い。
今、妖鏡は大きな争いの渦中にある。さっさとそれが終わるように、心を込めて描きたい。思うだけじゃ、効力なんてほぼないだろうから、何か条件付けをしようとも思っている。
ただ、実際に即した絵にしたいので、ある程度は本体の龍様に近づける必要がある。龍様の身体になるなら尚更だ。
「龍様って、全長はどれくらいだったんですか?」
とりあえず、本人に容姿を聞くところから始める。
龍様は数拍考え込んだ。
「……測ったことがないなぁ。和街と洋街をトグロで囲めるくらいだろうか」
東京くらいなら丸呑みできそうな大きさだなと、感想を持つ。
「原寸大で描くのは無理ですね……できるだけ近づけるにしても、何処に描こう」
紙だってタダじゃない。大きいならそれなりに金がかかるし、キャンバスにするんだったら木枠もいる。壁や地面に描いてもいいだろうが、一体何処に描いたらいいのか。そも、大きな壁に絵を描いていい場所は現鏡では数少ない。
「原寸大で描くつもりだったのか、まったく無謀なことを考える」
呆れたような言葉だったが、声音は明るく、彼はできないとは言わなかった。
「何言っているんですか、遊びなら本気で、やれること全部やって全身全霊で楽しまないと」
遊びなんだぞ、真面目にやれ、とは何が元ネタだったのか。僕は知らないが、その言葉だけは知っていた。
龍様は驚いたように息を呑んで、それから少しゆっくりと荒々しく言葉を吐いた。
「俺を、遊びで描く、と?」
怒っている、とそう感じる声だった。いや、本気で怒っているワケじゃあないはずだ。遊び=手を抜く、と勘違いされたのだろうか。真面目にやると言っているのに、言葉を伝えるのは難しいものだ。
まぁ、誰だって肖像画で手を抜いて描かれると思えば声を荒げたくなるだろう。
「えぇ、売り物じゃなくて私物にする予定の絵を描くワケですから。遊び、というか、娯楽ですね、僕にとって。娯楽だから全力で描くんですよ」
飄々と返す。やましいことは何もないのだ、堂々としていよう。
彼はしばらく黙ったままだったが、一分もした後に、急に笑い出した。何がおかしいんですかと文句を言えば、何もかもだと返される。
「はは、さすが愛し子。娯楽で龍をつくるなど、フツーのモノは考えつかないだろうよ。ぜひやっておくれ、随分と楽しいことになりそうだ」
「頼まれなくてもやりますよ。僕が描きたくなったから描くんですもの……ところで龍様。何で描いて欲しいとか希望あります? 何処で何に描くか全く決まらなくて」
「あぁ、愛し子は原寸大に近いものを描きたいと言っていたものな、そんな大きなきゃんばすは、一つだけだろう」
「え、あるんですか。そんな大きな紙」
「和街全体を使って描けばいいのさ。あぁ、洋街にも描くか? 街中を使って大きな龍を一匹描くなど、君には容易なことだろう?」
面白がるような口調で、愉快そうに話しかけてくる彼の声音は先ほどの深く響く不機嫌そうな声から一変していた。
「……いやいやいや」
何をいうんだこのヒトは。そりゃあ、街中いっぱいに描くのはなんと心地が良くて面白いことだろうとは思うが、街中ということはそこに住む者がいて、描いていいかダメかという線引きがある。僕にだってそれくらいの常識はある。
「別に誰も気にしたしないと思うがな……あぁ、そんなに気になるなら、その絵は自分にしか見えずにわからないとでも条件をつけておけばいい」
たしかに、それならば街に住むものの害にはならない。
「それはそれで、なんか……描いたものが誰にも見られないというのも寂しいのですが」
「なら、手を叩いたら見えるようになるとか、宙を泳ぐようになるとかどうだ? そもそも、俺の体にするんだろう? 俺が動いて、後から場所を変えればいい話だ」
「あ、それもそうですね。なら問題ないか。後の置き場も、図体がデカくて置き場がないなら大きさが変わるように条件付けをすれば何処だって問題ありませんし」
「さてじゃあ、描く場所は決まったな」
「はい、ついでに大量の条件付きの絵の具とつける条件をまとめて置く作業が必要になりましたね。あー、これから忙しくなるなぁ」
夏休みの旅行前と同じ、浮き足立つような忙しなさだ。
僕は意気込みながらも準備に取りかかった。