ななじゅういち
「一人暮らしの子供の家に、何の脈絡もなく母が訪れた時。トタロウさんなら何を思いますか」
突然の質問。彼は数拍置いた後、ポツリと答える。
「孫をせびるのはやめてくれ、だろうな」
「トタロウさんそんなこと言われてるんだ……」
もう生活に組み込まれているような妖鏡散歩。
トタロウさんの横をいつも通りに歩く。
「なんだ。来たのか?」
「えぇ、熱出して頭がぱあんってなっていたこともあって、それはもう混乱して」
「子供の家に親が来て、混乱するのか?」
頭がぱあんの部分にツッコミ入れない方針らしい。僕は至極真面目な顔で問われる。僕もシャキッとした顔で返事をする。
「今まで一度だって、訪問されたことがないんですよ」
それは驚く、と無表情ながらも彼は僕を肯定してくれた。別に来ないでくれとは思わないし、看病は助かったし、悪いことはあまりないのだが、事前連絡の一つくらいは欲しかった。
露店でたこ焼きを買ったトタロウさんが、丸ごと一つ口に放り込みながら何気なく問う。丸呑みはやめましょうと小言を言いながらそれを聞く。
「義理の娘疑惑はどうなったんだ。聞かないままにしたのか?」
思いの外ストレートに聞かれたので、こちらが面食らってしまった。何もありませんでしたと素直に報告する。
「そも、僕に何か話をふれるほどの余裕がなくてですね」
「あぁ……風邪だったか? もう具合はいいのか?」
「はい、大丈夫です。薬飲んで一日寝とけば治る程度の風邪でしたよ」
それなら良い、と彼はそっぽを向きつつ、僕の手に団子を渡す。
何も言わずにそれを食べれば、無言でどんどん渡す数を増やす。
太らせて食うのかと思うほどに、渡してくる。
「そんなに入らないですよ」
「食べないから風邪になるんだ」
「それなんて偏見」
世の中の少食派の人に謝ってほしいレベルの言いがかりだ。確かに、あんまりにも食べない人間は不健康に陥りやすいが、最低限人間として必要な栄養を摂っている人間はそうでもない。
やはり、トタロウさんは過保護な人だと脳内で呟いておいた。
「よぉ、じょーちゃんに子守係、久しぶりだな」
逆さ傘通りを進んでいると、背の低い老齢なおじさまがふらりと現れた。久々に見る彼は相変わらず元気そうだ。
「お久しぶりです。和陽さん」
挨拶すれば、気難しそうな顔を少し綻ばせてくれる。
僕の横でトタロウさんが会釈した。子守係を否定はしてくれないらしい。
「怪我の一つも、無いな。なら良い。近頃物騒で仕方ねえからな」
妖鏡の人にこの質問はよくされる。元気か、怪我はないか、それに肯定すれば、今度は夜はよく眠れているか、ご飯はちゃんと食べているか、さらに頷けば心底嬉しそうな顔をしてくれる。
みんな揃ってそんな顔をしてくれるものだから、こちらまで笑顔になってしまう。
「大丈夫です。僕は元気ですよ、いつでも」
「……この間風邪引いたんじゃなかったのか」
トタロウさんがボソリと余計なことを言う。大して特筆するようなことではなかろうに。
「1日で治るような軽いものですよ」
慌てて補足するが、和陽さんはもう既に気難しそうな顔に戻っていた。そして彼はトタロウさんに言い含める。
「……やっぱり、じょーちゃんの大丈夫は信用ならねえな。よく見張ってろよ。子守」
「あぁ」
それに対してしっかり頷くトタロウさん。この人も大概心配性だ。
「それにしても、いい加減その子供扱いなんとかなりませんか?」
居た堪れなくなって、話の話題をずらす。二人はそれを理解していながらも、この話題転換にのってくれる。
「ならねぇなぁ。じょーちゃんはかなり抜けてるから」
「アンタは見目も言動も、子供だ」
カラカラと明るく笑う和陽さんはまだマシだとして、呆れた顔してこっちを見てくるトタロウさんはだめだ。彼の言い分だと僕は子供フェイスなヤンチャ小僧と同列にされている気分になる。
「僕は別に童顔でもなければ、やんちゃっ子でもないんですよ」
「子供が皆一様にやんちゃな訳じゃないだろう。大体、そういうことが言いたいわけじゃない」
「じゃあ何と言いたいんですか?」
「そりゃあ……」
トタロウさんは言葉に詰まった。問い詰めるように目を細めて、彼の顔を凝視する。相変わらず見目の良いことだ。典型的な黒髪黒目の日本人配色だというのに、高い鼻や宝石みたいな瞳、外人さんみたいだ。正確には異界人だが。
見つめる僕に彼はたじろいだ。さらに数拍後、彼の喉から言葉が漏れる。
「無邪気な、子猫みたいな」
「そんな……親猫から離れやすい心配な子猫を見る目で見ないで下さい」
わっと泣きまねでもしてみれば、ふっと空気の漏れる音。
振り向いてみれば、和陽さんが口を軽く抑えていた。
僕の視線に気がついて、とうとう抑えきれなくなったのか、途端にはははと彼は笑い出す。
「的確に自覚してるんじゃねえか」
そうツッコミを入れる彼は、それはもう盛大に笑っている。
背中をさすってやるがあまり効果はなかった。
彼が笑いすぎて咽せているのを呆れた顔で見つつ、ふと思い至ったようにトタロウさんはボソッと呟く。
「猫に弄ばれる飼い主の図」
「失礼な。弄んでなんていませんよ」
そのやりとりがさらにツボにハマったようで、和陽さんはしばらく蹲ったまま立ち上がれなかった。