夢吐く、生きもの
楠丸は立ち尽くしたまま、狼深に、何とはなしに聞いてみた。
「お前は喰わないんスか」
「私はお前とは違う」
「ふーん。じゃあ、お前もマナカの【悪夢】の一部っスね?」
「え」
「お前、あんまり見たことないんスもん」
「お前最近ここには来てないと言ってたろうが!」
楠丸のマイペースな物言いに、狼深はいらいらとする。
「ポッと出の何かがのさばれるほど、マナカの悪夢は単純じゃあないんスよ? おおかた、この一ヶ月チョイで、マナカのコピーから分裂でもして、スクスク育ったんじゃないっスか。ねえ?」
そう言って楠丸はまっすぐイツカを見た。
イツカは自分に同意を求められた理由がわからなくて、動揺した。
「なんで私に聞くの……?」
「だってお前リアルのマナカじゃないんスもん。コピーは、お前っス」
楠丸は迷いなくイツカを指さした。あまりにもはっきりと、その言葉は確信に満ちていた。
「なんでそう思うんだ」
狼深の問いに、楠丸はあくまでマイペースに答える。
「さあねえ。お前が、そっちのマナカばっかり気にしてるからっスかね?」
「――なんだと?」
「マナカとそのコピー。お前はアレっスか、俺のコピーっスかね。夢を喰わないなら、俺と対になってるんスかね。悪夢を吐く精霊、いると聞いたことはあるっスけど」
イツカはそこまで聞いて、不敵に笑った。
「随分と鋭いじゃない」
「勘っスよ、ただの。とりあえず、ここから出しちゃあもらえないっスか」
「無理だわね」
「無理?」
「わからない? ここは、私の、【夢の中】。出る方法は、あなたが一番よく知っているでしょ?」
イツカと狼深はひらりと舞うように楠丸から離れた。
「喰わせないつもりっスか?」
「そうね。この子が永遠に私の夢の中をさまよえば、私が代わりに現実へ行くことができるもの」
楠丸はそれで合点がいく。イツカが現実に姿を見せた理由。ここのところ患者に悪夢が増え続けた理由。
「やっぱ狙いはそれっスか。そっちの……夢を吐く俺のコピーと一緒に、成り替わるつもりっスね?」
「そういうことだ」
「狼深が悪夢を吐き続ける限り、あなたたちはここから出られない。夢の中の住人になって、見ていなさい。現実の世界が悪夢だらけになる、素敵な世界をね」
楠丸はカッとなって跳んだ。消えそうになるふたりに対して、ストローを構える。
「待てっ! 俺たちは夢から出るっス! お前たちを喰ってでも!」
狼深はそれを聞いて、「ふーん」と無感動に言い放った。
「お前の腹の中は、いま、どうなっているんだろうな?」
楠丸はギクッとする。
マナカは重い頭で、楠丸を見た。
「あのときお前が喰った夢は、私が吐いたもの。純度百パーセントの悪夢だ。ひとの脳というフィルターがないぶん、直接お前の胃の中で暴れてくれる。それだけのもの、喰って平気なほうがどうかしている。それでも、喰うつもりか?」
わかっている。たぶんただでは済まないことを。それでも、彼にはすでに覚悟ができていた。
「……見くびらないでほしいっスねェ。俺の胃は、丈夫にできてるっスよ!」
楠丸は改めて、イツカと狼深にストローを向けた。
狼深はイツカの前に立ち、いつでも【吐く】ことができる体勢をとっていた。
ふたりはじりじりと牽制し合う。
イツカはその様子と、動けないマナカを見ながら、つぶやいた。
「わからないわね」
その言葉は、呆れているようにも、吐き捨てるようにも聞こえた。
「わからない……?」
「無理に現実へ戻ろうとしなくても、別に居心地は悪くないわ。息のできないわけじゃなし、生きていけるわよ。私たちみたいにね」
「それは、――――」
「ねェ、マナカ。私はね、狼深はね。あなたの世界が見たいのよ。あなたの生きる現実を生きたいの。それを夢見て、あなたの夢の中で育ってきたの。わかるでしょう?」
「――――イツカ」
イツカはうれしそうに微笑んだ。だが、すぐ、冷たい瞳をマナカに向ける。
「そう呼んでくれるのね。でも、今日から、イツカはあなた。私はあなたの代わりに、現実の世界に行くわ」
イツカはマナカを一瞥し、ふいと背を向けた。
楠丸が、その背中に、言葉を投げる。
「現実の世界は、お前たちのもんじゃない! 俺とマナカのもんっスよ!」
「面白いことを言うわね」
「俺は大マジメっスよ。誰も助けない、助けるつもりのないドクターは、必ず患者さんから見放されるっス。マナカはそうじゃない。誰よりも患者さんが好きっスよ。俺はそんなマナカが好きなんス。そんなマナカと、一緒にいたいんス。現実の世界で!」
「…………!」
マナカはそのとき初めて目の前が開けた気がした。重かった頭をぐいと上げて、彼女ははっきりと周囲を見渡した。
「少なくとも一緒にはいられるでしょう。なにもかもを手に入れようとするのは、贅沢よ。……狼深」
「はい」
狼深は楠丸を牽制しながら、イツカのもとに戻る。もう一度、ふたりの影が揺らいだ。そのときだった。
「――――待ちなさい」
マナカがぴしゃりと言う。
「待たないわ」
「楠丸!」
マナカが楠丸の名を呼ぶのはとても早かった。
「はいっス!!」
「!?」
楠丸は異常を察知して動いた狼深よりも早く、イツカにストローを向ける。
「どうして、名前を……」
「イツカ、ここはあんたの夢の中。それなら、わたしの夢の中でもある。あんたこそ、なにもかもを手に入れようとしてるじゃない。あんたの自由にはさせない。わたしは楠丸と一緒に、ここを出る!」
それはまぎれもなく、マナカの決心だった。
「そうは、いかない!」
世界が震えあがるほどの叫び声が上がった。イツカの、怒りの叫びだった。
その瞬間、イツカの姿が変わる。黒く、大きな、獣のような影――ひとの身体こそ、かろうじて成しているものの、マナカの面影はそこになかった。




