夢の世界へ、どうぞ。
楠丸が落ち着いたのは、それから三十分も経ってからだった。
横たわる楠丸を見やり、マナカは考える。
――わたしの夢を喰べたときだって、こんなふうにはならなかった。では楠丸は何を喰べた? あの患者の夢を喰べた――の、なら、喰べたのは、たぶん、あの女の夢……わたしじゃないわたしがいたというのなら、それも合点がいかないじゃないけれど、……
そもそもあの女は夢の中だけの存在だったはず。
どうしていま、わざわざわたしのところへ? どうやって?
「まさか」
マナカはつぶやく。
「夢が……現実を喰いはじめてる? わたしの夢が?」
それなら自分だけを狙えばいい。なぜ楠丸を狙う。
「……夢の、通りってこと? わたし以外が、誰かに、次々に壊されてく……――そんなの……冗談じゃないわよ!」
マナカは思わず机を叩いた。すぐに、楠丸が休んでいることを思い出してはっとする。彼女は楠丸を見やると、奥から毛布を取り出して、身体にかけてやった。
「ちょっと買い出しに行ってくるわ。おとなしく寝てるのよ」
「……すまないっス、マナカ……」
いつもなら買い出しは楠丸の仕事だ。ただ、そんなことはいまの楠丸にさせられない。
「いいのいいの。行ってきます」
マナカは病院に鍵をかけて出ていく。
楠丸は横になったまま、手を振ってマナカを見送った。笑顔を作ったつもりではあったが、しばらくすると、また、腹はぎりぎりと痛み出した。
「――――う――――いままでこんなことなかったのに…………なんでこんな……痛いよう、痛いー……」
転がる楠丸の耳に、ことん、という音が聞こえた。同時に、冷たいつぶやきも。
「ずいぶんともたれているようだな」
「誰っスか……」
楠丸は痛い身体を動かし、声のほうを見た。
「お前、あのときの……!」
夢の中で出会った少女――狼深。
きっとまた会える、その言葉の通りになった――楠丸の全身が警告を発する。逃げろ。逃げろ。だが、身体が動かない。
「あの夢を喰って、それくらいで済んでるのが幸いだ。でも心配するな、そのうちその苦しみもなくなる」
「なに……言って……!?」
「喰わなくてすむんだよ。ずっと」
「冗談!」
狼深の言うのがどういう意味かは、一瞬、はかりかねたが、身体の警告よりも怒りがわずかに勝った。楠丸は痛みをこらえて起き上がり、身体をひるがえす。
瞬間だった。狼深は楠丸の目の前に跳んだ。
「!」
何をされたのかわからないままに、楠丸の意識は深く沈んだ。
マナカが戻ってきたのは、それから数分後のことだった。
買い出しに行ってはみたものの、楠丸は基本、人間の食事はとらない。したがってマナカは自分の分だけの食料品を買ってきた。
彼女は病院の薬棚を思い浮かべてみたが、楠丸に効くような薬があるとは思えなかった。かといって自分の夢など喰わせてしまったら余計にもたれそうだ。もっとも、消化のいい、かつ腹痛に効く悪夢があるとも思えないが。
「楠丸、ただいま」
診察室は奇妙なほどに静かだった。楠丸の返事はなく、そして、診察室には誰もいなかった。
「楠丸! ……楠丸……?」
くしゃくしゃの毛布と、買ってきた荷物を片づけながら、マナカは何度も楠丸の名を呼ぶが、やはり、返事はない。マナカは胸騒ぎがした。
「どこに行ったの、あの子……!?」
背中に冷たい気配が流れる。楠丸のものとは違う、だが、マナカは振り返った。
狼深が、静かに立っていた。
「……?」
「…………」
「ごめんなさい、きょうは休診なの、だから――――」
そこまで言ってマナカはハッとする。そうだ。休診だ。病院には鍵をかけたはずだ。裏口もそう。ならばこの子は? そして楠丸は?
「あんた……どうやって入ったの、ここに!」
狼深は勝手に診察室の椅子に腰かけた。まるでここが自分の部屋であるかのように。マナカを見つめながら、淡々と言葉をつむぐ。
「探してる奴がいるんだろう?」
「……え」
「連れて行ってやる」
「どういうこと?」
「そいつが、いつもいる世界に」
「あんた――――」
マナカは瞬間、逃げようと身体をひねった。
しかしそれより素早く、狼深がマナカの手首をつかむ。
マナカが振り返った瞬間――世界がぐるんと回って、マナカは崩れ落ちた。
「イツカ様! マナカがそっちに行きます」




