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第十二話 望み

 風が吹く。すると、周囲にある木々の葉擦れの音が一斉に聞こえ始めた。数秒間辺りをざわめかせた後、何もなかったかのように静かに戻る。

 そんな中、ヘムカは意識が戻った。暑いわけではないが、風が吹くと体の熱を冷ましてくれているようで涼しく心地よい。目を開けるわけでもなく、この風と葉擦れの音の余韻に浸りたいばっかりに表情を緩め寝返りを打つ。寝返りを打ったヘムカを優しく包み込んでくれるのは褐色森林土。当初は褐色森林土の温もりを全身で感じていたが、徐々に自分がどんな目に会ってきたのかという記憶が蘇る。

 ヘムカは咄嗟に飛び起き、辺りを見渡した。真っ先に警戒すべきはライベだが、幸いライベは見当たらない。胸を撫で下ろすと、ふと違和感を覚えた。


「ここ、どこ?」


 ヘムカが覚えている最近の記憶は、ライベの邸宅を囲む鉄条網から落下したということ。しかし、ヘムカがいるのは傾斜のある森の中である。辺りには高さ数十メートルはありそうな松の木が密集しており、あまり見通しは良くない。てっきり、ライベに連れ戻されたのではと覚悟していたがその様子はない。

 安心すると同時に、先の見えない不安に襲われる。


 ヘムカが真っ先にすべきこと。それは、ここがどこなのかということだ。ライベから逃げるためにもその情報は必要だった。


「そういえば……」


 ヘムカが鉄条網から落下する際、草原に空間の歪のようなものが見えた。あれは何だったのかと疑ってみるも、何か手がかりがあるわけでもない。

 ライベが仕掛けた罠ということも考えたが、空間が歪んでいたのは草原の一部分。ライベはわざわざ地面の一部分に落下させるために誘導していたことになる。そう考えると、マスケット銃での誤射はわざとということになり拭えきれない違和感があった。

 ヘムカは、空間の歪みを見つけることにする。

 ここはどこかもわからない以上、帰りたくはないが万が一のために帰る方法を確立しておきたいからだ。ちょうど近くにあった松と松の間を確認しようとする。ヘムカがこの松を選んだ理由は、謎の切り込みがあり興味を持ったからだったのだが、近づくと近くに何やら黒い毛玉を発見する。

 黒い毛玉、それはツキノワグマだった。熊はヘムカから二十メートルもない場所にいる。切り込みもとい爪痕の犯人がわかったと呑気なことを考えていたが、熊はゆっくりとヘムカを目で捉え近づいてきていた。

 死んだふりをしたほうがいいのか。いや、死んだふりは効果がないと聞いたことがある。

 咄嗟の熊との遭遇にヘムカは冷静な判断ができなかった。

 ライベから逃げられたのは僥倖だった、しかしすぐに死んでしまいたくはない。

 あれだけ生への執着を諦めていたのに、自分でも不思議と思えるほどに生へ執着していた。

 ライベの元で実験という名の甚振りを受けたからこそ、却って苦痛のないこの生に執着してしまったのだろう。

 ヘムカはゆっくりと熊を刺激しないように立ち去ろうとした。しかし、ヘムカと熊の距離は近すぎた。

 熊がヘムカに向かって突進してくる。しかし、密生している松のおかげで熊も思うように速度が出せていない。そのせいで幸いにも逃れることができているが、気を許せば追いつかれてしまう。

 そのことがヘムカを煽らせた。目の前の崖に気づかないほどに。


「あっ……」


 気がついたときにはもう遅かった。

 ヘムカが落下するなり、その山肌を転がり下りていった。幸いそこまで高さがある崖ではなかったため、死に直結するようなものではなく全身を強打する程度で済んだ。けれども、鉄条網を登っていた時の傷などもあり全身傷だらけであった。

 全身が痛む中で動くことは容易ではなく、頑張って歩みを進めようとするが数歩進んだだけでその場に座り込む。まともな食事をしたのも、ライベの邸宅に連れてこられて早々に出された魚のポワレのみ。しかも、そのポワレも食べかけであった。

 当然ながら極度の空腹であり、全身の痛みも相まって意識を保つのがやっとのことであった。


「死にたくない……」


 風が吹いたら消えてしまいそうな微かな声だった。しかし、音を出すものが何もないこの森ではヘムカの声も、僅かながらに響いていた。

 ヘムカの意識が朦朧とし始める中、視界に黒い人影が現れた。


「誰だ?」


「へ?」


 困惑するヘムカ。来ないと思っていた返事が来たのもあるが、日本語であったのも大きい。しかし、意識は朦朧としておりそんなことを考える暇もなかった。目の前の人物の顔を碌に認識できやしない。そんな人物は、何かに気がつくとヘムカの目の前まで急いでやってきた。


「大丈夫?」


 そう言ってヘムカを覗き込む。


「助かった……の……?」


 ヘムカを助けた人物が誰かはわからない。けれどもライベという人物を体験してしまっている以上、どんな人物でもいいやという余裕が生まれていた。


「ああ、そうだよ」


 その人物は優しそうな声でそう呟いた。そして、ヘムカは意識を失った。

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