ごじゅうよん
「昨日の失態が本当に恥ずかしかったので、しばらく妖鏡には行きません」
「酒の場での間違いなんてよくあるものさ。まぁ、愛し子の好きなようにすると良い」
「今日はショッピングします。おしゃまなカフェでお高いドリンクも飲みます。イマドキの若い子みたいな休日を過ごしちゃいます」
「君は十分若いだろうに……言い方がなぁ」
龍様と会話しながら朝の身支度をする。
昨日は帰って早々、風呂に入って、二度寝した。恥ずかしさを忘れるには寝るのが一番だと思ったのだが、結局今なお顔が赤い気がする。
近所に買い物に行くのでは普段の買い出しと大差ないので、わざわざ都会まで出向いた。電車に乗って揺られて行く。休日の朝だから通勤者っぽいスーツ姿はあまり多くなかったが、その分休暇中の集団はちらほら見かける。
着いた駅から目当ての商店街まで移動。地図なんて見なくても、人の流れに乗っていけば辿り着けた。
人でごった返した街を歩く。
「……普通の人が、普通に歩いているだけだなぁ」
特に目新しい格好をしたものはいない。たまに和装の人がいる程度。ショッピングしにきたのは良いが、買うものを何も考えていなかった。画材屋があるような場所でもない。
売ってそうなものは、服、服、服……それから小物。イマドキの子が行きそうな場所をピックアップしたら、買うものが何もなかった。
いろいろな服が売っているなあと眺めはすれど、買いたいなあと思えるものはない。面白い小物があっても、使い道がないなら買う意味がない。
「何も楽しくない……スケッチブック持って来ればよかった」
道具もないし、絵を描ける場所があれば良いのだが、こんな人混みでそんな行動をやってみると、邪魔になりそうだ。道行く人を描くなら肖像権なんてものを気にする必要も出てくる。
現実世界は面倒だなと、ため息をついた。
妖鏡に慣れてしまったのかもしれない。
目についたテキトーなお店。店名から商品名まで外国語で、内装は気取ったアジアンテイスト。おしゃまなカフェで、新作と書かれた長ったらしい名前のドリンクを注文した。ついでに、パンケーキも。思いの外空いていて、ボックス席を独り占め。ラッキーだと思いながら、テーブルに貼ってある広告を見る。
来月の新作は、ホワイトチョコレートがふんだんに使われるらしい。この上にかかっている赤い身は何の食べ物だろうか。
「お待たせしました」
綺麗な声の店員さんに、商品を運んでもらった。
一番に目についたのはパンケーキ。
確かに写真通りの姿なのだが、ボリュームが大きい。
思っていたものとの差がすごい。車海老の唐揚げ頼んだら伊勢海老の唐揚げが出てきたくらい差がある。
「お持ち帰りもできますから、その場合はお声がけください」
そっと横にドリンクを置きながら、説明する店員さん。
写真との差は店側も理解していたらしい。
僕は頷いて、とりあえずナイフを持った。
可愛らしいクマさんの顔面をしたパンケーキは、どこから切ればいいのかわからない。顔を真っ二つに勢いよくやってしまっても良いのだけど、その場合上に乗った生クリームだのフルーツだのが零れ落ちてしまいそうだ。
いや、食べるにあたってどう足掻いても零れ落ちる運命なのかもしれない。
つらつら考えながら、耳の部分を切って食べた。美味しい生地と優しくほんのりと甘い生クリーム。甘さがくどくないから、量が多くてもきっと飽きないだろう。
「あれっ、露羽さん!」
もそもそ一人で食べていると不意に大声で呼ばれた。
誰だろうかと声のした方を振り向くと、目をまん丸にした知人がこっちを指差していた。
よく愚痴聞き大会を開催している相手である。
口の中がパンケーキなので、空いていた左手を軽く振って挨拶する。
「奇遇ですね。今日は散歩で?」
ごくんと飲み込んでから返答をする。食べながらの会話は行儀が悪いし、万が一にも母や兄に見られた日には怒号が飛ぶ。
「そんな感じです。そちらは……」
ふと、彼の後ろに誰かいることに気がついた。思いの外長身である彼に隠されてしまっていたらしい。
「あぁ、仕事の知り合いとちょっと話を」
「お嬢様!」
「「えっ?」」
彼に隠されていた相手は、それはもう透き通っている声で叫んだ。
店に響く見知った凛とした音。
「あっ、ばあや」
「婆さん急にどうしたんスカ……すみません」
急に大声を出されたからか、店内の視線という視線が僕たちに向いている。知人は周囲に頭を下げて回ったあと、僕の前に着席した。
叫んだ彼女はその横に堂々と座る。
一緒に話をする流れになったらしい。
「お前さん、おもや、お嬢様にタメ口なんて」
「へ?」
彼の後ろにいたのは、幼少期からの世話係ばあやだった。どうやら、知人の勤めている会社というのは、我が家のお菓子屋さんだったらしい。
話の内容から聞いていた限り、要人のSPみたいなお仕事をしていたんだろう、多分。それにしても、会社の社長にタメ口聞いて怒られるのはわかるけど、社長の娘が知り合いでタメ口で話をしたところでそこまで怒るような話じゃないと思うんだが。
「婆さん。露羽さんのことご存知で?」
「つゆはね? あやめ様だよ。知ってるも何も、我らが砂甘家のお嬢様じゃないか!」
「あやめ様?!」
知人は僕のことを知らなかったらしい。いや、最近ほとんど音沙汰がない社長の娘知っている方がおかしい。知らなくて当然だから、世話係のばあやは気にしすぎなのだと思う。
それ以前に、ばあやは僕のペンネームを知らなかったみたいだ。そういや、教えた記憶がないな。
「えーっと……会社の方でしたか? 別に何も気にしなくて良いんですよ。僕は一人暮らしで気ままに絵を描いてる画家ですから」
「……会社?」
なんだか微妙に腑に落ちない顔の知人は、一瞬、ばあやの顔を見て、それから僕の顔を見る。
「あー……まぁ、気にされないんでしたら、いつも通り喋りますね」
彼に頷き返した。変に敬われるのを僕は好まない。別に敬語で話されるような人間じゃないのだ、僕は。
「お嬢様、本当にお久しぶりでございます」
「あー、はい。オヒサシブリデス……」
ひさっびさの堅苦しさに、顔が引き攣る。
抜き打ち小テストが入った生徒の気分で、僕は彼女たちの話を聞き始めた。