はち
「こんな風になりました」
「……これはなかなか」
「腕は確かだったんだな、じょーちゃん」
納品場に指定されていた職人の店に行った。
役立たずなカーナビを使うまでもなく、僕は道を暗記していた。自作の地図でも作ろうか。それともどこかでこの世界の地図を買ってみようか。
納品物を見て、2人は感嘆の声を上げる。
そんなに喜んでもらったのなら、描いた甲斐がある。
「いやはや、期限前提出というだけでも驚いたのですが、これほどの出来とは……」
この画商さんは、時間にルーズな商売相手ばかりに出会ってきたのだろうか。
「この出来なら、また別の作品の時に頼むのもやぶさかではないな」
職人にも気に入られた。顧客ができるのは嬉しいが……。
「僕は疲れたので、しばらくは無しでいいです」
一瞬、キョトンと真顔を見せ、その後大笑いされた。どうやら仕事熱心ではない僕に面白みを感じたらしい。
僕は現世、というか現鏡の世界に住む住民なので、そっちでの仕事を優先したいというのもある。
頻繁に依頼があるわけではないが、展覧会に出したり、売りに出したり、色々やることもあるのだ。
この異世界は魅力的だが、それにばかり構っているというわけにもいかない。
「うん? 名前は入れないのかい?」
ふと、裏を覗き込んだ職人さんが声を上げた。
裏には職人の名前が彫られており、その下に絵付け師の名前も入れる欄が空いている。この職人さん、和陽さんっていうらしい。
「入ってますよ、ココを、軽く指で擦って下さい」
指示に困惑しながらも、貫禄のある皺のきいた指が盃の裏を撫でる。
そうすると浮き上がる『露羽』の文字。
摩擦熱で浮き上がる仕掛けを、例の絵の具で再現してみた。
目をまん丸にした彼と、それを覗き込み、口を開けたまま呆然とする画商さん。
声も出せないくらい驚いているらしい2人に声をかける。
「あくまで、作ったのは和陽さんな訳で、僕は魅力度アップのアシスタントなので、見ようと思えば見える程度の記載で良いかと」
「……こりゃぁ、どんな仕掛けだい? いや……まさかとは思うが、あの『条件付きの絵の具』じゃ……」
わなわなとした和陽さんに、今度は僕が目を丸くした。何も言っていないのに、よく気がついたものだ。
「よく分かりましたね。そうです、貰い物を使いました」
「……価値が跳ね上がったぞ、これは…」
画商さんが、ポシェットからそろばんを出して、ぱちぱち弾き始めた。電卓は妖鏡の世界にはないのか、それともただの趣味なのか。
「絵にも使っていますよ、それはもう、ガッツリと。酒と、そうでない飲料と、何も入れていない状態の3種類で、絵が変わる仕掛けです」
「う……売りたくないな、これ。いや、でももう輸送の手配済んでいるんだよなぁ……」
頭抱えて崩れ落ちた画商さん。勢いよく項垂れたのに、手に持つ盃は、丁寧に扱われている。
壊さないで下さいよ、それ。
「その絵の具、どっから貰ってきたんだ」
「それが詳しく覚えていないんですよねー、街中散歩していた時。絵を頼まれるままに描いていって、その際にお礼で色々貰いましてね。数日の間に多くの人と交流を持ったので」
誰から貰ったか忘れた。素直にそう言う。
和陽さんも崩れ落ちた。
「……その絵の具、保管方法は?」
「アトリエ兼自宅にそのまま放置してますけども、それが何か?」
「せめて金庫、金庫に入れておくんだ!」
画商さんのあまりの慌てように面食らう。
そこまで言われるのなら、箱に入れて、百均の鍵でも付けておこう。
「個人認証の細かいものだからな、そこらの市でテキトーなもんを買うんじゃあないぞ!」
怖いほどの勢いに気圧される。それなら少々お高めの3百円ショップのダイヤル式南京錠にしよう。
ぼんやり考える僕に、こいつぁわかってないなと彼らは2人して同じような顔をした。
あぁ、いいのがある! と和陽さんが突然叫んだ。
店の奥の方からゴツくて大きなトランクを持ってくる。
デザイン的にはパンクな雰囲気だ。かっこいい。
「お前さんにしか開けられん設定に変えといてやらぁ、いいか、しっかりしまっとくんだぞ。下手なやつにバラすな」
本当は、人から貰ったもんに入れるのも抵抗して欲しいんだがな、と小言を言われた。親切通り越して優しさに恐怖を感じる。
この妖鏡の世界では、人の世話をやくことが流行っているのかもしれない。
もらったトランクの使い方を教わった。いわば指紋認証のようなもので、開け閉めのボタンに指を添えればいいだけ。ハイテクだなぁ。
「こりゃあ、ダメかもしれんなぁ」
ポヤポヤしすぎてら、と呟く和陽さんに、画商さんが苦笑して頷いた。
「この出来のものをつくれるとなると、すぐにあちこちから声がかかる筈です。そうなると、色々なことで狙われやすくなる。護衛を雇うべきかもしれませんね」
「……流石に過保護すぎでは?」
画家に護衛って聞いたことない。
思いがけない話にキョトンとした僕に、いいや、と画商さんが続ける。
「良いとこからお声がかかると、その分、金が入る。著名な者への人脈も広がる。その金や集まる情報目当ての悪い輩が出てもおかしくない……それだけの価値があるんだ。その絵の具と、君の手腕には」
「大袈裟だなぁ。まぁ、褒められるのは、好きですけど」
「このじょーちゃんだと、護衛も変なの捕まえてくるな」
「……相性が良さそうで、人の良い護衛探しておきますね。あっ、申し訳ないなどと言わないで下さいよ。これは君への先行投資です」
「期待の圧が重いですね」
「まったくもう、才能がある方ほど手が掛かる」
画商さんはため息をついた。
性格がいい分、余計にタチが悪いだなんて、褒め言葉もどきを言われる。性格がいいだなんて、今まで一度も言われたことがない。
「ともかく、いろいろと気をつけるんだな」
疲れた顔をした和陽さんに、はぁいと、気の抜けた返事を返した。