夢に、支配されていく
ぐね、と、空間が曲がった気がした。さっきと同じ感覚だった。誰のものかわからない、あの不思議な夢から脱出したときの。
「化ける……ねえ。失礼なことを言ってくれるわね。お仕置きが必要ね?」
マナカは笑った。彼女にそんなことを言われたのは初めてだった。
「!?」
楠丸は動けなくなる。いままで動きを止めていた女性患者が、楠丸を後ろから羽交い絞めにしたのだ。
「ちょ、なんスか、なんで……」
「喰うんだったわね。いいわよ、思う存分喰いなさい」
そうしてマナカは――マナカに見える、その医者は――楠丸のストローを自分の胸に向けた。
「死なないといいわね? あの子の悪夢も喰いきれないお前に、どこまで耐えられるのかしら」
「お前……いったい……」
「さあ、――召し上がれ――」
「わあああああああ‼」
自分の意思とは裏腹に、重たい【夢】が楠丸の身体を支配する。喰っているのではない。喰わされている。まるで無理矢理に詰め込むように、次々と彼の身体に悪夢が流れ込んでいく。楠丸の身体はびくびくと痙攣した。
「マナカ……マナカ――っ!!」
彼は思わずマナカの名を呼んでいた。
「無駄無駄。さあ、遠慮はいらないわ、どんどん、喰って喰って……」
「マナカ―――――っ!!」
最後の力を振り絞って叫んだ楠丸の身体から、一気に力が抜けた。それが鍵であったかのように、鏡の割れたような透き通った音がして、また、世界がぐるんと回った。
「あっ……!?」
直後、黒い服をまとった少女が、とん、と、地面を踏んだ。
「イツカ様。マナカが、目を覚まします」
イツカ様、と呼ばれた、マナカに似たその医者は、憎々しげに言った。
「そう……もうすこしで、あっちとこっちをひっくり返せたのにね」
女性患者の姿がかき消える。幻であったのだ。
「やっぱり、いまのままでは限界があるわね」
「先に、こちらの世界に閉じ込めてしまったほうがよさそうですね」
「わかってる。とりあえずこの坊やはここに置いておくわ。かえって楽しみよ。だいぶ、喰わせたからね……行くわよ、狼深」
「はい」
闇とともに、イツカと狼深は消えた。
世界が回る。目を覚ましたマナカは、診察室にやってきた。
「あぁ……なんだか寝たのか寝てないのかよくわかんないわ」
身体が妙に疲れていた。楠丸に呼ばれて起きたのは覚えているが、やはりいつもの通り悪夢を見ていたのは間違いない。夢に出ていたのは、昨日の患者。幸せな悪夢を見るという、あの患者だった。
あの患者は時々マナカの夢に現れる。知っている。自分にそっくりな顔をしているその女――現実に存在したのか……それとも……?
マナカはそこまで考えて、足を止めた。
診察室の床に、楠丸が転がっていた。どう見ても、寝ている雰囲気ではなかった。
「楠丸!? どうしたの!?」
「マナカ…………マナカっスか?」
楠丸はおびえたように目を覚ます。
「そうよ! 何、夢、喰べられなかったの?」
「おっそろしい……夢で……マナカがマナカじゃなくて……」
「…………わたし?」
ぎくりとした。マナカは彼女のことを思い出した。
「マナカじゃないやつの、夢……マナカのよりも……大きくて、怖くて……、あ」
「楠丸?」
「お腹…………」
「は?」
「お腹、お腹痛いス……」
「ええっ?!」
楠丸は腹を押さえて床に転がった。尋常な痛さではなかったし、なにより、こんなことは初めてだった。
「痛いー、痛いー、お腹痛いいいー……」
「楠丸! しっかりして、楠丸!」
「痛いー……」
楠丸はなおも「痛い痛い」と転がりまわる。
マナカはなすすべなく、おろおろと楠丸の腹や背中をさするのだった。




