第十七話 一歩一歩
「朝ごはんできたよ!」
ヘムカは樹の声により目が覚めた。寝ぼけていたヘムカは一瞬物事が把握できず、見慣れぬ景色に困惑していたがすぐに昨日の出来事を思い出し納得した。
和室に広げられた布団を出ると、日光が差し込む濡れ縁を通りダイニングへとやってくる。ダイニングへ行く途中に通過したリビングの掛け時計を見る限り、現在時刻は八時。
椅子に座ると、テーブルの上にあったのは洋風の朝食。食パン、ソーセージ、ヨーグルトだ。そして、キッチンの方を見てみると食パンの袋、ソーセージの袋、ヨーグルトの袋で溢れかえっている。
ヘムカは箸でソーセージをつまみ、齧る。元いた世界では味わえない肉質と肉汁がたまらない。続いて、キッチンのコンロへと目を向ける。IHというわけでもなく、普通のガスコンロであった。ヘムカは目を凝らしてみるが、近くにフライパンは見当たらない。水切りカゴを見てもフライパンらしきものはない。シンクにあるのかと思い食べ進めるが、その食事中とは思えない異様な視線に気がついた樹が興味深そうにこちらを見る。
「さっきからキッチンばっかり見てどうしたの?」
樹は丁度咀嚼していたものを嚥下すると思い切ってヘムカに質問する。
「いや、このソーセージどうやって温めたのかなと」
ヘムカは真っ白な磁器の皿にあるソーセージを持ち上げる。
「そのソーセージは、電子レンジ調理可能だからね。僕みたいな料理できない人にとっては嬉しい限りだよ」
ヘムカがキッチンを見渡していた理由、それはどうやってソーセージを温めたのかだった。一応電子レンジの記憶もあるのだが、八年も別世界で暮らしていると焼くと茹でるぐらいしか咄嗟に調理方法が思い浮かばなくなる。ましてや、蒸したり揚げたりではなく電子レンジのような二十世紀に入ってやっと登場した調理方法など、昨晩見たにも関わらずすっかり記憶の彼方だった。
「ああ、なるほど」
ヘムカは悩みの種が無事に解消されると、ヨーグルトを一気に口へ掻き込み食べ朝食を終える。
「もしかして、電子レンジで温めた食べ物は絶対に食べない人だったりする?」
「別にそういうわけじゃないです。居候の身ですし、料理くらい作ろうかなと」
居候の身で、迂闊に外も出歩けない。そうなればずっと家にいることになるが、家でできることなどたかが知れている。せめてもの暇つぶしと思い、ヘムカは料理を作ることを提案したのだ。
「おお、いいね。助かるよ。でも食材ないから買い出しに行かないとだね」
冷凍食品やレトルト食品も、食品によっては面倒くさい加熱の仕方をするときもあるので決して全てが楽というわけではない。それに、健康面でも不安が大きいのも事実で樹はヘムカの提案は喜んで受け入れた。
けれども、ヘムカの言うとおりにするには外で買う必要がある。樹が買いに行くならまだしも、調理する人と買う人が別では買うものを間違えないかという不安が残る。
「ですね」
ヘムカも、樹が暗に外出する必要があると言っているのはわかった。ヘムカとしても吝かではない。大きめフードを被ればギリギリ耳も首枷もしっぽも隠し通せるのだが、どうにも怪しい格好のためイマイチ積極的になれないという理由があった。
「そもそもの話、フライパンないし、お皿も足りないだろうし」
樹の家にあるのは鍋と二個のコップ、二枚の皿だけである。二人分ということを考えるとどうにも数は少ない。
「それも買わないとね。じゃあ、支度しようか」
両方の物が同時に買える場所は総合スーパーか大型ディスカウントストア。この近くだと改装したばかりの大型ディスカウントストアが存在した。
樹は朝食を食べ終わると、皿をシンクに入れてすぐに外出の身支度を始める。ヘムカは樹の身支度を呆然と眺めていると、樹からパーカーを渡される。
「はい、これ」
ヘムカはパーカーを渡され一瞬戸惑った。一応見せたくない部分は隠れるのだが、どうしても違和感は拭えない。職質も受けやすいだろう。けれども、期待されている状況で断るヘムカではない。パーカーを受け取ると、その長い袖に短い腕を通す。
「しっぽの部分どう? 窮屈じゃない? 昨日買った服みたいに穴開けていいけど」
ヘムカは昨晩、渡された服に穴を開けていた。このようにしないと、しっぽの部分が窮屈でしかたないのだ。
しかし、パーカーは大きめであるということが功を奏し、しっぽはそれほど窮屈ではない。とはいえ、少なからずパーカーを着ると尾骨辺りが妙に膨らんで見えるため、見知らぬ人が見た場合は違和感を覚えることだろう。
また、腕を伸ばしても指先ですら袖から見えることはない。いわゆる萌え袖という格好だ。首枷も無事に隠れて見える。
狐耳の場合は、無理やり押しつぶしフードを被れば特に問題はない。
全体的に見ればかなり違和感のある格好だが。
「じゃあ行くか……」
行こうと言ったのは樹だが、改めてヘムカを見ると職質されそうだと感じる。懸念しながらも樹は外へと出た。