番外 爆弾魔兼傭兵
遠くの方に、顔見知りの女性が見えた。
変な柄の暖色で染まったワンピースに、固そうな耳当てを首にかけている女性は間違いなく知人の画家だった。
画家は楽しげに会話している。
その横には無愛想な酢橘のやつ。見覚えはあった。確かただの下っ端ではなかったような、誰だったか。
ホノは首を傾げつつも、屋根の上からその2人を眺めていた。
「あっ、お久しぶりですぅ。元気でしたか? あっ、元気そうですね! 帰りがけですか? もうそろそろ日が暮れてしまいますよぉ」
画家が1人になったのを見計らって声をかけた。
無視できないように勢いよく語りかけたが、画家は嫌な雰囲気は一切出さない。迷惑だとは思わなかったらしい。
相変わらずのぼやけた画家。にこりと笑ってみせてくれた。
「ホノさん! お元気そうで何よりです」
大していつもと変わらない画家は朗らかな表情をしている。
ホノはぴょこぴょこ飛び跳ねてみる。楽しそうな雰囲気を出してみれば、画家はより一層ふわふわとした柔らかい反応を返してくれる。その反応が嬉しくて、演技だったはずの楽しい表情は本物になってしまった。
「いやぁ、最近物騒で、もう。楽しくてしょうがなくって! 今日も爆破ツアーをやっていたんです! つゆはねさんは、何をしに?」
あわよくばあの男との関係性を知りたいな、と心の内で密かに思った。この画家はほけほけとしているが、かなり広いコミュニティを築いている。あの男は酢橘組所属の様だったが、この画家の様子を見るに砂塵組の知り合いもいるのではないかと勘繰ってしまう。
「お散歩です」
特になんでもないことの様に画家は言う。
あんな大惨事があった直後に呑気なものだ。まぁ、この人にとったら、この荒れた街も風景としては魅力的なのかもしれない。
「絵の題材探しついでに、出店巡りとか、道行く人と交流するとか、のんびり過ごしていました。最近物騒であまり出歩けなかったので楽しかったです」
彼女にも一応、今が物騒であるという自覚はあるらしい。
危ない最中に絵の題材探しを今までしていたというならあの酢橘のやつは護衛か何かか、それとも偶然会っただけなのか。
護衛?
そうだ、あの男は確か……。
悶々と考え続ける脳内とは裏腹に、ホノの口からはスラスラ言葉が出てくる。
「いっくら護衛がいても、まだまだ危ないから、気をつけて下さいねぇ」
「あ、見ていたんですか」
否定しなかった。やっぱりあの男は護衛だったようだ。
ホノの記憶が正しければ、あの男はただの酢橘組の組員ではなく、組長の家系の、追放された男だ。いや、追放ではなかったんだったか、ともかくそれなりに影響力のある奴なのは確かだ。
なんて男を護衛にしているんだこの画家は。普通に依頼したとして、かなりの値段を付けられるだろうに。
そんなホノの内心を知りもしないで、画家は見られていたことなんかに驚いている。
ホノは軽く微笑んで見せた。
「えぇ、えぇ。酢橘のお坊ちゃんが護衛だったのかとびっくりしちゃいましたぁ」
話題を護衛の話に移す。お金持ちなんですねぇ、と言外に伝えたつもりだったのだが、うまく伝わらなかったらしい。
「おぼっちゃん……?」
画家は変な単語でつまづいていた。
彼女はあの男がどういう立場の者かわかっていなかったらしい。
この変に抜けている姿が少々庇護欲をそそる。あの男もそういうところに惹かれちゃって、面倒を見ているだけなのかもしれない。
「あっ、ピンときてない顔してますね……気にしなくていいと思いますよぉ」
「そうなんですか。じゃあ気にしないでおきます」
ぱっと切り替える彼女は、興味のあるものには一直線だが、そうでないものは気にしない面があると見える。
「いやぁ、たまたまお見かけしたから声をかけたんですが、元気そうで良かった」
本心からの言葉を伝える。
画家はニコニコと嬉しそうだ。
無垢に笑う画家の姿はあどけない子供の様だ。
可愛い系の見た目をしているため、きっとモテるだろう。そうだというのに今まで接していた雰囲気から察すると、男っ気がない。彼氏とかいないのだろうか。
「さぁ、本当にもう日が暮れちゃいますから、帰宅したほうがいいです。どこ住みですかぁ? 送りますぅ」
ついでに自宅を知れないかな、と心の中で付け足す。
抜けてる画家さんなら平然と案内してくれると思ったのだが、思いの外、彼女は用心深かった。
「えっ! あぁ、大丈夫ですよ。ここら辺で、もうすぐですから」
この周辺は住宅街で、本当にこの付近に住んでいるのかも知れない。しかしながら、ちょっと違和感を感じる。
よく大袈裟な絵描き道具を抱えて歩く彼女だ。こんなこじんまりした部屋しかなさそうなところに道具が収まるだろうか?
別で仕事場があるのか。いや、この四六時中絵を描いていそうな画家が絵描き道具と離れていられるのか?
下手に追求して不信がられるのも嫌だった。人から嫌われたくないという気持ちを持ったのは随分久々だ。
「そうですか……あんまり寄り道しちゃぁだめですからね。それから、渋柿組なんて名乗る輩にも近づかないこと」
忠告をして、見送るふりをしながらも着いて行こうと画作する。
「渋柿……?」
何か引っかかった様な顔をした彼女だったが、首を振って、気のせいかとつぶやいた。
渋柿組を知らない様なので説明をする。
今話題のやべえ奴らなのに知らないというのは普通だったらおかしなことだ。しかし、彼女はかなりの物知らずだから知らないこと自体は不思議ではない。なんせ、画材のために半分違法みたいな店にホイホイついてきちゃう様な子なのだ。取り締まっている組に捕まったらどうなるかだって知らないのだろう。
「最近出来た悪烈な組織ですよぉ、あの、研究だのなんだのに力を入れてる。洋街から中央街あたりまでをはちゃめちゃにした奴らです。ここら辺でドンチャン騒ぎになったのも、あの組があっちこっちに手を出して、落ち着いてきた勢力争いが過激化したのが原因で…………聞いてます?」
いやあ、渋柿が洋街及び中央街で他の組々に抗争を仕掛けた今回の事件は大変だった。
良い爆発は沢山見れたが、死人怪我人が山の様だったし、あっちこっち走り回されたし、面倒ごとも多かった。
今、ホノが所属しているのが、砂芋組だったから良かったものの、抗争範囲内に縄張り部分が広かった砂塵組の方は地獄絵図だったろう。
酢橘組が一番被害が少ないはずだ、無傷とはいかなかっただろうが。
「まぁ、なんか悪い人たちのことなのはわかりました」
こくりと彼女は頷いた。
「気をつけますね」
じゃあ、また。そう告げて背を向けた画家を見届けた。
彼女が曲がり角を曲がった瞬間に、その場から飛び上がって屋根に登る。これくらいで驚く様な住人は妖鏡にはいない。騒ぎの一つも起こらない。ホノは素早く彼女の曲がっていった方へ向かう。
姿が見える位置にほいほい動くが、画家は屋根の上から見えずらい変な路地に入っていき、暫くはなんとか着いていけたが、とうとう見失った。
最後に姿を見かけた道の先へ進むと、行き止まりだった。
直前、手の鳴る様な音がした気がする。
上手いこと撒かれてしまった。
傭兵業でそれなりに鍛えた追尾力はただの画家に通用しなかった。ホノは自信があっただけにちょっと悔しく思った。
画家のいない行き止まりに、花が咲いていた。
青紫の花。
蝶が沢山集まっている様な姿をしているが、よく見れば一輪の花だった。
随分と寂しい花だと思った。