こんな姿になってしまった僕だから、愛する君と別れることに決めたんだ
「でね、エミリーがパーティー会場で婚約破棄されちゃったの」
僕の愛しい婚約者は、先日友人と行ったパーティーでの出来事を話している。
「公爵様が『お前との婚約は破棄だ! 私はこの愛らしいマリエルと婚約をする!』って言ったらね、エミリーが怒って、この浮気者ーってワインボトルを投げたの!」
「……すごいね」
「そうなの、エミリーったら上手に投げるのよ。二人に当たらない様に真ん中をワインボトルは飛んでいってね」
……いや、それは偶然じゃないかな⁈
「そうしたら、そこで笑い声がして、それが第二王子様だったの」
「それで?」
僕は隣に座って楽しそうに話すアリスの長く綺麗な髪を一房掬い取ると、そこに口付けを落とした。
「……もう、リアム……ちゃんと聞いていないでしょ?」
アリスが頬を染めて拗ねた顔で僕に言う。
「いや、ちゃんと聞いてるよ、君のかわいい声を聞き逃す訳がないだろう? ……でも、もうそろそろ、僕だけに集中して欲しいと思ってる」
僕たちは愛し合っていた。
よくある婚約破棄など、無縁だと思っていた。
だから、まさか自分からその言葉を口にする日が来るなどとは、考えてもみなかった。
*
僕は第三王子の側近として常に王子の側にいた。
この間、アリスが話していた公爵令息とも付き合いがあったし、彼の浮気も知っていた。
あのパーティーも裏から見ていた。仕事はもちろん、アリスを見守る為でもあったけれど……。
僕がよく見る婚約破棄では、女性たちは泣く事もあまりなく気丈に帰って行く。
離れてから涙を浮かべる姿は何度となく見たが、相手の前では殆ど泣くことはなかった。貴族として育てられ、人前で感情を露わにすることを禁じられているからだろう。
そしてその後、割とすぐに新たな相手と結婚をする。そんな女性達を幾度となく見てきた。
だから……アリスもきっと大丈夫だろうと思う。
彼女に気がある男達がいる事も知っている。
僕がいなくなったら直ぐにでも近づいていくだろう。
きっと彼女を幸せにしてくれる人に巡り会うだろう。
そう、自分に言い聞かせているが……本心は……。
僕以外の男が君に触れる……僕が君を幸せにしてやる事が出来ない、 それを思うといたたまらない。
*
先日、僕は王子を庇い 体に毒を浴びた。
右の顔から首、腕に浴びた毒のせいで何日も熱に侵され、やっと起き上がれた時には、僕の右目と右耳は機能しなくなっていた。
そして、毒の付いた部分の皮膚は赤黒く変色してしまった。
王子に毒を浴びせようとした者はその場で断罪された。処刑されたのは他国からの移民だった。この国での暮らしがままならず、王族なら誰でもいいとの浅はかな犯行だった。その者の家族はその者が単独で行った事だと、自分達は知らない事だと命乞いをしたが、王子は許さなかった。
自分の為に犠牲になった臣下の事を思って罪人の親族もすべて処刑した。
普段から王族は何かと狙われていた。それから守ることも側近としての務めだ。
そう考えていた、それは間違いではないだろう。
僕の……毒に侵された体は元に戻る事はない。
国からは一生遊んで暮らせるほどの財を貰った。名誉ある勲章も、王子が所有していた海沿いの豊かな領地も渡された。
しかし、この姿では貴族の社会で生きていくことは難しい。表に立つことは出来ない。
また、僕の両親もそれを望まなかった。
家督は弟が継ぎ、僕は王都から離れ、貰い受けた海沿いの領地に移り住む事にした。
僕には、王都を離れるその前に、やらなければならない事がある。
何度も手紙で伝えたが、受け入れて貰えなかった。
僕は、彼女との婚約を解消する。
彼女は、今の僕の姿をまだ見ていない。
見せていない……。
だから……を
まだ、愛していると……言ってくれるのだ。
けれど、実際会って僕を見たら
その言葉を口にしてくれるだろうか……。
もう、片方でしか聴くことの出来なくなった僕の耳に、愛らしい君の声で『愛してる』と言ってくれるだろうか……。
ーー僕は胸の奥でその言葉を聴きたいと願いながらーー
君に婚約を解消したいと申し出る。
二人で よく出掛けた公園で、
子供の頃からの思い出があるあの場所で。
アリス、君と会えるのはこれが最後だ。
……最後なんだ。
*
「……来てくれたんだ……元気にしていたかい?」
かわいいアリスは少しやつれた様だった。
僕の変わってしまった姿を見て驚いているようだ。
「……おかしいだろう」
僕は顔を仮面で隠していた。変色した皮膚を見せないようにマフラーと手袋もしている。
まるで、怪人のようだ。
アリスは小さく首を横に振った。
「リアム……私」
「僕は君との婚約を解消したい」
「どうして?」
「……僕は」
「リアムは私を嫌いなの?」
(……嫌いなんて……)
「……僕はもう君を幸せに出来ない」
「私はあなたと居ればそれだけで幸せだわ」
(……僕だって……)
「君は……分かっていない」
「分かるわ、分かるものっ!」
「僕の今の姿を見ても?」
「今の姿……?」
彼女を怖がらせたくなくて
彼女から嫌われたくなくて
僕は仮面をつけ、マフラーをし、手袋をはめていた。
最後まで……君の中の記憶は、以前の僕のままで、君が愛してくれた僕の姿のままで別れたかった。
手袋を外し、マフラーをとる。
一つ一つ取っていく度に、彼女の顔色が悪くなる。
仮面を外すと、アリスは両手で口を押さえていた。
悲鳴を上げそうになったのだろう。
僕の見えなくなった右の瞳は白く濁り、顔の半分はまるで死人のようだと、自分でも思うんだ。
「婚約を解消……しよう……してほしい」
これ以上、君に嫌われたくないと僕はなるべく顔を見せないように俯いて言った。
「……んっ……」
(……ん?)
「う……うっ……」
(……何だか返事がおかしいな……)
そう思って顔を上げてアリスを見ると、
彼女は……。
「うわーんっ! いやっいやっいやだーっ!」
号泣していた。
顔を真っ赤にして、大きな目からはボロボロと涙を流しながら僕を見つめている。
「いやだっなんでっ……うっ……なんっ……うっ」
(……こんな姿を見ても?)
「……気持ち悪いだろう?」
アリスは首を横に振る。
「でも……僕は王都を離れるから」
「いかないでぇっ……」
( …… えっと……)
「そうじゃなくて……僕と一緒では社交界には出られないよ?」
「私……ダンス……好きじゃないもの」
「……僕は……君の踊る姿が好きだよ」
「うわーんっ……そんなことっ……リアム」
( 泣かないで、泣かないでほしい
こんな僕の為に泣いたりしないで…… )
ーー今、僕は後悔している。
何故 あの時、王子を庇ったんだろう
どうしてこんな姿になってしまったんだろう
なぜ……。
しかし、それはもう過ぎてしまった事だ
考えても時が戻る事は無い。
「アリス……君には幸せになって欲しい」
(頼むから……もう、そんなに泣かないで)
「僕のことは忘れてほしい」
(ほら、そんなに目を擦ると腫れてしまうよ……。ごめんね、僕はハンカチを持って来ていなかった。君が泣くとは思わなかったんだ)
「君のご両親には伝えてあるから」
(泣いてくれるとは思っていなかった……。アリス、君と一緒に過ごした日々は……ずっと忘れないよ……)
僕は君に不愉快な思いをさせたくない。
このまま僕と居れば、僕の事で辛い思いをする筈だ。貴族の社会は能力だけではない、容姿も重要だから。それに僕は違う場所に行く、今までとは暮らしも変わる。不自由な思いをするかも知れないそこに、君を連れてはいけない。
だから、僕は君との別れを決めたんだ。
「もう、帰ってくれないか」
「……え?」
急に冷たく言った僕を涙に濡れた顔でアリスは見上げる。
「どうして…」
( そんな顔をさせて… ごめん)
「もう、帰ってくれ……話は終わった」
(……せめて見送らせてほしい……)
「いや、まだ私は婚約解消なんて認めてないわ」
アリスは潤んだ瞳で震えながら僕を見つめる
(……ああ、 これ以上は……無理だ)
「君のご両親は了承してくれている」
(……僕は……)
精一杯の笑顔を浮かべて君に別れを告げた。
「さよなら、アリス」
すぐに彼女に背を向けた。
もう限界だった。
これ以上、彼女を見ていられない。
僕の左目からは涙が溢れていた。
仮面をつけて手袋とマフラーをはめる。
しばらくそのままでいると、後ろから遠ざかる足音が聞こえた。
「……みっともないところを見せずに済んだな」
僕は今から王都を発ち、海沿いの領地へと向かう。
そこは気候も良く、海産物は体にもいいらしい。
領地をくれた王子は何度も僕に頭を下げてくれた。王族が臣下に頭を下げるなどあってはならないのに、それに彼だけが悪い訳ではないのだ。まだ、これから先も王子はいろいろな危機に出会うだろう。僕はその一つを守れたに過ぎない。
そんなことを考えながら、公園の端に待たせていた馬車に乗り込んだ。
父も母も姉も弟も僕の為を思ってたくさんの荷物を持たせてくれている。
「……この箱、大き過ぎるな」
人が入れそうなほどの大きさの箱が、片側の座席を埋めている。
何が入っているのだろう?
母が「あなたが一人で寂しくならないように入れておくからね」と言っていたが、何なのか?
気になるが、向こうに着くまでは決して開けるなと言われていた。
僕が貰った海沿いの領地迄は、馬車で二日程で着く。
何故か御者が、馬が疲れるからとこまめに休憩を入れてくる。その都度、僕は馬車から下ろされて、少し先の店の個室でお茶を飲むように言われる。
個室はありがたいが、どうしてこんなタイミングよく個室のある店があるのだろう?
やっと王都を抜け一泊目の宿に着いた頃にはすっかり日も落ちていた。
用意されていた夕食を摂り、湯浴みを済ませて少し早めにベッドに入った。
部屋の窓から星が見えた。
キレイだ、アリスにも見せてあげたい……。
自分から別れを告げておいて、
……こんな事を考える僕はバカだな
目を閉じると彼女の涙に濡れた顔を思い出してしまった。(泣かせてごめんね……)
あの時、話を聞かせてくれたエミリー嬢の様に、何か投げつけて怒鳴りつけてくれたなら、僕は君を諦められただろうか
こんなに思う事はなかっただろうか
「アリス……」
今も、僕は君が好きだ……。
*
幸せな夢を見た。
海の見えるベランダで、彼女が僕の隣で微笑んでいる。
僕の右頬に手を添えて、この恐ろしい目元に口付けをくれた。
『ずっと一緒よ』とかわいい声が耳に残っている。
幸せな夢だ。
幸せで、なんて悲しい夢だ。
それは決して叶うことのない僕の願望。
*
翌朝、宿を出て馬車に乗った。あの大きな箱がすごく邪魔だ……そして気になる。
「何が入っているんだろう?」
『向こうに着くまで開けちゃダメよ』と母が言って、『壊れちゃうから丁寧に扱うのよ』と姉が言った。
『送り返す事は許さないからな』と父が言って、弟は『この箱と共にある兄さんの幸せを願っています』と言っていた。
( ……箱と共に? 謎だ……)
二日目も同じように、馬が疲れるからと御者は休憩を頻繁にとり、僕はその都度店に入れられる。
こんな調子であす領地まで辿り着けるのか?
馬車に揺られ外を眺めていると一面に広がる黄金に輝く稲穂が見えた。
「キレイだ……アリスにも見せてあげたかった」
何かあると自然とアリスの事を想ってしまう。
二日目の宿に着いた時も、すっかり日は暮れ、ここでは夕食の時間に間に合わなかった。
宿の主人が軽食ならと出してくれ、それをいただいた。
湯浴みを済ませてベッドに横になると馬車に揺られて疲れたのか、僕はすぐ眠りについた。
*
ああ、まただ……アリス、僕が会いたいと願うから夢に出てきてくれるのか?
夢の中でアリスは、僕の毒に侵され変わってしまった顔の右側を、優しく愛おしむように何度も撫でる。
『リアム、愛しているわ』
聴こえる左耳に囁くような君の甘い声がする。
僕も愛してる……。
夢の中で、僕はアリスを抱きしめていた。
不思議だ……夢なのに、彼女の体温も匂いも感じるなんて。
*
翌日の夕方、やっと到着した。
「領主様、よくぞお越し下さいました」
領主となった〈シーガイル〉という街の、海を望む丘の上に、これから僕の住む館は建っていた。
少しふっくらとした年老いた執事が腰を折り挨拶をする。執事以外に出迎える者はいない。この館は人が少ないのだろうか。
「私は執事のセスと申します。この館で四十年ほど働いておりますので、分からない事がございましたら何なりと御用命ください」
「僕はリアム・マクギリアンだ。リアムと呼んでほしい、セスこれからよろしく頼むよ」
「はい、リアム様。こちらこそ宜しくお願い致します」
セスは僕の姿を見て不思議そうな顔をした。
「リアム様、失礼ながらお聞きしますが、どうして仮面をお着けになられているのですか?」
(ああ、不思議そうな顔の理由はそれだったか)
「僕の顔は恐ろしいから、皆を怖がらせたくなくて普段から着けているんだよ」
「そうでございますか……」
セスはそれ以上聞く事はせず、二階にある部屋へと案内した。
部屋の窓からはどこまでも広がる海が見渡せた。ちょうど夕日が差し、オレンジ色に染まっていた。
「うわぁ……部屋から海が見えるんだね、すごい」
「はい、この部屋は館で一番景色の良いお部屋にございます。続き隣は寝室、その奥が奥様のお部屋となっております」
「……そうか、でもそこを使う日は来ないよ」
僕がそう言うと、セスはまた不思議そうな顔をした。
( 何かおかしな事を言ったかな?)
「お荷物はすべてお運び致しました。大切な…………………… では失礼致します」
扉を閉めながら話すセスの声は、聞こえて来た波の音に掻き消されよく聞き取れなかった。
荷物は運んだと言ったな、大切なとは何だ?
大切な物なんて僕は持って来ていたか?
気になり、セスに聞こうと部屋を出ようとすると、扉がノックされ、少し年老いたメイドがティーセットを載せたカートを持って入ってきた。
「初めまして、私はメイド頭のマナと申します。『リアム様』とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、よろしくマナ、僕のことはそう呼んでくれて構わないよ」
「ありがとうございます」
マナは丁寧にお辞儀をすると、お茶を用意し、僕に勧めた。
「……悪いけど、飲む間外に出てくれる?仮面を外すから」
「はい、しかし何故、仮面を外される時に私は外に出なければならないのですか?」
「……僕の顔は恐ろしいから……見ない方がいいと思うんだよ」
「恐ろしい?」
ーーそうだな、ここで暮らしていく以上、キチンと話さねばならない。
そう思って、僕は館に働く全ての者をホールに集めて貰った。
(こんなに沢山いたのか……)
百人程の者の視線が、一斉に僕に集まる。
やはり皆不思議そうな顔や、おかしな者を見るような顔で見ている。
「今日から領主として一緒に暮らす事になった、リアム・マクギリアンだ。よろしく頼む」
挨拶をすると、皆は一斉に頭を下げてくれた。
「見ての通り、僕は普段仮面を着けている。これには訳があるんだが……以前、僕は毒を浴びてしまってね、顔の半分は、まぁ……人に見せられるものではない。仮面もおかしいだろうと思うが、その下の素顔よりはマシだと思うから」
話をしていると、一人の手がスッと上がった。
「えっと……何か?」
手を挙げた青年が前に出て来た。
ひょろひょろとした背の高い癖のある赤毛の青年は館のコックだと言った。
「あの……リアム様、この街は……海に近いです、俺の仲間達や知り合いにも漁師や船乗りは沢山います」
「うん」
「その……友人にも顔に傷があったり、耳が無かったり、毛が無かったり、そんなヤツはゴロゴロいます。でも、皆隠さないです」
「……そんなに?」
(まぁ、毛は仕方ないと思うんだが……)
「はい、貴族様達はどうか分かりませんが、この辺の者は何も思わないです。腕や脚がない者だって本当に多いんです」
「そうか、海の仕事は危険なんだね、そんな事も知らずに僕は今まで暮らしていたのか……」
「そんな優しい事をおっしゃって……」
「だからリアム様、ここでは仮面を外して下さい!誰も怯えたりしません!」
青年の言葉に皆は頷いた。
「……でも……」
王都で何度も見た、あの他人の恐怖と嫌悪に満ちた顔を思い出すと仮面を取ることをためらってしまう。
「私達は決して恐れたり致しません!」
「そうです!」
コックの言葉に皆賛同の言葉を述べる。
セスが僕の横に来て両手を差し出した。
仮面を取れという事らしい。
「……分かったよ」
僕は下を向いたまま、ゆっくり仮面を外した。
顔を上げるのが怖かったが、「大丈夫です」とセスが声を掛けてくれて思い切って顔を上げた。
やはりな……。
女性達の多くは手で口を押さえ、男達はポカンと口を開けている。
そんなに恐ろしいか……。
僕はセスが持つ仮面を取ろうとした。
「……ステキ……」
「なんだ、やっぱり貴族って顔がいいんだな」
「この辺では見ないくらい整った顔だぁ」
(ーーん?)
「あの、どこが恐ろしいのか分からないのですが……」
若いメイドは恥ずかしそうに僕を見て言った。
「確かに半分ずつ程お顔の色は違いますが、右顔は南国の方、左顔は北国の方の様な感じといいますか……それだけです!」
「カッコいいです!」
「いやー、こんなキレイな顔の領主様かぁ! 観光客増えるかもしれないなぁ!」
「やだ、本当ね!」
「みんな……」
それは本心なのだろうか? 僕に気を遣っているのではないのだろうか?
皆はニコニコと僕に笑顔を向けている。
「さあ話も済んだ事だし、みんな! 準備に取り掛かるぞ!」
先程のコックが声を上げた。
「そうだったわ! まだお支度途中だった!」
数名の若いメイド達が、慌てたようにホールを出て行く。
それに続くかのように皆、各々の仕事へと戻って行った。
広いホールには僕とセスだけになった。
「……セス、僕の顔は本当に怖くないのか?」
「まったく、とても美しいお顔をされております」
微笑んで言う彼から、嘘は感じなかった。
それでもまだ信じられないと、戸惑う僕に
「コレは必要ありません」
そう言って、セスは仮面を真っ二つに割った。
*
場所が変われば人の考え方も違うという事か?
僕がいた世界は、思っていたよりずっと狭かったのか?
生まれてから僕は、今まで過ごしてきた貴族の社会しか知らなかった。
絶対的な格差社会、権力のある者、容姿の優れた者しかいない、それしか認めない場所。
意にそぐわなければ排他する、そこしか知らなかった。
それが当たり前だと思っていた。
だから、熱が下がり目覚めたあの時絶望した。片目も片耳も失った僕は王子の側近に戻ることも出来ない、父の後を継ぎ侯爵となる事も出来ない。
……死のう、そう思った。
短剣を握り喉元に当て目を閉じた……が、様子がおかしいと感じていた父と弟が部屋に駆け込んで来た。
『どんな姿でもいい、生きていてくれ』
泣きながらそう言った二人に、僕は頷く事しか出来なかった。
あの時、命を絶っていたら、僕は世界が広いという事を知らぬままだった。
この姿の僕でも拒絶されない、恐れない、ちゃんと見て笑顔をくれる、そんな人たちに出会う事もなかったんだ。
*
部屋に戻った僕に「さあ、リアム様もお着替えください」と、セスが持って来たのは真っ白いタキシードだった。
「これは……?」
(まるで結婚式に着る衣装のようだ……)
「これからパーティーですので」
「パーティー⁈ 何故?」
「リアム様のです」
「どういう事?」
「お支度はお一人でも大丈夫でしょうか?」
「あ、ああ大丈夫だよ」
「では、失礼致します」
セスはそれ以上話す事なく部屋から出て行った。
僕はとりあえず、用意されたタキシードに着替えた。
(……あつらえた様にピッタリだな……)
しばらくすると、準備が整いましたと先程のホールへと通された。
ほんの数刻前迄は広いだけだったホールは、沢山のテーブルと料理が並べられ、色とりどりの花が飾られていた。
ただ、何故か中央に僕と一緒にここまで来たあの箱が置いてある。
「さあ、リアム様」
皆に促され、箱の前に立つ。
箱はよく見ると取手の様な物が付いていた。
「中にはご家族の皆様、そして婚約者であったアリスお嬢様のご家族様からの、大切な贈り物が入っております、どうぞお受け取り下さいとのことです」
僕は取手を握り、ゆっくりと箱を開けた。
そこから、純白のドレスを身に纏ったアリスが、嬉しそうに微笑みながら出てきた。
「アリス……贈り物って……」
「リアム、受け取ってくれる?」
アリスは僕を真っ直ぐに見つめると、夢と同じように細くて白いその手で、僕の右頬に優しく触れる。
「……怖くないの?」
僕が尋ねるとアリスはクスッと笑った。
「怖いなんて思わないわ、私はあなたが好きなのよ、見た目がどう変わろうとも、リアムが好きなの」
「アリス……」
「それにね、私ずっと箱の中からあなたを見てここまで来たのよ?」
「箱、あの箱の中⁈ 」
「そう、あなたは馬車の中では仮面を外していたでしょう? 私、ずっとドキドキしていたわ。公園で初めて見た時も思っていたけど……あなた変わらずとても素敵なんだもの」
初めて見た時から⁈
怖くなかった?
「それに……何度も私の名前を呼んでくれて、嬉しかった」
まさか、聞かれているとは思わなかった。もちろん、彼女が箱に入っているとも思っていなかったが……。
「あなたはとても素敵だわ、王都ではおそろしいと言った人もいたかも知れないけれど、私はあなたの白金の髪に映えるこの真紅の薔薇の様な肌も、月の光の色の瞳も好きよ。もちろんもう一つの夜空色の瞳も好き」
好きだと何度も言ってくれる、彼女の優しい声が胸の奥に響いて、僕の強張っていた心を動かしていく。
「こんな姿の僕で本当に……いいの?」
アリスは花のように笑った。
「あなたがいいの」
彼女の指が僕の目の下を拭う。
「もう、リアム泣いちゃダメよ。あなたが泣くと私まで泣いちゃうから、せっかくキレイにお化粧してもらったのに」
「……僕は……泣いて⁈ 」
瞳を潤ませながらアリスは笑っている。
僕の右目はあの日から見えていない。
涙も何故か出る事は無かった。
……なのに……僕の両目からは涙が流れていた。
嬉しくて、アリスに会えたことが、君に怖くないと言ってもらえたことが何よりも嬉しい
「リアム」
アリスは背伸びをすると僕の目元にキスをした。
「あなたのお嫁さんにしてくれる?」
僕によく聞こえるように、少し大きなかわいい声でそう言った。
「僕は……前みたいに踊れないよ?」
耳が聞こえなくなって間もないせいか、体の感覚がまだ掴みづらくて、僕は上手く踊れなくなった。アリスはダンスが好きだったから……。
「私、ダンスは好きじゃないもの」
ちょっと拗ねたようにアリスは言った。
「僕は……」
「……好きだ、踊る君も、笑う君も、どんな時の君も……僕は……僕はアリスと一緒にいたい」
「僕と結婚して下さい」
「はい!」
アリスが僕の胸に飛び込んできた。
慌てて僕は彼女を抱きとめる。バランスを崩しそうになって、そのままクルリと回ってしまった。
その瞬間、わああっ‼︎ と歓声が沸き起こった。
周りにはいつの間にかたくさんの人々がいて、拍手や喜びの声を上げてくれている。
楽団が音楽を奏で始め、僕とアリスの結婚を祝うパーティーが始まった。
「リアム様、これは前祝いです。結婚式は盛大に行いますから!」
赤い顔をしたセスがワインを片手に僕に言った。
前祝いと言うのに、たくさんの街の人たちがお祝いにと駆けつけてくれて、楽しい宴は夜遅くまで続いた。
嬉しくて、幸せで……僕は久しぶりに笑った。
*
朝、目覚めると横に寝ていたはずのアリスの姿が無かった。
……夢だったのか……。
ベッドの上で呆然としているとベランダから声がした。
「リアム、起きた? ねぇ、ほら見て……すごくキレイなの」
「アリス」
よかった、ちゃんと居てくれた……。
僕は彼女の横に立ち朝日に輝く海を眺めた。
静かな波の音が聞こえる。彼女の柔らかく細い髪が風に揺れている。
ああ、この景色は…… 。
あの時の……。
「夢だ……」
「夢じゃないわよ?」
アリスは僕を見上げていたずらに笑う
今、隣にはアリスがいる。
以前とは違う姿になった僕を、それでも好きだと言ってくれる愛しいアリス。
「……うん、夢じゃない」
アリスは僕の頬に両手を添えて、
「ずっと一緒よ」と、かわいい声で囁くと……。
甘いキスをくれた。