第四十二話 忍従
ヘムカが連れてこられたのは、無機質で中央に机のある部屋だ。そして、ヘムカの隣には女性警察官がおり人を待っている。
「いい? 正直に訳してね」
「はい」
女性警察官は、改めてヘムカに念押しする。年齢も考慮してのことだろう。
それに、契約書にも書かれていた。通訳としての仕事を求められた場合には大人しく従うこと。
通訳の際、改竄しないこと。
ヘムカとしても、破って何ら得はない。大人しく遂行するつもりだ。
「あ、来たわ」
女性警察官が足音に気づき扉を見ると、一人の男が手錠をされ警察官に拘束されながら部屋にやってきた。
男は警察官に椅子に座らされると、ヘムカに付き添った女性警察官去っていき代わりに場数を踏んできたであろう強面の女性警察官が入ってきて男の反対側の椅子に。そして、ヘムカは丁度二人から見て真横の椅子に座った。
「それでは、取り調べを開始します。あなたの名前は?」
そこからは、ただ言葉を機械的に翻訳していく時間だった。ヘムカである必要はどこにもない、ただ翻訳できるのがヘムカだったからという理由で長時間に渡って取り調べの手伝いをしていた。
「貴国で兵士の権限がいかに保証されていようとも、我が国の現行法では関係ありません。明確な銃刀法違反です」
警察官が男に対し、自国の兵士の権限が通用しないことを告げる。
しかし、ヘムカは新たな問題に直面した。途中、難しい言葉が出てきた場合には何と訳していいのかわからないのだ。
「現行法……ってなんて訳すんだ?」
文明化されていない小さな村に住んでいたヘムカからしてみれば、現行法の訳に相当する言葉など聞いたこともなければ考えたことすらない。小声で唸りながら考えるも、女性警察官は脚を揺らすなどして急かす。とはいえ、脚を揺らしただけで一応本人の口からは何も言ってこず黙って男を威圧するのみだ。
ヘムカは通訳のために教育を受けたわけでもないのだ。そしてなおかつ、両者に共通の常識がないこともますますヘムカの神経をすり減らしていた。
「魔法? こっちは真剣に話をしているんですよ!」
女性警察官は魔法などの概念はわからないし、兵士は全てが法で管理される法治国家の概念を知らない。両者の話し合いをスムーズに行うために、前提知識を伝えた結果かなりの予定された時間を大幅に超えた。実に十二時間通訳しっぱなしであった。
「お疲れ様。また明日もよろしくね」
感情など籠もっていなさそうな、合成音声ですら言えそうな挨拶を受けると設けられた部屋へと向かう。
食事はすっかり冷めきった留置所と一緒の仕立て屋の食事。夜遅くに食べる分、普通に留置所に入っていた方がマシだとすら思えた。それに衣食住が保証されたといっても、警察署内の一室。雑に改造された簡素な部屋だ。プライバシーなどあったものではない。死んだように寝るも、不審者が騒ぎを起こしたとかで真夜中の三時に通訳として駆り出された。
未熟な子どもであるヘムカが心身ともに疲弊するまで二日かからなかった。
「あれ? なんで泣いて……?」
気がつくと、ヘムカは泣いていた。時計を見ると、深夜十二時。意識しないままに仕事を終えて寝てしまったのだろう。布団を見ると、涙ですっかり濡れてしまっていた。
布団が汚れたことよりも、頭に浮かぶのは樹のことだった。
「大丈夫かな……?」
本の僅かな短い期間しかともにしていないが、現時点でヘムカが最も信頼しているのは樹だった。たとえ犯罪者であろうとも、変わりはない。
暫く布団を上で起きたまま何も考えずに身を任せていたが、尿意を感じ立ち上がった。
「トイレ行こう」
部屋を出て、深夜の警察署を徘徊する。とはいえ、深夜とて犯罪がないわけではないためどこかしら明かりはついている。
「あったあった」
トイレを見つけ、近くにある部屋を通り過ぎようとしたとき部屋の中から甲高い声が聞こえ思わず尿意を忘れ聞き耳を立てた。
「取り調べもいいですけど、あの子のことも考えてやって下さいよ。あの子、さっき確認しましたが眠りながら泣いてたんですよ?」
最初に出会った女性警察官の声だった。ある程度はヘムカのことを気遣ってくれていたらしい。
「その理屈だと、どんな大罪を犯した重罪人でも泣けば泣くほど罪が軽くなるぞ」
その言葉に、女性警察官は何も反論できないとか唸り声を上げるほかない。
「それはそうと、明日……じゃなくて本日。安積県知事が視察にいらっしゃる。準備をしっかりな」
「……わかりました」
女性警察官は部屋を出ようとしていたため、ヘムカはすぐにトイレの中に入り隠れた。何かいいことがあればと思い聞いていたが、結局徒労であった。
トイレをしたあとは、すぐにまた布団の中に入り少ない自由時間を全て睡眠に当てた。




