さん
カーナビドラゴンとの出会いから2日後。
早速僕は異世界……妖鏡の世界にいた。
一応主張しておくが、僕自身の発案で、来たわけではない。
アトリエで一昨日の光景を思い出しながらキャンバスに向かっていた時だ。いつものように、耳にお気に入りのヘッドフォンを装着して、大音量で機械音声の歌姫の曲を聞き流していたら、音楽に紛れて龍様の声がしたのだ。
「良い絵を描くじゃないか。これまた随分と個性的な絵だ。曲の趣味もいいな」
「それはどうも」
特段驚くこともない。またおいでなどと言われたのだ。迎えにくるために、現鏡の世界で、声が繋がってもおかしくはない。
曲の趣味は、前世から変わっていない。今世でも大流行している電子の歌姫ちゃんは偉大だ。
好きな物を褒められて悪い気はしない。素気なく返したはずの声が弾んでいる。
「愛し子、君は絵を描くのが好きなのかい」
筆が止まる。好きか嫌いかといえば、大好きなわけで、好きだと即答すればいいはずなのだ。それでも、仕事では好きな絵ばかり描くというわけにもいかなくなる。仕事上の人間関係の構築や維持もちょっと面倒に思える時がある。そうすると好きだと断言できなくなる。ほら、趣味が仕事になると……ってやつ。
前世で憧れていた画家になった今世。憧れていたはずなのに、どうにも微妙な気分だった。生きていける程度に売れているから、嬉しいと感じることも多いけど……。
「それなりに」
結局、曖昧に濁すしかなかった。
「またこっちに来るといい、この世界にないものがたくさんある」
「また今度ね」
素っ気なく即答すれば、少し慌てた声が聞こえる。
「おもしろいものがあるぞ……? 空を泳ぐ魚とか、顔のない犬とか、這いずり回る溶けた芋虫とか」
まったくもってそそられないメニューだ。
どうせならもっと美しいものが見たい。空を泳ぐならクジラがいいし、顔がないのならちくわに足でも生やしてくれ。這いずり回る気持ち悪いモノ? Gのつくあの虫で十分だ。芋虫ならインパクトを求めて、キセルでも持たせてハット帽を被らせたい。
「ほら、えっと……馬ぐらいの大きさのハリネズミとか、扇子が生える木とか、木彫りの熊しか売っていない店なんかもある」
遊んで欲しい構って欲しいと主張する子供のような龍様。
興味を持たせようとあれやこれやと言葉が紡がれる。
僕は別に毎日忙しくするような人気者の画家ではない。毎日暇でも金銭面に困るような生まれじゃない。忙しくなくても生きていけるのだ。
まぁ、生活費を自分で稼ぐ程度のことはしたいと、こうやって仕事しているのだが、1日くらい散歩に使っても問題ないだろう。まぁいいかと、誘いに乗った。
僕が来たかったのではなく、龍様が僕を招きたかった。これが事実だ。決して僕が積極的に行った訳ではない。
前回と同じような道筋。4回の柏手と一礼を通して、僕はまた見知らぬ和風の商店街に立っていた。
前回と場所が違う気がする。
「行き先はらんだむになってるのさ。りゅうは気まぐれなのだよ」
「それはいいけど、僕はどうしたらいいのさ」
こんな人、のようなものたちの、群れの中。
静かに絵が描ける場所はない。
画材や、イーゼルをまとめて持ってきたから、結構、重い。早く腰を落ち着けたい。
「そうさね……あぁ、いいところがある」
また、使えないカーナビが案内を始めた。文句を言いまくったお陰か、前回よりマシにはなっていた気がする。
訳の分からない案内記号を解いていった後。
騒がしい道の真ん中で、彼はここだと言い切った。
僕はこれはないと言い放った。
人だかりの中に聳え立つ、門。
門の先には一層賑わう商店街。前世でいう雷門のようなモノだろうか。待ち合わせにでも使われそうな大きさだ。
門の上には、たしかに物を広げる余裕や、誰にも邪魔されぬ空間がある。しかしながら、このような高い場所に、重い物を背負って、どうやって登れというのか。
僕には魔法も術も使えない。
「そこな天狗に声をかけてみよ、ほら、足元の、小さな」
言われるまま足元を見れば、この間、心配して声をかけてくれた天狗面の子。僕のことなぞ気がつきもしないようで、何か遠くの方を見ている。目線の先にはお祭りの露天のような屋台。食べたいものでもあるのだろうか。
一度会っただけの子供になんと声をかけたらいいか、迷う気持ちなんて、龍様にはわからないのだろう。相手が僕のことを覚えているとも限らないのに。
ジロジロと見てしまったからか、その子はこちらを見て、目を丸くした。
「この前のお方。体調は、もうよろしいので?」
「えっ、あ……はい。もう、平気です」
小さな見目に合わぬ丁寧な口調。それなら良かったと嬉しげに体を揺らす姿は可愛らしい。
「大きなお荷物をお持ちですね」
「あー、画家……なので。どこかで、絵を描こうかと」
「わぁ、それは素敵ですね! ……あ、なら、あそこの門の上とかいかがでしょう、高くて、あちこちがよく見えるんですよ!」
いかがでしょう、とこの子にも言われてしまった。
そんなことを言われても、僕はただの人間だ。そんな場所に簡単に移動できるわけがない。
「確かに良さげですけど、僕では登れないので……」
「なら、送ってあげますよ!」
飛び跳ねるような明るい声と共に、ふわぁっと足元から突風が吹いた。
ビル風というには、勢いが強すぎる。そも、この場に高いビルは無い。一部だけの嵐のような風。途端に足が地から離れる。
急すぎて大声をあげそうになった。そうできなかったのは、舞い上がった時に一瞬見えた景色が衝撃的すぎたから。
高い場所から、あらゆる異形がひしめき合う地を見下ろしたその景色が、見たことないソレが、目に焼き付いた。
あっという間に、門の上に立たされていた僕は、初体験の驚きと、脳にダイレクトアタックしてくる視界全てに意識を奪われた。
「どうです? 素敵でしょう?」
音も立てずに真横にいた天狗面の子。
ソレに驚けるほど、僕の意識に余裕はなかった。
「これは……」
釘付けになっている僕に、満足したように頷いたその子。
「降りてきたい時は、下にいる者なり、空にいる者に声をかければ、降ろしてくださいますからね」
なんて親切なんだ。この世界の方は、優しすぎやしないか。
「……あ! お礼!」
去ろうとするその子に、慌てて声をかける。
ありがとうの先に、お礼の一言が口から飛び出てしまった。
まずは感謝が最優先だろうに、僕ったらなんてテンパリ具合。
あわあわと手をばたつかせながら、リュックを漁る。
気にしなくていいのに、と呟かれたが、貰ってばかりではなんだか心がソワソワする。
リュックの中の、画材ケースを開けて、何かいいものがないか探す。絵の具、消しゴム、ペン、使う人と使わない人が分かれるものは却下だ。
……丁度いいものがあった。
自作の品だが、礼が無いよりマシだ。
小さなその子の手に、それを握らせる。
「えっと、自作なんで、いらなかったら捨てて下さい……」
「……これは」
UVレジンで作ったキーホルダーだ。現鏡の世界は、前世の世界とかなり似通っており、UVレジンが存在していた。気に入る型がなくて、型から手作りした一品。
可愛い立体のうさちゃんだ。
前世では母がウサギは大嫌いだと言っていた。なんでも、母の弟が飼っていた兎が脱走して布団に忍び込み、耳に噛み付いてきたらしい。痛そうだよね。母は兎を白い悪魔と呼んでいた。
ついでに前世の父はモルモットやハムスターのことを全部まとめてもちもちのネズミと呼ぶ。
造形、色、全部自ら手を掛けた。可愛く出来たと自負はしているが売り物にするような出来ではない。お礼に渡すのもかなり抵抗があったが、何も渡さないよりマシだ。マシ。
いらなければ捨ててくれ。
言い切ってから、恥ずかしさで目を横に逸らし、イーゼルを組み立て始める。
後ろから、お礼の声が聞こえた。律儀な子だ。礼がしたかったのはこちら側なのに。
僕は軽く頭を下げて返答とした。
あっ、結局ありがとうを言い損ねた。