第三十五話 雨のち晴れ
予約投稿忘れてた(3回目)。
「これで終わり。後は母親の遺体を羽黒市近くの適当な森に捨てようとしたんだ。そこで君と出会ったんだ」
気がつけば、雨はひどくなっていた。少し遠くの木々さえ霞むほどの豪雨。大量の雨粒が車を叩きつけており、車が心なしか揺れているようにも感じられる。
そんな中で、ヘムカは次々と聞かせられる樹の過去に言葉にもならない思いを抱いていた。
自分が殺された事件が、冤罪になってしまったこと。
樹の正体が、前世の親友だったこと。最初に名前を聞いた時にどこか聞き覚えのある名前だと思っていた。だが、すっかり窶れている樹は朧げに思い浮かぶ前世の姿に似ても似つかなかった。そのため、疑う余地もなくいい人だな程度にしか思っていなかった。
そして、樹の送ってきた人生。
もはや、かける言葉が見つからないでいた。
「ヘムカ。固定電話を設置していないのは、通報されないように。頑なに拘置所に行くことを拒んだのは、僕は警察に殺人犯だとバレると思ったからだ。つくづく僕は自分のことしか考えてないんだ。幻滅した?」
今までヘムカが樹の家で経験した事態の多くが、解明した。真実を知れたことこそ嬉しいものの、その実態は殺人者だったという事実。
ヘムカは、言葉に詰まった。
「それは……」
ヘムカは幻滅していた。殺人犯だと知れば、誰だって幻滅するだろう。
けれども、樹を憎むことなんてできない。今まで散々お世話になったし、話を聞く限り樹の母親が悪いようにしか思えなかったからだ。
とはいえ、殺人は殺人。本来なら罪を償わなければならない。いくら情状酌量が認められても、刑期は長い。
樹と一緒に居たいという気持ちと、自由に生きたいという気持ち。どちらとも大切な気持ちなため、すぐにどちらかに天秤を傾けることなどできなかった。
「で、答えは?」
樹はヘムカに返答を急かす。
冷静に考えれば、多くの市民の命が掛かっている以上ヘムカの方法を推し進めるべきであった。しかし、父親から言われた言葉が頭の中に蘇る。多くの命を優先することも大切だが、大切な人の命もまた優先するべきなのだと。
「……逃げよう」
根本的な解決にならないのはわかっている。けれども、ヘムカにはこれしか浮かばなかった。
「羽黒市を離れて遠くに逃げよう! そうすれば私も狙われることもないので平和。佐藤さんだって、そっちのほうが……」
無茶苦茶な提案だとわかっている。そもそも、逃げた所で何の意味もない。
そもそも、衝動的な犯行で犯人が樹であることは既に警察も知るところだ。殺人罪の時効は撤廃されている以上、いつ警察がやってきてもおかしくはない。
仮に転居したところで、ヘムカは外には出れないし樹は胸を張って歩けない。いつ警察にバレるのかと、内心震えながら暮らすのだ。
そんなもの、平穏という言葉の意味からは離れすぎている。
「いや、いいよ」
樹は妙に落ち着いていた。包み隠さず全てヘムカに話す覚悟で来たのだろう。
「どうして!?」
ヘムカは、樹のことが理解できなかった。頑なに拒んできたのに、突然諦めだして。
「僕さ、母親を森に捨てた後しばらく遊んで自首しようと思ってたんだよ」
樹はヘムカの方を振り向くと、穏やかな表情で微笑んだ。
「でもヘムカ、君に出会った。あの時見たヘムカは、体中に痣があって、傷があってさ。自分と同じ様に虐待されてたんじゃないかって思ったから他人事とは思えなかった。でも、僕は犯罪者。救急車を呼べば事情聴取のために警察官と会ってバレるかもしれない。救急車だけ呼んで立ち去ろうとも思ったけど、僕と同じように虐待を受けていたかもしれない子に寄り添っててあげたかったんだ。だから救急車を呼ばず、家に連れて帰った。僕はあのときのこと、全然後悔していないよ」
樹は過去を偲ぶように語る。
「結果的にいろいろと違っていたけど、君と暮らした日々は楽しかった。今までが苦しすぎたこともあるかもしれない。いつしか、自首するという決心は大きく揺らいでいた。だからこそ、君が拘置所に行くなんて言った時反対した。そりゃ、多くの人が助かるなら反対したくないさ。でも僕は君と一緒にいたい。それでも──」
ヘムカにとって、甘美な言葉の連続だった。だからこそ、聞き手に徹していたが最後の言葉を聞いて眉を顰める。
「限界はくる。身元がわかってないとはいえ、母親の遺体はすでに発見された。ヘムカも、僕が不甲斐ないせいで危うく大変な目にあった。僕は決めたよ、大人しく自首するって」
しかし、ヘムカの顔色は優れない。まだヘムカの中では心の整理がついてなかった。
ヘムカが散々主張し、樹に突っぱねられた作戦。ようやく樹が理解してくれたと思ったら、ヘムカはリスクに怯えてしまった。
「私は……。私は……」
新しい居場所が見つかるまでという条件で暮らし始めた樹との日々。数年前の常識が通じなかったり、外出できなかったり。いろいろ悩まされることはそれでもあった。
だが、ヘムカにとっても樹と一緒に暮らした日々は楽しかったし、もっと一緒に居たい。できることなら、ずっと彼と一緒に居たいとすら思えたのだ。
頭を抱えるヘムカ。しかし、並大抵のことではない。周りのことすら碌に見えないほどに熟考していた。
「じゃあ、元の世界に帰りたいかい?」
決めかねるヘムカに、樹は別の質問を投げかける。今の質問よりもよっぽど決定が楽なものだ。
「そ、それは嫌。絶対に、帰らない」
即答して見せた。だが、ヘムカは見事に誘導されてしまった。続くであろう樹の言葉を考えると、項垂れ再び口を噤む。
樹は安心した様に、誘導するべく言葉を告げる。
「なら、答えは一つしかないじゃないか」
ヘムカが元の世界と絶縁する方法、それは一つしかない。けれども、樹を失うというのも非常に心苦しい。
考えただけで涙が止まらない。緩みきった水道の様に延々と涙が垂れ流れ、涕泣に至る。ただ樹に抱きつき、その胸の中に埋まる。樹はヘムカを静かに抱きしめる。
暫く時が流れ、ヘムカは泣き止んだ。徐々に雨が止んでいく。しかし、樹から離れようとはしない。
「ヘムカ? どうしたの?」
声をかけても頭を上げず、もう暫くたってようやくヘムカは体を起こした。真っ赤に腫れた瞼を気にせもずに樹に面と向き合う。
「私、拘置所へ行く。佐藤さん。一緒に来てくれる?」
樹は少しばかりの笑みを浮かべ、浅い首肯をする。
「いいよ。ただし一つ条件があるんだ」
「なに?」
「もし出所したら……そのときは、迎えに来てくれないか」
樹は、出所当日を想像する。成長したヘムカが、迎えに来てくれるのだろうか。太陽の下を歩けているのだろうか。考えれば考えるほどに、疑問は浮かぶばかり。
何年先かはわからない、無期懲役にはならないでほしいなと思う。そんなことを口走っている自分に対し少しばかり恥ずかしい様に思った。とはいえ、殺人を宣言した後ではこの程度のことなどまるで相手にもされないとも思う。
「……もちろん!」
ヘムカは雨があがり日光が輝く中太陽のような眩しい笑顔で言うと、ヘムカはその小さな体を活かし樹とシートの間に入ると首を両手で抱きかかえる。
「ヘムカ? 何してるんだ?」
突然の奇行に、樹は思考が追いつかなかった。
しかし、ヘムカは顔色一つ変えず先程から変わらぬ笑顔のまま答えた。
「なんでもないよ」
目をゆっくりと細めるとそのまま暫く、ヘムカは自身の体を樹の密着されていた。




